/// 石像寺は釘抜地蔵  ///  (02/05/18)

 正しくは家隆山光明遍照院石像寺、何か
舌を噛みそうな名ですが、略して石像寺
(しゃくぞうじ)、そして庶民の間では
釘抜地蔵と呼ばれます。

弘仁10年(819)弘法大師の創建と伝わり、
真言宗の寺院として興りますが、
重源上人の中興により浄土宗へと改宗され
ます。大きな時代の流れとでも云うの
でしょうか、京都の有名寺院の中でも
この改宗、平安初期の仏教宗派から平安後期、
鎌倉期の新たな宗派への改宗はまま見られる
ところのようです。
本尊の三尺六寸の石造地蔵菩薩立像は
弘法大師が唐から持ち帰った石に衆生の
諸苦の救済を祈願して大師が自ら刻んだ
と云われ、もろもろの苦しみを抜き取ると
云う信仰から当初は「苦抜地蔵」と云われ、
それがいつしか訛って「釘抜地蔵」に
なったと云われます。

また一説には室町末期の頃、紀ノ国屋道林と
いう男が人を恨み人形(ひとがた)を作って
人形の手に恨み釘を打ち込んだところ、
突然自分の手が痛み出し、その痛みに苦しん
でいた折りに地蔵様にその非を詫び願かけを
していたところ、その満願の夜に地蔵尊が
手の釘を抜く夢をみたといいます。
本堂壁面の釘抜と八寸釘の絵馬
目が覚めると手の痛みは取れ、地蔵様の前に
駆けつけると血に染まった二本の釘が落ち
ていたといいます。こんな由来もあって
釘抜地蔵とも云われます。

今では本堂の建物の壁面全体に諸苦、病苦が
治った人が奉納した釘抜きと八寸釘を付けた
絵馬が貼り付けられています。
この光景、知らずに参詣すればちょっと
びっくりしますよ。

また本堂には行基の作と伝わる観世音菩薩、
地蔵堂背後には重要文化財に指定されて
いる阿弥陀三尊が安置され、この仏像は
伊勢権守・佐伯朝臣為家によって彫られた
との銘が入る仏様で特に中尊の阿弥陀如来
座像は約92cm、定印を結び結跏趺坐(けっか
ふざ)する鎌倉時代初期の傑作と云われます。
結跏趺坐の姿とはいわゆる座禅の姿だそう
です。
そしてこの地は歌人として知られた藤原
定家、家隆が住んだ所とも伝わり、境内
には藤原定家、家隆の墓と伝えられるものや、
また弘法大師三井の一つと云われる加持水が
あったりします。

石像寺へは市バス、千本上立売(かみだち
うり)すぐです。千本通に面していて、
千本えんま堂千本釈迦堂へも徒歩10分ほど
です。

Produce By 京の住人 戻る