/// 安倍晴明蘇生伝説、真如堂 ///
(00/06/06)
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真如堂には安倍晴明にまつわる
「閻魔大王蘇生金印傳」と云う
話が伝わっています。
真如堂の本尊阿弥陀如来の脇に立つ
不動明王は安倍晴明の念持沸で
安倍晴明の蘇生伝説と大きな関わりが
あると云うものです。
晴明が一度亡くなった時、不動明王が
閻魔大王に掛け合い、晴明は病にて
亡くなったので、未だ寿命は尽きて
いないと告げ、今一度、娑婆へ帰す
ように乞い願ったそうです。
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それを閻魔大王は聞きとどけ、
衆生の民を救う秘印を授けると共に
晴明を蘇生させ娑婆に帰したと
云います。
真如堂に伝わる「極楽之宝印」、が
この秘印の印影でしょうか。
「結定往生之秘印」とも呼ばれます。
星を象る晴明桔梗です。不動明王像と
共に安倍晴明像図もありましたが、
残念ながら撮影禁止で、ここでは
紹介することが出来ませんでした。
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てきました。狐は日本でも「玉藻前」と云う美女に変化して
鳥羽上皇の寵愛を得ていましたが、その姿を陰陽師、安倍秦親に
見破られ下野国那須野原に飛び去ったそうです。その後、那須野原では
狐の仕業と思える悪態が度々におこり、上皇は狐退治を命じます。
首尾よく狐は退治されるのですが、この悪狐は悪霊となって生き物を
殺す「殺生石」に変化し恐れられていました。
これを知った玄翁禅師は殺生石を叩き割り悪霊を成仏させ、叩き
割った石片で地蔵菩薩を刻み、鎌倉にお堂を建て祀りました。
ちなみに金槌のことを別名「げんのう」と呼ぶのは、この玄翁禅師に
由来すると伝わります。
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鎌倉にあったこの地蔵菩薩が何故に
真如堂にあるかと云えば、時は移り
江戸時代に、この地蔵菩薩を厚く
信仰していた幕府の作事方大棟梁職
であった甲良豊後守の夢中にこの
地蔵菩薩が現れ、自分を衆生済度の
霊場である真如堂に移しなさいと
告げられ、地蔵菩薩は真如堂に
移されたと伝わります。
元は鎌倉にあった地蔵菩薩なので、
俗に鎌倉地蔵尊と呼ばれています。
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