/// 知恩院のいろいろ /// (05/07/29)
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忘れ傘や七不思議を紹介してきた 知恩院ですが、さすが大寺院、 まだまだ話題には事欠かないようです。 黒門の南にある塔頭、崇泰院には 親鸞上人が逆さに突き立てた杉の杖が 根を下ろしたと云われる”親鸞逆さ杉” がありました。過去形表現なのは、 もう昔に枯れてしまったそうです。 この”親鸞逆さ杉”が示すように 崇泰院のある所は本願寺発祥の地で あったりします。親鸞の末娘、覚信尼が 廟堂を営み,親鸞の遺骨を安置した地、 そして、本願寺八代門主”蓮如上人”の 誕生の地であったりします。 その由来から今は知恩院塔頭の崇泰院 ですが、門前には”親鸞聖人旧御廟所”、 ”蓮如上人誕生之地”、”本願寺発祥之 地”などの石碑が建ちます。 |
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この当たり、頭の中を上手く整理しないと、 知恩院、浄土宗の境内に、なんで親鸞聖人 が登場して、本願寺発祥の地なんだって ことになります。 阿弥陀堂の北、渡り廊下を隔てた所、 桜だったかの木陰に、高さ3m弱の五輪 石塔があります。誰かのお墓なのか、 供養塔なのか、それとも忌明塔なのか、 定かではない五輪石塔です。忌明塔と 云うのは室町時代には行われていた、 喪に服していた人が忌明にお参りする 塔のこと。これら二つも知恩院七不思議に 数えると、その数は十にもなって しまいます。 黒門前、瓜生石を目の前にする所に塔頭、 良正院があります。本堂客殿は二条城 から移築したと云われ、知恩院大方丈と 同じ造り、廊下も鶯張りになっているそう です。 |
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その良正院の門前には何やら赤茶けた 石塔が建っており、そこには「ここは お国を何百里」と刻まれています。 それは、真下飛泉 (ましもひせん) 作詞の 「戦友」と云う軍歌の冒頭だそうです。 明治38年に発表された歌、ちょうど日露 戦争のさなかのことです。与謝野晶子の 「君死にたまふことなかれ」もこの頃、 世の中は戦争にひた走っていた時代です。 真下が一時、良正院に身を寄せていた 縁から石碑が残りますが、戦後、進駐軍は 軍国調だと破壊を命じますが、往時の 住職の庇護により今に残ります。 戦後60年、この碑も戦争遺跡の一つに 数えても良いのかも… 良正院から南へ5分ほどの所に、得浄明院 があります。本堂に善光寺本尊分身、 一光三尊像を安置し、本覺山善光寺と 称する信濃善光寺の別院です。 そして、浄土宗の知恩院の別格寺でもある お寺です。 |
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ここで問題です。一般にお寺には宗派が ありますが、信濃善光寺は何宗のお寺で しょうか? 答えは”宗派がない”のです。 善光寺は宗派に関係なく宿願出来る霊場と されます。住職も天台宗、浄土宗などから 相互に、その任にあたると云う珍しいお寺 でもあります。 そのような由来から、知恩院の別格寺 でもあり、善光寺の別院とも名乗る 得浄明院です。 なお、得浄明院、良正院、崇泰院、共に 普段非公開の寺院です。 |