――「俺は用心棒」とその周辺――

2.結束信二の略歴

 結束信二は、大正15(1926)年、東京都新宿区の生まれ。太平洋大戦で機上無線士をし、特攻隊員として、熊本隈庄の飛行隊基地で終戦を迎えました。僅かの間官庁勤めをした後、昭和25(1950)年東横映画京都撮影所ヘ入社。その年は松竹、大映、東宝でレッドパージが行われ百九名が追放処分された年であり、又東映、東横、太泉の三社が合併し東映株式会社を設立した年でもあります。彼は企画部脚本課を経てシナリオ作家になりました。その間、組合の書記長もやったそうですが、それが彼にどのような影響を与えたのか私は知りません。昭和36(1961)年東映退社。この間、実に 150本の劇場用映画作品 を世に送り出しました。

 その後、フリーで数多くのテレビドラマを手がけました。昭和40(1965)年のテレビ映画「新選組血風録」で、悲壮美を詩的情念の世界に確立し、さらに翌年の「俺は用心棒」において、あたかも賛沢な工芸品を思わせるような精密な構成の元に、庶民のささやかな信義を美的結晶に導きました。

前の章に戻る←     ↑この章の先頭に戻る     →次の章へ