Japan Ueo Railroad


夢鉄道JURで行く えっせい



旅を楽しく・・・・・

憧れの旅へ・・・・・
それは夢の世界への旅立ち・・・・・

一度は乗ってみたい列車、そんな列車を追いかけて・・・・・
20世紀へタイムトラベル・・・・・
そして場所は、ヨーロッパ・・・・・



20世紀の半ば、1957年に TEE
  Trans Europ Express(欧州横断特急)が、
走り始めました・・・

JURに入線したTEE「ヨーロッパ横断特急」
ゆめとき駅に駆け込んできたのは・・・
ドイツ国鉄が運行するTEEヘルベティア・・・・・
( Helvetia ラテン語で「スイス」を意味します・・・・・)


1957年夏ダイヤから、西ドイツ、フランス、イタリアなど
ヨーロッパ各国が独自の車両を使用しながらも、統一規格のもとで
ネットワークを形成する方式で、10系統の優等列車
TEEが運行を開始しました。



1957年6月2日、一日一往復の運転で走り始めた国際特急は、
4種類の気動車でした。

各国国鉄が、全1等車両で編成された優等列車を投入するなかで、
西ドイツ国鉄DBは、1965年モナコで開かれた国際鉄道博覧会に、
最新鋭の電気機関車E03型を発表しました・・・・・
この機関車は、後に
103 型として、1970年から製造開始されました。

「ラインゴルト」など当時最高速度時速160Kmで運転されていた
TEEやIC(インターシティエクスプレス)の客車の速度をいっきに
最高速度200Kmへスピードアップさせた、高速の旅客用電気機関車です。
この103型は世界的な名機として知られ、ヨーロッパのみならず、
遠く離れた日本でも根強い人気がありました。

103型機関車とTEE
卵型スタイルの機関車
103 型とTEEカラー(クリームと赤)に
塗り分けられた、すべて1等車両編成の「ヨーロッパ横断特急」は、
まさに、当時、旅のステータスシンボルでした。
この車体の塗装が、日本の特急の色になった?なんて話題も・・・・・

日本の国鉄特急
日本の国鉄特急の塗装のアイデアは?・・・・・

その後、1990年代に入ると、輸送する乗客の変化から
全車1等車両という条件が崩れ、ICやフランスのTGVなどの
2等車両を連結した、エコノミー列車のまえに、ついに
廃止の運命に・・・・・

TEEが本来の目的を果たした期間は決して長くはなかったものの、
ビジネスユーザを対象としたその上質のサービスは、
各国が競ってサービス向上に努めた結果、鉄道における
サービスレベルの向上につながり、そして・・・・・
後のインターシティや、現在の高速鉄道に引き継がれている。

ばく進するTEE・・・・・
ゆめとき駅を通過する、当社の特別急行・・・・・

ヨーロッパの鉄道趣味界では、TEE廃止後も、TEEに対する思い入れは強く
2007年には、TEEが運転を開始してからちょうど半世紀になることを記念して
50周年行事の開催や、懐かしの車両を使ったイベント列車の運行から
関連する出版物等の発行までが行われました。

夜のとばりに・・・・・
漆黒の世界に赤い光の帯を残して走り去る列車・・・・・
JURにも復刻2007年版TEEが走行です・・・・・

当社の計画は最初、8両編成を予定していたのですが・・・・・
なんと1両の長さが30Cm以上・・・・・! 長すぎるのだ。

旅の主役コンパートメント2両に食堂車、そして1等のオープン車2両!
5両編成の客車で再現した当社のTEEヘルベティア
チューリッヒからハンブルクへ・・・・・走り抜けます!

・・・・・・
現在のJURでは、コンパートメントを1両増結して6両編成で運転中です。




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