Japan Ueo Railroad


ここは夢鉄道JURの

旅のえっせいってページです。



すてきな思い出に旅を楽しく・・・・・

列車は西へ・・・・・この夏の旅は、
過去を訪ねて
青春18切符の旅です。

前回の大阪から岩国へ! に続いて、今回は小野田駅から長門本山駅へ!

かって時速90Kmで快走していた電車があります。
旧型国電こう呼ばれた車両も今は・・・・・

青春18切符の旅は、小野田線に入って 旧国 に出会いました。

旧国・・・旧型国電とは、昔、国鉄が鉄道省?と呼ばれたころの
省線電車から始まり、1957年に製作された101系
新型性能電車以前の電車を言います。
現在の全金属製軽量車体でなく、主に木造が全盛期の車両です。

乗り換えの小野田線雀田駅ホームにて・・・
単行の近代型クモハ クモハ42001
左はクモハ123・・・
不要になった郵便車や荷物車から改造された電車ですが、
ここでは新しい部類?に入る車両です。かってはシティ電車の
増結用車両で現在は単行運用されて、山陽本線小野田駅から
小野田線、宇部新川駅は宇部線と運用されています。

右はクモハ42001・・・
やっと会えた旧国。雀田駅では、小野田線に連絡するダイヤです。
島型ホームにたたずむ70歳の老兵!!の
青春 は健在・・・

クモハ42の運転台
運転席は、左上に速度メータが追加されたりして
ちょっぴり近代化・・・?
それでもここだけ時が止まった空間なのです・・・

時代を超えて、歩みを止めた世界・・・・・
まさに、70年前の香りと音が発着するのです・・・・・

クモハ42の車内


山陽路を西へ
岩国を出発した快速電車は、たった4両の身軽な115系
海岸線の山陽路を西へ加速していきます。
山陽本線を一路柳井へ

快速電車は4両編成・・・・・!
1982年11月15日、広島地区で全国初の試みとして、
電車の両数を大幅に増やすことなく、乗客の利便性を
向上させる画期的な運用が開始されました。

それは6両編成の電車を、4両に減らし、列車本数を増やす
運転方式で、いわゆる「シティ電車」のスタートでした。

最初「ひろしまシティ電車」からはじまり、下関〜宇部間の
「しものせきシティ」まで、あっという間に拡大されました。

現在は、関門海峡を越えて門司まで、JR九州とJR西日本の
相互乗り入れが見られ、沿線住民の足として活躍しています。
 
長門本山駅にて
夕日が大きく西に傾いたころ、私たちは終点!長門本山駅に到着!
降りる乗客もなく、私たちと同じように青春18切符を持った若者?
いいえ、高齢のカメラマン達数名が車両を囲んでいました!!

九州が見える
70年の時を越えた黄金色の世界・・・


時が止まった空間と感傷にふけったのも、ほんのつかの間・・・

かって東海道本線を時速90Kmで走破していたクモハ42の
古い台車の板バネのたわみも不規則になって大揺れ・・・!!
そのうえ保線状況の悪さも加えて、走行速度は時速40Kmの低速・・・

床下から寂しく聞こえてくるつりかけ式モータの音が私たちに、
思わず老兵の現実の姿を見せつけます・・・そして、
一気に70年の時間を消し去っていきました・・・

つりかけ式・・・
モーター軸に小歯車、車軸に大歯車を取付、直接かみ合わせる方式。
モーターは片方を台車枠に、他方を車軸に軸受けとおして取り付けるので、
あまり高速のものには適さない。独特の走行音がする。

現在(新型性能電車)は、可とう継手式
モーターを台車枠に固定し、歯車装置との間に可とう継手を設ける方式。
主なものに、中空軸平行カルダン式などで新幹線にも使用されている。

老兵のパンタグラフ
現実に引き戻された私の頭上に輝くパンタグラフ・・・
西日にキラリと黄金色を見せてくれた集電装置(パンタ)は・・・
なんと新型系列のPS16!・・・そういえばあの速度計も!

現在の技術が、古いパンタPS13を外し、圧力計だけの運転席にも
新しいメーターを増やして老兵に元気を与えていたのだ・・・

小野田駅にて
やっと会えた老兵は、西日でその車体を黄金に輝かせ、
私たちを再び現在へ・・・引き戻してくれました。

とっぷりと日の暮れた小野田駅のホームには、
まもなく九州へ向かうシティ電車が到着します。
小野田駅にて、その2
小野田駅の構内で、ほんとに美味しい
「うどん」に出会いました。

そんな時、来年3月のダイヤ改正で、
ついに老兵も消え去る・・・と



高架の下関駅を定刻にJR九州の赤い電車が出発です。

関門海峡大橋

ぐんぐん坂を下り始めた電車が一段と騒音を増して・・・
急に上り始めた。ここはもう九州なのだ。
電車は海底の一番深いところをあっという間に通過・・・
地上にでたところで、門司港からの線路と交差・・・
線路が増えてきた時、車内灯が消えた・・・・・

JRの在来線には国鉄時代の電化工事の関係で
使用する電気が3種類あります。
最初に電化された方式は直流1500ボルト。
電化方式はこれが主流でした。

その後、整流器などの開発が進み、さらに施設工事費が安くなる?交流
2万ボルトが現在の電化では主に採用されるようになりました。

ところが交流電気には周波数があって、商用(家庭用)電気は、
静岡県の富士川付近を境に、東日本は50ヘルツ、
西日本は60ヘルツと異なる周波数になっています。

そこで、鉄道電化も東北や北海道方面は交流50ヘルツで、
九州の電化は交流60ヘルツで行われ、その結果、全国に
直流と交流が2種という3種類の電化区間が出来てしまったのです。

直流電化の山陽本線と関門トンネルを通過した列車は、
九州へ入ったとたんにこの電気の切り替えが必要になるのです。

もちろん使用されている電車は、交流、直流両用のすぐれものなので、
走行中に車上で切り替えをすればOKなのですが、
切り替え区間はデッドセクションと呼ばれる無電区間を走行します。

この無電区間を通過中は、電車(列車)は惰性で走行します。
その間バッテリーで働く補助電力だけなので、切り替えが完了するまで、
室内灯などは予備灯だけになって暗い車内が出現します・・・

 直流から交流へ・・・地上で、車上で電気の切り替え完了です。
長く感じた数分後、明るく点灯した室内灯のもと門司到着です。


次回は、さらに門司港へと旅をします・・・




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