書き下ろし作品「碧玉の女帝」創作ノート2

1999年4月〜

4〜10月

11月 12月ホームページに戻る


11/02
現在、第5章を終え、第6章に入ったところ。いまのところ全体は8章にする予定なので、半分を少し超えたことになる。
5章はわずか半日間の出来事をポリフォニーで描いた章で、用明天皇崩御の直前の登場人物各人の動きをとらえている。実に多くの人物がそれぞれの思惑で行動する。とくに穴穂部皇子の動きが重要で、『日本書紀』の記述を無視して、雷に打たれて死ぬことにした。『日本書紀』は正確な歴史の記述ではなく、かなりフィクションの要素が強いので、正確になぞる必要はない。
厩戸皇子はまだ13〜14歳だが、いよいよ本格的な活動を開始することになる。調子麿と鞍作鳥が側近として活躍する。
第6章はこの作品の山場で、唯一の戦闘シーンの丁未の役を描く。戦争なのでこの章の全体をあてたい。
この作品は11月完成を目指していたが、少しキビシイようだ。4章までの書き直しに手間取った。
文部省の著作権審議委員というものになったので雑用がある。大学も後期の終わりで学生の宿題などを読まねばならない。
11月の末にはゴール寸前までいきたいが、プリントして読み返すのに時間が必要だろう。12月の半ばくらいに完成すればと考えている。
ここまで書いてきて、この作品のテーマがいよいよはっきりしてきた。神と仏の対立という大きなテーマの中に、天才少年の厩戸皇子の孤独を描く。
主人公は炊屋媛のはずだが、あまり活躍の場面がない。後半、出番を増やす必要がある。それでも、炊屋媛の目に映る厩戸を描くことで、炊屋媛のキャラクターも充分に描けるだろう。
炊屋媛と馬子のロマンスは、感動的なものにはならないだろう。炊屋媛をかなり神様に近い存在として描いているので、生身の女としてのセンチメンタルな部分は少ない。そのために小説としての感動が少なくなるかもしれない。
小説としては山場はたくさんあった方がいいので、年齢を重ねるにつれて炊屋媛が人間的になるという設定にした方がいいだろう。
『炎の女帝』に出てくる皇極天皇も晩年はふつうの「おばあさん」になっている。この人も若い頃は雨乞いを成功させた神宿る皇女だった。
だから炊屋媛がしだいにふつうの人間に変貌していっても不自然ではないだろう。
厩戸はキャラクターはここまではうまくいっている。興福寺の阿修羅のイメージを使っているので神秘性がうまく出ている。「法華経」を説くところがこの作品の哲学的な山場となるが、来年『三田誠広の法華経入門』という本を書くのでちょうどよかった。
最後に近い部分でキリストを出すのだが、その部分がうまくいけば、この作品は大きなものになる。

11/09
第6章完成。丁未の役の戦闘シーンが終わった。ここが作品の最大の山場なので峠を越したという感じだ。
しかしこのあとは速いテンポでさまざまなことを語らなければならない。ピッチを速める必要がある。
聖徳太子というと十七条の憲法や冠位十二階など政治的な業績があるが小説としては面白くない。簡単に通り抜けたい。しかし法華経などを推古天皇に講義する部分は、この作品の思想的な核となるシーンなのでじっくりと描きたい。そうなると分量がかなり増えることが予想される。
8章(1章は60枚)で480枚というのが当初の構想だったのだが、大幅に増ページが必要かもしれない。本の定価ということを考えると、あまり分厚くなってほしくないのだが、作品としての完成度を優先したい。
活字を小さめにするとか、二段組にするとか、方法はあるが、三部作なのでページの字面を大幅に変えたくない。まあ、550枚以内に収めれば何とかなるだろう。ということで、10章で終わる、というふうに考えておく。
8章までだと11月末に完成と思っていたのだが、完成は今年の末ということになる。何とか正月はのんびりしたい。
担当の谷口くんには11月末は無理と伝えてある。次の仕事の光文社の担当者にも執筆開始が遅れると伝えた。
その次の仕事も当然遅れることになるが、まあいいだろう。
書き下ろしの仕事は雑誌と違って遅れても大幅に迷惑をかけることはない。自分の仕事が少しずつ遅れていって、出る本が少なくなるだけだ。収入が少なくなると、結局、すぐに書ける書き下ろしエッセーを考えたりして、小説の執筆がさらに遅れることになる。
しかし来年は次男も就職するので、エッセーを少しずつ減らして、小説に専念したい。早稲田の客員教授の仕事も来年が最終回なので、再来年はまとまった仕事ができるだろう。
当面の目標としては、後白河法皇が一つのピークになるだろう。来年はその第一歩として平清盛を書く。その次はヤマトタケルか天神様を考えている。源平時代のリアルな歴史小説と、神話の時代のファンタジーとを並行して書きたいと思っている。
さて、次の7章では推古天皇炊屋媛の恋が描かれる。用明天皇の長男、田目皇子に対するほのかな思いが、泥部媛によって壊される。そのショックで、兄のように信頼していた蘇我馬子と一夜だけ契って妊娠する。
このあたりはいかにも通俗小説的だが、その直後に即位して神宿る女帝となるシーンで盛り上げたい。

11/27
第7章完了。一つの章に2週間以上かかったが、とにかく前進している。この章は丁未の役から崇峻天皇暗殺、推古女帝即位までの短い期間の女帝と太子の葛藤を描くところ。
炊屋媛と泥部媛の対決がポイントとなる部分だが、ゆっくり描いているわけにはいかない。ゴールに向けてテンポアップしていく部分なのでかなり急いで通過することになる。
次の第8章でエンディングに着地したいところだが、アラスジだけにならないように要所は押さえておかないといけない。神と仏の対立にチラッとキリストがよぎるというところがミソなのだがうまくいくか。
とりあえず第7章まではうまくいっていると思う。たぶん女帝三部作の中で最も中身のあるものになっているはず。三部作が完成すれば読者には時代順にこの作品から読んでもらいたい。
第8章に短い終章をつける、というくらいで完成させたいが、必要なら第10章まではありうる。厩戸が死んでもまだ推古は生きているし、推古が死んでも山背大兄の死までは書いておきたい。そうするとこの作品のラストが『炎の女帝』のオープニングにつながることになる。
いずれにしても今年中に入稿したい。これからの半月間は忘年会もキャンセルして集中したい。


12/23
ラストスパートでひたすら原稿を書いていたのでこのノートが書くヒマがなかった。
第8章に続いて、終章完了。草稿が完成した。終章は平均的な章よりも長いので、9章まであると考えていい。一つの章が60枚。9章で540枚ということになる。
この長さが適当かどうか、いまは判断がつかない。中身の密度から言えば1000枚書くことも可能だが、昨今の出版事情からすると、上下巻になるのはつらいし、600枚というのがぎりぎりのリミットだと思う。
書き終えた直後なので心地よい興奮がある。とはいえ、ゴールの直前は、少し流している。山場は少し前にある。その意味では、6〜7章くらいを通り過ぎたところで、この作品がかなりのレベルの作品であるという手応えを得ていた。あとは着地でコケなければいいという感じだ。
エンディングに大技を、という考え方もあるが、聖徳太子の死の場面はなるべくもたれないようにサラッと書いた。
釈迦、キリストに匹敵する偉大な人物を小説でとらえることができて、作家としての幸福感を覚える。
釈迦を描いた『鹿の王』、キリストを描いた『地に火を放つ者』と並んで、聖徳太子を描いたこの作品を書いたことで、作家としてのピークを超えたのではないかと思う。
もちろんこの先も小説家をやめるわけではないが、これ以上のものは書けない、という感じはする。
反省すべき点としては、結局この作品に半年かかってしまったことだが、『デイドリーム・ビリーバー』は3年かかったのだから、それに比べれば、実にスムーズに書けたといっていい。小説家としての腕が上がったのではないかと思う。
いまは草稿が出来た段階で、これからプリントした作品を読み返してチェックを入れるのだが、4章までは何度も書き直して文体は確立しているので、後半も大きな直しはないと思う。
年内入稿は無理だろうが、担当編集者にとりあえず草稿を渡し、こちらは正月に読み返して、新年の仕事始めにフロッピーを渡すという段取りになるだろう。
ということでこの創作ノートもここで終わりにする。草稿を読んだ感想を書くかもしれないが、ともあれ一つの大きな仕事が変わったことをこのノートに書き込めることが嬉しい。
さて次は『平清盛』だ。その前に、団塊世代論みたいなエッセーを一ヶ月で書きたい。並行して資料を読み、2月の半ばくらいから作品を書き始めたい。
12/27
プリントした原稿をチェックして入力も済ませた。これで完成。
直しは少なかった。前半は何度も書き直したので、手を入れる余地はないかと思ったのだが、文体やフリガナの付け方などで後半と少しトーンが違っているところがあり、けっこう赤字が入った。
後半はほとんど読み返していないし終章は書いた直後だが、きれいにまとまっている。
直したのは太子が菩岐岐美郎如(ホキキミノイラツメ)および娘のツキシネ(漢字を出すのが面倒)と団欒する場面。もたれない程度に少し書き加えた。
八章と終章はアラスジだけのような感じになっているが、これはゴール寸前のスピード感を出すためで、予定通り。一章も少し駆け足になっている。
しかし厩戸皇子が登場する場面を中心に中盤はしっかり描いてある。本1冊600枚に収めるという条件の中では、必要以上に密度を高めるわけにはいかない。
この作品は600枚だが、『炎の女帝』『天翔ける女帝』と併せれば1600枚の大作になる。
今回の『碧玉の女帝』のエンディングが、そのまま『炎の女帝』のオープニングにつながるように書いてある。そのため、中臣鎌子がチラッと出てくる。この作品だけを読む読者には意味不明の箇所だが、先に『炎の女帝』を読んだ読者には作品の広がりが伝わるはず。逆に、『炎の女帝』を先に読むと、有間皇子のくだりでなぜ聖徳太子の歌が出てくるのかわからなかったはず。
聖徳太子の歌とは万葉集に出ている「片岡の飢人」の伝説なのだが、これは「日本書紀」にも出ている。
わたしの作品ではこの飢人をイエス・キリストととらえている。開口一番、「われもまた厩にて生まれし者なり」というところ、歌舞伎みたいに台詞が決まっている。その後、飢人の墓が空っぽだったという報告を受けた太子が「かのものは聖人なり」というくだりは「日本書記」をそのまま使っている。
小説を書く面白さは、資料を読み替え時には捏造するところにある。イエスと厩戸皇子がともに馬屋で生まれたというところは、永遠の謎だ。
わたしの作品では伏線として「維摩経」を出してある。維摩は隣の仏国土から来た仏陀である、と太子が推古天皇に講義をする。ここで「隣の国から来た仏」というイメージを読者の念頭にインプットする。するとイエスが「遠くから来た」と述べる台詞が効いてくる。
というようなわけで、ついに作品は完成した。このノートもここで終わる。
女帝三部作を振り返って、だんだんスケールが大きくなったという感じかする。これは素材の魅力に負うところが大きいのだが、だんだん筆力が上がってきたのではないかという手応えもある。
ともあれ歴史の順番とは反対に書いたことは成功だったと思う。
次の三部作は「平清盛」「源頼朝」「後白河法皇」の順になるが、言うまでもなく後白河がメインになる。
並行して「菅原道真」も書く。これはファンタジーで、聖徳太子が出てくる今回の作品と少し似ている。
できればこの分野の延長上に「日本武尊」と「神武天皇」を書きたいと思う。
十年くらいかけて「幕末」に到達したい。

以下は随時更新します

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