1998年の業務日誌

1999年の業務日誌


三田誠広の近況1997年

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9月の近況 10月の近況 11月の近況 12月の近況
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1/1
大阪の実家にて母、兄らと新年会

1/9
自宅にてネスコ編集部の担当者と書き下ろし「大学生のための聖書入門」の打ち合わせ

1/17
自宅にて読売新聞尾崎真理子記者と「文芸時評」のインタビュー

1/18
八王子市北野にて「めじろ台男声合唱団」の練習に参加

1/29
自宅にて『パンプキン』の取材。母について


2/4
早稲田大学文学部にて卒業制作の口答試問。終了後第二文学部の学生と宴会

2/6
自宅にて『BOSS』の取材。主役は愛犬龍之介。

2/12
早稲田大学診療所にて検診

2/15
八王子市北野にて「めじろ台男声合唱団」の練習に参加

2/17
渋谷にて読売新聞尾崎真理子記者と「文芸時評」のインタビュー

2/18
日比谷東京會舘にて芥川賞の授賞式に出席

2/20
早稲田大学診療所にて二回目の検診

2/24
新宿太宗寺にて故埴谷雄高氏の葬儀に参列

2/28
新宿職安通りにて「かんてき会」に出席


3/6
自宅にて毎日新聞の取材。映画「いちご同盟」について。その後、自宅近所(三宿)にて作家重松清氏と飲む

3/9
『文芸』連載の「迷宮のラビア」完成_

3/15
映画「いちご同盟」渋谷シネアミューズにて封切
監督、出演者とともに舞台挨拶
同日、早稲田大学第二文学部表現芸術系専修教員懇親会に出席

3/18
自宅付近にて『週刊ポスト』グラビア撮影

3/20
シネアミューズにて「いちご同盟」鹿島勤監督とトークショー出演

3/22
八王子北野にて「めじろ台男声合唱団」練習に参加

3/25
自宅にて集英社『ジャンプノベル』編集部担当者と打ち合わせ。

3/27〜4/2
静岡県三ヶ日町の仕事場で執筆


4/4
読売新聞尾崎真理子記者、取材で来訪。客員教授就任について

4/5
文芸家協会理事評議委員会に出席

4/6
新宿駅ビルにて詩人森川雅美氏の出版記念会に出席

4/7
『週刊小説』に断続的に掲載している「遮那王伝説」の第六回「壇ノ浦」完成_

4/16
早稲田大学の今年度の最初の出講日。今年は第一文学部の一年と四年の演習、および第二文学部の三年の演習と小説論の講義を担当。

4/19
八王子北野にて「めじろ台男声合唱団」練習に参加

4/25
入谷法昌寺にて、作家石和鷹氏の葬儀に参列

4/28
高田馬場、早稲田速記にて、岳真也氏主催の『21世紀文学』新人賞授賞式に出席


5/3
新前橋駅前、群馬厚生年金会館にて教え子の結婚披露宴に出席

5/6
高田馬場にて早稲田大学文学部文芸専修担当教官懇親会に出席

5/15
読売新聞本社にて連載小説の打ち合わせ

5/16
自宅にて世田谷文学館の世田谷文学賞選考の打ち合わせ

5/19
自宅にて『AERA』の取材。早稲田の文芸専修の学生について。

5/21
早稲田大学にて、早稲田文学運営委員会の会議に出席。

5/25
集英社の編集者と講演旅行に出発。甲府泊。

5/26
私立駿台甲府高校、県立甲府南高校にて講演。松本泊。

5/27
私立松本南高校にて講演。長野泊。

5/28
県立小諸高校にて講演。帰京。


6/1
「聖書の謎を解く」完成。_
話し言葉で書いたレクチャーシリーズ。
文芸春秋/ネスコ発行。九月発売予定。
注・この本は当初「大学生のための聖書入門」というタイトルで書き進めていたのだが、
校正の段階でネスコ編集部との話し合いで「聖書の謎を解く」と改題した

6/2
成城学園前、砧区民会館にてコンサート。
長男がラヴェルの「鏡」を演奏。

6/6
ネスコ編集部東條律子さんに原稿を渡す。

6/7
同人誌「そして」の新鋭作家数人来訪。自宅にてインタビュー。

6/8
「迷宮のラビア」の校正、完了
読売新聞連載予定の「恋する家族」の第一回原稿を書く。

6/14
新宿京王プラザホテル。金蘭会(大阪府立大手前高校同窓会)のパーティーに妻とともに出席。

6/18
早稲田大学小野講堂、津島佑子氏講演会に出席。

6/19
元『文芸』編集長であり、作家三田誠広の育ての親である金田太郎氏の急逝の報に驚く。

6/21
目黒区桐ヶ谷斎場にて、金田太郎氏の荼毘に立ち会う

6/22
中目黒、実相会館にて、(株)トレヴィル会長、金田太郎氏通夜。

6/23
中目黒、実相会館にて、金田太郎氏、葬儀。弔辞を読む。_

6/25
早稲田大学にて、早稲田文学運営委員会の会議に出席。

6/27
八王子市めじろ台H氏宅にてコーラスパート練習

6/28
西国分寺いずみホールにて、女性コーラス「マザーグース」の結成35周年記念演奏会に『めじろ台男声合唱団』がゲスト出演。

6/30
読売新聞尾崎真理子記者来訪。
新聞小説「恋する家族」の初回原稿を渡す。


7/2
早稲田大学にて、文芸専修会議に出席。

7/8
実業之日本社の人々来訪。新雑誌が募集する短編小説の選者を依頼される。引き受ける。

7/10
赤坂のペンクラブ事務局にて、言論表現委員会に出席。(いつのまにか委員になっていた)

7/15
読売新聞尾崎真理子記者来訪。
新聞小説「恋する家族」の二回目の原稿を渡す。
13回から36回のでの24回ぷんで、これで前回と合わせて、一ヶ月以上のストック

7/17
文化庁の仕事で座談会に出席する。霞ヶ関、尚友会館。

7/18
読売新聞記者来訪。大学について。これは客員教授としての仕事

7/28
光文社カッパブックス編集者三橋和夫氏とうちあわせ。
来年の書き下ろしの構想を練る。
長男、ヨーロッパに旅立つ。

7/29
新聞小説47回までをバイク便に渡す。
58回まで出来ているのだが、第5章にあたるこの部分は、文体が変わっているので、しばらくは渡さずにとどめておく。
角川書店の中村政幸くん来訪。中村くんは、W大学講義録シリーズの担当編集者。
朝日ソノラマから角川書店に転職した。この講義録シリーズは、多くの読者を得て、マスコミの注目するところともなった。
最近、わたしの作家としての仕事が忙しくなったのも、このシリーズの成功がステップになっている。中村くんとは、この3年間、おりにふれて自宅の近くの三宿の飲み屋で、飲みながら情報を交換した。今後ともがんばってほしい。


8/1〜8/11
静岡県三ヶ日の仕事場で過ごす。この間、新聞小説を書き続ける。
「大学生のための聖書入門」(ネスコ/文芸春秋)のゲラ届く。二日でチェックして送り返す。
ここまで上記の仮題で進行してきたが、担当編集者東條さんと電話で相談して改題する。
「聖書の謎を解く」これにサブタイトルとして「誰でもわかる福音書入門」を付ける。

8/11
三宿に戻る。郵便物などのチェック。フランスのプラドというところにいる長男から手紙が届いている。

8/19
毎日新聞記者、大井浩一氏、来訪。インタビュー。作家志望の若者が増えている現状について。

8/22
芥川賞、直木賞のパーティーに出席。

8/23
めじろ台男声合唱団の練習に参加。

8/24〜8/26
妻、次男とともに軽井沢へ行く。

8/28
月刊誌「こうなろ」編集者、鈴木大輔氏来訪。巻頭エッセー連載のうちあわせ。

8/29
二井康雄氏の出版記念会に出席(新橋)


9/1
ネスコ編集部東條さん来訪。「聖書の謎を解く」再校ゲラを渡す
読売新聞のオートバイ便に70回までの原稿を渡す

9/3
ペンクラブ言論表現委員会に出席

9/8
広済堂出版谷口広寿氏来訪。来年の書き下ろし時代小説について打ち合わせ

9/9
集英社の白石祐三、八坂健司の両氏、来訪。『ジャンプノベル』掲載の小説について打ち合わせ

9/12
実業之日本社、立石秀彦氏来訪。新雑誌のための打ち合わせと写真撮影。
「迷宮のラビア」単行本(河出書房新社刊)の見本、郵送で届く

9/13
東大学生、木村俊介くん来訪。
ハニヤユタカ・サイバーミュージアムのためのインタビュー。

9/17
大学の後期の講義、本日から始まる

9/19
朝日新聞東京本社学芸部、上間常正氏来訪。10月からのエッセー連載の打ち合わせ

9/20
早稲田大学文学部にて、総合講座「聖書の文化史」に参加
これは十人ほどの教員が交代で講義するもの。今月の2回だけ担当する
八王子市北野にて「めじろ台男声合唱団」の練習に参加

9/22
学習評価研究所の人々来訪。10月の講演についてうち合わせ。

9/25
早稲田大学文学部文芸専修会議に出席

9/29
長男、ベルギーのブリュッセル王立音楽院に合格


10/1
次男、上智大学の大学院に合格

10/3
角川書店の根本昌夫、中村政幸氏と、三宿で歓談。

10/7
稲城市駒沢学園にて日能研主催の講演会

10/9
ペンクラブ言論表現委員会に出席

10/13
新代田の小杉医院にて健康診断
読売新聞のオートバイに、36回ぶんの原稿を渡す

10/18
八王子市北野にて「めじろ台男声合唱団」の練習に参加

10/23
早稲田文学編集部にて新人賞選考会

10/25
高田馬場、21世紀文学会事務所にて、岳真也氏主宰の同人誌『21世紀文学』第7号の合評会

10/27
ネスコ名女川勝彦氏、東條律子氏、来訪。
「聖書の謎を解く」が好評のため来年も一冊書いてほしいとのこと。
いちおう仏教のレクチャー本ということで約束をする。
発売時期は未定。「般若心経の謎を解く」というようなタイトルになるだろう。

10/29
『チャレンジ公募』の撮影。大学で一年生の演習の風景。学生諸君が撮影に協力してくれる。


11/1
『週刊小説』に掲載する「遮那王伝説」シリーズの第7回、「吉野の別れ」完成。

11/5
溜池のサントリーホールで、小林睦子とN響メンバーによるピアノ五重奏のコンサート。
小林先生は、長男の芸大での恩師。

11/6
このホームページを出しているプロバイダーのアスキーインターネットが、来年一月に業務を停止するというので、
とりあえず別のプロバイダーと契約した。アスキーは週刊誌の失敗で経営が傾いているようだ。
そこで今回は、大手のASAHIネットに入会した。
接続とメールの設定はしたが、まだホームページのファイルは送っていない。
あとしばらくはホームページを両方のプロバイダーに出すことになるので、
レイアウトやファイルの構成などをどうするか、
この際、全体に少し手を入れようかと考えている。
それにしても、多くのホームページやメールのアドレスの変更を強いられるユーザーは、大変な手間と出費になる。
プロバイダー業者には社会的責任を自覚してもらいたい。

11/7
初台オペラシティーの新国立劇場中ホールにて、
井上ひさし作の「紙屋町さくらホテル」を観る。
姉の三田和代が出演しているため。
新聞の劇評などで好評なのは知っていたが、
戯曲の内容もよく、姉の演技もさえていた。

11/8
横浜桜木町にて、「かながわの文学を探る会」主催の講演会。
引き続き、神奈川県藤野町の藤野芸術の家にて、めじろ台男声合唱団の合宿。

11/9
藤野芸術の家にてコーラス練習後、三宿に帰る。
プロバイダーAIX(アスキー)の業務停止による、ホームページの引っ越し作業すべて完了。
AIXも年内は業務を続けるので、メールアドレスは残しておく。このホームページの冒頭に書いてあるアドレスがそれ。
完全に業務が停止する前に、別の業者と契約して、アドレスを書き換える予定。
なおこのホームページを出しているASAHIネットのメールボックスは、プライベートに使用するので、公表はしない。

11/10
集英社『ジャンプノベル』編集長、八坂健司氏来訪。来年掲載する小説の打ち合わせ。

11/12
授業の後、早稲田文学会の運営委員会の会議に出席。

11/13
集英社のパーティーに出席。「すばる新人賞」の清水博子は早稲田の文芸専修の教え子。
学生時代からユニークなキャラクターで、期待していた。
今回は島田雅彦、奥泉光、川村湊氏の強い支持で受賞となったが、否定的な意見であったと報じられた高樹のぶ子さんとも、会場でじっくり話して、コンセンサスを得た。
その他、いろいろな人に会ったが、大変疲れた。

11/14
ペンクラブ言論表現委員会に出席。

11/18
芦花公園の世田谷文学館にて、田久保英夫氏と、世田谷文学賞小説部門の選考委員会。

11/19
講義のあと大学生協に赴き、研究費で購入する図書を注文する。期限内に研究費を消費しないといけないというのが、プレッシャーになっていたので、手続きが終わってほっとする。

11/20
読売新聞のオートバイに130回までの原稿を渡す。

11/21
同人誌『21世紀文学』の忘年会に参加。同誌主宰者の岳真也氏、広済堂出版の谷口広寿氏と、二次会、三次会、四次会までいっしょに飲む。
最後の店で、評論家のスガ秀実氏と遭遇。ちなみにスガ氏の苗字はJISの規格外なので、インターネットでは表示できない。

11/22
田園都市線青葉台のフィリアホールにて、戸田弥生のバイオリン、ヴァンデンアイデンのピアノによるコンサート。
ヴァンデンアイデン氏は、ブリュッセル王立音楽院の教授で、わが長男の先生である。
そこで終演後、楽屋を訪ねて、挨拶をし、おみやげなども渡す。
演奏も見事だったし、会って話すと実に感じのよい人であった。

11/23
三鷹市芸術文化センターにして、清水みぎわさんのピアノのコンサート。
清水みぎわさんは、詩人の清水哲夫氏の令嬢で、わが長男の都立芸術高校時代の先輩でもある。

11/24
大阪梅田のホテル阪急インターナショナルにて、大阪府立大手前高校の同窓会。
わたしは途中で休学したので、落第したのだが、こちらは落第する前の学年の同窓会。
わたしの妻(高校1年の同級生)が出席するので、特別参加させてもらう。日帰り。

11/26
講義のあと第一文学部の学生4名と卒論指導
パリで妻と義母がお世話になった便利屋の小川弘氏来訪。

11/27
早稲田大学文学部文芸専修の専修会議
講義のあと第二文学部の学生13名と卒論指導。


12/1
東京新聞の取材。主役は愛犬リュウノスケ。

12/2
世田谷美術館にて淀井敏夫の彫刻展を観る。淀井敏夫氏はわたしの母方の親戚にあたるらしい。

12/5
内幸町のプレスセンタービルにてぺんくらぶ言論表現委員会。
初台の東京オペラシティーにて東京フィルのコンサート。

12/8
プレジデント社、青田吉正氏の取材。ちなみに青田氏は大学一年の時の同級生。
これまでにも同氏が中央公論『文芸特集』の編集者だった時に作品を出したことがある。
今回はフランスベッドのPR誌のための取材と写真撮影。 その後、妻と紀尾井ホールの上浪明子音楽生活50周年記念コンサートに行く。
上浪さんのご子息と知り合いのため。

12/9
『クロワッサン』の取材で、直木賞作家笹倉明氏と二人で、写真撮影と対談。
笹倉氏は大学一年の同級生。つまり前日の青田氏とも同級である。
編集部の特集のテーマが「同級生」ということで、早稲田大学正門付近で待ち合わせて写真を撮影する。

12/10
第一文学部本年最後の授業。1年生を担当するのは初めての体験だったが、学生諸君の熱心さに感動した一年間だった。
4年生を担当するのも初めてで、会社訪問、就職試験の大変さを教えられた。学生の出席が少ないので、授業の方は中身があまりなかったかもしれない。ただ前年、彼らが3年の時も演習を担当したので、同じ学生と2年間つきあえたのは収穫だった。このような機会はもうないだろう。
授業後、大学生協で買い物。今年から専任扱いになったので個人研究費が支給される。
年内に使いきらないといけないのでプレッシャーがあった。
全集物を注文して使いきったつもりでいたが、生協だと割引になることを忘れていた。
本日はその残っていた金額を使いきるための買い物ゲーム。
制限金額の中で何が買えるかあれこれと考えるのは、けっこう疲れる作業であった。

12/11
第二文学部の最後の授業。大教室での講義はマイクが壊れていたので大声でしゃべり疲れた。
その後、3年の演習の学生4人と近くの酒場で飲む。

12/13
八王子市めじろ台にて、めじろ台男声合唱団の練習と宴会

12/15
『早稲田文学』の理事会、ならびに忘年会に出席。

12/16
角川書店の中村政幸くんと飲む。

12/17
長男、ベルギーより帰国。

12/19
プレジデント社の原孝氏来訪。来春出版予定の単行本の企画について相談。

12/20
岳真也氏主催の同人誌『二十一世紀文学』の忘年会に出席

12/22
大学一年の時の同級生数人と飲む。

12/24
クリスマスイブ。家族で四谷の聖イグナチオ教会のミサに参加。
キリスト教徒ではないが、この教会が今年限りで取り壊されるため、見ておきたかった。

12/28
三ヶ日の仕事場へ移動

12/29
読売新聞夕刊連載「恋する家族」の草稿完成。

12/31
大晦日。今年の成果と反省。
単行本2冊。
「迷宮のラビア」不評。文学のわかる読者が少ない。しかし最初から覚悟して書いた作品だから仕方がない。
「聖書の謎を解く」4版が出る。反響よし。来年「般若心経」を書くことが決まる。
連載。
読売新聞「恋する家族」来年2月まで連載が続くが、すでに草稿は完成している。読売新聞社から単行本が出ることが決まっている。
『週刊小説』の「遮那王伝説」あと1回で連作が完成する。実業之日本から単行本が出る。
朝日新聞の日曜エッセー。読者多く、メールもたくさん寄せられている。3月まで連載する予定。
来年の計画。
1月。『ジャンプノベル』に「少女エクレール」(仮題)を書く。100枚。反響を見て続きを書くかどうか決める。
2〜4月。書き下ろし「女帝」。純文学ではなく、時代小説。この分野に小説の面白さの可能性を追求したい。
並行してプレジデント社の仕事が入る。これはルポや資料を監修する仕事なので、それほど時間はとられないはず。
5〜6月。「般若心経」 それから先は未定。来年につながる仕事をしたい。
1997年の総括。
大学の出講が週に2回になり、いろいろと大変だった。
多忙にもかかわらず充実した仕事ができたように思う。
「迷宮のラビア」の反響が少なかったのが残念だが、自分なりに手応えのある作品を書けたので、次の仕事へのステップになる。
ただし、来年は、純文学の領域では、やりたい仕事がない。
その原因を自分の内的モチーフと、外的状況の両面からじっくり考える必要がある。
この20年、純文学の領域の仕事を伴走してくれた編集者が亡くなり、また師とあおいでいた埴谷雄高の逝去があった。
その意味では、1997年という年は、自分にとって一つのエポックとなったと思う。


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「迷宮のラビア」

スタイルとしてはアンチロマンを目指した実験小説ですが、書き手によってた充分にコントロールされた物語性をはらんでいて、 とおして読むと一種のメロディードラマと感じられるような手法を試みています。素材としては、ある架空の宗教教団が、世界の破壊を試みるという、 今日的なテーマを中心に据えていますが、宗教を否定するのではなく、むしろ肯定的に描いています。 そのために、教祖のキャラクターを魅力的に描くことをこころがけました。 また、宗教というものを相対化して見る視点を導入するために、アダルトビデオの撮影現場を並行的に描き、 宗教、および芸術の一種のいかがわしさを、対比的に描くことも試みました。 宗教に関しては、「デイドリーム・ビリーバー」「地に火を放つ者」「鹿の王」と、 持続的に描き続けてきましたが、今回の作品は、新たな領域に一歩踏み込んだ、 作家三田誠広の転機となる作品だと自負しています。近々河出書房新社より、 単行本として刊行される予定です。ご期待ください。


「遮那王伝説」

『週刊小説』に数ヶ月に一度、掲載しているシリーズです。主人公は鬼若と呼ばれる醜いヒーローですが、 これはいわゆる武蔵坊弁慶で、遮那王義経とコンビで展開する幻想的時代小説です。 もちろん、ただの歴史物ではありません。遮那王は弥勒菩薩の生まれ変わりということになっており、 アンドロジーナスと設定されています。つまり男性と女性の両方の生殖器をそなえている半陰陽ですが、 どちらかといえば女性的なキャラクターとして描かれています。 ということは、鬼若と遮那王のラブロマンスという基本構造をもっているのですが、 物語の中心をなすのは、鬼若たちを護る天竺の神々と、日本の神々の対決です。 神々の闘いという、あまり近代小説では扱われない題材を、美しい幻想として描いています。 今回の「壇ノ浦」では、七福神がパフィーの乗りで現れるというギャグも登場します。 まったく新しいタイプの幻想小説であり、ロマンスであり、同時にナンセンス・コメディーでもある、 といった奇妙な作品になれば成功です。あと二回で完結する予定ですが、年内に書けるかどうか、 微妙なところです。


「聖書の謎を解く」

講義録三部作と同じ語りの文体で書いたレクチャー本です。
イエスを描いた小説「地に火を放つ者」を出した直後、
早稲田の先生方と共同で、リレー式の講座を開きました。
この講義録が「聖書をめぐる九の謎」という共著として、ネスコから出版されました。
その時の編集者、東條律子さんから依頼があり、大学生向けの、ごく初歩的な入門書を書くことになりました。
ただし、実際にできあがった本は、入門書であると同時に、刺激的な新解釈を折り込んだ、ミステリータッチの読み物になっています。
勉強のために読むのではなく、エキサイティングな謎解き本として読んでいただければと思います。
ここでは旧約聖書の要約をふまえながら、イエスという一人の思想家が、どのような過激な闘争を挑んだかが描かれています。
また、ペテロやヨハネなどの使徒たちの姿も、明確に浮かび上がるようになっています。
どうじに、ライフワークといえる「地に火を放つ者」の、作者による解説書としても、役に立つ本になっています。
逆にこの本を契機に、「地に火を放つ者」の読者が一人でも増えてくれればという、作者としての思いもあります。
また、最近流行の「新世紀エヴアンゲリオン」に見られる、死海文書やグノーシス的な世界観の解説書となっています。
グノーシスといえば、最新作「迷宮のラビア」にもグノーシス思想が取り入れられています。
その意味では、二つの本がほぼ同時期に出版されるのも、グッドタイミングです。
なお、「地に火を放つ者」の担当編集者、金田太郎氏が、6月17日、急逝されました。
謹んで追悼の意を表するとともに、この二冊の本を、金田氏の霊に捧げたいと思います。


金田太郎氏について

金田太郎はわたしの作家としての人生にとって、最も重要な人物である。
最初にあったのは17歳の時だった。処女作「Mの世界」が『文芸』に掲載されたあと、編集者の金田氏から手紙をいただき、それ以後は、新たな作品が出来る度に、『文芸』編集部を訪れることになった。
高校時代、金田氏の方から一度、大阪で会いたいという連絡があり、高校の近くの喫茶店で話をしたのが最初かもしれないが、その前に一度、こちらが編集部を訪ねたのが最初だったかもしれない。
三度目にお会いした時には、吉祥寺の埴谷雄高氏邸へ連れていってもらった。
高校時代、大学にいた五年間、サラリーマンをしていた四年間、つまり無名の書き手としての十年以上を、金田氏とともに歩んだことになる。
俗に「苦節十年」といわれるけれども、この間、金田太郎の励ましがなければ、たぶんわたしは作家にはなっていないだろう。
わたしのプロとしてのデビューは、芥川賞を受賞した「僕って何」だが、
この作品は大学卒業直前に、草稿を書いた。その直後にわたしは就職したので、しばらくの間、小説を書くヒマがなかったのだが、金田氏からは時々電話がかかってきた。
電話で励まされるだけでなく、時には呼び出されて、文壇バーへ連れていってもらった。
そこで現役の作家を目撃したことが、小説の世界を実感することになり、小説家になりたいという意欲が高まった。
「僕って何」を書き直そうという意欲がわいたのも、金田氏のおかげだといっていい。
ただ「僕って何」という作品は、ポップなものであり、わたしが本来、書きたいと思っていた哲学的な作品ではない。
この作品が芥川賞で脚光を浴びたために、作者であるわたし自身も、不本意なかたちでマスコミの表舞台に出ることになった。
そうした事情を金田氏だけはわかってくれていたから、ポップな作品ではなく、重厚な大長編を書くべきだと提案し、書く場所も与えてもらった。
『文芸』に連載した「帰郷」は3000枚書いたところで中断した。これは編集長だった金田氏が、版元の河出書房を退社するという事態が起こったからだ。
その後、金田氏は新たな出版社トレヴィルを興し、ここでわたしは、「デイドリーム・ビリーバー」と「地に火を放つ者」という長篇を書いた。
この2作は、河出で出した「鹿の王」とともに、わたしのライフワークといえる。
来年も金田氏とともに長篇に挑む約束をしていただけに、同氏の突然の死は驚きであり残念でならない。
来年の長篇だけでなく、いずれの日にか、金田氏とともに「帰郷」を完成させるつもりでいた。「帰郷」の続きを金田氏に読んでもらえないというのは、悔やんでも悔やみきれないことだ。
しかしわたしは、無名の時代も、作家になってからも、たえず金田氏に励まされながら作品を書き続けてきた。
書きながら、心の中の金田氏と対話し、叱責されながら、書き続けてきた。
その心の中の金田氏はいまもわたしの胸の中に生き続けている。その金田氏とともに、わたしはいつの日か、「帰郷」を完成させたいと思う。


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