「天神」創作ノート1

2000年12月〜

12月 2000年1月 2000年2月


12/01
本日からこのノートを書く。タイトルは「天神」
天神とは神社の「天神さま」のことで、菅原道真のことである。要するに、菅原道真の伝記を書くわけだ。なぜ菅原道真の伝記を書くのか。べつに菅原道真に世話になったわけではない。次男が私立中学を受験した時に湯島天神にお参りしたような気もするが、まあ、その程度の信仰しかもっていない。
わたしがなぜ小説を書くかといえば、屹立した人間を描きたいからだ。屹立した人間とは孤独な人間である。ただ孤独なだけでなく、主体的に孤独になっている人物、頑張って孤独になっている人物である。
現代が舞台なら、一人の人物を設定して、「僕って何」とつぶやかせればいい。近代人は「実存」として存在しているから、誰もが孤独で屹立しているといっていい。
歴史小説の場合は、知らない人を描いても面白くないし、近代的自我というものがないから、そのままでは屹立していない。そこで歴史上の有名人を描くことになる。それも悲劇的な英雄ということになる。
これまでにも『天翔ける女帝』で道鏡、『炎の女帝』で藤原不比等、『碧玉の女帝』で聖徳太子を描いてきた。いずれも女帝をヒロインとして、脇役でありながら屹立している、という感じを狙って描いたのだが、藤原不比等は持統天皇のキャラクターに負けてあまり目立たなかった。これはまあ、持統天皇のキャラクターが自然に大きくなっていったからで、いわゆる嬉しい誤算である。
『清盛』の場合は、清盛という人物を控えめに描いた。あまり大きくなりすぎるとただの英雄物語になってしまうからで、清盛はむしろ凡庸なキャラクターなのに、時代の動きの中で仕方なく大物になってしまったといった感じを出したかった。
さて、菅原道真である。この人物は、誠実な官吏であり、それなりの見識と政治に関する能力がありすぎたために、時の権力、すなわち藤原氏に滅ぼされた、というのが、常識的な把握だろう。それだけでは面白くないし、日本の歴史の中でも、神様として祀られているのは、聖徳太子と菅原道真くらいだろう(将門の神田明神は地域限定の神様である)。だから、神様としての菅原道真という要素を加えたい。
『碧玉の女帝』においては、わたしの描く聖徳太子は、救世観音のイメージと阿修羅のイメージを重ねて、推古天皇の幻想の中では超越的な存在として登場するのだが、ふだんはふつうの人間として描いた。ただし一カ所だけ、馬に乗って空を飛んでいるところがあるが。
菅原道真の場合は、平安時代になっている。陰陽師阿倍晴明よりは少し前の時代だから、空を飛んでもいいかなという気もするが、どうも自信がないので、空を飛ぶのは伝説に従って梅の木だけにしようと思う。しかしかなりオカルトの要素も加えたいと思う。
角川春樹文庫に入れることになりそうなので、装丁などパッケージはホラー小説の乗りでやりたい。ホラー小説としても楽しめ、同時に、菅原道真の孤独感を読者に伝えるということで、ゴジラのように怪獣が怖いという話ではなく、大魔人のように、正義の味方が悪を滅ぼすということになる。ただし、勧善懲悪の話ではつまらないので、菅原道真が何ものなのか、結末までわからないということにしておく。ある種の不気味さをもった人物。つまり正義の味方ではなく、どちらかというと不気味さの方が強い異形の人物としてキャラクターを造形していく。
いま考えているのはその程度で、冒頭は雪女が出てくる。これは講演で出雲に行った時にたまたま案内された天神さまにまつわる伝説。地方の天神さまには、ご当地の天神さまだけにまつわるエピソードといったものがあって、そういう話が全国にあるのではないかと思われるが、たまたま出雲で聞いた話は面白かったし、出雲は日本の神々の総本山である。
天神というものが何なのかよくわからないのだが、地の国、根の国とつながるスサノオノミコトやオオクニヌシとの関連で、日本の伝統的な地霊ともつながる霊的な存在ととりあえずは考えておく。そういうものと天皇とはどう結びついていくのか。天皇ももともとは三輪山の神と関連があり、三輪山の根の国とつながっているし、蛇と雷とも関わっている。
すると天神さまと天皇とは本来は親戚のはずで、宇多天皇との関わりもそのことと無縁ではないだろうが、平安時代の天皇はむしろ近代につらなる政治のシンボルであり、「神宿る王」ではなく、「ただの神主」ととらえるべきだろう。このあたりは話の展開で、宇多天皇のキャラクターはただの人間にするか、少し霊的な人間にするかを考える。まあ、菅原道真のキャラクターを光らせるためには、宇多天皇は凡庸な人物の方がいいかもしれない。
菅原道真に対立する人物、あるいは支えとなる人物についてもキャラクターを考えないといけないが、300枚程度の短い作品なので、あまり人間関係を広げたくない。妻となる女性、といったものをちゃんと書いて、あとは主人公を中心に据えて、他の人物はすべて脇役ということでいいだろう。
現在、まだ『法華経』の結びの部分を書いている。草稿を書き上げたあとも、しばらく寝かせておいて、チェックを入れたい。『天神』に集中できるのは12月の半ばか。それまでにもいま頭の中にあるイメージについては草稿を進めたい。大学の講義が12月半ばまである。来年は講義はない。卒論やレポートを読む作業があるが、10月、11月の信じがたい忙しさと比べれば、仕事に集中できるだろうと思う。できれば1月末くらいに草稿ができていればと思う。

12/08
 道真の父が国司の赴任からの帰途、雪女と遭遇する場面。完了。次に5歳くらいになった道真が突然、父の館に現れる場面。ここはうまくいっていない。もう少しくふうする必要がある。というところでタイムリミット。緊急にやらなければならないことがある。その1。学生たちの宿題を見る。大学の先生は今期限り。最後の仕事。最後だと思ったので、一年生の演習を抽選にしなかったので、受講者が80名もいる。これがぎりぎりの締め切りでドッと宿題を出したので、次の授業までに読まないといけない。その2。「三田誠広の法華経入門」草稿を書き終えてからしばらく寝かせてあったが、プリントしてチェックしないといけない。この本は、最初に『法華経』に関する概説、それから内容の説明ということになっていた。その概説をやっている段階では、まだ手探りだったのだが、最後まで概説をするプロセスでテキストの『法華経』を何度も熟読したから、いま手探りで書いた部分を読むと、把握の浅い箇所がある。そういうところをチェックしないといけないと思っていたが、少し読み返してみると、問題的はそれほど多くない。わずかな手直しでよくなる。それにしても、年内には編集者に渡したい。その3。文芸家協会の知的所有権委員会の委員長の仕事で、「出版契約書に関する問題点」という「お知らせ」の原稿を書かないといけない。詳しく書くと本一冊ぶんになるので、なるべくシンプルに要点を絞る必要があるし、次の理事会までというタイムリミットもある。以上の作業があるので、時間がない。しばらく「天神」は作業を中断する
 昨日、文芸家協会の仕事が早く済んだので、第二文学部の授業の前に本屋に行って、岩波日本史事典のCDを買った。紙の事典はもっているから無駄かなと思ったが、試しに買ってみたら、やはり便利だ。項目から項目へすぐにジャンプできるし検索も早い。ただしインストールに少し手間取った。老人だからのみこみが遅い。とくに「携速」のようなソフトを使わなくてもCDをハードディスクにコピーできるので便利だ。ただし速度は少し遅くなる。なぜだろう。
このノートは『法華経』の続きもかねているので、プリントしたもののチェックが完了したらここに書くことにする。

12/19
本日、『三田誠広の法華経入門』の原稿を担当編集者に渡した。これで手が離れた。プリントをチェックする作業はかなり大変だったが、論旨に一本の太い筋を通すことができたので、読みやすくわかりやすい作品になったと同時に、『法華経』解釈の歴史の中でも、一つの明確な見解を提出することができたと思う。ユニークな解釈といったものではない。正統的な解釈であると同時に、コンパクトで、いくぶん叙情的な、バランスのとれたものになったと思う。この本一冊を読めば、『法華経』についてのすべてがわかり、読んだ人の人生を変えてしまう、というような本になっていると思う。三田誠広のこれまでの本の中でも、パワーのあるものになっていると信じる。
さて、『天神』である。この作品は5〜10枚程度の短い章をつないでいる。全体を300枚〜350枚と考えているので、40章くらいになるだろう。で、そのうち2章を書いてみたが、文体が気に入らないので、何度も書き直している。平行して資料を読んで全体の構想を考えている。
まず登場人物について。主人公は菅原道真であるが、脇役として何人ほどが必要か。父の菅原是善。インストラクターの島田忠臣。先輩の橘広相。そして宇多天皇。仇役に藤原基経、儒学者の都良香。そんなところかと考えていたが、それだけではスケールが小さい。菅原道真というのは、単にイジメにあって失脚した政治家ということではない。台頭する藤原一族に対して、義を貫いた人物である。自分一人のことだけではなく、義のために滅びた多くの人々への義憤が、やがてオカルト的な超能力になる。スティーヴン・キングの『キャリー』は個人的なイジメから超能力が発散される物語だが、『天神』は多くの人々が滅ぼされるという前史をひきついで展開される社会的な逆転劇という点に、新しさがある。そのためには、滅びの人々を描かなければならない。
遣唐使の廃止というテーマがあるので、小野篁(タカムラ)。それから源信(『往生要集』のゲンシンではなくミナモトノマコト)、源融(トオル)そして、大物スターとして在原業平も登場させたい。すると藤原基経の妹の高子も出てくるだろう。小野小町はどうか。というようなことを考えているとプランが広がりすぎて、はてがなくなる。
パソコンを変えたので、ハードディスクに余裕があって嬉しい。小学館の百科事典と岩波の歴史事典が入っているから、必要事項をすぐに検索できる。小野タカムラから小野小町へと飛ぶこともできる。小町は篁の娘ということにしよう。今回は歴史小説ではなく、ファンタジーなので、伝説伝承の類をどんどん取り込んでいく。あまり人数が増えすぎると長くなる。文庫書き下ろしを考えているので、できる限りコンパクトに語りたい。

12/26
「天神」を書き始めたのは12/08からだが、学生の宿題や「法華経」の草稿チェックなどがあって、実際に集中して作業に取り組んでいるのはこの1週間ほどだ。まだこれからレポートと卒論を読み、成績をつける作業があるが、1月の授業は休講にするので、自宅で仕事ができる。それで目標の1月末に草稿完成ということに到達できるかどうか。努力を続けたい。
小野篁が登場するところまで書いて、一度、最初から読み返していた。文体の揺れなどをチェック。ワープロを使うと、あとから修正できるが、最初に方向を間違えてしまうとブレが大きくて修正不能になる。文体と同時に、主人公の子供の頃のイメージが明確でなかったのと、状況設定の提示が充分でなかった。この作品はオカルトの要素が強いので、「奇妙な人物」というイメージがつきまとうのだが、主人公は読者のシンパシーを誘わないといけない。異様さを強調するのはまずい。愛らしさと、多少の不気味さ、という感じで進行したい。状況設定は大変だ。「清盛」では状況設定に1章をついやしたので、読みにくいものになった。これは歴史小説だから、状況設定なしにはスタートできなかったのだが、今回はファンタジーなので、理屈っぽい状況設定は不要だ。しかし主人公の敵を描かないといけない。
敵が悪魔とかゴジラのようなものなら、説明の必要はないわけだが、菅原道真の敵は状況そのものだから、状況を書かないわけにはいかないのだ。主な敵は、藤原基経と子息の時平ということになる。しかし藤原北家という大きなものが敵だから、藤原北家の由来について、多少の説明は必要だろう。できるだけコンパクトにしかも印象的に敵の正体を提示しておく必要がある。
理屈だけでは頭に入らないだろうが、とにかく藤原北家イコール敵、という情報だけを記憶してもらえばいい。そこで小野篁の「遣唐使廃止」の話になる。ここでも、北家が敵、というメッセージがくりかえされる。そのあとは、在原業平の物語を進行していく過程で、藤原北家の具体的なイメージが見えてくるだろう。


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