「天神」創作ノート2

2001年01月〜

2001年1月
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01/04
年が改まり21世紀になったが格別の思いはない。去年の12月から続けている「天神」の仕事を進めるだけだ。先月の前半は『法華経』の最終チェックがあり、学生の宿題や文芸家協会の仕事もあって集中できなかった。実質的に「天神」に集中できたのは半月くらいだ。年内に100枚、というプランだったが、実際には90枚だった。しかし正月三が日も仕事を続けたので、いまは120枚に達している。このペースだと月の半ばには200枚近くまで行くだろう。
「天神」の基本プランを改めてここに書いておく。歴史的な素材を用いたホラー小説である。歴史を読み解くことに重きをおいていない。むしろスティーヴン・キングの「キャリー」のような、いじめが原因で追いつめられた人物が、超能力で復讐する、という基本パターンを、いくらか変形してカタルシスを形成する。ただし、キャリーの場合は暗くてふうがわりな女の子が学校でいじめられるという単純なものだが、菅原道真の場合は、時代状況が彼を追いつめていく。ある程度、歴史を描かないといけない。
敵は「藤原北家」である。これはわかりやすい。良房、基経、時平という三代の北家嫡流が政事を独裁する。これに対して儒者の道真は義によって対抗する。正義が現実に負けるというありがちな展開だが、負けた義の方が怨霊となるというところが、オカルトホラーの面白いところだ。ただ正義が負けるだけの話では面白くないし、正義が勝ってしまってもつまらない。天神伝説がウケル理由もそこにあるのだろう。
これだけの話だと単純すぎるし、色っぽくない。道真はまじめな人物なので、恋がない。そこで前半の主役として、在原業平(ありわらのなりひら)を登場させることにした。『伊勢物語』の主人公である。業平は基経の妹の高子(たかいこ)に恋している。ここに基経の政治的な謀略が絡む。実は業平をめぐる展開はもう書いてしまった。やがて傷心の業平は東下りの旅に出る。この業平の後ろ姿が、道真の北家に対する敵意をかきたてる、という仕組みだ。ここまではうまくいっていると思う。
まだ全体の三分の一くらいだが、ようやく道真は方略試の試験に合格して、文官として政治の舞台に出ようとしている。ここから讃岐守として左遷されるところまでが、前半の山だろう。政治的な対立をしっかりと描いていって、道真を怨霊となることの必然性を読者に示さなければならない。ここまでテンポよく語ってきたので、これからも弾みがつくはずだ。
三ヶ日の仕事場で作業をしている。ご近所の某作家もハードに仕事をしているようだ。東京を離れていると雑用がないので作業がはかどる。それにしても今年は寒い。木造の山小屋ふうの建物なので、寒さはこたえる。緊急に石油ストーブを一つ追加した。石油の消費量がすごい。電気のエアコンもあるのだが、20年前に買ったものなのでパワーが落ちているようだ。この山小屋も立てて20年になる。あちことがたがきている。
在原業平を登場させたことで、物語がふくらんだ。とくに花見のシーンは美しい。これまで自分が書いたものの中でいちばん美しいのではないかという気がするほどだ。もっともこれは『伊勢物語』というモトネタがある。業平のイメージも既存のものだ。脇役では他にはあまり印象的な人物はいない。これから考えていこうと思うが、コンパクトに描きたいので、あまり枝葉はつくりたくない。
道真は孤独な人物だ。脇役は必要ないのかもしれない。清盛も孤独だった。「天翔ける女帝」の吉備真備とか、「炎の女帝」の藤原不比等は印象的な人物だった。「碧玉の女帝」では少しイメージは違うが、鞍作鳥や調子麻呂も印象的だった。今回は、道真そのものが参謀のような人物なので、脇役を作りにくい。むしろ宇多天皇をしっかり描くべきだろう。
小説を書き始める時には、ある程度、スタートのプランがあり、書きたいという意欲もあり、楽しく書けるものだが、そろそろ中盤になってきて、初速の勢いがなくなってくる頃だ。このあたりで第2段ロケットが必要なのだが、どこかで時間をすっとばして、いきなり道真を中年にしてしまうというのも手だろう。ぶあつい本にはしたくない。
ともあれ目標として1月末にはゴールインの目途がついているという状態にしたい。『法華経』のゲラも出てくるだろうし、大学の卒論を読む季節でもある。授業の方は1月は休講。雑用もほとんどないだろう。400人の大教室での授業のレポートを読んで成績をつけるというのが難事業だ。2月になれば大学関係の仕事は卒論の口頭試問に出ればいいだけになるので、仕事に集中できる。筆一本の生活がいよいよ始まる。

01/05
道真の官吏としての生活が始まった。ここまでは少年時代を描いてきたので、神秘的な登場から成長の過程のエピソードをテンポよく語ることで、小説の魅力を維持できてきた。少年なので、かわいい、という感じがしますし、ただそこにいるだけで天才少年、神童、という神秘的イメージがつきまとう。そういう意味では、語りやすい、ということができる。
ここから先は、単なる公務員の、長い年月をかけた物語である。めざましく出世するということもないし、激しい闘いがあるわけではない。ではどこが面白いのか。小説だから、何とか面白くしないといけない。将来の激しい闘いにそなえて、布石を打っていく。ある程度、意味ありげに語ることも必要だろう。時間は一気にとばしてもいい。讃岐に左遷されるまではハイペースで進めるべきだが、基経との対立については、しっかりと描かないといけない。
それと、基経はやがて死に、息子の時平の時代になるので、基経と時平が一体のものであるというイメージを強調しておかないといけない。これも左遷される時の送別会に元服したばかりの時平が出てくるので、何とか描けるだろう。
在原業平はどうなったのか。また京に戻ってきているはずだ。そこから先はどういうことになるのか。何も考えていないが、高子も一度くらいは登場させたい。高子の異母姉にあたる藤原淑子という女性が意外に重要な人物であることがわかった。書き始める前には念頭になかった女性であるが、こういう脇役は重要である。
道真は孤立しがちなので、業平や、橘広相、それに紀長谷雄なども、時々は登場させたい。そうでないとアラスジだけの話になってしまう。それからオカルト的なイメージも出しておきたい。文章博士になった時に都良香が死ぬ場面は多少オカルト的になる。それと、讃岐から京に幽体となって飛翔するシーンも書いておきたい。しかしあまりおどろおどろしくなると怪物みたいになってしまう。いじめられっ子という立場で悲劇のヒーローにしないといけないから、超能力がありすぎても困る。そのあたりが難しいところだ。
ここまでは流れるように展開できていると思う。このペースで、立ち止まらないように、ゴールまで一気に駆け抜けたい。

01/09
三ヶ日から帰る車の中で(運転は妻)、突然、ひらめいた。紀長谷雄を登場させないといけない。紀長谷雄は都良香の弟子で、途中で道真の弟子になっている。しかも同年の生まれで、漢詩をいっしょに詠じている。ということはかなり深い交流があったわけだ。さらに今昔物語には、長谷雄が鬼を見た話が書かれているし、長谷寺縁起とも関わっている。神秘的な人物なのだ。これを利用しないといけない。というわけで、いままで書いた部分を少し後戻りさせて、紀長谷雄のイメージを追加することにする。

01/12
これまでに書いたところで、アラスジだけになっているところがある。とくに歌会のシーン。主人公が歌会に目撃者として存在していなければ意味がない。しかし歌会に出ると歌を詠まないといけない。道真の歌はあまり残っていないのだが、ややインチキだが、少しのちの時代に詠んだ歌があるので、これを使うことにする。歴史小説ではなくオカルトファンタジーなので、この程度の捏造は許されるだろう。いま30ページ180枚のところまで来ている。ちょうど半分というところか。文庫のサイズを考えると、あまり分厚くなってはいけない。讃岐に左遷されるところが中盤の山場かと思っていたが、左遷の前に量的に半分のところまで来てしまった。前半の内容が充実しているということだが、後半が駆け足にならないようにしたい。

01/17
久しぶりに大学に行ってみると、学生のレポートが大量に出ていた。これは総合講座というリレー式の講座で、授業は年間に3回やればいいのだが、レポートを読む義務がある。他にも年間の授業で400人の大教室の授業を担当していて、このレポートをまだ読んでいない。卒論も20篇ほどある。これを片づけないと創作に集中できないが、いま調子よく仕事が進んでいるので、進んでいる限りは小説を書いて、レポートはぎりぎりまで先延ばしにしよう。アラブのことわざ「明日できることは今日するな」
「天神」は真ん中のポイントは通り過ぎた。いよいよ讃岐に左遷される直前。ずっといじめられているばかりでは面白くないので、道真に活躍の機会を与える。陽成天皇譲位にさいして、次の天皇を決める会議で、道真が文章博士として諮問される。本当は文書で回答するのだろうが、議政官の会議に道真が出席して意見を述べることにする。このシーンが中盤の山となる。議論小説みたいな感じで、ホラーから離れていくのだが、まあ、ただホラー小説ではなく、総合的なおもしろさをたたえた作品にしたい。
班子女王。宇多天皇の母である。これを重要人物としたい。女帝シリーズの女帝たちのように、少し神がかりの感じにする。道真には友だちがいない。キリストと同様、神の子の宿命である。そこで菩薩の願によって生まれた紀長谷雄を登場させたのだが、その意味では、班子女王も、ただの人間ではないという意味で、一種の超能力者という設定にする。それにしても「班子」ってどう読むのだろう。この時代の女性の名は、歴史学会ではめんどうなので全部オン読みしているようだが、実際はすべてにクンがあったと考えられる。今回の作品の登場人物も順子(のぶこ)、明子(あきらけいこ)、高子(たかいこ)と、ただものでない読み方をしている。以上は歴史事典などに出ている読み方だが、班子の読み方は不明のようだ。いちおう「わかつこ」でいってみようと思う。
寒い日が続く。正月、三ヶ日で少し酒を飲み過ぎたようで、胃腸の調子がよくない。頭の調子はわるくないと思っている。昨日、去年の9月の長男の結婚式のビデオを見た。今年の初めに届いていたのだが、ヨーロッパ方式なのでそのままでは見られない。業者に頼んで変換してもらった。花嫁(スペイン人)は美しく、長男はかわいい。わが妻も美しい。自分は疲れた顔つきをしている。スペインへ出発する直前に3週間で本一冊書いた疲れが出ている。この結婚式の模様は、次の作品「ウェスカの結婚式」で書く。

01/19
班子女王は1シーンにしか登場しないが、重要人物になった。この作品では、こうした思いがけない重要人物が次から次へと出てくる。在原業平とか、紀長谷雄もそうだが、藤原淑子、班子女王と、女性もなかなか面白い。作品を書き始める前は、とにかく菅原道真を書く、ということだけでスタートしたのだ。歴史というものは面白い。ただし、歴史をただ引き写しているだけではない。自分なりのイメージが人物を造形するのだし、班子女王に対してこちらの感性が触発されるのは、女帝三部作を書いた記憶があるからだ。神宿る皇女、というコンセプトがあるから、ここで急に物語が発展していく。小説家としてのキャリアはこういうところで活きてくるのだろう。

01/23
道真が左遷されて讃岐を歩いている。この直前まで、政治的な緊張を描いて、議論小説という趣になっているので、ここでは気分転換に風景描写などを入れたいのだが、ここまでで270枚くらいになっているので、のんびりしてはいられない。いつものことだが、エンディングの直前では、物語のスピードを上げたい。大宰府に左遷されるところはテンポよく進みたいので愁嘆場は描きたくない。そこで伏線として讃岐に下るシーンはややセンチメンタルに描きたい。光孝天皇即位に到るプロセスは『清盛』みたいに歴史小説ふうの展開になっているが、『天神』の基本コンセプトはファンタジーでありオカルトであるから、そろそろオカルト的な要素を出しておきたい。
このへんで神様を出したいと思う。そこで金比羅さまはどうか。讃岐の神社というと、琴平宮くらいしか思いつかない。金比羅というのは宮毘羅(くびら)神将が独立したもので、ガンジス川の鰐(クンビーラ)が本体であるが、もともとは大物主神と習合したもので、ここでは大物主神がメインで、クンビーラは門番として出てくることにする。ここで大物主を出すと、三輪山も出したい。三輪山は大物主の本拠であるし、おそらく天皇に憑依する神は大物主だろう。天照大神は女神だから皇女に宿る。で、道真が三輪山へ行くシーンをどこかで入れたい。
小野篁の場面に小町を出したっきり出すチャンスを失っている。エンディング間際に出すのはややこしいので、讃岐に登場させるのはどうか。小野小町といえば秋田県ということになっているが、まあ、仕方がない。歴史小説ではなくファンタジーだから、嘘も方便である。女帝三部作はもとより『清盛』でも女性が活躍した。次の『頼朝』は北条政子が主人公なので当然、女性が活躍する。『道真』を書き始めた当初は、こちらの無知もあって、どんな女性が出てくるのかもわからなかったが、ここまでに、高子、班子女王、藤原淑子と、個性的な女性が続出している。小説として立体的なものになっている。これは歴史そのものがそうなっているので、ありがたいことだ。
今日は大学へ行った。講義はもう終わっているのだが、総合講座という授業の成績提出の締め切りだった。事務所へ行く前に生協に寄った。個人研究費の使い残しがあったので、持てるだけの本を買おうと思ったが、5万円くらいしか使えなかった。あと何万か余っているが大学に寄付しよう。で、生協の売場を回っていると、『清盛』も『星の王子さまの恋愛論』も平積みで並んでいた。売場の人がサービスで並べてくれているのだろうか。

01/25
道真が大物主神と対話するシーン。神との対話は全編でここだけ。道真は神の子であるという設定だが、キリスト教の全能の神と違って、日本の神様はスケールが小さい。ここに出てくるのは三輪山の神で、国津神である。これとは別に天照大神を中心とする天津神がある。天照大神は太陽神だから、キリスト教の神にも通じるところがある。仏教のビルシャナ如来や大日如来にも通じる。しかし国津神というのはその他大勢の神だ。三輪山の神は天皇と直結した神であり、日本の国体とも関わってくる。しかしここでは難しい論議は展開しない。とにかく何やら神が現れる、ということでいいし、雷神の親玉、くらいの認識でいい。
門番として、宮毘羅大将を登場させた。ガンジス川のワニをシンボル化した夜叉の一種で、新薬師寺の十二神将の筆頭である。サンスクリットではクンビーラというのだが、これが転じて金比羅さまになるわけだ。まあ、ゲスト出演、といったところか。「碧玉の女帝」ではイエスキリストに片岡の飢人の役でゲスト出演してもらった。作家が博識なのでゲストの幅が広がる。ただし作品が拡散するといけないのであまり風呂敷は広げない方がいい。
続いて阿衡事件に入る。これも大きな山場だが、道真は讃岐にいて、直接には紛争に参加しない。しかし、道真が京に現れて、太政大臣基経に文書を手渡したという史実がある。仁和4年の10月、道真は漢詩を2つ残しているが、その日付からすると、10月は讃岐にいたとしか考えられないのだが、2つの詩の日付の間に、とんぼ帰りで京まで往復したとも考えられる。わたしの考えでは、道真は念力でテレポーテーションをしたのだ。というのが無理なら、基経の夢の中に現れた、ということでもいいだろう。何しろオカルト小説だから、やろうと思えば何でもできる。
ただし、あまりに万能だと、では最後になぜ大宰府に流されてしまったのか、という疑問が出る。超能力があるなら飛んで帰ればいいじゃないかということになるので、自在に飛べるほどの能力はない、という設定にしないといけない。できるのはせいぜい梅の木を飛ばすくらいのことである。そのあたりの能力の限界が微妙なので、細心の注意が必要だ。大物主神も出てきたので、しだいにオカルト小説らしい雰囲気になってきたが、その直後に老いた小野小町を登場させるという演出を考えている。スケールは大きくなっていくが、本が分厚くならないように、ここから先、エンディングに向けては、加速度をつけてテンポをあげていくことになる。

01/28
讃岐から帰ってきて、さて、そこから先、あんまりスピードを上げすぎてもアラスジだけになってしまう。宇多天皇の人柄を描いておく必要がある。同時に、背後にいる二人の女、班子女王と藤原淑子の動静も描いておかないといけない。登場人物が多いので、しばらく出てこないと作者も忘れてしまいそうになるが、時々出しておかないと読者も忘れてしまう。同時進行で多用な人物が動き、一種のポリフォニー状態を作らないと、小説に立体感が出ない。
本日は学生の卒論を読んだ。客員教授は今シーズンで辞めるので、卒論を読むのもこれが最後だが、まあ、そこそこの作品があった。これで大学関係の仕事はほぼ終わった。あとは口頭試問の当日、自分の身体を大学に運んでいくだけでいい。

01/30
昨日は文芸家協会の新年会で少し酔って帰ってきた。その勢いで無駄な会話を書いたような気がしていたが、読み返してみるといい感じになっている。たまには無駄も必要だ。エンディングにかなり近づいていると思われるのだが、まだ先が見えない。急ぎすぎると終わりが軽くなるので、リアリティーを維持し続ける必要がある。文庫本としては分厚くなりすぎるかもしれないが、そういうことは言っていられない。ベストを尽くして内容を濃くしていきたい。リアリティーの密度を上げるためにはある程度の無駄が必要だ。
このノートは今月で終わりかと考えていたが、どうやら翌月まで続きそうだ。そろそろ『法華経』のゲラも出るし、2月は短篇を一つ書く約束をしたので、すぐには次の作品に取りかかれない。そこで来月はこのノートの3ページ目に入ることになる。


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