「天神」創作ノート3

2001年02月〜

2月


ノート1/2000年12月 ノート2/2001年1月
02/01
ノートが3冊目になった。本当は2冊で終わりたかったが仕方がない。1月末に草稿完成の予定だったが、2月になってしまった。枚数は予定どおり。作品のボリュームが大きくなったということで、内容が充実しているということだ。でも分厚くなれば本の定価が上がるし、読者に敬遠されることになる。営業的には喜ぶべきではないが、作品が充実しつつあるということを作者としては喜びたい。小説としてベストのものを書くということ以外に、作者は何も考えるべきではない。
まだエンディングの直前というわけではない。いま遣唐使に任じられる前に、道真が何をやろうとしていたのか、どういう状況で何を試みたのかということを書く段階。このあと、さらに宇多上皇の院政があって、それから大宰府流罪という段取りになる。そこで初めてゴール直前となる。あとは雷神の祟りで人が次々に死んでいくシーンをさられと書けばいい。オカルト小説だから、そういうシーンはたっぷり書くべきだが、あんまりやりすぎると道真が悪者になってしまう。
あと1週間くらいを目標にして作業を進めたい。

02/05
大学の卒論の口述試験。こちらの担当は小説創作だから、口頭試問のようなかたちで問いただすことは何もない。作品について学生に語らせ、こちらが作品の感想を述べる。それだけの簡単なやりとり。この一年に一度の作業も13年続けてきた。本日で最後かと思うと感慨がある。毎年20人くらいの学生を担当してきた。卒業して、真人間(?)になった者もいれば、いまだに作品を書き続けている教え子もいる。新人賞をとった教え子もいるが、なかなか芽が出ない者が多い。なにがしかの責任を感じる。
口述試験の日は、一文(昼間の第一文学部)は朝10時からなので、夜型のこちらとしてはつらい。時差ボケになる。ほとんど寝ずに出かけたのだが、早寝すると時差ボケが長引くので、いつもどおり朝まで起きていることにする。ゴール寸前まで来ているが、ここであせらずに、じっくりと密度をもってエンディングにつなげたい。とりあえず、百人一首の道真の歌、「このたびは……」を作中に入れないといけない。ここに出てくる「紅葉」はどこの紅葉かわからない。歌の中に「たむけ山」というのがあるのだが、これは東大寺の近くの山の名ではなく、神のいる山、という一般の呼称と考え、強引に三輪山ということにする。そうでないと大物主神が出てこれなくなる。こういう力技が時々あるのが、小説を書く面白さと難しさだ。

02/08
「三田誠広の法華経入門」のゲラが届いた。話がややこしくなるので、後回し。現在、道真はついに右大臣に昇った。あとは大宰府に流されるばかりだが、その前にやらねばならぬことがある。死んだ人物は別として、現在生き残っている登場人物は、フィナーレの前に、一度、舞台に顔を出しておいた方がいい。歴史小説はすべてポリフォニーである。主人公道真だけでなく、登場人物のすべてが自分の人生を生きている。だから、それなりに、演劇でいうところの、しどころを作っておきたい。しどころというのは、有名な役者を集めて芝居をする場合、脇役にもしどころを作っておかないと、役者から不満が出る。そのために主要なストーリーとは無関係なプロットを作るのだが、そのことが作品に立体感を与える。歴史小説にはそういう立体感が必要だ。
たとえば、藤原忠平はラスト近くにチラッと出てくるだけの脇役だが、これが藤原道長の曾祖父だから、存在感が必要だ。この作品には有名人が多い。百人一首に作品が残っている人物だけでも、小野篁、小野小町、在原業平、源融などが出てくる。道真も百人に名を連ねているし、忠平も百人の一人だ(貞信公という名前になっているが)。残念ながら陽成天皇が歌を詠むシーンは入らなかった。
いま頭の中に、天神関連のデータがつまっているところへ、「法華経」のゲラが届いたので、頭の中が混乱しそうになっている。とりあえず草稿が完成するまでは、ゲラは放っておく。これまで気になっていたいくつかのポイント、たとえば、薬子の変、承和の変、などの歴史的事件の説明がくどいのではないか、とか、最後の方に出てくる藤原菅根をもっと早い段階で出しておいた方がいいのではないか、といった問題点は、ワープロの前の方を検索して、多少の書き直しをした。プリントしたものを見る場合は、誤字のチェックだけですましたい。そのためワープロの段階でほぼ完全な原稿を仕上げたい。
去年の後半に新しいパソコンにかえた。小学館の百科事典を入れたのだが、オマケで入っている国語大辞典が便利だ。つねに起動させておいても重くならないし、すぐに漢字のチェックができる。百科事典の方は、起動させておくと少し重い感じになるので、必要のない時は消しておく。岩波の歴史事典は、はっきりいって、動作が遅く、中身もないので、ほとんど使わない。ともかくパソコンのおかげで作業が充実している。「天神」がほぼ2か月で書けたのも、パソコンのおかげだと思う。

02/09
道真と斎世親王の対面。ここでようやく、初めの方で惟喬親王を出しておいた伏線が活きることになる。惟喬親王は小野宮として「伊勢物語」でも言及されている悲劇のヒーローである。在原業平を最初に出したので必然的に登場することになったのだが、その時点では斎世親王のことはまったく考えていなかった。とりあえず伏線を張っておいてあとで活用する、ということで前進してきたのだが、ぎりぎりの段階でようやく活用できた。作品には構造的な要素が必要で、とくに長編の場合は、何十年か後に同じことがくりかえされるということで、歴史というものを描くことができる。「炎の女帝」では意識的にそういう構造を中心に据えたのだが、今回の作品では、手探りで進んできた。それでもうまく構造をしかけることができたのは、作家としての年季といっていいだろう。
最後に隠し砦の三悪人という感じで、道真が三人からいじめを受けるシーン。伝説によれば地獄に堕ちた醍醐天皇のまわりに三人の裸体の男がいたということで、その三人は誰かわからないのだが、わたしが勝手に三人を決めた。源光、藤原菅根、三善清行の三人だ。この三人はエンディングのスペクタクルで、犠牲者として活躍することになる。

02/10
草稿完成。昨日の段階ではあと3日かかるかと思ったが、意外に早くゴールに到着した。さしたる感慨もない。すぐに「法華経」のゲラにとりかからなければならないので、このままプリントもせずに置いておく。書き終えたあとの感想などはそのうち少しずつ書いていく。とにかくゴールにたどりつけたので嬉しい。この作品は自分のベストだと思う。小説を書き終えたあとはいつもそう思うのだが。よーく考えてみると、イエスを描いた「地に火を放つ者」もなかなかよかったが、あの作品のセリフの主要な部分は「新約聖書」をそのまま使ったものだから、自分で書いたものという感じがしなかった。「天神」は、ストーリーそのものは歴史的事実によっているけれども、セリフはすべてオリジナルだし、構成そのものに自分なりの狙いがあるので、100パーセントオリジナルの作品だ。道真のキャラクターも、自分のイメージで作ったもので、天神さまという既存のイメージとは異なるものだが、まあ、読者の期待を裏切らないものになっていると思う。
書いている途中の段階ではなるべく考えないようにしているのだが、こんなもの、誰が読むんだろうということはある。「清盛」を書いている時も、いま清盛に興味をもっている読者がいるだろうか、という疑念をつねに感じていた。しかし天神さまは、もう少しポピュラーではないだろうか。いまは受験シーズンだし、天神さまに一回くらい行ったことのある人は多いと思う。しかし、天神さまって何? というギモンに答えられる人は少ない。詩人で、学者で、政治家である。それだけでも、いまの時代にはいないすごい人だ。しかもみんなにいじめられて、政界から抹殺されたのに、神様になってしまった。いったいどういう人物なのだろう。わたしがこの作品を書き始めたのも、そういう単純な好奇心があったからだ。
しかし書き始める前は、菅原道真について、よく知っていたわけではない。資料はあっても、それはただ読むだけのことだ。小説を書くことによって、菅原道真の人生を、自分の体験として生きることができる。この2カ月、わたしは菅原道真だった。五歳の幼児から出発して、11歳で漢詩を詠じ、右大臣に昇り、ついには独裁者となり、そして寂しく去っていった、その人生のダイナミズムを充分に楽しむことができた。たぶん読者も同じように楽しめると思う。

02/11
本日から「法華経」の校正。この本を書くのに、大学の先生や著作権審議会委員をやりながらとはいえ、3カ月近くかかったということを、もう一度、反省しなければならない。「法華経」をどう語るかというのは、大変なテーマだ。試みに、誰かそんなことをやった人がいるかといえば、誰もいない。宮沢賢治のすべての童話は、自分なりの「法華経」解釈だと思う。だが、ストレートに法華経を語った人はいない。解説とか説明をした人はいるが、分析した上で、ある程度センチメンタルに語る、というのは至難のわざだと思う。
本日、半分くらい読んで、かなり成功しているという感触を得た。で、「天神」を書き終えたばかりでかなり精神的には疲れているのだが、元気が出てきた。明日には最後まで読めると思う。ワープロでチェックして入稿したので、直しはほとんどない。ここがワープロのありがたいところだ。漢字の間違いや不統一などは編集者がなおしてくれているので、何の問題もない。
30枚の短篇を書かないといけない。それから「天神」を読み返す。プリントする必要もないと思う。というか、ルビなどのチェックはやっぱりワープロの検索を利用した方が早くて確実だから、プリントして読むよりもワープロのまま読んだ方がいいという気がする。ヨコガキのままで大丈夫か、という気もするが、ゲラはタテになるはずだから、そこで必要ならチェックしてもいい。まあ、短篇を先に書いてから考えよう。

02/13
「天神」に登場する女性について。「清盛」には、時子と滋子という魅力的な女性が登場した。「天神」の場合は、道真の妻はシンプルな女性にしたが、淑子という一種の悪女と、高子(たかいこ)という魅力的な女性が登場する。ただし出番は少ない。道真が堅物で、女性との関わりが極端に少ないということと、姻戚には頼らずに独力で世界を切り開いていく人物なので、女性の影はいくぶんうすくなった。しかし、高子や淑子が出てきたところで、道真がひるんでいる感じは描けたと思う。女性恐怖症みたいなところがある。本を読んで勉強しただけの人物にありがちな、対人恐怖症である(自分のことをいっているようだ)。
オカルトについて。今回の作品は、何しろ天神さまが主人公であるから、オカルト的である。とにかく、神様だから、超能力をもっている。しかし、いじめがテーマなので、弱い神様でないといけない。超能力があるなら、いじめたやつをその場でやっつければいいということになってしまう。いじめられるという点では、まさにイエス・キリストであるといってもいい。ただし、イエスのように、全人類の罪を背負って十字架にかかるというような人物ではない。かなり観念的で、自分の図式に従って努力してみたいが、現実の壁にぶつかった、という話だ。そのためスケールとしては、自分の作品の中では、「地に火を放つ者」には及ばないという気もするが、等身大の人物をしっかり描いたという点では、天神様はなかなかのものだと思う。
今回、オカルトが出てくるのは、冒頭の、雪女のシーン、都良香を滅ぼすシーン、藤原基経に抗議するシーン、そしてエンディングということになる。最後は天神さまが敵をすべて雷で滅ぼしてしまうのだが、そこは描写は極力抑えて、歴史的事実だけを羅列することにした。オカルトを描きすぎると、下品になる。道真の政敵が全部死んでしまうのは、実は藤原忠平の謀略ではないかとも考えられる。結局、最後にトクをするのは忠平だからだ。しかしそこまで書くと、作品のピュアな感じがうすれてしまう。で、この作品では、忠平はただのよい人という感じになっているが、時々チラッと、ほんとうは悪いやつではないかと感じられるようなキャラクターにしたつもりだが、読者にそこまで伝わるかどうかはギモンだ。あんまり悪いやつに書いてしまうと話がややこしくなるので、深く読み込んだ読者にだけ伝わるという書き方をしている。わたしの小説は自分で言うのもなんだが奥が深い。浅いレベルの読者には見えないものが、深い読者には見えるような仕掛けになっている。
「法華経」のゲラは終わった。これから短篇を一つ書いて、「天神」の見直しに入る。それで今月の仕事は終わる。次は「ウェスカの結婚式」だが、そろそろ構想を練らなければならない。

02/22
このところこのノートを書くひまがなかった。進行中の仕事が重なったからだ。例えば今週は、月曜日に「三田誠広の法華経入門」のゲラを渡し、火曜日には30枚の短篇を渡し、水曜日は友人の同人誌の会合に出かける(予定だったが「天神」の作業が終わらなかったので行けなかった)。木曜日は芥川賞・直木賞のパーティー。これはかつての『早稲田文学』の学生編集者だった重松清くんが直木賞を受賞したので、行かないといけない。で、金曜日には「天神」の原稿を渡す約束をした。「法華経」の校正はわりあい早く終わったのだが、短篇はけっこう手間がかかった。それから「天神」の最終チェックを始めたので、綱渡りのような作業になった。
一つの作業を終えても、それは終わりではない。原稿を入稿すれば、あるタイムラグののちに校正が出てくる。これが雑誌掲載だと、雑誌の校正、単行本の校正、三年後に文庫の校正、という具合に、作業が続くことになる。「法華経」を完成させたのは去年の12月で、それから「天神」の執筆を開始した。それで一気に草稿の完成まで到達すればいいのだが、ゴール直前の山場のところで校正が出る。校正は放っておいて、「天神」の草稿を完成させてから、校正を片づける。草稿は完成させたが、ワープロの打ち間違いなどのチェックが必要である。しかしここに短篇の締め切りがある。
というようなことがあると、作家はストレスがたまって神経をすりへらすことになる。こういうことをやっていると、業務が長続きしないので、短篇の依頼には応じないようにしているのだが、今回は世話になった編集者の依頼なので断れなかった。作家は編集者の支援によって仕事をする。編集者の依頼と励ましがなければ、仕事はできない。逆にいえば、なぜプロの作家が仕事ができるかといえは、編集者の励ましがあるからだろう。大学で長く教えてきたので、孤独な書き手の不安と寂しさについては、よくわかる。苦労して作品を書いても発表のあてもないということであれば、集中力も減退する。発表のあとなどなくとも、書きたいことがあれば集中して書けるはずだというのはきれいごとの原理主義で、書くという行為はそれほど甘いものではない。発表に到るプロセスが準備され、うまくいけば評判になり、金銭的にもむくわれるという状況が設定されて、なおかつ芸術に対する理念が失われなかった場合に、奇蹟のような作品が実現するのだ。
作品を「本」というかたちの商品にするためには、多くの人の助けを借りなければならない。そのための窓口となっているのが編集者だ。編集者がいなければ作品は成立しない。わたしの作品は、誰が見ても面白いというものではない。そのため、積極的に励ましてくれる編集者がいないと、作業が進まないということになる。だから編集者は大切にしなければならない。編集者は時として会社をかわる。作家は出版社を選ぶのではなく、編集者とともに共同作業をしているのだから、編集者が別の会社に移れば、その会社から本を出すということになる。わたしがトレヴィルという新興の会社から二冊本を出したのもそのためだ。
さて、「天神」は角川春樹事務所から出る。角川春樹氏には角川書店の時代にお世話になったが、今回は担当の中村くんが角川春樹事務所に移ったのでここから出すことになった。中村くんは朝日ソノラマにいた頃にふらりと自宅に現れて、大学のわたしの演習に参加させてくれという申し出をしたのが出発点だった。結局、授業をテープにとって本を出すことになり、「天気の好い日は小説を書こう」など3冊の本が出た。これはいまは集英社文庫に収録されているが、ここでも解説のかわりの著者インタビューを中村くんにやってもらった。中村くんはその後、角川書店に移り、それから幻冬舎に移り、それから角川春樹事務所に移った。玄冬舎はもと角川の見城徹氏が作った会社だから、角川系であり、本人は角川三冠王などといっている。その間、こちらは廣済堂から女帝三部作を出していたので、角川とも玄冬舎とも仕事をしなかったが、ようやく角川春樹から本を出すことができる。なお、廣済堂の担当者は学研に移ったので、次の時代小説は学研から出ることになるだろう。
さて、本日は芥川賞のパーティーだったが、少し早起きして「天神」の最終チェックを終えた。プリントも無事にすました。これまで、作品を書くと一度プリントしてチェックしていたのだが、今回は最後までパソコンの中で作業をした。登場人物が多いので、パソコンの検索機能を駆使しないとチェックができなかったからだ。「清盛」の時は旧いパソコンで性能がわるかったのだが、「法華経」以後は最新のパソコンを使っている。これには百科事典も入っているので、効率がいい。それでも「法華経」の時は一度、プリントした。タテガキにしないと不安だった。今回は時間もないので、プリントは見ない。大丈夫だろう。

02/24
昨日は角川春樹事務所の編集者に原稿を渡すはずだったが、結局、渡さなかった。理由はここには書けない。とりあえず作品は完成しているのだが、当面、出版に向けての進行が遅れることになる。読者には申し訳ないことと思う。わたしはせいいっぱい努力したのだが、人生にはどんなに頑張っても物事がうまくいかないことが存在する。ということで、このノートは突然だが、ここで終了する。
次のノートは「ウェスカの結婚式」(仮題)のノートということになる。3月からスタートする。

以下は随時更新します

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