ブルガリア旅行6-ツァレヴェッツの丘


ツァレヴェッツの丘
6月27日(日)くもり時々晴れ,夜に雨
9時出発,ツァレヴェッツの丘に行く.ホテルの窓から見えていたのが,ツァレヴェッツの丘とその頂上に建つ大主教区教会だったことがわかった.朝は長袖2枚を着て出たが,昼は半袖で汗をかくほど暑かった.
1187年ブルガリアは東ローマ帝国から独立し,アッセン王のもと,第二次ブルガリア帝国の時代となるが,この時の都がタルノヴォであり,ツァレヴェッツの丘全体が宮殿であった.そして,1398年オスマン帝国により併合され,宮殿は破壊された.大主教区教会は1981年に再建され,内装は1986年にブルガリア現代画家により描かれた.
ツァレヴェッツの丘の入場料を払って城壁内に入ると,いきなり日本語を話す4人の人形たちに歓迎された.ツァレヴェッツの丘の歴史物語だ.つい釣られて話を聞いてしまう.箱に2レバー入れて写真を撮った.その横には,りっぱな王座に座って,とか,甲冑を着けて作りものの馬にまたがってなどの記念写真サービスが並んでいた.ここに来ているのは観光客だ.ツァレヴェッツの丘はかなり広いが,その敷地のことごとくが破壊され,石積みの基礎だけが連なっている.
ツァレヴェッツの丘の入口の左手にアルバナシ方面の道路が川の方に下っている.この歩道を降りて行くと,橋のたもとに40人教会があった.今日は日曜日でフリーだと言う.第二次ブルガリア帝国時代の1230年にアッセン王によって建てられた.2006年に修復されたので外観は新しいが内部には古いフレスコ画の一部や6世紀の古い貴重な柱が残されている.
40人教会横の橋は車が通る橋だが,このもう1つ北に木の橋がかかっている.少し隙間があって渡っていると所々下の川が見えて足のすくむ思いがする.ちょうどこの橋の上で新婚カップルがウエディングドレス姿で写真撮影をしていた.すかさず正さんも写真を撮らせてもらう.橋を渡ったところのカフェで昼食にした.店の若いかわいい女性に英語は全く通じなかったが,ブルガリア料理は安くておいしかった.ブルガリアビールのシュメッスカ,ハーブティー,ミックスサラダには細かい白チーズがたっぷり,ハーブ入りミートボールスープのくせのある臭いはヨーグルトのせいらしいが,飲んでいるうちにすぐ慣れて美味しくなる.鶏肉とポークネックの串焼きはあっさりしていてビネガーと塩をぱらりとかけると最高.

40人教会

ヤントラ川の木の橋
 
聖ディミタル教会

聖ペテロ・パウロ教会
 川沿いに北に進むと聖ディミタル教会があったが,鍵がかかっている.木の橋まで戻る.聖ゲオルギ教会も川の西側にあるはずだが,わからない.近所の人に聞くとすぐ向かいだった.垣根があって木々に覆われているので,外からは教会だとわからなかった.ここも垣根の門に鍵がかかっている.近所の人が「聖ペテロ・パウロ教会で鍵を開けてもらうといい」と教えてくれた.木の橋を戻り,川向こうに見えていた聖ペテロ・パウロ教会に行くとすぐに女性が2人出てきた.6レバー払って鍵を開けて中を見せてもらう.内部には美しいフレスコ画が残っており,土産用のイコンが並べられていた.「他の教会の鍵も開けて見せてほしい」と頼むと女性が1人鍵を持ってついてきてくれた.先ほどの6レバーで全部見せてもらえるようだ.大きな鍵で開けてくれる.聖ディミタル教会のフレスコ画は美しかったが,残念ながらかなり剥がれていて一部しか残っていない.聖ゲオルギ教会は年代が新しいらしく,フレスコ画は割合よく残っていた.庭にはくるみや洋ナシやプラムの木が茂っている.鍵を開けてくれた婦人が「いいよ」と言うので,黒く熟れたプラムの実を取って食べる.あまずっぱい.別れる時,婦人は投げキッスを送ってくれた.愛嬌たっぷりのかわいい人ある.

3時頃,ホテルに帰ってちょっと休憩.暑かった.カフェバーでカプチーノを飲んで,周辺を少し散歩した後,部屋でサッカーを見る.夕食時,2,3の団体グループが食事にやって来てとても騒がしくなった.子供連れのグループ,年配者ばかりのグループ.料理の載った皿をワゴンで運ぶ音がガチャガチャとうるさいと思ったら,床に絨毯が敷かれていないのだ.話をしようにも声は聞こえず,全く落ち着かなかった.
夜,風呂から出ると,ツァレヴェッツの丘で光のショーをしているのに気がついた.城壁や高台の教会がライトアップされているだけでなく,赤や緑や黄色に彩られ,点滅し,光のすじを放って明るく浮かび上がっていた.レストランの団体さんはこのショーを見に来たのだろうか.私たちのホテルの部屋はいい位置にあり,歓声をあげて思いがけないショーを堪能した.
戻る つづく