ブルガリア旅行8プロブディフ

6月30日(水)くもりのち晴れ
8時半過ぎ,タクシーでバスターミナルへ行く.チケットはバスドライバーから購入した.出発時間ぎりぎりだったからだろう.列車移動のつもりだったので,ヴェリコタルノヴォからは一旦ソフィアに戻って来なくてはならなかったが,バスだとヴェリコタルノヴォからプロブディフ行きも出ている.半日のロスだ.今回は指定席ではなかった.乗客は大半埋まっていたが,ちょうど2席見つけて座る.シートが少し堅いようだが,乗車時間が短いからだろうか.女性客の何人かが一人で通路側に座っていたり,横にハンドバックを置いていたりで,若い女性観光客の2人連れが入って来たが誰もどけようとしない.最後尾は両端が空いているのに真中に太った女性が半パンで座っている.2人はウロウロしていたが,やっと通してもらって後ろに座った.マナーは結構悪い.9時,すぐにバスは出発.町を出るまで初めは少し渋滞だった.
バスは広い平原を行く.遠くに山が見える.とうもろこし畑,ひまわり畑,麦畑,水田,荒地もある.バスが行く道路と直角に交差する道路は高架になっていて,両サイドは高架に向けて盛り土されている.川の堤防もあまり高くはない.手作業で収穫しているらしい人が見える.トラックが後ろに農機具を繋いで走っているのは一台見た.線路が見える.単線らしい.架線がないからジーゼルのようだが,走っている列車をバスが追い越して行った.

プロブディフ
ずっと平原を行くうち突然町に入った.高い古そうなマンションもある.町に入ってから2,3か所でバスは止まり,乗客が何人か降りて行った.バスは町の中心に進み,道路わきで止まった.バスの止まった位置がよくわからない.ガイドブックの地図に載っている列車の駅の横のアフトガーラでないような気がする.とりあえず,バスの後ろに止まっていたタクシーに乗る.ホテルまで15レバー.スーツケースを持ってタクシーに乗るといつも高いような気がするが,仕方ない.11時半,ホテルエリートに到着.エレベーターはなし.部屋は一階だったが,階段を1つ登らなければならなかった.フロントでエアコンとテレビのモニターを受け取る.部屋は赤が基調だ.暑いのでエアコンをつけた.
少し休憩してから出発.昼食に入った店はセルフサービスだった.目の前にできている料理をトレイに取って支払うから選ぶのが簡単.やきめしとミンチボールシチュー,とても安い割に味もまあまあだった.
3つの丘という意味のトリモンティウムにある,19世紀に建てられた美しい屋敷を訪ねる.これらは美術館や博物館になっている.屋敷は丘の上にあり,下を通る広い道路の上に橋が架かるように町があってレストランの下に交通量の多い道路が見えていたりする.そのため地図はわかりにくく,結局ホテルからは一旦ジュマヤ広場まで南に下ってから聖処女教会を通り,丘を登って行くのがよいことがわかった.あちこちで道を聞いている途中で,フランス語を話す夫人に出会った.早速正さんは写真を撮り,住所とメールアドレスを教えてもらった.

民俗博物館はイスタンブール出身のハジ・ゲオルギが19世紀に建てた屋敷で,家具,ベッド,ソファ,アイロンなどいろいろなものが展示されていた.建物の外壁には花模様が描かれ,とても美しい.
ヒサヤ・カピヤと呼ばれる要塞門を通って歴史博物館へ.要塞門は紀元前4世紀に建てられたものだ.ゲオルギアディ・ハウスが歴史博物館になっているのだが,ここは閉まっていた.
ネドコヴィッチ・ハウスは上流階級の屋敷の居間や客間が公開されている.2階建てで立派な家具が並んでいた.

民俗博物館

歴史博物館

ボヤジエフ・ハウス
ボヤジエフ・ハウスは19世紀の医者の家だったが,今は画家ズラトュ・ボヤジエフの美術館になっている.絵はどれも個性的でなかなかいい.この医者の肖像画も展示されていた.彼らの写真も残されている.

ジュマヤ広場の横にイスラム寺院のジュマヤ・ジャーミヤがある.靴を脱いで見学していると一人の男性が近づいてきて,寺院の内部やイスラム教のことをいろいろ説明してくれた.どの場所に立って平和を願うとどんなに安らかな気持ちになるか,毎日どのように礼拝をするかなど.お礼を言うと彼はにこやかに正さんに握手を求めてきた.私も笑って握手しようとすると,男性は手を引っ込めた.イスラム教では男性は女性と握手はしないのだという.たちまち私は悲しく腹立たしい気持ちにさせられた.

夕食はジュマヤ広場のさらに南まで足を延ばして,いろいろな屋敷を訪ね歩いていた時に見つけたブルガリア料理店で取る.ホテルからジュマヤ広場まで,さらに中央広場まで歩行者天国になっていて,多くの人が楽しそうに歩いている.カフェやアイスクリームの屋台は多く並んでいるが,レストランは意外と少なかった.8時過ぎホテルに帰る.
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