流氷ダイビング中の事故と講習中の事故を見ることで安全管理問題について考える


 以下で紹介する感想などはあくまでも個人の感想に過ぎず、調査についても個人でできるレベルにすぎない。よって至らない点についてご指導などをいただければ幸いである。


 流氷ダイビングは大変魅力的であり、南の海では決して体験できない世界を垣間見させてくれる素晴らしい体験である。しかしながらこれは流氷下で行われることから、そのままでは水温が致命的なほど冷たく、流氷によって潜水する海にフタをされたのと同様という状況になる。したがって何かトラブルがあって生きるために緊急浮上を行っても、氷を割った穴に直接浮上する以外は、まるで洞窟でのダイビング(いわゆるテクニカルダイビング)と同様の危険性があるダイビングでもあるのである。
 これから、3月23日(日)に北海道斜里郡斜里町ウトロで行われた流氷ダイビング時に発生した事故をモデルに取り上げ、ダイビングの安全管理について考えてみることにする。

 なおこの事故は、事故者は結果的に助かっており、ショップの刑事責任も問われることもなく、また新聞にも掲載されたことで広く知られている事故である。しかし事故に遭ったダイバーは事故という苦痛に遭遇していることから、単なる興味本位では見ないでいただきたいと願うものである。そしてこの事故の内容を見て考えることで、今後の事故防止につながる教訓を得ていただきたい。
 今回、以上のことを目的として、専門書や論文という学問的な場ではなく、一般の人々が見ることができる本ホームページでまず掲示することにした。

◆この事故を報ずる新聞記事の題字

読売新聞
平成15年3月24日

北海道新聞
平成15年3月24日

 この事故の事実関係については、私は個人的に各方面からの協力を得て、できるかぎり当時の模様を再構築したつもりだが、個人的力の限界により、もし事実と異なることがあった場合は、ぜひメールで知らせていただきたい。ただし匿名でのメールの場合は、匿名ではそれを信用できる状況ではないので対応はできかねることをご理解していただきたい。なお、情報ソースについては、本人の了解なしに公開することはない。

 本州以南の海で行われるダイビングでも、流氷下という状況以外は安全管理上の問題で共通するところがあるはずである。この事例を参考に、一般ダイバーやプロダイバーは、事故防止のための安全管理に十分過ぎるほど配慮をしていただきたい。特に業界の一部から発せられる、「楽な方」「耳障りの良い方」に偏った情報に振りまわされないように、各自、参考にしていただくことを願うものである。事故が起きてから悔やんでもどうしようもないのであるから。

流氷ダイビング事故の概要

 ウトロは流氷ダイビングの季節になると、釧路、羅臼、さらに斜里町の現地サービスの他、札幌、旭川、帯広、また本州方面からもダイバーがやってくる有名なポイントである。また流氷の季節には、催し物として流氷ダイビングが行われてもいる。
 しかしこの流氷ダイビングの際に、時にその安全管理面の充実度が疑問視されるケースが見られることも報告されている。
 かつてここでの流氷ダイビングに参加した経験のある某ダイバーは、そのときのダイビングが、水中ガイドが一人、陸番が一人、客のダイバー7人(人数比1対7)という体制で行われたと語っていた。ここでは他にもガイド一人に対して10人ものOWクラスのダイバーがつくことも珍しくはないとも言われている。
 このあたりの地域では、かつて流氷ダイビング中に年配の女性を見失い、発見したときには死亡していたという事故もあった。他にも一般には知られてはいないが、流氷ダイビング中に生死に関わる事故があった例も報告されている。ただし先の女性の死亡事故以外は、結果的に死亡しなかったことでどこにも届けられず、催し物を行っていた一部の業者の中でだけで処理された。したがって公式(警察、海上保安庁、道庁、ダイビング業界)的には、こういった事故はなかったことになっている。

 平成15年3月23日、ウトロでショップツアーによる流氷ダイビングが行われた。
 一般ダイバーの事故者A(男性37歳、経験本数約100本:流氷ダイビングは2年の経験があり、今回が3シーズン目、特に病歴もなく、健康体)と一般ダイバーB(男性36歳、経験本数200本強。流氷ダイビングの経験が3年で、今回が4シーズン目)が、ショップのガイドインストラクター(男性、2000本強の経験と言われている)とアシスタント(女性、1000本強の経験と言われている)の2対2でダイビングを行う潜水計画の下でツアーに参加した。
 人数比だけで見れば、この構成は十分なものと評価できる。ただし、流氷ダイビングというハイリスクのダイビングであるにもかかわらず、事故対策として、氷上で連絡手段(携帯電話など)を保持した上で待機する監視員(陸番)は用意しない潜水計画となっていた。これは安全管理上の大きな欠陥と言えた。
 当日、ツアー参加メンバーは7:00に某市を出発し、9:30に斜里町の某ホテルに到着した。ここでホテルからのスタッフダイバー(インストラクターとDM)の計2人が合流し、岸から100mくらい先(新聞報道では150m)の流氷上に2つある穴の一つから、計6人で潜水をすることになった。
 事故者AとダイバーBは、10リットル200気圧、フル充填のスチール製タンクを使用してダイビングを行なった。当日の天候は晴れ、ほぼ無風。気温は10度、水温は0度だった。
 この時の、流氷下に入るための氷の穴はひし形状で、その大きさは、長さ2.5m、幅は最大部分で1.5m程度だった。
 ダイビング前のブリーフィングでは、穴の下の状況の説明と、潜水は、安全のために40分程度で切り上げることが申し合わされた。この潜水時間のリミットについては、事前に決めておかないと長く潜水を続ける人が出てきて、これによってさまさまなリスクが増す事から妥当な申し合わせと言えた。
 ガイドインストラクターからは、何か見つけたときには音で知らせるという説明がなされた。しかし、バディシステムをどうするかや、氷下で予想される緊急事態の説明やシュミレーションについての打ち合わせは行われなかった。

 氷の穴の下のダイビングポイントは、岸側が、いわば急な上り坂状の岩の壁となっていた。そして穴から直下の海底までの水深は約4mで、そこから海底が沖に向かって傾斜していた。その穴の直下から水平に約20mのところの水深が約7mで、さらにその先の水深は約10mとなっていた。
 この日は、穴の直下から20m、水深7mの範囲までの潜水計画だった。
 この計画に沿って、ダイバーたちが穴の下からの距離を確実に把握するために、まず穴から水中に錘をつけたロープをたらし、そこから20mの長さのロープを使って潜水範囲を示すというダイビングスタイルをとった。
 この時期は流氷シーズンも終わりに近く、そのためこの日は、氷の下の真水の層が約1.5mとなっていた。
 この真水の層は凍りやすく、また器材も凍結しやすいと言われている。
 この真水がカキ氷のように凍ったさまは、ダイバーたちから「ザク」と言われている。真水の凍る様はシャンデリアと呼ばれており、それが美しいと人気があった。
 エントリーはショップガイドが先に行い、錘をつけたロープから穴を中心にして20mの長さのロープで潜水範囲の限界を示した。当時の透明度は10〜15mだった。また氷の下は十分に明るかったそうである。
 このガイドの次にダイバーBが、次に事故者Aが、そしてアシスタントの女性の順番でエントリーを行った。その後にホテルの2人が続いた。
 ショップ側のパーティでは、水中で2人一組のバディシステムは取られなかった。
 ショップ側の水中での監視体制は、2人のスタッフがロープで示された範囲内を見渡しながら、その範囲内にいる2人を、範囲内を周回しながら監視(スキャンするように)するというものだった。
 ショップスタッフがそれぞれにバディとしてつくこともなかったことで、客ABは単独ダイビング状況になり、各自潜水目的の写真撮影を行うことになった。なおこのとき、ホテルの2人のダイバーたちは独自の行動をとっていた。なおガイドは、客に何かを知らせるときは自分のタンクをガイド棒で叩いて知らせていた。
 事故は、ガイドが最後に事故者Aを見てから1分程度(警察発表は1〜2分)目を離していた隙に発生した。
 ガイドは、最後にAから目を離した後、前述のように1分程度時間が経ってからAを捜した。すると彼は氷の下にいるAを発見し、どうしたのかと斜め浮上で近づいた後に、Aの異常に気がついた。
 Aはこのときレギュレーターを口から外し、BCをパンパンに膨らませ、マスクの中に半分程度の水が入っていた状況で氷の下に張り付いて(下向きだったと思われる)いた。この時の時刻は10:20〜10:30位だったと推定されている。
 ガイドは意識を失っていたAを、ただちに氷の下を10mほど曳航して穴に向かい、そして独力で穴から氷上に引き揚げた。この間にかかった時間は2分程度だったと考えられている。
 引き揚げてみると、Aは呼吸及び心停止の状態で、意識不明となっていた。
 ガイドは氷上ですぐさま一人でAのドライスーツの上半身のみ脱がせ、CPRを開始した。そしてたまたま近くの氷上にいたホテルの客の男性を呼んた。
 ガイドは彼にCPRを一時的にかわってくれるよう依頼し、またホテルに緊急事態を連絡するように頼んだ。そしてその間にこのガイドは穴に戻り、身に付けていたダイブホーンを使って水中のダイバーたちに緊急事態を知らせるべく、それを鳴らした。
 この音は、ショップのダイバー2人とホテルのスタッフダイバーの一人(DM)は聞くことができたが、ホテル側のもう一人のスタッフダイバー(イントラ)には聞こえなかった。ホテル側のスタッフダイバーたちも、この時バディシステムはとっていなかったようである。
 ホーンの音を聞いたダイバーたちは、このときこれを鳴らした本人が見えなかったこともあり、これが緊急事態の連絡とは考えなかった。
 しかし少し間をおいてまたホーンが鳴らされたことで、水中のダイバーたちも氷上からの何らかの合図と考え、まずアシスタントが穴に向かって浮上した。続いてBと、この音を聞いたホテルのスタッフダイバーの一人も浮上した。この5〜10分後に、ホーンの音を聞かなかったもう一人のホテルのスタッフダイバーも、水中に誰もいなくなったことに気がついて上がってきた。
 浮上したアシスタントの女性が氷上に上がると、そこではAに対してCPRが実施されていた。
 このころ、氷上にいた人の連絡でホテル関係者が駆けつけてきた。そしてCPRを実施している間にホテル関係者の携帯電話で、11:00に119番通報がなされた。このとき消防では「溺れた人がいる」という内容で救急依頼を受けている。
 救急車が来るまでの間、CPRを続けていたことでAの心音が復活し、自発的呼吸が再開した。ただ意識は失ったままだった。
 消防の救急車は11:02に出動し、11:06に現場についた。このときAはCPRによって自発呼吸と心音は回復していたが、あいかわらず意識不明の状態だった。
 救急隊はAを救急車に収容し、11:13に現場を出発し、11:40に病院に搬送した。
 意識不明だったAは、翌日の9:00〜10:00頃になって意識を回復したが、事故の状況だけでなく、エントリーした以降のダイビング時の記憶を無くしていた。しかしAは3月28日(金)に無事退院した。
 Aのダイビングコンピューターには、彼が水深3mのところから一気に浮上したことが記録されていた。そしてAはほとんど水を飲んではいなかった。
 しかしAが記憶を失っていたこともあり、彼が一気に浮上した後に意識を失ったのか、あるいは上がる前に意識を失ったことで起きたのか、器材に問題があったのか、などがすべてわからないままであった。
 事故後この事故の捜査を行った警察も、3月中に、単なる事故だったと結論付けた。

 当時Aが装着していたフードは、目元と鼻の部分が開いており、及び口元に一直線の切り込みがあるタイプだった。
 このフードの口の部分の切ってあるところは、すぐ凍ってしまうことがあるとも言われている。Aの場合は、意識を失ってレギュレーターが口から離れた直後に、これが凍って口が塞がれたことで水を飲まなかった可能性も存在するが、それ推定にすぎず、現在では確認できない。
 なお事故のとき、Aの中圧ホースのコネクタとBCのインフレータは一体となって凍っていた。実際に水中でAを発見したガイドも、BCから中圧ホースを抜こうとしてもできなかったということである。
 なお、氷上でもタンクからBCへのエア流入は続いていたようであり、BCの安全弁が作動してエアが漏れるような音がしていたとのことである。


★この事故に見る問題点

・バディシステムの欠如:バディシステムが確実に行われていたら、さらに安全性が高く保たれていた可能性がある。この場合は、ショップのガイドか、同等以上の能力を持つイントラがバディとして付くべきだった。(陸上に監視員がいなかったことからも、緊急事態時に、事故者を氷上に引き揚げる能力が十分とは考えがたい女性イントラは、このようなダイビング時のバディとして適切ではない可能性が指摘される)
・陸上(氷上)での監視員を用意しなかった:安全配慮義務違反の恐れがある。
・ガイドは1分以上も事故者Aから目を離していた:安全配慮義務違反の恐れがある。
・ブリーフィングの問題:考えられる緊急事態の事前説明と確認がなく(作業ダイバーは必ずやっていることである)、緊急事態が起こった時の対応についての手順や計画も説明もなかった。
・氷上に上がってから119番通報に至るまで時間が長かった:事故が発生してから数十分も経過した11:00に消防は通報を受けている。
・潜水計画の欠陥:拙著「ダイビングの事故・法的責任と問題」(2001年 杏林書院)にも紹介しているが、例え相手がプロレベルであっても、慣れていないダイビングポイントを案内することを請け負った業者には、潜水計画について安全配慮義務があることは、那覇地裁判決、同控訴審判決(上告中)でも認められている。
・客から目を離した責任:これについての問題は、拙著「ダイビング事故とリスクマネジメント」(2002年 大修館書店)で詳しく紹介している。もしこの事故が重大事故であった場合には、本来、刑事・民事上の「目を離した責任」が問われる可能性は否定できない。


★講習中の事故を踏まえた考察

 今回の場合は、たまたまオーナーに事故者を一人で引き揚げる能力と、その後の的確な対処能力があったからいいものの、もし発見して対応したのが、経験がより薄く、また体力的に十分だったという確証がない方のアシスタントだったら、事故の結果が変わっていた可能性がある。
 消防の記録からは、事故者の発見から通報がなされるまで時間がかかっていたようである。もしこの通報の遅延が原因で事故者が深刻な状況に陥っていたら、ブリーフィングの内容と潜水計画全体の責任が問われただろうことはまちがいないと思われる。
 水泳の場合は、足がつく一般のプールでさえ監視員がいないことは考えられない。これは水に関わる安全管理の社会的共通認識である。水が相手の場合はこれが常識であろう。
 しかしプールより危険な流氷ダイビングで、通報器材を持って、救助技術に長けた監視員が用意されていなかった潜水計画は、例えそれが地元でよく行われているダイビング形態(営利事業)であったとしても、業者が一般に良い人であっても、社会常識として、本来は「安全への配慮の感覚に欠けた事業形態」と考えるべきではないだろうか。
 こういった、安全に対して社会常識に適合しない認識がよく見られるダイビング事業全体については、今後のビジネススタイルについて「業界外の一般社会の常識において」考えなくてはならないことであろう。
 このような、ダイビングのビジネスの有り方としての問題は、ダイビング業界と一体となったダイビングマスコミなどの情報操作が成功していることもあり、ごく自然な、安全に関する社会常識が入り込めないという状況になっていることである。

 実はある地域である時期、問題のある講習と、陸上に監視員を置かなかったこともあって、講習中の事故で講習生を死亡させる事故があった。
 これは、地元の行政によってダイビングが禁止されている(と聞いている)漁港に勝手に入って商売をしていた某ショップのオーナー(某指導団体のコースディレクター)が、パートタイムの、経験が浅く体力もないと思われる女性インストラクターを初心者につけて、ウェットスーツでの学科しかやらず、またプール講習も行わずに直接海域に連れて行ってドライスーツでの実習を行ったときに起きた事故である。人数比1対1でも講習生を救えないというのは、人命を預かるプロとしていかながものであろうか。そしてこのようなインストラクターを認定したり、このようなインストラクターを講習生につけて、自らは他の客の相手をしていたということはいかがなものであろうか。私の個人的感想としては十分な納得は、また得られていない。
 これは、事故を防げなかったインストラクターも、自分が真に人の命を預かれる技量もないままにインストラクターと認定されてしまったことで、自分がインストラクターと思わされてしまった人も、ある意味不幸ではないかと思われる。
 この講習生の場合、講習初日はトラブルがあって途中で中止しているほどだった。しかしこの状況でも、事前にプール講習も行わず(ショップの責任)、ウェットスーツでの学科講習のみでドライスーツの専門学科を行わないままの実習が危険であるということを説明・説得して、この実習を中止する権限と責任のある業者側は中止としなかった。この場合、危険の度合いを判断できるのは、インストラクターやコースディレクター側であるので、その責任と権限の上に中止すべきではなかったかと思われる。

 事故発生のとき、この女性インストラクターは自ら独力でただちに事故者を陸に引き揚げられず、幸運にも釣りをしていた人のゴムボートに助力を得られたので引き揚げられている。
 残念ながらこの講習生はしばらく後に死亡した。
 この事故は私が知る限り新聞報道もされていないので、現時点ではこれ以上の詳細は公開を控えることにする。(このショップのオーナーをコースディレクターと認定している指導団体はこの事実を当然ながら知っているが、事故の事実を公開して多くのインストラクターなどに事故防止を訴えた形跡は、私の知る範囲に限られてはいるが、それはなかった。またこのコースディレクターは、指導団体の方針なのか、調査当事、またコースディレクターのままであるようである)

ダイビング事故はなくならないのか

 レクリエーションダイビングのビジネスにおける問題点、あるいは「基準」自体の欠陥や過失は、「ダイビングでなら死んでもいい」とは思っていない人でも死に追いやることもあり得るのである。海における自己責任とは、海の危険を知っている、ましてやそれを営利目的の”安全な”レクリエーション商品として販売している側が先に果たすべきものである。商売として、商品として人の命を奪いことにも繋がりかねないダイビングビジネスの社会的問題は、業界のコントロール下にない新聞などで大きく取り上げられるべき問題ではないだろうか。

 ダイビングを、人生の彩りとしてのレクリエーションとして愛する、現役だけでも数十万人もの一般のダイバーの人々(多くの場合、彼らは「ダイビングで死んでもいい」とは思ってはいない)のために、資格商品や上納金に類似したビジネスシステム利権で成り立っていると考えざるをえない業界の「一般社会常識への同化」のために、一般マスコミによる啓蒙活動や、適切な条例ないしは法律制定にむけてのキャンペーンがなされるべきであると望むのは自然であろう。これを拒む者は、一般社会の保護を受けながら、一般社会からの客である消費者の安全よりも、またダイビングの素晴らしさからの感動の展開よりも、この利権を保持することに比重を置く立場の者だけだと言えるのかもしれない。

 ダイビングではこれまで数百人も死亡している。その中の大多数が「ダイビングでは死にたくない」と思っていたことであろう。
 このような悲惨な状況を生み出しながら、それでもこの実態を隠さないと、この利権システムは成り立たないのであろうか。これがダイビングという「感動ビジネス」の中に、取り返しのつかないほどに深く根を張っているのだろうか。事故が起きるたびにこの考えが頭をよぎり、このような中、「利権システム」よりも「感動」と「安全」のために懸命にがんばっている優良業者の苦悩を考えざるを得ない。

 なぜ一般社会は、またジャーナリストは、この問題を深刻に受け止めないのだろうか?

 ダイビングの事故の場合は、一瞬の油断や欠陥のある潜水計画、そして「基準」の欠陥、そして未熟なダイバーを大量に生み出しながら、一人前の「ダイバー」だと誤認させて利益を得る業界システムがある。またこういった中で事故を防げ得ない未熟なダイバーがインストラクターと称するための「ライセンス」を販売して利益を得ている業界システムがある。そしてそのほとんどが「ダイビングでなら死んでもいい」とは思っていないだろう一般の消費者が、この業界システムが生み出したとも言えるかもしれない、一瞬の油断を生み出す構造によって死亡となったり、あるいは一生涯の障害を負っているのである。
 これに加えて、これらの犠牲者より、この犠牲によって苦しんでいる遺族たちの数ははるかに多い。そしてダイビングビジネスのリスクとリスクマネジメントの重要性が、一般社会の常識とかけ離れた「基準」情報によってコントロールされていることで、加害者として、あるいは自らが事故者として苦しんでいるプロだったダイバーも少なくない。

 このようなビジネスを創り出して最も利益を得ている者は、決してこの結果の「自己責任」を取ろうとはしない。彼らは自らのビジネスシステムをいかに守っていくかについての団体はいくつも作っているが、消費者保護のための根本的自浄作用を生み出す団体は作らない。そのように社会に印象付けるようにイメージを作っている団体は作っているが、社会はこの実態に気づいていない。
 こうして、申請料の問題や、「基準」の根本的な欠陥を正そうという動きは、私の知る限り存在できないのである。

 このような実態があるのにもかかわらず、ダイビングビジネスの実態をした上でこれを正して健全な発展を促すような社会的な注目がないことから、少なくともこのビジネスに関係して、命を失ったり、生涯に渡る苦痛に苦しむ人々の数は、一瞬に社会的信頼を失った各種食品の問題より深刻な数のまま推移している。

 ダイビングを愛する一般ダイバーやプロダイバーで安全を考える人々は、より楽しく思い出深いダイビングのためにも、事故の教訓をぜひ生かして欲しい。

 最後に、自らを鍛えながら、日々勉強も怠らず、ダイビングの健全な発展のためにがんばっている末端の優良プロダイバーと優良業者の方々、そして高い意識をもった上でダイビングを行って、その文化を担っている一般ダイバーたちにこそ、正しい評価が得られる時代が来ることを願って止まない。


平成15年4月14日

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