インストラクターの有罪判決確定に思う


 あるインストラクターが講習中に死亡事故を起こし、その有罪が確定しました。 
 ”いつものように”、インストラクターが講習中に講習生を”見失って”、他の人によって発見されたときにはその講習生は既に亡くなっていた、という事件でした。これまで何度も何度も繰り返されてきたパターンの死亡事故です。
 事件の内容や判決は新聞などで報道されていないのでこれ以上具体的には書けないことをお許しください。

 この有罪となった人は、”よくあるように”、誰もがよく知る「指導団体」のインストラクター資格を買って講習を行い、その「指導団体」の利益に貢献していました。そしてその人は、その「指導団体」の看板の下に、その基準(一種の掟)の支配下で講習を行い、その任意資格が保証しているインストラクターとしての能力という役務商品の欠陥によって将来ある人を死に至らしめたのです。

 このインストラクターは、その能力という『役務商品』(この最低要求性能は、講習生やガイドされる消費者を危険にさらさないことにある)ににおいて、消費者の安全を守れない「欠陥商品」だったのです。
 この「欠陥商品」の製造・販売、及び販売後の「欠陥商品」の活動で利益を得ていたのは「指導団体」であり、その販促に貢献していたのは、一体となって業界の拡大と現状の固定を望んでいた組織や人々などです。


 インストラクターが講習生を”見失って”しまっては、どんなに”えらい”インストラクターでも、卓越したダイビングビジネスのブランド名があっても、トラブルが起きたときに対処はできません。それ以前に、トラブルが起こったことすらわからないのですから、インストラクターは死に瀕したトラブルにあった講習生を死ぬまで放置していることになります。あるいは簡単なトラブルであっても、そこからの脱出や解決に手を貸さないことで、そのトラブルが深刻化して、補助があれば何ら死ぬこともなかった講習生や一般ダイバーがむざむざ死に至らしめたと言うこともできます。
 もっとも、”見失って”いなくても、目の前の講習生のトラブルに対処できず、ただおろおろしたり、救助の手を出せずに静観しながらおとなしくなる(時に死亡)まで待っているインストラクターたちもいるので、問題の根は暗黒的な深さがあります。

 「指導団体」は、自ら販売した「役務商品」によって講習生が死んだことを知っています。しかし私の知る限りにおいて、ここ数十年、一度も彼らはこういった「欠陥商品」のリコール(即刻全資格購入者の認定を取り消して再教育をし、その各認定商品の品質をチャックして、契約どおりの品質を達成する)を行っていません。
 昨今のガスストーブの問題でも、メーカーは情報を開示し、その回収や修理に全力を挙げています。マンションなどの問題でも、認定の元締めたる国は、人的被害を未然に防ごうと、さまざまな意見があっても、まずは人命にかかわるということで積極的に責任を負う姿勢を見せています。三菱ふそうの問題でも、メーカーは大きな社会的制裁を受けた上に、リコールを行っています。

 たしかに、何百人も亡くなっている(100%がダイビング産業の責任ではないですが、平成15年では、その死に業界が70%以上の確率で係わっている)ダイビング産業で、いまさらリコールをしても、これらの人々が生き返る訳ではありません。しかしそれでも、これから死ぬだろう人数を減らすことは確実にできるはずです。

 なぜ、これをしないのか。
 社会的責任経営という、社会があっての企業という立場ですべきことをどう考えているのか。

 ダイビング業界は階層的事業構造を取っています。
 「指導団体」が頂点に立ち、「指導団体」が決めた事業基準に従属してその看板(ブランド)とその「指導団体」製の教材や各種グッズなどの提供を受けて事業を行うショップやインストラクターが底辺を構成するピラミッド型になって一つの事業ユニットを形成しています。
 各「指導団体」は、このユニットを利権、あるいは勢力範囲としていかに大きくしていくかを競い、時には共同の利益(認定事業=Cカード発行利権の維持拡大など)のために有力ユニット同士の連携を取っています。
 つまり「指導団体」は、事業ユニット全体の、事実上の支配者、あるいはその構成員達の使用者と言えるのです。

 「指導団体」の基準とは、事業のやり方を「指導団体」が一方的に決めたやり方で行うように、その配下に入ったショップやインストラクター(インストラクターの資格を買って(認定を受けて)も、年会費を支払って「指導団体」の指導や監督の下に活動しないと、その資格の名前で。つまり看板を使って事業はできない。)に強要する掟のことです。そしてインストラクターたちは、彼らの事業活動から「指導団体」に送金するという金銭の流れによって「指導団体」と直結していることで、直接的な支配・指導を受ける立場にあります。また彼らがインストラクターという立場で事業を行うことを保証されるには、直接に「指導団体」に会費を支払って活動を保証されるという、地位の付与がなされることが必要です。昔の幕藩体制で言うと直参の資格ということです。これがあって、初めて階層的事業構造の中にあるショップに入ったりフリーのインストラクターとなって、「指導団体」の看板の下の講習やガイドという事業が行えるのです。ただしインストラクターという資格は任意のものに過ぎませんので、業務で潜水を行う場合には、いかなる形態であっても、国家資格である潜水士の資格は不可欠です。これがない場合は違法行為となり、送検や罰則の対象となります。
 「指導団体」の掟(基準)ともう一つの特色は、中間組織(ショップ等)や末端のインストラクターが「指導団体」の看板(ブランド)で事業活動を行うと、そこから「指導団体」に利益が集中する(時に上納金的な印象を強くする。)仕組みを伴っていることです。
 そしてこの掟(基準)にさからった会員は、除名という処分を受けることもあり、それはその「指導団体」の看板使用権やそのブランド商品の供給ルートを絶たれ、その事業ユニットから排除されることになります。そうすると、外されたショップやインストラクターは、他の「指導団体」の事業ユニットに入ってその掟(基準)に従うか、あるいは独立して、自分だけの「指導団体」を宣言し、独立(孤立)した事業ユニットを作ることになります。

 インストラクターという、消費者の命にかかわる「役務商品」の品質の高低や欠陥の有無は、消費者にとって、それこそ命にかかわる重要な要件です。
 しかしご存知のように、「指導団体」やダイビングマスコミでは、この品質のばらつきによって、毎年多数の消費者が死に、あるいは重度後遺障害を負っている情報を隠しています。そしてどのインストラクターも、インストラクターなら工場製品のように、統一した安全品質を持ってるかのようにイメージコントロールを行っています。これは消費者(講習生やガイドを受ける一般ダイバー)に対して、「指導団体」の看板の下の事業活動という役務商品への「信頼」の流布、つまり黙示的な品質保証を行っていることになります。またこれは、ダイビングの危険を軽視する、あるいはそれを自分の問題を考えないように、「正常化の偏見」を植え付けることにつながっています。
 その講習のテキストにも、またダイビング雑誌などにも、講習生やガイドを受けるダイバーに対して、「インストラクターの指示には従うように」とは書いてありますが、「欠陥商品であるインストラクターの見分け方」や、「欠陥商品には気をつけるように」という、消費者にとって不可欠の重要な警告は書いてありません。これが消費者の死を予防する警告であるにもかかわらずです。つまり植えつけた「正常化の偏見」を、誘客のために商業利用しているのです。
 ダイビングより致死性が二桁低いと考えられている、国家免許である自動車免許の取得や更新に関しては、国家の公的機関ですら死の危険をいやというほど警告しているのですから、致死性が高いダイビングを商売として任意資格を販売しているダイビング業界が命にかかわる真実を開示しないというのは大変な社会問題です。

 ダイビング雑誌で、ダイビングをテーマにしたテレビ番組で、旅行雑誌やガイド本で、そして講習のテキストで、このような誠実な情報公開と正しい警告を行わない結果生じた消費者の死にさえも、「ダイバーの自己責任」という責任転嫁を行うためのイメージコントロールを行うビジネスシステムは、いったい何人の”普通の人の死”があれば正常化するのでしょうか。そしてダイビングにかかわるあらゆる組織の役員名簿に見るダイビング業界の支配層の浸透は、いつその影響から逃れ得るのでしょか。

 昨年は、著名な人に「指導団体の努力のおかげで事故が減った」などと雑誌に書かせたりする手法を用いて社会に対して情報操作が行われていました。またその極めて強い影響下にある学会などでも、ダイビング業界の支配層の人々を登場させて講演などをさせ、事故はダイバーの自己責任だというキャンペーンを行い、何年にも渡って司法の場で事業者の責任が問われている事実を無視し、人命を損なう可能性が高い「欠陥商品」の販促に一役買っている状況がさらに顕著に見られていました。
 こういった宣伝活動(プロパガンダ)の背景には、有力政治家の影もあり、その洗脳から開放されるためには、身近なダイバーの死に直面するというショック療法に相当する現実に直面するか、自らの脳で、情報の整理と再構築という作業を行い、世にある大半の”ここちよい”情報から、世に僅かしかない”必ずしもここちよくない”情報を常に注視しておくという、思考の独立が必要となってきます。ある意味で大変です。

 まもとな講習すらできない(さらに意図的に手抜きを行う。時には露骨なほどに。)者がインストラクターとして”活躍”し、そのようなショップが繁盛し、マスコミがそれを後押しし、そうしてその事業から”上納金”を吸い上げで階層的事業構造のトップに君臨する者が最も繁栄するという階層的事業構造によって、このような不十分な環境で一般ダイバーとなった者がやがてその階層的事業構造の中でインストラクター資格を購入し、階層的事業構造を構成する一部となってまた同じようなことを行っていくという「負の連鎖」のサイクルは、とてつもなく大きな社会問題ではないでしょうか。
 
 このビジネスシステムで成功した方々が裕福な生活を楽しんでいる費用を一時的にも返上し、階層的事業構造の構成員に手抜き講習をやめさせ、「欠陥」インストラクターを再教育させるか資格取り消しをすることは、安定した社会があってこそ生かされているビジネスであるダイビング産業が、その立場における社会的責任経営という意思すらあればできるのではないでしょうか。
 海の清掃やゴミ拾いという行為は尊い奉仕活動ですが、その産業がもたらしている人名の危険や毎年必ず消費者(ダイバー)が死に続けているということの本質的解決にはならないのではないでしょうか。

 

 つらつらと述べてきたことなどを整理してみます。

 1.「見失う」という致死的過失行為は、インストラクターが事故を起こすパターンとして定着している。

 2.インストラクターという存在が販売しているものは、その能力という「役務商品」である。

 3.「役務商品」には、オープンウォーター資格などのCカードの認定という”一連の作業”を含む。

 4.過去から現在に至る「役務商品」には、「欠陥商品」があまりに多い。

 5.「欠陥商品」を製造販売しているのは「指導団体」であるが、これまで彼らは「欠陥商品」のリコールは行ったことがない。

 6.ダイビングビジネスとは、「指導団体」を頂点としてピラミッド型の階層構造をとる事業形態を一事業ユニットとしている。

 7.階層的事業構造を構成する構成員(インストラクターなど)は、「指導団体」と直接的な契約(「指導団体」による会員という地位の保証)によって契約的金銭的に結びつき、またその事業活動の結果の認定作業には、「指導団体」と看板(ブランド)と構成員の氏名の同時並列でCカード(認定証)を発行することで一体であることを明示し、かつその行為を行う名目で、構成員を代理人として消費者(講習生)から”申請料”という金銭を徴収させて送金させるという密接な関係にある。

 8.「指導団体」は、構成員の事業活動を支配・指導する基準に構成員が従属するように要求し、それに反した場合には自由に関係を絶つ(除名などで事業の自由や生活権を脅かす。)という卓越した地位を背景に、階層的事業構造の頂点に君臨している。

 9.「指導団体」は、その役務商品(構成員の能力など)の品質を、初級の講習のテキストなどから疑う要素を除き、その品質のばらつきや致死性の情報を非開示とすることで均一の高い品質を明示したりあるいは想像させ、明示的、黙示的な品質保証を行っている。

 10.「指導団体」などは、消費者が「正常化の偏見」を持つように誘導し、その浸透を商業利用することによって誘客を効率的に進めている。

 11.こういった一連の作業は、イメージコントロールという業界全体の戦略によって行われている。

参 考


平成18年1月11日

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