私自身の事故の例


 それではここで、私が遭遇した事故の実例を紹介します。詳しくは私が出版した「新版 誰も教えてくれなかったダイビング安全マニュアル」と「ダイビング生き残りハンドブック」(太田出版刊)をお読み下さい。

 '93年の夏、私は17年ぶりの外国旅行として、ハワイに行くことになりました。そして、せっかく行くのだから南の海でダイビングをしてみようと決めて、そのために、6月に東京の新宿区にある「B」というダイビングショップのスクールに申し込み、そこでCカードという認定証を取りました。さらに、7月30日に出発するときまでに、実際の海を体験しておこうと、その間、2週間おきぐらいのペースで、江の浦というポイントで実際にファンダイビングも行ないました。
 出発の前に、「B」でハワイでのファンダイビングに適したショップについての相談をしたところ、PADIの5(ファイブ)スターの資格を持つ、「SOUTH SEAS AQUATICS(サウス・シーズ・アクアティクス・・・日本人中川氏経営)」(SSA)という、ショップを紹介してくれました。そこで、「B」経由で私のダイビングの技量(OW<オープンウォーター>)と、その経験数・体格その他などを書いた申込書をファックスで送り、その上で先方の了解をもらって、事前に、規定の申込み金を払い、勇躍ハワイへと旅立ったのでした(この申込み金はたいていの場合、紹介したショップの紹介料になります)。
 私は、ホテルからSSAの車でピックアップしてもらい、マヒというダイビングポイントに着き、SSAのダイビングボートで現場に向かいました。そして、ハワイ時間の午前10時すぎから、ボートの上で日本人インストラクターによるブリーフィングがはじまりました。

事故に遭遇した時のサウスシーズアクアティクス(S・S・A)のダイビングボートの写真
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 彼はこのように言ってきました。

 「タンクの残圧が1500になった時点(アメリカ式のメーターではタンク圧の表示が3000で日本の200に相当します)で潜水活動を停止し、浮上の行動に移ります。したがって、水中で私が残圧のチェックをしますから、みなさんのゲージをはっきり見せてください」

 私たち、この日ファンダイビングをする人たちにこのように指示をした後、彼は日本人の若いマスタースクーバダイバー(MSD)という資格を持つ上級ダイバーを、私のバディとしてつけてくれました。
 そして、10時30分から潜水に入りました。
  このときの海の状況は、波もなく、私のような経験の浅いダイバーにとっては、申し分のない状況だったと思います。ダイビングの種類は、SSAがダイビング用に沈めた船を使っての「沈船ダイビング」でした。
 私は、インストラクターとバディについてダイビングをしていました。やがて、インストラクターによる残圧チェックがあった頃には、私のタンクの空気の残りも半分を切っていました。私は、タンクの空気圧が気になっていたので、このタイミングにはホッとし、そして私のゲージを確認していったインストラクターに、バディと共についていきました。
 私の残圧は、このときすでに1500を切って1000そこそこだったので、それをつい先程チェックしたインストラクターが、当然今は浮上のための行動を取っているものと信じていたのです。
 この残圧のことは、事故による入院中に私が電話で彼本人と話しあって、彼自身、そのときの私の残圧が1500を切って1000そこそこであったことを、水中で確認したと認めました。ただ、彼は、あのときこう判断したと言うのです。

  「あのとき、たしかに残圧が半分以下になっているのは分かっていたけど、べつに平気だと思っていた」と。

 これは何を意味するのでしょうか? ブリーフィングでの指示を守って、はっきりとゲージを見せ、その後にも勝手な行動を取らずに、インストラクターを信じ、彼についていった者、つまりダイバー本人と、周りに迷惑をかけないように義務を果たした者に対しての責任を放棄、つまりサボタージュしていたことになります。

 初心者の自分は、PADIの講習でいやというほど言われ、またこの時のインストラクター(ガイド?)からも言われた「指示にしたがって下さい」という金科玉条を守り抜くことこそが自分の生存の手段と信じ(させられてきた)てきましたが、同行のバディのMSDにゲージ(空気の残圧を示している)を見せて空気の激減を示しても、結果的に無視され、実際は安全への配慮はなかったのでした。その後も、異常に速い空気の減少により、自分は水深20m以上のところでエア切れになった私は、溺死するか潜水病で障害を背負っていく人生を歩むか、そのリスクを覚悟で、自分の判断で緊急浮上を行いました。
 かろうじて命が助かった私は救急車で病院に運ばれ、入院となりました。

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入院中の私
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 病院には事故の直接の原因となった、「注意義務を放棄」したインストラクターがついてきていて、病院に私の事故の状況を説明していました。ただ、このとき、どういう理由からか、私がOWのダイバーだと知っていたのにもかかわらず(だから彼が私のバディとして、技量が上のMSDをつけた)、私のことを、私が救急治療室で酸素マスクでしゃべれないのをよいことに、「彼はMSDだ」とウソの説明をしていたのです。私はその光景を見、彼の話している内容聞いていました。私はしゃべれない状況だったのと、はっきり言ってそれどころではなかったので、不思議に思いながらもその時は深く考えていませんでした。
 今にして思うと、これは後で責任逃れをする口実だったのです。なにしろこの後、このインストラクターは、一度も病院に顔を出さなかったからです。
  つまり、MSDほどの技量の持ち主だから、インストラクターのサポートなど必要でなく、すべてこの事故者当人の責任なのだ、と言うわけです。
 その後、私が弁護士を通じてこのダイブショップSSAと交渉したところ、彼らは、「一切の責任は、中田の側にある」と言って、全面的な責任回避をしてきました。しかも、この事故を“なかったことにするために、このショップは、地元の警察にも、外国人である私の事故を届けずに、日本人保護の任務のある日本総領事館に連絡が行くのを防いだのです(後日、日本総領事館は、私の申し出を受けて地元警察に届け出の記録がないことを確認しました。また、私の入院が事実かどうか、記録を調べました)。

 このインストラクターは電話で自分の安全配慮義務への不作為を認め、SSAのオーナーは、SSAのインストラクターの安全義務への配慮が欠いたためにこの事故が起きた、と事故の状況を記したログブックに承認のサインをしているのです。このように自分たちの責任を、一度全面的に認めているのです。つまりハワイにいるうちは、責任の所在について安心させておいて、帰ってしまったら、そんなことは知らぬ存ぜぬをきめこめば泣き寝入りするものと思っていたのでしょう。なにしろハワイは“外国”で、日本人の彼は、日本人がどのような状況で泣き寝入りするかよく知っているでしょうから。

 私が、SSAが、客を呼ぶ営業はうまいが、良く事故を起こしている危険なショップであるという評判が同業者の中で高いことが分かったのは、自分がこのような目に遭って、「何故?」の疑問をもって調査を始めてからでした。

 SSAはPADIの規定にある、事故を起こした時の報告を、当然ですがPADI本部にしておりませんでした。その本部は私からのPADIへの問い合わせで事故の当事者からの連絡があっても、事故の事実積極的にを確認しようとせず、つまり、それが”PADI5スター”の看板の内容でした。

 これ以降の彼らショップとPADIの対応は、「知らない」「記録に無い」「不在です」そして「責任はない」でした。

 医療費の約70万円についても、当然ながら彼らは自らの事業賠償保険で対応しませんでした。私が自分で入っていた保険会社に日本で保険会社に請求して、何とか病院からの請求を払いました。
 ところで、SSAはダイビングができなかった2本目の僅かなダイビング代についても払い戻しをしておりません。

 これがダイビングで事故に遭った時のPADI5スターのダイブショップの対応の一例で、私の実際の体験です。

 

帰国してから1ヶ月飲んでいた薬入れのラベル
薬の色は毒々しいくらい真っ青だった。
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