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「にぎやかなマイホーム」 


     1.嵐の前のにぎやか

 「俺もこれでやっと一国一城の主だな」
 新築のマイホームを眩しいものを見るように見つめ、父はそう言った。その見つめる先に「仁木谷」と書かれた真新しい木彫りの表札が掛かっていた。
 「やっと長年の夢が叶いましたね」
 父の側に寄り添いながら母が言った。
 太陽がすぐ側にあるような錯覚を覚える強い日差しの下、二人とも玉の汗をかいている。ご近所へ引っ越しの挨拶回りを終え、戻って来た我がマイホームを改めて見上げていたところだった。

 真夏は北海道でもやはり暑い。特に盆地の旭川の日中は蒸す。仁木谷家はそんな真夏のお盆休みを機会に新しい我が家への引っ越しを敢行していた。
 長年営林署の上川管区で勤め上げ、こつこつと貯めたお金と退職金の前借り金で、父は念願の一戸建てを建てた。営林署に勤める父の都合上、道内の田舎ばかりに転勤を繰り返した仁木谷家は、いつの日にか都会に定住することを家族の一致した夢としていた。ここ、北海道第二の都市「旭川」に遂に我が家が建ち、仁木谷家は大変ながらも胸躍る気持ちで引っ越し作業をしていた。

 「今晩から陽子達が来ますよ。手伝いもかねて2、3日うちへ泊まってもいいかって電話がありました」
 「うむ、今度からは千客万来だ。それに旦那の義昭くんが来てくれれば渡りに船だ」
 格言や故事、四文字熟語の類が好きな父はそれらを散りばめながら話す癖があった。
 「まあ、私じゃ役に立たないと言いたいの」
 その会話に末っ子の友子が割り込んできた。友子は今朝からこの家の引っ越しの手伝いに来ていたのだ。なれない力仕事に着ていたTシャツにうっすらと汗をにじませている。
 「そうは言ってないだろ、力仕事にはやっぱり男がいないとな。男子厨房に入らず、女子重たい荷物は持てず...誰からだ?」
 「あ、そうそう。東京の博史兄ちゃんからよ」
 そう言って友子はタオルで額の汗を拭いながら持っていたコードレス電話を父に手渡した。

 仁木谷家は父と母と長女の陽子、長男の博史、そして末っ子の友子の5人家族である。
 今晩から泊まりに来るという長女の陽子は、須郷義昭という会社の同僚と職場結婚して今は札幌の義昭の実家に同居していた。半年ほど前に女児が誕生し、遠くまで出かけることはしばらく控えていたのだが、子育てにも慣れ、最近買ったマイカーの試乗も兼ねて旭川の仁木谷家まで手伝いがてらその足を延ばそうということになった。
 末っ子の友子は同じ旭川市内にアパートを借りて一人暮らしを始めた成り立てのOLである。旭川短大を卒業して、この春から建設機器のリース会社へ勤めている。末っ子なので姉からも兄からも可愛がられ、そのせいか子供のまま大きくなったような子だった。会社の夏期休暇の間、引っ越しの手伝いにかり出されていた。
 長男の博史は大学時代から親元を離れ、今は東京で働いている。北海道での就職活動が思うようにいかずそのまま東京に就職口を見つけた。Uターンに失敗したが、今では本格的な電機技術者を目指し、そのまま東京に居座ってしまった。
 お盆休みの長期休暇を利用してめいめいが手伝いと帰省を兼ねて続々と集まろうとしていた。

 「お兄ちゃん何だって?」電話を切った父に友子が聞いた。
 「やっと飛行機の切符が取れて、博史はあさって来れるそうだ」
 「へえ、よくこのドタバンで取れたわね」
 「馬鹿者、それを言うなら『土壇場』だ。そもそも土壇場とは首を切る刑場のことであってだな...」
 「ねえ父さん、父さん、お兄ちゃん恋人連れて来るって言ってなかった?」
 父の説教が長く始まりそうなのであわてて友子は話題を切り換えた。
 「あら、博史にやっと彼女が出来たのかい?」母が目を輝かせて聞いてきた。
 「それじゃあ布団が足りなくなりますね。陽子に友子に博史に義昭さんに...」
 母は指を折って布団の数を数え始めた。
 「まてまて、そんなことは何も言っとらんかったぞ」
 「違うよ、ちょっと聞いてみただけだってば」
 「なんだ、おどかさないでちょうだい」
 母は折った指を元に戻して少しがっかりしている様子だった。
 「しかし博史ももう25になると言うのにいつまでものほほんとしやがって。先の事をちゃんと考えているのかな」
 父はそう言いながら腕組みをして考え込む素振りを見せた。しかし頭の中はがらんとした庭先にどんな植木を植えようかと考えていた。
 「あのね、うちの会社の『よっちん』がね、お兄ちゃんのこと『かっこいいね』だって」
 「『よっちん』ってお正月に遊びに来てた子? たしか美子さんっていったかしら?」
 「そう、その美子がお兄ちゃんのこと気に入ったみたい。『友子のお兄さんて美形ね』だって。また遊びに来たいって言ってたよ」
 「まあ、それじゃあ博史がいる内に一度遊びに来るように呼びなさい、博史には願ってもない話ですよ。そうするとやっぱり布団が足りなくなるわね、陽子に友子に博史に義昭さんに...」母は再び指を折って数の計算を始めた。
 「あなた、やっぱり布団が足りませんよ」
 「じゃあ博史には座布団でも出しとけ。実家の一大事、いざ鎌倉と言うときに呑気にしおって、あの放蕩息子め」

 夕方、日が暮れてから札幌の陽子夫婦達がマイカーで訪れた。生後6ヶ月の赤ん坊を抱いて陽子が車から降りてきた。
 「母さん、おなか空いた。なんか無い?」
 「まあ、こんな時間まで何も取ってこなかったのかい」
 「おい陽子、開口一番『おなか空いた』は無いだろう。だいたいおまえは母親としてのだな...」
 「姉さん、義昭さん、お晩です。べろべろばあ」
 再び父の説教が始まりそうなのを友子がインターセプトして止めた。こういった父をあしらう役割はいつも気が利く友子と決まっている。言うまでもなく、友子の「べろべろばあ」は姉の抱いた赤ん坊へ言ったものである。
 「ほら、もう首もすわったのよ、ねえ文美ちゃん」
 そう言って陽子は腕に抱いた文美を乱暴に揺すって見せた。「これ、やめなさい」と言う母の言葉に反して文美は「キャッキャッ」と喜んでいた。
 「これはお父さん、お出迎えしてもらって、ご厄介になります」
 車を降りた義昭は杓子定規に深々とお辞儀をして父に挨拶をした。
 「いいや世話になるのはこっちの方だよ。義昭君が来るのを首を長くして待ってたんだ。ああ、車は『松田レンタ』さんにお願いしてあるから、あそこの隅に止めてもらえるかな」
 須郷の家からの送り物や途中で買ってきた酒の肴や鍋の材料など、山ほどの土産を車から降ろした後、義昭は父の指し示した場所へぎこちない運転で車を移動させた。
 近所に業務用の駐車場を持つ「松田レンタカー」は、引っ越しの時にトラックを借りたことがきっかけで最初の近所付き合いとなっていた。とても親切にしてくれて、空いているときには駐車場を使っていいとまで言ってくれた。
 「まあ、そんなにいいのに、そんなお金使うことないのよ。あらウエスタンに行ってきたの」
 母は陽子達の山ほどの土産に目を丸くして言った。
 「いやあ、やっぱりウエスタンは安いわよ」
 「いくら安いって言ったってこんなにたくさん...」
 「おかあさん、ダイコン買いに行かなくて済んだよ。お姉ちゃん良く分かったね」
 コンビニ袋に入った土産の数々を家の中へ運び入れながら友子はちゃっかりとその中身を確認していた。
 「まあ良かった、丁度切らしていたのよ」と母。
 「どうせそんなことだと思ったわ、大根おろしはチューブで売ってないからね」と陽子。
 「おまえも主婦らしくなったなあ」と父。
 「まあね」と陽子。

 義昭はかえって広過ぎる駐車スペースに真っ直ぐ車を止められず四苦八苦していた。しかし何とか収まりが付き、その出来映えを振り返り振り返りしながら戻ってきた。
 「ははは、大丈夫、大丈夫、ちゃんと真っ直ぐだ」
 父がその義昭の様子を見て笑いながら言った。その言葉に義昭は頭を掻きながら照れていた。
 「いやあ、まだ免許取り立てなもんで...」

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