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     2.にぎやかな夜

 父は義昭と陽子を新家の隅々まで案内して回った。
 「まあすてき『木目』で統一したのね、壁も床も、天井までも!」
 「なあ、いいだろう。印刷の壁紙じゃあないんだぞ、本物の木材を張りつめたんだ。この木目がいいんだよ、ほらこの木目なんか見る角度で違って見えるだろ。母さんが言い出したアイデアなんだが出来上がってみるとこれが予想以上にいいんだよ」
 「ほんとだあ...友子がログハウスみたいだと言ってた意味が解ったわ」
 「本当にすてきですね、なんだか自然に囲まれたみたいで不思議と落ち着きます」
 「いつ来ても泊まっていけるように二階の一部屋を義昭君達の部屋としてあるから、これからは気兼ねなくどんどん遊びに来てくれたまえ」
 父は義昭達をその二階の部屋やベランダ、トイレや風呂場に至るまで案内して回った。その間母と友子は奥の和室へ料理やお酒を運ぶのにてんやわんやだった。

 「いやあ、もうほとんど片づいてるじゃないですか。これじゃあボクの出番は無いかなあ」
 家の中を一通り見て回り、義昭は真新しい掛け軸が掛けられた和室へと通された。すっかり宴会の準備が整っていた。
 「大物の家具がまだなんだよ、あした届くんだけどね、タンスが二つと食器棚と。まあ今日は明日に向けて大いに英気を養おうじゃないか!」
 父が義昭を待ち望んでいたのには、引っ越しの手伝いよりも酒の相手としての方に重きがあった。友子も母も酒はぜんぜん飲めない。長男の博史が東京へ行ってから仁木谷家は女系家族の状態がしばらく続いていた。父にとって義昭は酒を酌み交わす久しぶりの相手であった。
 「陽子は色々世話焼かせたけど、こんな良い旦那を見つけたんだから全部帳消しだな」
 「うわあ、今の言葉は僕には荷が重いですねえ」義男が大げさに照れて見せた。
 「いや、そんなことはないよ。ボクはね、自分の家を建てるのと、その家で息子とこうして酒を酌み交わすのが夢だったんだよ。それがうちの博史は東京へ行ったきりだしその上に下戸ときたもんだ、はははは。ボクの夢を叶えてくれたのは義昭君が一番乗りだ」
 「聞けばお父さんはかなりの酒豪だそうじゃないですか、残念ながら私はそんな強者に太刀打ちできるほど強くはないですよ」
 「なあに大丈夫、やっぱり若さにはかなわないよ。さあ始めようか」

 新居が木目で統一されていた事がきっかけで山の樹木の話題に花が咲いていた。父は営林署で勤めているせいもあり樹木の話は自ずと長くなってしまう。
 「これは昔世話してあげた製材所が新製品開発に作った試作品なんだ」
 そう父が言うのはよその家では手に入らないようなボーリングのピンだった。塗装される以前の木目が分かる段階のものだった。
 「昔のボーリングのピンは生木を削り出していたので良く折れたものさ。今は合板にして強化しているからなかなか折れない。大体、ボーリングのピンが木で出来てるなんて普通は気づかないようだな。そして、このお盆はエゾ松だな、このテーブルは楢」
 その父の説明に一々「へえーっ」と驚いてみせる義昭だった。
 「そしてこの壁は、えーと、これはカバかな?...おい友子、ちょっとあれ持ってこい、あれ」
 盛り上がった樹木の話に、父はいつもの「あれ」を取るよう友子に言った。
 「うん、あれね」
 友子には「あれ」だけですぐ「それ」が判った。父の言う「あれ」とはこういった樹木の話題の時に必ず持って来いといわれる「森林百科」という図鑑であった。長年の父の愛読書とでもいうべき本なのだ。
 「ほら、やっぱり壁はカバの木だ。おそらく端材をスライスして壁材にしたんだな。この柱は松、北海道で家を建てるなら北海道で採った木材を使うのが一番。その土地の気候に合った育ち方をしてるからな」
 父はその図鑑と見比べてその材質を一つ一つ確認した。
 「木にはそれぞれに合った使い道があるんですね」
 「そうだよ、床材としては桂、火に強い桐はタンス、工芸用にエンジュや楠、割り箸やマッチ棒にはシナ、樽や桶にはサワラ、虫に強い樅は棺桶と言った具合だ」
 陽子が母に赤ん坊の世話の仕方で相談を持ちかけ、二人で話し込んでいる。一人話題から取り残された友子は父の愛読書を久しぶりパラパラとめくってみた。その本の中に友子の目に止まる一行があった。
 「ねえお父さん、これどんな柿の木? アトガキって」
 「アト柿? それはだな...ばか、それは木の名前じゃなくて『後書き』だろ。全く、おまえのおっちょこちょいは母さん譲りだな」
 「ありゃ」と友子。
 「まあお父さんったら、私を引き合いに出すことはないでしょ。私がおっちょこちょいに見られるのはいつもまめに働いているせいですよ。友子の天然なのとは違うんですよ」と母。
 「母さんまで!」と友子。
 「そうよ父さん、友子のはね、おっちょこちょいじゃなくってすっとこどっこいなのよ」と陽子。
 「陽子姉ちゃん、ひどーい」と友子。
 「まあまあ、おっちょこちょいでもすっとこどっこいでもあんぽんたんでもとんちんかんでもいいじゃないですか、あははははは」と義昭。
 「お兄さんまで!」と友子。
 にぎやかな家族の宴は夜の12時頃まで続いていた。

 みんなが寝る前に明日の算段となった。
 「私は文美ちゃんの世話で忙しいから当てにしないでね」
 「大丈夫、最初から当てになんかしてませんよ。当てにしてるのは義昭さんですよ」
 そう言って母は視線を義昭の方へ向けると彼は真っ赤な顔をして、壁にもたれて寝ていた。眉間にしわを寄せ、フーフーと苦しそうな息をしている。
 「あちゃー、旦那、こりゃあ明日はだめだ」
 「お父さんがあんなにお酒勧めるから...」
 「義昭さん、恐縮しちゃって断れなかったみたいですからねえ...」

 「2階の奥は義昭さんと陽子用にしてありますからね。友子の部屋はここでしたね、夜は寒くなるから窓は閉めなさいよ」
 母の号令で各々眠りにつく準備を始めた。父と陽子と友子の3人でなんとか義昭を二階へ運んだ後、友子は自分の部屋と決められた1階の奥の部屋に寝ることになった。

 「この家はログハウスのよう」
 そう言ったのは友子であった。友子は木目で統一された壁や天井も落ち着いていて気に入っていた。
 母が時々買ってくれるワンピースやセーターなど今まで気に入ったことが一度もなかったので「あんな美的センスで、いったいどんな家が建つのだろう」と心配していた。しかしこの家のデザインは大成功だった。現代風の無機質的な鉄筋コンクリートと違い、この家には住む人に安らぎを覚えさせるものがある。
 <なんてすてきなマイホームなんでしょ。こんな静かな環境で床にはいるなんて久しぶりだわ>
 そんな事を考えているうちに友子はいつの間にか眠りに入っていた。日中の疲れがどっと押し寄せて、友子は普段には無いような睡眠の充実感を感じていた。
 友子のアパートは市内の国道沿いにあり、夜でも騒音と振動が絶え間なかった。その安アパートはエアコンが無いのに夏場の日当たりだけは良かった。その安さゆえ選んだアパートではあったが、晴れて社会人としてスタートを切るには幾分出鼻をくじく環境ではあった。
 それに比べてこの家は正しく天国だった。エアコンが無くても風通しが良く、夜中に走り回る自動車の騒音もない。友子の睡眠を妨げるものなどこの家には何もなかったのだ。

 最初友子は「夢かしら」と思った。騒音には慣れてしまったが、あまりにも静かな環境は逆に小さな音にも敏感になってしまうことがあるようだ。友子が目を覚ます原因となったのは普段なら気が付かない、そんな小さな音であった。
 その小さな音は誰かの叫び声のように聞こえた。
 ...ううーおーっ...
 そんな風にそれは聞こえた。

 <えっ、なに?>
 友子は目を閉じたまま覚醒した。
 <もしかして父さんのいびきかしら?>
 父は確かに奥の部屋で大いびきをかいていたらしいがその音はちゃんと聞き分けることが出来た。窓側の壁から聞こえるそれは父のいびきや歯ぎしりとは違い、明らかに何者かの「声」だった。
 イヤー...

 <うわっうわっ、なにィ、何なの今の?>
 今度は目を開けて、その声のする方へ顔を向けた。その声は真っ暗闇の向こうの壁からかすかに聞こえてくる。友子は自分の耳が犬か猫のようにその暗闇の方へ傾くような錯覚を覚えた。
 ううお...ウオー

 「誰? 誰かいるの!」
 この静寂な夜には自分の出したその声が大声に感じ、友子は自分で自分の声に驚いてしまった。しかしそのその問いかけに答えるように再び「ウオー」と聞こえた時、友子はあることを確信して部屋を飛び出した。そして家中の明かりを点けて回りながら叫んだ。
 「お化け! お化けが出たー!」

ご対面

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