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もしもし、パパ?

    −パパと呼ばないで−
    
 まったくオレはお人好しだ。時々自分でも「いったい何やってるんだ」と思うことがある。
 オレの仕事はセールスマン。人に物を売って成り立つ商売。ターゲットは主に団地の奥さん連中。

 だけど最近の奥さん達は副業を持ってることが多く、売りに行った訪問先で逆にいらないものを買わされたりすることがある。ミイラ取りがミイラ、という奴だ。
 こっちも売りつけようとして訪問した手前、相手の誘いを言下に断れない弱みがある。

 どうやらオレは、特にその傾向が強いようだ。オレのミシンはなかなか売れないくせに、逆に男性化粧品を買わされたり、英語の教材を買わされたり、海産物を買わされたり……だから会社では「バイヤー」と呼ばれるオレだ。

 この携帯電話だってそうだ。
 「ハトメミシンさん? あら、シスターミシンじゃないのね。まあどっちにしたってうちはミシンなんていらないわよ。ささ、そんなことより、ねえお兄ちゃん、この携帯電話どうだい? 機能満載、電池長持ちの新型だよ……なに、もう持ってる? でもなんだい、その携帯は。そんな時代遅れをいつまでも使ってるんじゃないわよ、バックライトが電球じゃないか。最近はイルミネーターだよ……なに? 機能には満足してる? バカ言ってんじゃないわよ。ただ持ち歩くから携帯じゃないのよ。持ち歩くには薄くて軽くなきゃあ。今なら安いわよ。お買い得だわよ」

 薄くて軽いこの携帯、買ったはいいが問題が多い。とにかく音質が悪く、声が別人に聞こえる欠陥品だ。
 この携帯で会社に電話した時に、出た相手を同僚と間違えたことがある。いつもの調子で散々課長の悪口を言った後、相手が課長本人だと気がついた。この時は慌てたよ。なりふり構わずすぐに切ったさ。
 だけど間一髪、オレだとバレなかった。だってお互い様、課長にしたってオレの声だと気づかないほど音質が悪いのさ。


 ところで、この携帯に換えてからの問題はもう一つ、奇妙な間違い電話が掛かるようになったことなんだ。何度間違いだと説明しても次の日また掛かってくる。
 この迷惑な相手はいつも同じ声。受信して最初のセリフもいつも決まっている。
 「もしもし、パパ?」だ。

 オレは独身だからパパと呼ばれる筋合いはない。最初、どこかパブのお姉ちゃんかなとも思ったが、パパ呼ばわりされるほどオレに貫禄はないし、買い換えたばかりで電話番号を人に教えた覚えがない。
 でも、良く聞けば声は子供の女の子。音質は当てにならないが、あの抑揚の少ないしゃべり方から小学3年生程度の子供だと分かる。
 子供のやることだ、単なる間違いだろうと思い、1回目は「違うよ」と言ってすぐ切った。
 ところが次の日にも、その間違い電話はかかってきた。それも几帳面に、掛かってくる時間も同じ、夕方の6時だ。間違いだと言ってやるとすなおに謝るのだが、やっぱり次の日、同じように掛けてくる。

 それが4日も続くと、さすがに何か対策を考えなければならないと思い始めた。
 ――オレの携帯には便利な機能があって、着信が自番号通知ならその番号には応答しない(迷惑電話と登録する)ことが出来る。「指定着信拒否」と言う機能だ。
 相手は、堂々と番号を通知していて、「070」で始まるPHSであることがわかっている。
 さて、この子からの電話を、その迷惑電話に登録することもできたが、か弱い女性がストーカー野郎に泣かされるのならいざ知らず、大の大人が小学生の電話に「困っちゃう」なんて弱気な対応はどうも出来ない。間違いに気づかせて自らヤメさせるように導いてやるのが大人のつとめと言うものだろう。
 そもそも番号を通知してくるのだからイタ電が目的とは言えそうもないし、本当に間違えているのだろう。ただ、懲りずに何度も書けてくる理由がどうにも分からない。
 よっぽど学習しない子なのだろうか。
 相手の番号を知ってるからと言っても、コールバックして「どうして何度も間違えるの?」と訊けない歯がゆさがある。

 オレの携帯には他にも便利な機能があって、着信が番号通知なら呼び出し音を専用のメロディーで鳴らすことが出来る。「指定着信音」と言う機能だ
 この子からの電話には「ミッキーマウスのテーマ」を鳴らしてビジネスではないことを知らせるようにしたのがせめてもの対策だ。


 事務所で帰り支度をしていたら今日もまた掛かってきた。ミッキーのおかげで、今ではすぐに相手が分かる。
 「もしもし、パパ?」
 「またお嬢ちゃんだね。番号間違えてるよ、気を付けなさい。あなたのおかけになった電話番号はパパではありません。この電話は仕事で使うんだから、迷惑になるからね。分かった?」
 「あっ……はい、ごめんなさい」
 「じゃあね」
 ピッ

 オレは電話を切った。
 「全く困った子供だ」としかめっ面をしていたら、その変な表情が気になったのだろう、「バイヤーさん、今の誰からですか? ミッキーの着メロなんて、さては特別の人ですか?」と同僚が興味を示してきた。
 この同僚はオレの後輩で、頭は切れるがセールスには結びついていない。気が弱くて押しが足りないせいだ。オレもあまり成績のいい方じゃないのでこの後輩とは妙に気が合う。
 「特別は特別だけど、こいつは特別な間違い電話だよ。日課のように毎日掛かって来るんだ。いつも決まって今時分なんだな」
 「へえーっ……相手は男ですか女ですか?」
 「女だけど残念でした、子供だよ。おそらく小学生だな。イタズラじゃないようだけど、何回間違いだと教えても次の日また掛かってくるんだよ」
 「なんだ、小学生ですか……まあ、子供のやることだから大目に見てあげないと」
 「子供だと言ったって、懲りもせず、こう毎日掛かって来るんじゃたまらないよ」
 「毎日って、何回ぐらい掛かってきたんですか?」
 「そうだな、今日で丸一週間目だ」
 「一週間! ははは、それだけ間違え続ければ、普通は間違い電話だと分かりそうなもんですけどね」
 「そう思うだろ?」
 オレはその真新しい携帯を忌々しい目で眺めたら、後輩が何か推理を働かせて答えをあみ出してきた。
 「ははあ、それは短縮登録されてますね。何度も同じ風に番号ボタンを押し間違えるはずはないからきっとそうだ。何かの拍子にバイヤーさんの番号が登録されちゃったんでしょう。子供にはその修正の仕方が分からないんじゃないですか」
 「うむ、そうかもしれないな。でもそれが分かったところでオレに打つ手はないし、根気強く間違いだと教えてあげるしかないしなあ」
 「バイヤーさんは人がいいですからね。でもさっきの言い方、子供相手にずいぶんきつい言い方でしたよ。そもそも、なんて言って掛けて来るんですか?」
 「もしもし、パパ? って聞いて来るんだ。オレを父親と間違えていやがる。最近の子供は懲りないからきつく言わなきゃ。親に会ったら子供にPHSなんか持たせるな、と言いたいよ……贅沢だ」
 「ははは、そんなこと言って、実はバイヤーさんの隠し子なんじゃないですか」
 「ばっ……バカ言うなよ」

 オチが付いたところで帰り支度の続き始めたオレだが、後輩はオレの脇に突っ立ったままだ。
 「……ば、バイヤーさん」
 「なんだよ」
 「あんまり狼狽えたリアクション、しないでくださいよ……」


 アパートに帰ってから、オレは部屋中の引き出しという引き出しを開けて回った。弓枝という、かつてつきあっていた女の電話番号を知りたかったからだ。
 やっと見つけたメモで電話を掛けた。
 「はい」と出た相手が聞き慣れた声だったのでホッとしたオレだ。8年間、引っ越しもせずにいてくれて、間違い電話にならずに済んだ。
 「もしもし、オレだけど……弓枝?」
 「だあれ? 私の知り合いに『オレ』さんなんていないわよ」
 懐かしいその声は以前と変わらず皮肉屋だ。
 「相変わらずだなあ。オレだよ、佐山だよ」
 「佐山?……あらっ、徹ちゃん? お久しぶりね。こんな夜に何の用?」
 「突然だけど、おまえさあ、オレに何か隠していること、ないか?」
 「あら。お互い、隠し事するような仲じゃないでしょ。だってもう別れたんだから。……そんな話を持ち出して、いったいどうしたのよ」
 「実はちょっと気になってさ。別れた後、君がどうなったか」
 「さては、未練タラタラなのかしら?」
 「そうじゃないんだよ。お前、オレと別れた後……その、えーと、……ちょっと言いづらいなあ」
 「うーん……悪いんだけど、新しい彼との仲はまだ続いているの。復縁の申し込みなら残念ながらごめんなさい、ね。しかも、この秋には結婚式なのよ」
 「そりゃあ良かった。ホントに良かった」
 「ありがとう。でも、さっきから何よ。遠回しはやめて、気になることがあったら男らしくはっきり言いなさいよ」
 「うーん……じゃあ聞くが、お前、子供生んだこと、あるか?」
 「こどもォ!」
 「実は、オレをパパと呼ぶ子が現れてさ……」
 「あらあら、それに身に覚えが無いと言うのね?」
 「もし本当にオレの子だったら、年頃から言って君とつきあってた頃に生まれた事になるかな、と思ってさ……」
 「ははっ、はははは、はーーーっはっはっはっ」
 「笑うなよ。それがお前の産んだ子じゃないかと思ってさ」
 「あっははははは、心配しなくても大丈夫。あんたのへなちょこ玉になんか当たったりしないわよ」
 「相変わらずだなあ……でも幸せそうで良かったよ」
 「あなたも元気そうで安心したわ。でもあんまりお人好しだと長生きできないわよ。あなたって恋のライバルが出現しても、自分から身を引いちゃう人なんだものね。でも誰かしらね、あなたをパパと呼ぶなんて……」

 彼女の返事でオレの子じゃないことが分かって安心したオレだ。
 いい機会だからここで決意しとこう。オレに子供が出来たら「パパ」なんかじゃなく「お父さん」と呼ばせよう。


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