next  back  modoru  home


    −正体判明−

 今日も会社にいたら、定時過ぎに「ミッキーマウス」が鳴った。
 「もしもし、パパ?」
 「また君か……」

 今日はなんと言ってやろう。
 オレは昨日の後輩の言葉を思い出し、もっと具体的に指摘してあげることにした。
 「――お嬢ちゃん、何度言ったら分かるかなあ。うちへ帰ったらね、短縮登録が間違ってるって、ママに言ってみてごらん。それで本当のパパの番号に直してもらいなさい」
 「あっ……はい。ごめんなさい」
 「じゃあ切るよ。今度こそ頼むよ」
 ピッ

 「バイヤーさん、またですか」
 「ああ」
 「もうそこまで来ると間違いとは言えませんね。間違いどころか確信電話だ」
 「最初は子供のやることだと他愛なく笑っていられたが、今じゃあ悩みの種だよ。この携帯にしてからろくな事がない」
 「相手が分かるのなら出なけりゃいいじゃないですか?」
 「そんなの既にやってみたさ。でも出るまで執念深く鳴り続けるんだ……10分でも20分でも。そして何も言わずにすぐ切ると、オレの声を聞くまで何回でも掛け直して来やがる。ミッキーのメロディーが耳について離れないよ。まったく手に負えない」
 「声を聞けばもう掛けてこないんですか」
 「とりあえず、その日はね」
 「相手は子供ですよね。ストーカーなら日本犯罪史上、きっと最年少ですね」
 「ははっ、オレの相手は団地妻か間の抜けた子供。もっと中間のお姉ちゃんだったらもっと真摯に対応するんだが。……ちなみにオレの隠し子なんかじゃないからな!」
 「おやバイヤーさん、今日はやけに自信満々ですねえ……夕べ何かあったんですか?」


 次の日にも、6時になるとミッキーマウスが鳴った。
 でも間の悪いことに、その日は課内会議の最中だった。オレはスーツの上から携帯を押さえ、こそこそと会議室を出た。
 会議中に鳴るミッキーマウスは、ひんしゅくを買う以上に間抜けだ。課長はこっちを睨んでいたが、事情を知らない同僚達はみんなニヤニヤしながら、背中を丸めて退室するオレを目で追っかけていた。

 「もしもし、パパ?」
 「また間違えてるよ。おうちでママに言ったかい?」
 「まだ……」
 「ダメじゃないか。昨日言ったでしょ、ホントのパパの番号に直してもらいなさいって」
 「でもパパの声だもの……」
 「パパの声? 違うよ、パパじゃないよ。いい加減怒るよ。何度言ったら分かるんだい」
 「でも……」
 さすがに今日は俺の口調もきつかったので、その子は返事が出来ずに押し黙った。
 「もう、いい加減にしてくれないか!」
 「……」

 子供が無言になったので、こりゃ泣き出したかな、と聞き耳を立てたら、受話器の向こうには泣き声の代わりに懐かしいメロディーが流れていた。
 童謡の「カラスの子」がチャイムの音で鳴り響いているのに気が付いた。
 意外にもこの音にオレは聞き覚えがある。だがどこで聞いたものか思い出せない。
 「――おや、お嬢ちゃん、そこはどこ?」
 「……ドラ…ちゃん…公園」
 泣きべそのような声で返事が返ってきた。しまった、やっぱり泣かせてしまったらしい。でももう泣かせたって仕方ないだろう。子供を泣かすのはオレの主義に反するのだが、これを最後に掛けてこなくなるかも知れないし、それならかえって好都合だ。
 しかしオレにはまだ済まされていない別の問題があった。この子が言ったその公園の名前にも聞き覚えがあったからだ。
 「ドラちゃん公園? ……もしかしたらそこは、川崎かい?」
 「うん、そうだよ」
 「!」
 オレは思い出した。以前、川崎で同じメロディーを聞いたことがある。川崎の市営団地にセールスに行った時に収穫ゼロで玉砕した。その帰り道で聞いたこのメロディーがオレの哀愁を誘ったんだ。その時のメロディーがこの子の電話の向こうに流れている。
 しばらくの間、オレにも言葉が無くなってしまった。
 「……」
 「……どうしたの? パパ」
 「パパじゃないよ! とにかく間違い電話は困るから、もう切るからね。じゃあ……」
 ピッ

 「バイヤーさん、またあの子ですか?」
 会議室に戻ったオレに後輩がひそひそ声で話しかけてきた。
 「ああそうさ。ところでおい、明日いっしょに川崎へ行かないか。この子の居場所がわかったんだ」


 次の日、午前中は事務所でのデスクワーク。午後からは適当に用事を作って(名目はお得意さまへの御用伺いさ)外へ出た。
 先に外へ出ていた後輩と鶴見の駅で落ち合わせ、そこから行動を共にした。
 オレ達の目指すのは川崎。
 以前「鳩目ミシン」シェアー拡大で乗り込んだものの、その団地はライバルのシスターミシンが圧倒的に強く、一台も売ることが出来ずに逃げ帰った因果な団地。その「楓団地」へいざ乗り込まん。
 しかし、ミシンが売れるかは二の次だった。返り討ちになってもそれでいい。オレには別の狙いがあったからだ。
 もしかしたらこの迷惑電話の女の子を見つける事が出来るかも知れない、というちょっとした探偵にでもなった気になっていた。

 川崎駅からバスに乗り継ぎ、団地に着いたのは3時頃だった。毎日つける業務日誌の手前もあって何軒か団地の呼び鈴を押して回った。
 全然売る気はなかったが、こんな日に限って4台ほど買い手が現れた。勢い勇んで一つも売れなかった前回とはえらい違いだ。無欲が生んだ収穫とでも言うのだろうか。
 しかし買ってくれた奥さんから聞いた情報で、理由は意外なところにあることがわかった。ライバル会社の「シスターミシン」に故障が多く、不満を訴える主婦の噂が団地に流れていたからだった。その点うちの「鳩目ミシン」は、機能は見劣りするものの丈夫さだけは天下一品だったので、それを力説したら面白いように売れた、というわけだ。
 こんなナイスタイミングで団地を訪れることが出来て、オレはちょっとあの子に感謝するような気になってきた。
 「先輩、そろそろですよ」
 売り込んだ奥さんと世間話に興じていたら後輩が目で合図を送ってきた。
 しまった、そう言えばもうあの子から電話がかかってくる時間だ。予定外の収穫に時間の過ぎるのを忘れていた。


 団地の前に広がる公園。その公園の隅に鉄塔が建てられ、てっぺんのコーン型スピーカーから「カラスの子」のメロディーが流れる。

 外へ出て初めて薄暗くなったことに気づいた。もういつもの時間だ。団地の階段を掛け下りる途中でミッキーがスーツの下で鳴り始めた。
 「今日も来ましたね」と後輩が言う。
 オレは携帯を取り出しながら、階段の踊り場から身を乗り出して公園を覗いた。後輩もオレに見習って身を乗り出す。
 「楓団地のよい子のみなさん、暗くなる前におうちへ帰りましょう!」
 「カラスの子」が流れるスピーカーに帰宅を促すアナウンスが入る。きっと町内会か何かで子供の風紀向上のために設置したのだろう。
 そんなアナウンスに困ったようにしながら一人の少女がブランコを漕いでいる。その子が手に携帯らしき物を持ち、口に当てている。
 「もしもし、パパ?」
 二階から眺める公園にはその子以外にまだ二、三人遊んでいるのが見えたが、その子達も駆け足で団地へ帰っていく。
 「いつもの君かい? いつも言ってるようにパパじゃないよ。じゃあ忙しいから切るよ」
 ピッ

 オレはまたいつものように叱って電話を切った。
 公園の女の子もそのあとすぐに電話をしまった。しかしすぐまた出してじっと見つめている。
 この子だろうか?
 「あの子ですよね?」
 「ああ……よし、もう一度確かめよう。おまえ、ちょっと電話してみろ」

 後輩の携帯を使って、以前控えてあったこの迷惑電話の主の番号にコールバックを試みる。もしあの子がそうなら、自分のPHSを取り出すだろう。
 後輩がオレの携帯のディスプレイを見ながらボタンを押し、耳に当てる。
 「呼び出してますよ」
 視線を女の子の方に向けると女の子の様子が変わった。はたしてその子はPHSをポケットから取り出した。
 「もしもし」と後輩が言う。
 「はい」と言ったのだろう。女の子の頭が頷くジェスチャーだ。
 「山田さんでしょうか?」
 「ちがいます」と返事したのだろう。女の子の頭が左右に振られる。
 「ごめんなさい、間違えました」
 ピッ

 女の子の頭は斜めに傾いた。
 後輩が電話を切るとその子もPHSをしまった。
 あの子に間違いない。
 「ついに見つけたぞ」


 オレ達は何食わぬ顔で、天気がどうの、気温がどうのと世間話をしながら、こっそりとその女の子に接近していった。
 この団地へ来たときには子供達で一杯だった公園は、今はその子たった一人。薄暗くなった公園で一人、ブランコで遊んでいる。しょげてうつむき、元気がないようだ。
 オレは自分の正体を隠し、その子に話しかけてみることにした。とりあえずこの子の家庭がどんな状況なのか、それとなく聞きだしてやろうと思ったのだ。
 いきなりこの子のPHSを取り上げてオレの番号を消してしまう、なんて強硬手段は選べない。泣き出されて団地中に騒がれては厄介だからな。
 近寄って初めて気づいたが、この子は蚊に食われた痕だらけ。体中がぼつぼつになっていた。

 「お嬢ちゃん一人? おうちへは帰らないの?」
 その女の子は見知らぬオレ達に一瞬ビックリした表情を見せたが、オレと後輩の精一杯の笑顔が功を奏したのか、すぐに警戒心を解いてくれた。
 「うん、ママを待ってるの。……おじさんは誰?」
 幸か不幸か、携帯が音質の悪いおかげで、オレの声には気づかないようだ。
 「はははは、おじさん達は悪い人じゃないよ。こんな団地を渡り歩いて品物を売って歩くセールスマンなんだ。それでねお嬢ちゃん、ミシン、いらない?」
 「いらなーい」
 「ははは、そっかあ、そうだよね。じゃあお嬢ちゃんさあ、この団地に住んでるんでしょ?」
 「うん」
 「おじさん、ママに会いたいんだけど、今いるかなあ?」
 「ママは暗くならないと帰ってこないよ」
 「じゃあパパは?」
 「パパは……」
 パパと言ってその子は一旦口ごもった。何か深い思い入れがあるようにも感じる。
 「――パパはずっと帰って来ないよ。『パパはお仕事忙しいから電話にも出られないのよ』ってママが言うの……」

 ここまで聞いて、この子を叱るのは可哀想だと思った。
 この子の家庭は「複雑な事情」と言う奴なのだろうか。父親はずっと帰ってこないと言うから離婚か、愛人を作って家を出たのか、あるいは死んだのだろうか。この子は母の帰りを待っているようだから、母親は健在のようだ。
 「そっかあ、それは残念だな。それじゃあしょうがない、おじさん達は引き上げるよ。じゃあね。どうもアリガト」
 そう言ってその子のいたブランコから離れた。しかしこっそりバス停のベンチを借りて、この子の母親を待つことにした。
 母親に会って事情を説明すれば、この迷惑電話事件も解決できるだろう。

 オレと後輩は、さっきからバス停の自動販売機と公園の公衆トイレとを行ったり来たり。夕暮れて、街灯に灯がともって、団地の窓にも一つ、また一つと明かりがともっていく。その子は街灯の下のブランコでママを待っている。蚊がぶんぶん飛び回っていて、時々手で追っ払う素振りを見せた。1時間以上待ってみたがこんなに遅くなるとは予想以上だ。
 バス停で待っていると団地の旦那達が続々と帰ってくる。そのたびにあの子が探すようにこっちを見る。

 バスから降りる客もずいぶん少なくなった。もう2時間も待っただろうか。
 「暇だなあ」とボンヤリ団地の方を眺めていたら、さっきミシンを買ってくれた奥さんが買い物かごをぶら下げて飛び出してきた。
 どこへ急いでいるのかと思って見ていたら、その奥さんもこっちに気づいたようだ。バス停のベンチに座っていた俺達を見つけて話しかけてきた。

 「あらハトメミシンさん、まだいらっしゃったの? え? あの子の母親? あの子って……ああ、亜留美ちゃんね。豊田亜留美ちゃん。豊田の奥様を待っていらっしゃるのね。
 でも奥さんは遅くまで働いてるから待っても無駄かもよ。亜留美ちゃんはいっつもひとりぼっちで遊んで待ってるわよ。可哀想よね。
 なんでも旦那さんは1年間の海外出張らしいのよ。旦那さんは子煩悩な人でねえ……奥さんと娘さんもいっしょに連れていきたかったらしいんですけど、行き先が発展途上国っていうの? 世情もまだ不安定なので単身で行くことに決めて、それがかなりの奥地で電話連絡もままならないんですってよ。日本の企業戦士は大変ね。亜留美ちゃんも両親の愛情が必要な時期だと思うんですけど……まあいけない、こんなところで立ち話なんかしちゃって、わたし、冷や奴用のショウガを買いに行かなくちゃいけませんでしたのよ。ネギと削り節だけじゃあダメだ、買ってこい、と言われて……あらいやだ、こんな話、余所様に言って良かったのかしら、おほほほ……じゃあごめんあそばせ」

 この話を聞いて、確かに可哀想ではあるが不幸と言うほどでもないようだ。死んだ訳でも逃げたわけでもなく、いずれ父親は帰ってくる。
 オレは少しホッとした気持ちになった。

 「楓団地行き」と書かれたバスがまた到着した。中からは赤い顔をしたサラリーマンが数人降りて団地の中へ消えていく。
 缶コーヒーは飲み飽きた。同じ缶でも、オレはビールが恋しくなってその場を去る事を決意した。

 「おい、帰るぞ」
 「帰るって、母親がまだでしょ」
 「ヤメだヤメ。今日は諦めた。その代わり、オレにいいアイデアが浮かんだからさ」
 「アイデア?」
 腑に落ちない後輩の腕を引いて、停留中のバスへ乗り込んだ。バスの行き先表示は「川崎駅」に変わっている。
 ちょっと公園の方を振り返ってはみたけど相変わらずあの子一人っきりだった。まだ一人っきりでブランコをを漕いでいる。その子の姿が街灯の明かりでシルエットになっている。時々、光に集まる蛾や蚊を振り払っている姿が見える。


next  back  modoru  home