−作戦実行− 次の日の定時になるとさっそく後輩がオレのとこへ寄ってきた。 「バイヤーさん、昨日言ってた『いいアイデア』ってなんですか?」 「ああ、グッドアイデアさ」 「どんな?」 「まあ、6時になるのを楽しみにしてなさい」 注文書を数枚書いて、業務日誌を書いて、日付印を押して、オレは6時を待った。 「るっるるー、るっるるー、るっるるっるるぅーー、ミッキマゥス、ミッキマゥス、ミッキミッキマゥス……(しまった!)」 思わず歌詞も知らないまま口ずさんだオレだ。なんだか電話を待ちわびているようで照れくさい。 「……ミッキマウス、ぱらららっ、ミッキマウス、ぱらららっ」 後輩が続きを歌いやがる。 「さあみんなで楽しく声会わせ……だったかしら? あはははっ。どうしたんですか? お二人、楽しそうですね」 事務の女の子までがそれに参加してきやがった。 「あのね、バイヤーさんは女の子からの電話が待ち遠しいんだよ。その子からの着メロがミッキーなんだ」 「まあ素敵! うらやましいわ」 その時6時、携帯の電子音が「ミッキーのテーマ」を鳴らした。 「ホントだ。愛しのあの子からの電話なのね」 「ちがうよっ! 悪いっ、君ちょっとあっち行っててくれないか」 「ええっ、私がいたら、じゃまですかあ」 これからの慣れない演技を聞かれては照れて失敗しそうなので、事務の子には所払いを命じたオレだ。 「もしもし、パパ?」 やれやれ、性懲りもなくまた掛かってくる。まったく困ったものだ。共稼ぎ夫婦のとばっちりだ。 でも今日はこの電話を待っていた。以前と違って事情が分かっている。今日は昨日思いついた作戦がある。今日でケリを付けてやる。 「ああ、パパだよ。亜留美ちゃん、元気にしてたかい?」 「ははは」と後輩が後ろで笑っている。一瞬にしてオレのもくろみを察したらしい。「――悪いんだー、バイヤーさん」 オレは「にやり」と表情で返事した。 オレの考えた名案とは、この子のパパになりすますことからはじまる。向こうがパパと呼ぶならこの際パパに成りすましてやれ。騙すのは悪い気がするがこの子だって間違い電話だから掛けるなと言うより、パパは忙しいから電話するなと言った方がきっと聞くだろう。その方が効果覿面(てきめん)だろうと考えたんだ。恨まれるのは本当の父親の方だ。決してオレではないのだ。今までの迷惑を考えればそのくらいの罰を親にも背負ってもらわなければ割に合わない。 さて、この子は父親になりすましたオレにどんな反応を示すだろう。 「パパ! パパ! パパ! やっぱりパパだったのね!」 オレはちょっとビックリした。子供ってこんなに簡単に騙せるものなのかと……しかもえらく喜んでいるようだ。こんな事がなんでそんなにうれしいのか、子を持たないオレにはわかり難い。ふと、あの公園であの子が小躍りする姿が目に浮かぶ。 しかし感傷に浸ってはいけない。作戦はクールに遂行されねばならないのだ。 「……そうだよ。今までごめんね。お父さん、このところ仕事がいそがしくって」 「ププッ」後輩が後ろで吹き出している。 「いいの。だってパパにも色々事情があるんだし」 もう電話するな、といきなり言うわけにもいかないので、もう少し話にリアリティを持たせることにした。 「学校は楽しいかい?」 「……うん」 「どうした、元気がないな。勉強が難しいのかな?」 「だって宿題が多くて」 「学校で勉強したことは決して無駄にはならないから、無理しない程度にはきちんと勉強しておくんだぞ」 「うん」 ホントの親ならどんな風に話すだろう。オレはにせ者だとバレないように精一杯演技した。 「さあ、お父さんはまだ仕事中だからこの辺で失礼させてもらうよ。そして……」 さあ、これからが本番だ。 「ねえ、ねえ、パパ。また電話してもいい?」 今だ。オレの作戦を実行するのは今だ。ダメだと言うなら今だ。お膳立てはこの子の方から作ってくれた。 適当に、仕事が忙しいからとか言って、親の威厳で素直に従わせよう。 (ごめんね悪いけど今日限りにしてくれ。お父さんは忙しいんだ) しかしどうもその言葉が言い出せない。オレは悩んでいたんだ。 その「間」を、この子は敏感に読み取ったようだ。 「……ごめんねパパ。だめ? やっぱりお仕事にサシツカエルものね……」 それに対する返事は、まったく、オレ自身にも予想できない言葉だった。後で考えてもなぜこんな言葉がオレの口から出てきたのか訳が分からない。 「いや、構わないよ。また寂しくなったら電話しなさい」 後輩の剥き上がった目玉が「先輩、何言い出すんですか!」と言っている。 ビックリしたのはオレだっていっしょだ。 (な、何言い出すんだ、オレ!?) でもオレの口は止まらない。 「でもママには内緒だよ(そうだ、バレるとヤバイからな)それと、蚊に刺されるから暗くなったら部屋に入ってなさい(しまった、本格的すぎる)」 「うん! パパ! どこかで私を見てるのね! パパとお話しできれば亜留美さみしくない。亜留美ねえ、体中蚊に刺されてママにも叱られる。でも気にならないよ、ずっとパパを待ってるから。でもパパの言うことならちゃんと聞く!」 「ママはもっと大変なんだから、ママの言うこともちゃんと聞かなきゃあ」 「うん、わかった!」 「じゃあ電話切るよ。またな」 「うん!」 ピッ こらしめるつもりが愛情溢れる父親をそのまま演じてしまったオレだ。これじゃあホントの親子だ。人の家庭に首を突っ込んで、この先どうする気だ、と内なる声が叫ぶ。まったくオレのお人好しめ! 携帯を切ったオレを、後輩が冷たい眼差しで眺めていやがる。呆れ顔で言い寄ってきた。 「……バイヤーさん、それってどういう作戦ですか? はっきりダメだと言うはずだったんじゃないんですか? もしかしてまた失敗?」 後輩が痛いところを突いてきやがる。 「成り行きだよ、成り行き……」 「そんなこと言って、きっとまた掛けてきますよ。それどころか前より気兼ねなくかけてきそうですよ」 「うん……そうだろうなあ」 「そうだろうなあって、そんな呑気に言って、まったく、人がいいと言うか、それじゃあ逆じゃないですか」 「まあ、もうちょっと様子を見て……焦らなくても……。とにかくあんな状況じゃあ言い出せなかったよ。昨日会ったのは失敗だったかもな。あの子の置かれた情景が目に浮かんじまってさ…… いっしょに遊んでいた友達が一人、また一人それぞれの家庭に戻っていく。ぽつんと取り残されるあの子。 そんな情景が目に浮かんでさ…… そうなると今度はあの子の心情まで分かるような気がして――外にいようが部屋に戻ろうが一人なのは同じ、だから外にいたほうが気が紛れる。もしかしたらパパが帰ってくるかも。ママも早く帰ってくるかも。でも帰ってこない。寂しくなって電話を掛けたいけどママには叱られる。そこでパパに電話する……なぜそれがオレの携帯なのかは今もって謎だが、オレの携帯は自慢じゃないが欠陥品だ。恐らくオレの声はあの子のパパの声になってきこえるんだろう。例え間違いと言われてもここへ電話すればパパの声を聞くことができる。何度叱られても電話せずにいられない……そんな子に本当の親なら『電話するな』なんて言えるはずないよな……お前にはオレの、この優しさが分かるかなあ」 後輩も、ちょっとしんみりとしたのか、少しの間沈黙していた。でも心底心を打たれたわけじゃないらしい。 「先輩っておセンチですね……気持ちは分かりますが、ホンモノのパパが帰ってきたらどうします」 「ぎくっ……」 後輩は「それ見たことか」という表情を見せた。 「でもな……とにかく、人道的にも、あんな小さな子供を夜の公園で蚊に刺されっぱなしにしておくわけにいかないだろ。世界児童憲章から表彰もんだ」 「何言ってんだか……でもどうします。こうなったらもう携帯を買い換えますか。それともずっと父親に成りすましますか? 全く、先輩のお人好しにも困ったものですね」 「買い換えなくたって他に方法はあったさ。そうしなかったのはオレの良心がなせる技さ。オレはお前みたいに気が弱くて困ってるわけじゃないんだよ」 「ちぇっ、先輩にはかなわないなあ……」 後輩は呆れ顔で自分のデスクへ戻っていった。そしてさっきからニヤニヤしながら待っていた事務の子に事情を説明し始めた。 時折「あははは」とその子の笑い声が聞こえる。 「言っとくけど、隠し子なんかじゃないぞ!」 最悪の誤解だけは解いておかなきゃいけない。 しかし、この後輩の言う通りだ。 あの子は明日もまた掛けてくるだろう。このままじゃあオレはまた父親のフリをして演技しなくちゃならない――偽物だとバレないように。独身のオレには難しい事だ。何かいい手はないものだろうか。 「策士、策におぼれる」とはこのことだろう。まったくオレはバカだ。バカでお人好しだ。弓枝の言う通り、長生きできないかも知れないぞ。 しかしまったく、自分でも呆れ返るほど、オレのお人好しはそれだけで留まらない。 だってオレは、この欠陥品の携帯を「しばらく買い換えは出来ないな」とさえ思い始めているんだ。こうなったら乗りかかった船だ、じっくりと様子を見ることにするか。 明日もその時間はやって来る。 また来るだろうか、「もしもし、パパ?」と。そうなったら仕方がない、長い出張で帰らない父親に代わって、明日は宿題の相談にでも乗ってやろうか…… 「もしもし、パパ?」完 |