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ROBOCO・P  
  −誕生−

 彼女の生まれた場所は工場。
 戦前の造船工場から独立発展し、今や日本を代表する電機メーカー、世界の「ミシビツ」の川崎工場である。
 特大に広く、エアコンとオートメーションで近代化されたマンモス工場...からはちょっと離れたオンボロの旧工場。そのまた日当たりの悪い北側の一角。そして研究室と呼ぶにはあまりにも窮屈な狭い部屋の中で、である。
 旧工場の中はその研究室以外は全て倉庫になっている。
 その研究室は再びいつ開けられるのか分からないような段ボールの山に追いやられていた。
 ホコリにまみれた段ボールの陰の、ミシビツ内部の人間でさえ足を運ぶのを敬遠するその一室、「ロボット研究室」と札が掛けられたその部屋で彼女は生まれた。

 日に焼かれて茶色に変色したビニールの採光窓。何度も塗装を塗り重ねられた赤錆だらけの鉄骨。屋根裏に碍子で吊された露出配線。スレートの波板を張っただけの屋根。そしてその屋根の下にまた屋根。
 研究室のパーテーションには屋根を張らざるを得なかった。
 それほど雨漏りがひどく、雨が降る度に漏電ブレーカーが働くので、新工場の完成時に中古のUPS(無停電電源装置)を譲り受けて置かれている。そのおかげで計算機用の安定した電源だけはなんとか確保したがその制御盤がさらに研究室を狭くしている。
 ミシビツにとって猛烈な金食い虫だったその研究室。かつては50人を越える研究員がひしめいていたが、今は白髪の工学博士と若はげの助手の二人きり。一時期は閉鎖も検討されたが、その二人だけを残し、かろうじて存続している。投資に対する成果が得られず年々縮小されていった結果である。
 その研究室もみすぼらしいが、そこに働く人間のなりもまたみすぼらしい。博士の白衣はいつもヨレヨレで裾のあたりが反り返り、まるでスカートのようになっている。助手のほうはまだましだが、安全靴のすり減ったつま先から内部の金物がのぞいている。

 しかし長年成果が上がらなかったこの研究も日の目を見る日はあった。

 <西暦200*年2月2日>
 この研究室ではこんなやり取りがされていた。
 「博士、電池の容量が足りません。歩き始めた途端にアラームが『ピー』です。電圧降下で止まってしまいます。胸のタンクにあと300グラムは追加しないと」
 「ううむ、仕方あるまい」
 「博士、重心が高すぎてバランスが取れません。立ち上がると途端に『ピー』です。身長をあと10センチは下げないと」
 「ううむ、仕方あるまい」
 「電池の水分補給が厳しいです。10分もしないうちに『ピー』です。水分吸収型毛髪をもっと長くしなければ」
 「ううむ、仕方あるまい」
 「腰の回転部分に亀裂が起こります。運動性を考慮し、もっとくびれた体型にしないとまた『ピー』です」
 「ううむ、仕方あるまい」
 「博士、『ピー』の寸法が設計図通りには行きません。こうなったら設計図の方を現物にあわせるしかありません」
 「ううむ、仕方あるまい」
 助手はいつの間にかそのロボットを「ピー」と呼ぶようになっていた。

 本来の目的が過酷な作業を人間に代行する工業用ロボットだったので、初期の設計図にはいかつい男性型ボディが描かれていた。しかし種々の理由で路線は大きく変更されてしまった。
 気が付けば髪が長く、大きなお尻とは対照的な細いウエスト。そして胸が二つ大きく盛り上がる女性的な体型になっていた。
 「これじゃあどこから見ても女の子じゃのう。思惑と違ってしまったわい」
 「でも、今更設計変更は出来ません。とりあえずこのまま突っ走ってまずは自立歩行のデータ収集を急がなくては。外見や音声は後でゆっくり改良しましょう」
 「ううむ、仕方あるまい...しかし全く、これじゃあロボットと言うよりはロボ子、じゃの」
 彼女を「ロボ子」と呼ぶようになったのは博士のこの一言がはじめだった。どうやら昔見た漫画にロボ子と呼ばれるキャラクターがあったらしい。
 「ほんとに『ロボ子』ですね。でも可愛らしい名前じゃないですか。ペットのように『ピー』と呼んでましたが『ロボ子』の方がそれらしいや」
 
 <3月3日(桃の節句)>
 そのロボットの、この研究室での呼び名は「ロボ子」となっていった。
 昨日までそのロボ子には無数の電気コードが張りめぐらされ、まるでマリオネットのような状態で試験を繰り返されてきた。
 しかし今日はそのほとんどが取り外され、各種アダプターは人工皮膚の下に埋め殺された。そして主記憶装置もマザーコンピューターから外され、基本的なデータ以外は初期化された内蔵頭脳へ切り換えられた。ロボ子へは助手がパソコンでモニターするために残されたUSBアダプターの線1本だけがへその緒のようにつながれている。
 このロボットにも母胎から離れ、産声を上げる日がやってきたのだ。その人形は今日初めて独り立ちするのだった。

 ロボ子は研究台の上に寝かされている。真新しい白衣を着せられ、ぴくりとも動かない様子はまるで解剖を待つ死体のような趣である。
 「さあ、まず目を開けさせよう」
 博士の指令で助手がリターンキーをたたいた。ロボ子はそれに応答し、ピピッと小さく電子音を鳴らす。
 ロボ子が瞼を開けるとそれがスイッチになっていたように全身がぶるぶると震え始めた。
 痙攣のようなその振動は数秒間の後に止まった。
 「各サーボ機構セルフチェックは異常なし」と助手が報告する。
 「第一関門突破じゃの。ではゆっくりと起き上がろうかの」
 またもやピピッと鳴ってからロボ子はゆっくりと上半身を持ち上る。上体だけが起き上がる格好になり、今度は両手で自分の体重を支えながら足を使い体を回転させる。足は台の上から床へ降り、まずはソファーに座る恰好に一旦落ち着いた。
 顔を左右に振り、目をキョロキョロさせながら室内の情景を観察するロボ子。それは自分の置かれた状況を予備的に把握するためのあらかじめプログラムされたものだった。
 「良いな...では立ち上がろう。慎重にな」
 ピピッ
 その音は博士と助手に緊張を与えた。
 まず上体を前へ傾け重心を前方へ移動させる。その重心が床に着いた足の上になったとき、くの字に曲がった脚を伸ばして立ち上がる体勢に入る。丸いお尻が台から離れる瞬間、上体が小さく前後に振動したが、こまめに観察していなければ気がつかないほどだった。その一連の動作は一見スローに見えて、ロボ子の体内ではサーボモーターが正転したと思えばすぐ逆転し、微妙なバランスを維持するためフル稼働している。ベッドから貴婦人が起きあがるような優雅な動作もその水面下では想像を超えるミクロの制御が隠されている。
 何でもない動きを、いかに何でもなく実現出来るかに今までの研究の成果が現れる。博士も助手もロボ子が立ち上がるまでを手に汗をにぎり観察している。

 ピー

 例の連続音がトラブル発生を知らせる。台から離れた時に少し左へ傾き、上体が振らついたのだ。昨日までぶら下がっていたケーブル類が取り外され、初期値として入力されていたバランスデータとズレが出たためである。
 それに気が付き、博士がとっさに手を差し延べようとしたが彼女は左右の手を素早く使って重心のズレを補正した。振れが収まったときにピピッと鳴り、それがまるで「手助け無用」と聞こえ、博士も思わずニヤリとする。
 「バランスデータを再収集しました」と助手から報告の声が上げる。
 ロボ子にとってこのふらつきは決して不要な動作ではなかった。それを補正する動作によって得られたフィードバック値が基本パラメーターに反映され、以降の運動動作の基となっていくのだった。

 ロボットらしからぬ丸いお尻をゆっくり持ち上げ、それと同時に上体もゆっくりと立てる。完全に起立の態勢になっても油断はならない。微妙にずれる重心を常に補正し続けなくてはならないからだ。
 直立の状態では床に伏せた場合に比べ重心がずっと高い位置になる。重心を鉛直方向に投影し、それが床面に密着した足の裏の面積の中に収まらなければいとも簡単に転倒してしまう。人間と全てが同じサイズに作られたそのロボットにとってただ立っている、これがどんなに難しいことであるか、この技術を確立するだけで5年も費やし、研究費のほとんどを使い果たしたことから容易に分かるであろう。
 無事立ち上がったロボ子がそのままずっと立っている、それを神々しく眺める二人だった。

 「よろしい、第二段階へゴーじゃ」
 「音声認識をアクティブにしました。何か話しかけてみてください」
 「うむ...ロボ子や、気分はどうじゃ」
 「....」
 ロボ子から返事がないので何事かと博士が助手の方へ首を傾けた。
 「言語解読のオートチューニングが働いています。初期パラメーターが悪かったようです。いまチューニングが完了したので今度は大丈夫でしょう、もう一度話しかけてみてください」
 うむ、とうなずき博士は再び「ロボ子や、気分はどうじゃ」と話しかける。
 「....」
 しかしまたしてもロボ子に返事はない。博士の表情に少し不安の色が見え隠れする。
 「ああ、わかりました。ロボ子は『ロボ子』が認識できていません。自分が呼ばれたことがわからないようです」
 「おおそうじゃった、これはすまない。自分の名前まで初期化されておったか」
 カタカタと助手がキーボードをたたく。
 「今度はどうでしょう、『ロボ子』を認識させました」
 「うむ...それではロボ子や...気分はどうじゃ?」
 博士と助手はロボ子の返答に期待した。ロボ子の顔が博士の方へゆっくりと回転し、そのオチョボ口をさらに小さく開いた。

 「はい博士、立ち上がると見晴らしがいいです」
 途端に博士の顔がほころぶ。苦悩の末に刻み込まれたシワだらけの顔もこのときは初孫が初めて立って歩くのを目撃したようなおじいちゃんの顔になっていた。
 「ロボ子や、ほら、これがお前の姿じゃ」
 博士は洗面台に備え付けの鏡を壁から取り外し、ロボ子の前にかざした。
 「これが私...」ピピッと鳴った後「認識しました」と返事を返した。
 「ホンモノの尾室奈美がここにいるみたいだ」おもわず助手はパソコンの監視を忘れてロボ子を眺める。
 「そうか、この顔の主は奈美というのか。たまたまテレビで写っていたのをビデオスキャナーで取り込んだのじゃが」
 「博士、尾室奈美と言えば今、飛ぶ鳥を落とす勢いの超売れっ子アイドルですよ。博士も意外とミーハーなのですね」
 「そんなに有名じゃとは知らなんだ。しかし確かに売れっ子になる素質はあるのう。ワシでさえ胸をときめかせる愛らしい顔立ちじゃ」
 ビデオデータを三次元解析して作られたロボ子。実物そのままの出来映えにしばらく見入る二人だったが、博士が思い出したように口を開いた。
 「そうじゃロボ子よ、自己紹介してみろ」
 そのロボットは「はい」と返事を返し、話し始める前に、人間のように軽く深呼吸をした。

 「...私の名前はロボ子、ミシビツ製人間型ロボットです。動力源は新開発の『液状バイオバッテリー』です。非常にクリーンで環境にも無害な新材料です。
 この大容量で容器の形が限定されない電池の発明で、自立自走ロボットとしては初めて人間型構造が達成されました。そして私は外部からの補助も必要としません。
 私の体内にはこのバイオバッテリーが充填されています。それが血液のように体内を循環しています。私の内部でパワーを必要とするユニットはこの循環するバッテリー液のおかげで常に新鮮なエネルギーを得ることが出来るのです。これが人間と同じ内骨格の構造を構成できた秘密なのです。
 また、私は一回8時間の充電で7日間働き続けることが出来ます。バッテリーの充電には水分補給やバッテリー液の補充、比重の調整などが伴い大変面倒ですが、この煩わしい作業も自分自身で行います。そのようなセルフメンテナンスも私の特筆すべき特徴になっています。
 私は今までの工業用ロボットとは異なり外見を人間に似せてあります。それは単なる機械としてではなく感情のある人間的な生き物に近づけたいという発想を基に開発されたからです。
 そのため私には自分自身でプログラム自体を変える特殊な機能が盛り込まれています。
 例え自分の判断が失敗を招いてもその結果はフィードバックされ、その原因となったプログラムを即座に修正、あるいは新しいプログラムをどんどん追加していきます。これは人間の場合に当てはめるなら『学習』と表現できるでしょう。
 このようにして私は人間と同じように学び、そして成長していきます。何でもすぐに学習し、どんな複雑な作業も即座に熟練します。
 そして私もみなさんと同じ、平和を望む心はいっしょです。人間と同じように話しかけてもらえれば私はきっと人間的な対応を返します。
 どうぞ私をただの機械とは思わず、良きパートナーとして接してください。きっと期待に応えることが出来るでしょう。どうぞよろしくお願いします」
 
 あらかじめ草稿が決められていた自己紹介の後、ロボ子はペコリと頭を下げた。その途端またバランスが崩れて2、3歩前へよろめいたが今度は博士も手を貸そうとはせず黙って観察していた。
 「ロボ子や、もう一度お辞儀をしてみなさい」
 「はい」
 2回目のお辞儀に今度はバランスを崩さず上手にお辞儀をするロボ子。即座に入ったプログラム修正で同じ失敗は繰り返さない。その前傾30度に美しく決まったお辞儀に「はい、どーも」と思わず博士もお辞儀を返した。

 「博士、遂にやりましたね。見た目も受け答えも人間そのものだ。とてもロボットには見えません。人間の英知がついにここまで辿り着きました」
 「人類の進歩が神の領域を踏み荒らす...罪深きもの、それは人間。しかし神は自分に似せて人間を造ったという。ならば神よ、手本となるあなたも罪な存在と言えるであろう!」
 「博士、それは誰かの有名な言葉ですか? なんか大げさですね」
 「まあ、ゼロからここまでこぎつけたのじゃ、感激もひとしおじゃ。今のはワシ自身の言葉じゃよ」 
 博士は目をつむって天井を仰いだ。達成感に浸っているのか、あるいは研究室閉鎖までささやかれた辛い過去を振り返っているのだろうか。
 「ここまでの道のりは大変でしたけど、これからも波瀾万丈になりそうです」
 そう言う助手には先日の博士との会話が思い起こされた。

 −−−−
 <助手が思い起こしている、半月前の2月15日>
 「博士、ミシビツ内部でもこの研究室廃止のうわさが流れています。完成を目の前にして、廃止されるというのはホントですか」
 「心配するな、廃止はされん。予算が減っただけじゃ」
 「減っただけって、それは致命的です。ロボットには最先端の技術が必要です。バイオ電池だって1グラムが1万円単位ですからね。工場長に談判しましょう」
 「実はな、昨日その工場長から持ちかけられた話があるのじゃ。もうこの工場での出資は限界に来てるから共同開発という名目でスポンサーを募ったらしいのじゃ。そうしたら是非にと名乗りを上げたところがあったのじゃ。来月にその出来具合をデモンストレーションして、その結果次第じゃがの。それまでにまともに動くように完成させねばならん。あと約1ヶ月じゃ」
 「どこですか、その物好きなスポンサーって」
 「防衛庁じゃよ。自衛隊の雇用難にロボット採用で活路を見いだそうというのじゃな。もし採用が決まればかなり大口の需要が期待できるぞ。しかし事が国の防衛なので、この研究は極秘プロジェクトとなる。この話も誰にも言っちゃあならんぞ」
 「ピーが兵隊に...」その時助手は少し目を丸くし、生唾をゴクリと飲み込んだ。
 −−−−

 天井を仰いでいた博士はふと何かに気づいたのか、いつもの研究者の顔に戻った。
 「ところで助手君、今のロボ子の自己紹介から平和うんぬんの所を削除してもらえんかの」
 「どうしてですか? ロボ子らしい良い表現だと思うのですが」
 「どうも今度のスポンサーには語弊があるようじゃが...つまらん誤解を招いてはいかん」
 「ああ、それもそうですね」
 「何はともあれ今日は祝杯じゃ。この晴れの日に豪華に行こうじゃないか」
 「豪華と言ってもこの研究室もたった二人だけになってしまいました。ちょっと寂しい気もします」
 「いや、たったなどと言うでない。最後まで残れたのがワシらだけじゃったと思わねば。それに今日からは三人目が増えたんじゃしのう」

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