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 −初めてのお使い−
ロボ子
 <3月4日の朝>
 今日の研究室に持ち上がった課題はいつもとは少し趣が異なっていた。
 博士が朝から腕組みをして悩んでいる。
 「ロボ子はどうもリアルすぎたようじゃ...」
 出勤早々の助手はロッカーの前で着替えている。ヨレヨレになった着衣の袖に両腕を通している最中だった。
 「何がですか? 目指したのが今までにない人間型ロボットですからリアルに越したことはないでしょう」
 「いやな、白衣から時々のぞく素肌がどうもエロティックでいかんのじゃ。研究に集中しようとする意識を持っていかれてしまう」
 「あ、博士もそうですか。確かに私も時々目のやり場に困ります。しかしまあプロトタイプと割り切って、量産するときには考えましょう。ところで博士、また研究室に泊まったんですかあ、たまには洗濯しないと...」助手の視線の先には半開きになった博士のロッカーに、あふれ出た下着の山があった。
 助手の楽観的見解に博士は腕組みをしたポーズをやめなかった。
 「しかし白衣のままでは骨格の微妙な動きが観察しづらい。裸で歩かせるのはもっとナニだし、体にフィットした衣服が必要じゃな。当面ワシらの服で間に合わすとしても、『人間らしく』を目標とするなら下着も着けさせなきゃならんじゃろうし。そうだ、お前買ってこい」
 「買ってこい、って女性物の下着を?」助手は目を丸くする。「ちょっと照れくさくてイヤですよ」
 「そうか...じゃあ、お前には細君がいるだろう。確か品子さん、じゃったかのう。その品子さんの下着を分けてもらってこい。残念ながらワシは天涯孤独の独り者じゃ。頼む相手もおらん」
 「ちょっとそれも頼めませんよ。だって何に使うか聞かれたら、ロボット研究は秘密ですから正直に言うわけにはいかないですし、適当に誤魔化すとしても仕事で使うとしか説明できないでしょ...プライベートで使うなどとは間違っても言えないですからね。一体何の研究してるのか変に誤解されそうだし、自分の下着を男達が『ああでもないこうでもない』と調べることを想像されたら『死んでも貸さない』と断られるのがオチですよ」
 「うむ、もっともな話じゃのう。しかし研究の為じゃ。いくらロボットとはいえこの娘に男物のサルマタでは忍びないし、だいいち不自然じゃ。これから実地試験もしなければならんというのにこいつは実験遂行の由々しき障害にもなりかねん。なんとかならんものか...この研究室に女性がおらんのは失敗じゃったのう」
 今度は小首を傾げる博士につられて助手も腕組みを始めた。
 朝の始業のメロディーが流れ始めている。それが遠くに感じるのはこの旧工場に放送設備がないせいだった。
 ポンと手を打ってから「そうだこうしましょう!」と助手が大声を上げた。
 「ロボ子自らに買いに行かせるんです。それを最初の実地試験にしましょう!」
 「おお、それは良い考え! 一石二鳥の妙案じゃ」
 ロボ子の初めてのお使いは自分の下着を買いに行く、ことに決定した。

 <同日の昼下がり>
 商店街の駐車場に1台の車が止まる。窓に黒くスモークを貼ったワゴン車。前席には運転手の助手が座り、そして博士とロボ子は後席で出番を伺っている。
 その車は、社用車を使うと秘密がバレる可能性を考慮し助手のプライベートカーを改造したものだった。
 ロボ子自体には通信機能がなかったので、中にマイクを隠したショルダーバックを持たせている。それでロボ子の会話をモニターしようと用意されたものだ。
 目指すは駐車場から良く見渡せるそのお店。「ワルコー・ファッション」の看板が掲げられている。店内の様子をこっそり観察するために双眼鏡も用意されていた。
 ロボ子の最初のお出かけには助手の普段着を着せた。
 ズボンもジャケットもブカブカではあるが、現代の非常識的ファッションに比べれば、ずいぶん常識の方に近いと言える。下着は、この日だけと言うことで着けさせなかった。博士がワシの着替えがあると言って出してきたのが男物の真っ白なブリーフだったので助手がそれよりはマシと着けさせなかったのだ。

 「よいかロボ子よ、これからお前を町に出す。今日の目的は自分の下着を買う事じゃ。まずは小手調べ、難しくはないが簡単でもない。無事目標を達成できたならこの車に戻ってこい。
 しかしここから先はお前にとって全てが初めての経験じゃ。未知の状況にどう対処すればよいかしっかり学び取ってこい。それももう一つの目的なのじゃ。これをお前に課せられた試練じゃと思って無事に切り抜けるのじゃ」
 「はい」とロボ子はうなずく。
 「そこでお前に言っておかねばならないことがある。ひとつ、決して自分の正体を明かすな。お前がロボットだと言うことは気づかれてはいけない。なぜならお前がいかに人間に近いかを試すのが目的じゃからして当然じゃろう。
 ふたつ、知らない人には付いていくな。お前はまだ人に騙された経験がない。何度か騙されて初めて人の怖さを学習するのじゃろうが、さらわれてしまってからでは取り返しがつかない。だから言っておくのじゃぞ。
 みっつ、人に迷惑を掛けてはならない。良識ある人間は常に人の迷惑を考えるものじゃ。行動の指針としてこれは忘れるわけにはいかんじゃろう。
 そして四つ目。未知の出来事に遭遇し、どうしていいか判断に悩んでしまったら、あとは自分で正しいと思ったことを行動基準にしなさい。お前には道徳的行動がとれるようなアルゴリズムがあらかじめ備わっておる。それをいかに応用するかも大事な試験なのじゃ。
 以上じゃ、しっかり肝に銘じておくのじゃぞ...何か質問はあるかな」
 「ありません。私、がんばります」
 「よし、ではこの財布をお前に渡す。十分な額が入っておるが決して余裕があるわけではない。その金銭的な感覚も試さねばならないでのう...それでは行って来い」
 そう言って博士は手を伸ばし、ロボ子の座っているシート側のドアを開けた。
 「ああ待って、このチケットもお願いします」助手があわてて紙片を差し出した。
 「何じゃこの紙は?」
 「お店でスタンプを押してもらえれば駐車代がタダになります。ロボ子に持たせてください」
 助手が差し出したのは商店街の駐車券だった。
 「ロボ子や、今聞いた通り、ついでにスタンプももらってこい」
 「分かりました」
 その言葉を残し、いざロボ子はランジェリーショップ「ワルコー・ファッション」へと進んだ。
 その後ろ姿を二人は拝むように見守っている。
 「博士、緊張しますね」
 「そうじゃの。緊張するのはワシらばかりじゃ。当のロボ子はロボットだから緊張なんてせんじゃろうしのう。しかし何かあったら、お前すぐに飛び出すのじゃぞ」
 「わかってます...ところで、さっきロボ子に言い聞かせたのは、まるで子供のしつけみたいだったですね。私はちょっと吹き出しそうになりました」
 「いかにも。見た目は大人じゃがおつむはまだ子供じゃ」
 
 モニタースピーカーに「カララン」という鈴の音が入ってきた。二人は一斉にモニターに集中する。
 「ごめんください」
 モニターに入るロボ子の声。
 試験成功を祈る思い以上に、盗み聞きに対する罪悪感みたいなものが二人の手に汗を握らせた。

 「いらっしゃいませ...まあ、テレビの奈美ちゃんじゃない! どうしてこんな所へ?」
 「いいえ、私は奈美ちゃんではありません」
 「あらごめんなさい...大きな声出しちゃったわ。お忍びの行動なのね。その変な恰好を見ればわかるわ...カモフラージュなんでしょ? 今日はオフ? それとも、もしかしてバラエティ番組の撮影中とか? いやだわ、わたし今日はお化粧ののりが悪くって、オホホホホ」
 この自意識過剰気味の店員がロボ子の応対に当たった。その店員はしばらく店の外をキョロキョロと何かを探す仕草をしている。

 「博士、ロボ子をアイドルに似せたのはちょっとまずかったですね。店員は好奇の目で接してますよ。あまり騒がれてはやっかいです」双眼鏡をのぞき込んだままで助手は博士に話しかけた。
 「いいや、それどころかかえってボロを隠せて好都合というものじゃ。変なことしゃべっても相手がアイドルだと思って勝手にフォローしてくれよる。それに変な行動を起こしても大目に見てもらえるじゃろう。これは芸能人に似せた効能というものじゃ」同じく博士も双眼鏡に食い入っている。
 「誤解される奈美ちゃんがいい迷惑だな」
 「まあ確かに。でも有名税ということで勘弁願おうかの。確率的に言ってご本人にばったり出会うこともないじゃろうから気にすることもあるまい」

 隠し撮りカメラが見あたらない事に少しがっかりしてから、店員はロボ子へ向き直った。
 「芸能人って大変でしょう。どこでパパラッチが狙っているかもしれないものね。で、何をお求めですか?」
 「私に合う下着を買いに来ました」
 「まあうれしい。この店で買ってくださるのね。これはきっといい宣伝になるわ。『奈美ちゃんお気に入りの店』なんてね...どういったものをお探しかしら?」
 「...どんなものがあるのですか」
 「うちはインナーなら何でも揃ってますよ。おしゃれなファンデーションから一般的なアンダーウェアまで。奈美ちゃんにならこのスリー・イン・ワンなんかおしゃれでおすすめね」
 「まあ綺麗。それ、おいくらですか?」
 「種類やサイズで違ってきますけど、だいたい1万円から3万円ですね」

 「なに、3万円! あんな布きれで3万円とは。日本の経済はいったいどーなっておる!」博士が驚愕の声を上げる。
 「博士、おしゃれな下着は結構値が張るんですよ、500円のグンゼとは訳が違うんです」
 「しかし、3万円もあればワシなら二ヶ月分のパンツが買える...ワシの感覚が古いのかのう」
 「ちょっと待ってください博士、ロボ子にはいったいいくら持たせたんですか?」

 店内に流れるBGMが尾室奈美の新曲に変わっていた。
 「まあ、あなたの曲ね。私も大好きよ、この曲。きっとまた大ヒット間違いなしね。ヒットするとずいぶん儲かるんでしょうねえ...印税とかいうのかしら? 私もCD買ったわよ」
 「...ありがとうございます。でも私、今あまり予算がないのです。普通のブラに普通のショーツはありませんか」とロボ子が申し訳なさそうに打ち明けた。
 「あら、ご予算はおいくらかしら?」
 「これだけなんです」と言ってロボ子は財布の中に入った5千円札1枚を広げて見せる。
 「まあ、あわててらしたのね。じゃあ普段着としてこんなのどうかしら。シルエットは気になるでしょうからフロントホックの背中すっきりブラ。それにあわせてショーツは最低3種類は用意しなくちゃ。色は清楚にホワイト系。それにパンストも三つサービスして5千円ちょうどにしますよ」
 「ありがとうございます。それにします」

 「博士、聞きましたか。ちゃんと金銭的な計算を実践しています」
 「何とかなるもんじゃの。虎穴に入らずんば虎子を得ず、じゃ」

 「それじゃあサイズをいただこうかしら」
 店員は首に掛けたメジャーをロボ子の胸に巻き付けた。

 「ほぼ順調なすべり出しじゃの。ロボ子は自分でなんとかやっとるわい。与えた試練も軽くクリアというところじゃな」博士の双眼鏡を持つ手にも力みが消えていた。「そうじゃ、今後ロボ子に関わる世話事はロボ子自身にやらせよう。そしてこれを今後の基本方針としよう。ロボ子自身に生きて行く上での知識を自分で拾得させていくのじゃ。何でも自分で観察し自分の身につけさせるのじゃ。かわいい子には旅をさせろ、それがロボ子のため、そして次世代のロボットのための基礎データになるのじゃ!」

 「まあ驚いた、奈美ちゃんのバストってテレビで見るよりずっと立派だったのね!」
 車内のモニターに店員の驚愕の声が響いた。

 駐車券にスタンプももらい、その日の試験は無事に終わった。博士達はその結果に十分な手応えを得、実験成功に満足した。下着を無事獲得したロボ子は、明日はデモンストレーション用の上着を買いに行くことに挑戦する。
 そのデモンストレーションまであと2週間。

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