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 対決!

 その日も良介君とは一言も話しませんでした。もう終業のチャイムが鳴り、私は退社の準備を始めました。
 私がオフィスを出るとその私を追って良介君がやって来ました。今日は何かを決意しているようです。今日こそは何かを言ってやろうといった風でした。
 「美子ちゃん、おつかれさま、あのさあ...」
 良介君は何とか切り出そうとしたのですが先に続く言葉が出てこないらしく、二人に妙な間が出来てしまいました。その間に耐えきれず、まず最初に私がこう言いました。
 「あまり近寄らないで」
 「美子ちゃんそれはないよ、意地悪だなあ」
 今の私にその『意地悪』という言葉は禁句です。好きで意地悪になったわけではないのです。
 <何よ、明るくて優しいはずの私を意地悪に変えたのはあなたじゃないの!>
 そんな怒りが私に湧いて上がりました。
 「ふん、夢の中で出来なくなったことをここで繰り広げようと言うの? 2メートル以上近寄らないで」
 「そんな、それは誤解だよ。もう前みたいな夢は見なくなったんだろ」
 「でも高木さん、私の体が目当てなんだもの」
 「な、な、何言うんだ。それは違う! 絶対に違う!...いや、絶対とは言えないな。なんて言えばいいんだろう? 俺が本当に欲しいのは美子ちゃんの体じゃなくて...」
 「ウソばっかり」
 「確かに俺は体だけが目的の狼だった。おそらく俺の隠れた心が出た結果なんだろう、それは悪かったよ。だけど本当の俺が欲しいのは君のハートだ! そして...だけど、体も欲しかったんだ!」
 実情を知らない人が聞いたらきっと驚いたでしょう。しかし幸いに回りには誰もおらず、その話にギョッとして立ち止まる人はいませんでした。
 「やっぱり、ついに白状したわねこのけだもの! あなたなんて知らない、私帰る」
 「待てよ! 君だってとんでもないあばずれだったじゃないか。このまま俺だけ悪者になるのは割に合わないな、俺がけだものだというなら君はヤンキーだ」
 「や、ヤンキーとは何よ! あれはあなたをギャフンといわせるために取った手段よ。私があんな意地悪なわけないでしょ」
 「それにしちゃあ様になってたゼ、俺は人事ながら君の行く末を心配しちゃうな。今日は一体俺に何させる気だ」
 「うるさいわねっ、変態のくせに!」
 「この猫っかぶり」
 「ひどい、もうあなたなんか会いたくない。さようなら」
 「ああ、逃げるんだな。じゃあこっちもさよならだ。続きは夢で言ってやる」
 「いやよ、もう夢にも出てこないで。出てきたら今度はたくあん漬けさせるわよ、あなたなんか大っ嫌い」


 不思議なことに、その日から私の夢に良介君は現れなくなりました。そのため、この喧嘩の続きはできなくなりました。
 良介君は言いたいことを言えなくなって残念かも知れませんが、たくあんを漬ける仕打ちはまぬがれてホッとしていることでしょう。

 せいせいしたと言うか、肩の荷が下りたと言うか、とにかくこれでもう良介君に意地悪な仕返しをする必要はなくなりました。そして良介君に暴力を振るわれる心配もなくなりました。
 私はこれで元の美子に戻ることができます。明るくて、優しくて、はにかみ屋で、ロマンチストで、そして少し寂しがり屋で...

 しかし一つだけ何か心に引っかかるものがあります。
 それは、夢といっしょに何かを失ったのではないかという気がしてならないのです。その何かとは一体何なのか...

 とにかく二人の間柄はこれで何もかもゴワサンとなってしまったのです。


3年目

 「ねえ奥さん、お宅の隣へ引っ越してきた若夫婦、どう?」
 「ああ、私も知ってるわ、あの美人の若奥さんね」
 「最近の若い子は礼儀を知らないって言うからねえ。それでえ、やっぱり茶髪?」
 「そういうのを『ヤンママ』って言うんですってねえ。『ヤンママ』の『ヤン』って『ヤンキー』のことだそうよ。私はてっきり『ヤング』だと思ってましたわ」
 「『ヤンキー』って不良のことでしょ? イヤーねー」
 「いえいえ、それがね奥さん、最近の若い子と違ってしっかりした奥さんでねえ、髪も全然染めてないし、とても礼儀正しくて感じのいい子よ」
 「まあホント」
 「でもお高くとまってるとか?」
 「ぜんぜん。とってもいい子よー、うちの息子が大きくなったらあんな嫁をもらって欲しいくらいだわ」
 「べた褒めねえ...で、ご主人はどんな人?」
 「ご主人もいい人でしたわよ。なにやら電気関係のお仕事らしいんですけど、おしどり夫婦とはあの二人のためにある言葉ね、どこへ行くのもいつも二人仲良くってねえ」
 「まあ、若い内はね」
 「何でも職場結婚だとか...」

 「みなさん、おはようございます」
 私は井戸端会議中の奥様達にあいさつをしました。
 「あら、高木さん、おはようございます。今丁度お二人の噂をしていた所なんですよ。とっても仲がおよろしくて皆うらやましがってますのよ」
 「いえいえそんな」
 そう照れながら答えたのは良介君です。
 私は良介君の見送りを兼ねてゴミを出しに来たのですが、私を気遣った良介君がゴミ袋を持ってくれていました。
 「まあ、おなかずいぶん大きくなりましたね。今何ヶ月ですの?」
 最近おなかが大きくなったのが目立つようになった私でした。
 「はい、もう5ヶ月になります。時々元気におなかの中で暴れるんですよお」
 「まあ、それは楽しみですわねえ。何人目のお子さん?」
 「私、初産なんです」
 「まあ、じゃあ分からないことがあったら聞いてね、きっとお役に立てるわよ」
 「ありがとうございます」
 「じゃあ美子、行って来るよ」
 「はい、いってらっしゃい」
 良介君は奥さん達に軽く会釈をして、会社へ向かうためその場を離れました。
 私はその後ろ姿に手を振って見送りました。彼も時々振り返ってこちらへ手を振って返事をしてくれます。
 回りの奥様達は自分の若かった頃を私達にだぶらせているのかまぶしそうな目をして微笑んでいました。


 私と良介君の、あの不思議な事件からもう3年が経ちました。
 一時は相当険悪な仲にさえなりましたが、お互いに歩み寄って仲直りをすることができました。
 実は同じ夢を見なくなってから、私はかえって良介君の必要性を強く感じるようになっていました。良介君も同じだったと言っています。
 そんな私達は結婚しました。

 あの夢には一体どんな意味があったのか、そして私が失いそうに思ったものは何だったのか、今になっても良く分かりません。
 でも言いたいことを言い合い、全てを隠さずにさらけ出したことが逆にお互いの理解を深める上で良かったのではないかと思うようになりました。
 良介君は夢の中で見せたような暴力的な事は決してしません。そして私も夢の中で見せたような意地悪な事はしないように心がけています。
 二人ともあの夢はお互いを考える良い機会であったと思っています。

 「狭いながらも楽しい我が家」
 昔からよく聞く台詞ですが、今本当に「楽しい我が家」を実感できる家族が果たしてどれだけあるのでしょう。
 圧倒的に「広いけれども苦々しい我が家」あるいは「狭いくせにすきま風が冷たい我が家」が占めるではないでしょうか。
 私達は「狭いながらも楽しい我が家」を心がけています。これが簡単なように見えて実は一番難しいと感じます。

 今の私達は、一つの目標を持ち、その目標に向けがんばっています。
 それは、子供が生まれて大きくなったらこの団地を出て、小さくてもいいからマイホームを持ち、そこで子供と3人で楽しく暮らそうという目標です。
 「狭いながらも楽しい我が家」
 そんな平凡な目標に二人は今熱中しています。

 この不思議な馴れ初めの私達二人は、同じ屋根の下に住むようになっても以前のように同じ夢を見ることはありません。
 しかし今は、誰もが思い描く、そんな普通の『夢』をいっしょに見ています。

                              「夢で会いましょう」 完

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