年表 明治41〜明治43年

0268 1908 明治 41 ―・― 月掛献金制度を改め、毎月三回、月次祭ごとに10銭宛献金する。
0270 1908 明治 41 ―・― 役員が経常費を負担してたが、大本あるいは出口王仁三郎から支出することになる。
0267 1908 明治 41 (06・上旬) 御嶽教大本教会設置につき受持教師中村保次郎、京都から来綾。
0261 1908 明治 41 03・10(02・08) 出口王仁三郎、伏見稲荷山御嶽教会から大阪大教会会長となり生玉御嶽大教会詰となる。
0262 1908 明治 41 03・27(02・25) 出口王仁三郎の妹きみ、京都府北桑田郡京北町宇津の小西松元の息子増吉と縁組。
0263 1908 明治 41 04・23(03・23) これまで艮の金神のみ鎮祭されていたが、この日に坤の金神を併せて奉斎。
0264 1908 明治 41 06・08(05・10) 大成教直轄直霊教院設置。開院式に同教大教正、井上信義来綾。
0265 1908 明治 41 06・21(05・23) 出口王仁三郎、御嶽教理事となる。
0266 1908 明治 41 06・23(05・25) 神殿(旧本殿)地鎮祭。
0269 1908 明治 41 08・01(07・05) 金明霊学会を大日本修斎会と改称する。
0273 1908 明治 41 09・― 御嶽教大本教会を宮津に移す。
0271 1908 明治 41 09・― 最初の機関誌『本教講習』を発行、文書配布による布教活動に着手。(41年12月号=第四号=で廃刊)
0272 1908 明治 41 09・25(09・01) 出口王仁三郎、御嶽教大本庁理事ならびに教師検定委員・評議員・大阪府教区庁となる。
0274 1908 明治 41 10・― 機関誌『本教講習』に出口王仁三郎の「感謝と祈願」と「祖先拝詞」が公にされ、祭式の充実がはかられる。
0279 1908 明治 41 10・13(09・19) ・月次祭(3日、15日、23日)とし、神道の行事に準ずる。また祖霊殿をもうけて会員の祖霊を祭祀することとなる。
0276 1908 明治 41 10・13(09・19) 改正の会則は13章にわかれ、条文は75条におよぶ。
0275 1908 明治 41 10・13(09・19) 出口王仁三郎、大日本修斎会の充実をはかり会則を改める。
0277 1908 明治 41 10・13(09・19) 第三条 本会斎殿ニハ会祖創設ノ由緒ニ依リ、宇宙万有ノ主宰ニ坐ス天之御中主神、国之常立尊ヲ始メ天神地祇八百万神ヲ奉斎ス。
0278 1908 明治 41 10・13(09・19) 例祭は、新年祭・元始祭・孝明天皇祭・祈念祭・紀元祭・春季皇霊祭および大祭・神武天皇祭・本会創立祭(4月5日)・大秡(6月30日)・秋季皇霊祭および大祭・神嘗祭・天長節・新嘗祭・遷宮祈念祭(11月22日)・大秡(12月31日).鎮魂祭(12月)
0280 1908 明治 41 11・― はじめて祭式講習がおこなわれ、講習受講者には修業証書がわたされた。そして『本教講習』に「通常祝詞」が公にされ、大本祭式が次第に形を整えてゆく。
0281 1908 明治 41 11・13(10・20) 出口王仁三郎、御嶽教に辞職届を提出す。
0282 1908 明治 41 11・26(11・03) 出口王仁三郎は御嶽教大阪合同大教会開莚式で斎主をつとめる。
0285 1908 明治 41 12・― 出口王仁三郎、御嶽教を辞し帰綾。
0283 1908 明治 41 12・08(11・15) 大成教直轄直霊教院開教式挙行。
0284 1908 明治 41 12・16(11・23) 京都府から出口王仁三郎に職務勉励の廉にて慰労として金七円下賜される。
0289 1909 明治 42 (01・―) 神殿(旧本殿)の新築決定。
0312 1909 明治 42 (07・―) 修斎会の会則を改め部制とする。斎務部・講究部・伝導部・会計部・起業部・出版部・造営部・内事部・庶務部・救護部。
0286 1909 明治 42 01・01(41・12・10) 直霊教院の役付発表。
0287 1909 明治 42 02・11(01・21) 紀元節奉祝祭を行う。
0288 1909 明治 42 02・15(01・25) 機関誌『直霊軍』創刊号を綾錦社より発行。
0290 1909 明治 42 03・28(02・07) 北桑田郡大野村味噌淵の木造建物を買収、大広間の材料とする。(高見米次郎所有の木造二階建て一棟)
0291 1909 明治 42 04・24(03・05) 和知から大広間の材料、筏組で到着。
0292 1909 明治 42 04・25(03・06) 筏を解き、並松より大本へ運搬。
0293 1909 明治 42 04・26(03・07) 造営につき大工白波瀬弥太郎を招き打合わす。
0294 1909 明治 42 04・27(03・08) 神殿の参考に出口王仁三郎、四方与平、大工白波瀬と味方黒住教の建物様式を見る。
0295 1909 明治 42 04・29(03・10) 出口王仁三郎、京都府北桑田郡の宇津方面へ宣教。
0296 1909 明治 42 05・02(03・13) 神殿の製図でき上がり、瓦師を伏見の安田庄太郎に送付。
0297 1909 明治 42 05・05(03・16) 出口王仁三郎の三女八重野出生。
0298 1909 明治 42 05・05(03・16) 大広間の上棟式。
0299 1909 明治 42 05・22(04・04) 四方平蔵、大広間の屋根瓦ふき代金5円を献金。
0300 1909 明治 42 05・29(04・11) 四方松之助から畑1畝19歩(綾部町本宮村宮下31番地、旧本殿前)を買い受ける。(代金は12円)
0301 1909 明治 42 06・08(04・21) 出口王仁三郎、京都・大阪へ宣教。
0302 1909 明治 42 06・10(04・23) 毎夕拝後、神学講義をはじめる。
0303 1909 明治 42 07・12(05・25) 四方源之助から綾部町大字本宮村小字本宮下33番地宅地1反11歩および地上の立木とも土地家屋全部買収す。代金469円30銭(坪数494坪=1坪代金95銭)は梅田常次郎(信之)が献金。
0304 1909 明治 42 08・― 『直霊軍』の発行を本部直霊社で行う。発行部数1500。
0306 1909 明治 42 08・03(06・18) 神殿の造営には、建築主任に出口王仁三郎、世話方に湯浅仁斎・梅田信之、棟梁に近松政之助、会計に四方与平等があたる。
0305 1909 明治 42 08・03(06・18) 神殿の斧始祭。
0307 1909 明治 42 08・04(06・19) 毎夕拝後に祭式講習を行うこととなる。
0308 1909 明治 42 08・11(06・26) 建築用地に標旗を建て、十曜の神旗をかかげる。
0310 1909 明治 42 08・25(07・10) 神殿の立柱式・上棟式。
0311 1909 明治 42 08・27(07・12) 出口王仁三郎、坤の金神の守護となる。
0313 1909 明治 42 09・01(07・17) 千葉埴麿、大日本修斎会本部詰となる。
0314 1909 明治 42 11・22(10・10) 神殿(旧本殿)の竣成式に弥仙山から奉迎した神霊の遷宮式を挙行。この時始めて奏楽に八雲琴を用いる。
0315 1909 明治 42 11・26(10・14) 大本黒門および祖霊殿新築決定。献木伐採のため竹原・西原ら鷹栖へ行く。
0316 1909 明治 42 11・28(10・16) 出口王仁三郎、湯浅斎次郎をしたがえ、船井・北桑田地方へ宣教。
0317 1909 明治 42 12・09(10・27) 湯浅斎次郎、船井・北桑田地方の宣教。
0318 1909 明治 42 12・10(10・28) 片山源之助、園部地方へ宣教。
0319 1909 明治 42 12・13(11・01) 祭式講習を開く。
0320 1909 明治 42 12・15(11・03) 出口王仁三郎、大阪・京都宣教。中西、和歌山県下宣教。
0309 1909 明治 42 一斗の甘酒を造って綾部の町の人々に供養した。出口なお(大本・開祖)の言葉に「やがて一石のおかゆをたいて接待せねばならぬような時が来るのやから、その型をせねばならぬ」といわれた。
0321 1910 明治 43 01・13(42・12・03) 湯浅斎次郎、北桑田郡および兵庫県へ。片山源之助、園部地方宣教。
0322 1910 明治 43 01・24(12・14) 出口王仁三郎、京都府下宣教。
0323 1910 明治 43 01・25(12・15) 本部大広間に手水鉢を据付ける。
0328 1910 明治 43 02・―節分 この年から始めて人型を和知川に流す。甘酒接待もこの年から毎年行うこととなる。
0324 1910 明治 43 02・06(12・27) 第二期工事として、祖霊殿と参集所建物用材り選定、泉水掘工事にかかる。
0325 1910 明治 43 02・10(01・01) 出口王仁三郎、京都府下宣教。
0326 1910 明治 43 02・21(01・12) 湯浅斎次郎、京都府天田地方宣教。
0327 1910 明治 43 02・23(01・14) 西原、上谷方面の献木搬出をはじめる。上田幸吉・近松政之助等出張。
0329 1910 明治 43 03・16(02・06) 福島寅之助、本部詰。竹原房太郎幹事、舞鶴地方に直霊支社新設のため赴任。
0330 1910 明治 43 03・24(02・14) 湯浅斎次郎、北桑田地方宣教。
0331 1910 明治 43 04・05(02・26) 大本教会創立満19回の祭典を行う。
0332 1910 明治 43 04・11(03・02) 千葉刀畔、京都・嵯峨・園部地方宣教。
0333 1910 明治 43 05・― 出口なお(大本・開祖)、帰神して本殿の大神を仮教祖殿へ遷座。旧本殿鎮祭の大神を仮教祖殿に遷座する。
0334 1910 明治 43 06・10(05・04) 機関誌『直霊軍』14号を発行し、暫時休刊。
0335 1910 明治 43 07・22(06・16) 大日本修斎会役員の選挙。
0336 1910 明治 43 11・01(09・30) 上田幸吉、上田家の養子となり出口王仁三郎の隠居届出をする。
0337 1910 明治 43 12・03(11・02) 財政不如意のため一千万人講を設立。
0338 1910 明治 43 12・10(11・09) 休刊中の『直霊軍』15号を発行して廃刊。
0339 1910 明治 43 12・29(11・28) 出口王仁三郎、出口家入籍の手続きをおえ、出口王仁三郎と改めらる。
0340 1910 明治 43 12・31(11・30) 大秡式、午後12時より除夜祭を行う。
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更新日 00/08/08