とよたま愛読会134回
    「
霊主体従 8巻 39章 〜 9巻 7」   [前回 レポートへ] [次回レポートへ]
     記:望月幹巳 メール:motomi@moon.nifty.jp


日 時  平成19年11月25(日) 午後1時から午後4時30分まで
場 所  愛善苑 豊玉分苑 (京王線下高井戸駅下車 徒歩8分 川崎方)
     連絡先 03-3321-3896、  03-3321-8644
     
参加費は無料です。事前のお申し込みも不要です。霊界物語をお持ちでない方もご参加できます。
物 語   霊主体従 8巻(未の巻)39章
:言霊解一 〜 9巻(申の巻)7章:地獄の沙汰

師走の候、皆様にはお変わりなくお過ごしのことと思います。
次回135回は  拝読会の後に、恒例の忘年会を開催いたします。事前のお申し込みは不要です。
また、忘年会のみの御参加も可能です。当日の17時ごろまでに豊玉分苑においでいただければと思います。
会費は通例約3000円前後です、どうか奮って御参加ください。

 

★ 報告
今回の参加者は六名でした。
第八巻は高砂洲への宣伝物語ですが、大洪水以前に国祖の御神業を妨害した悪神たちが、それぞれ救われて改心し、宣伝使の身魂となって活躍する様が描かれています。

拝読箇所
・第六篇以降は、大正九年十一月一日に聖師様が五六七殿で講演された、古事記の言霊解となっています。
これは、伊邪那岐命が神去りました伊邪那美命を追って黄泉国にお出でになり、黄泉比良坂に千引きの大岩を置かれたという神話を、当時の世界の問題の警鐘と原因、そして問題解決への心構えなどの源泉として説き明かしています。
ここでは古事記の御神名は、本当の神様ご自身を現しているのではなく、さまざまな寓意を含んだたとえとして解釈されています。そして、古事記神典は時代に関わらず、いつ読んでもそこにそのときの真実が説き明かされている、と語られています。
 

・第九巻は、第八巻に先立つ物語です。第八巻の物語の最後で、桃上彦は生き別れた娘たちに再会して大団円を迎えます。
 第九巻は、その桃上彦の三人の娘たちが父を尋ねて高砂洲に旅立つ物語から始まっています。

★ 拝読箇所で気のついたこと
霊主体従 未の巻
第六篇 黄泉比良坂
第三十九章 言霊解一(395)

* 伊邪那岐命は天系・霊系に属する神であり、地球を修理固成された国常立尊の後を継いだ御子神である。

* 古事記にあるように、迦具土神すなわち火の神が現れた。
 今日の文明は、火によって支えられている火の文明が現れた、ということである。

* その火力によって、地球の表現神である伊邪那美命がほとんど死んだような状態になってしまったのである。
 伊邪那岐神はこれを見て、何ほど文明が進んだとしても、地球には換えられぬ、と言ったのである。

* 今日の世の中はまったく死人同様で、日本魂が残っているところはどこにもなくなってしまっていたので、泣き悲しみたもうた。   
 これが泣沢女神という。

* 伊邪那美神は神去り、世の中は乱れて怪しい雲きりが立ち込めている。
 古事記に比婆の山に葬られたとあるのは、霊と体の分水嶺に立って、神が時機を待たれた、という意味である。

* 十拳剣を以て迦具土神の頸を斬られた、というのは戦争をもって物質文明の悪潮流を一掃された、ということである。
 首とは、皇帝や大統領など各軍国主義国の首領を指している。

* 古事記に、斬られた迦具土神の血からさまざまな神々が現れたというのは、さまざまな暗い思想が勃発して、主義の戦いが始まった、ということを意味している。
 たとえばここに言われている建御雷之男神は、天神の御使いの神のことではなく、実力行使の暴力思想を暗示した記述なのである。

* 伊邪那岐神によって迦具土神が殺されたというのは、戦争をもって軍国主義を一掃された、ということなのである。
 今回の五年にわたる戦争の結果は、火の文明の滅亡を意味しているのである。
 

第四十章 言霊解二(390)
* 殺された火の神の頭に現れた神、というのは言論界に現れた悪神ということである。胸に現れた神とは、政治家や大臣など、国を治める立場の人々の悪思想を表している。

* 同様にして、中流階級、農民階層、実業家などにも利己主義・物質主義がはびこっていることを暗示している。

* 伊邪那美命が黄泉国の食事を食べたために、元の世界に戻れなくなった、とあるのは、物質文明の毒のために、地球上の霊魂が汚された、ということを現している。

* 伊邪那岐命は霊で、伊邪那美命は体である。
 この世は霊ばかりではいけない、霊肉一致でなければならない。
 日本は霊主体従の教えをもっと世界万民を安育しなければならない。

* 古事記に言う黄泉国とは、今日の悪化した世の中を指している。
 そこに霊系の伊邪那岐神が御降りになったということは、精神文明の徳をもって、森羅万象一切のものを愛撫するという至仁至愛の大御心から地球を完成される、ということである。

* 火力文明のために黄泉国となってしまった世界を、一度元に還そうということである。
 神の教えにしたがって神が改心し、国魂が改心し、人民が改心して完全な国を造れ、悪の守護神も改心してくれ、ということである。

* 伊邪那美命がもう少し早くご注意くだされたら、とお答えになった。
 そして黄泉神と相談するというのは、黄泉国を支配する体主霊従の主権者たちを説き伏せよう、ということである。

* しかしなかなか黄泉神たちの議論がまとまらない様子を示している。
 

第四十一章 言霊解三(391)
* 伊邪那岐神が櫛を灯して見たというのは、奇魂の「くし」であって、誠の神の霊智霊光の発動を現している。
 日の神の御光である。

* 天津日嗣は一人しかおられない。
 日の大神の御聖徳を輝かし、その大御心をもって世界を調べたのである。
 すると世界の人民の心は蛆のようになってしまっていた。

* 古事記に、伊邪那美命の各所に雷神がいた、というのは、世界の各階層のひとびとの思想が悪化してしまっていることを表している。

* 大本は一つ火、霊主体従の神教を天下に宣伝していたが、頭に成れる雷神の大圧迫が落下して、各種の妨害を受けたのである。

* また大本内部にも、役員信者の中に利己的な目的をもって潜んでいる分子が存在ししている。

* 伊邪那岐神が伊邪那美神の惨状を見て、黄泉国から逃げ帰られたというのは、世界の惨状、人民悪化のあまりの矛盾撞着に呆れられた、ということである。
 

第四十二章 言霊解四(392)
* 醜い姿を見られた伊邪那美命が、恥をかかせられたと言って予母都志許売を遣わして追わせた、というのは、大本の一つ火の明光に照らされた悪神たちが、逆に圧迫妨害を加えて四方八方から攻め立てる、ということなのである。

* 伊邪那岐命が黒御鬘を取って投げ捨てると、蒲子が生った、というのは、幽玄な神の御教えを天下に宣伝すると、美しい誠の新信者ができた、ということである。
黄泉醜女が、一人一人に圧迫を加える、ということである。

* ここにおいて神はついに、神界の一輪咲いた梅の花である経綸を現して黄泉醜女に向かって宣伝した。
 すると箏という上流貴紳の了解を得て、大本の使命が純忠純良なことが天下に知られる、ということである。

* 邪神の頭株が大本の経綸を破壊しようと苦心しつつあるうちに、神国の危機を救うべき準備を整えていくことである。

* 黄泉軍とは、大本にたとえると社会主義者、仏教家、キリスト教徒などが露骨な圧迫を加えてくることである。
 世界にたとえると、侵略とか利権獲得などの良からぬ目的のために戦いを起こす賊軍のことである。

* ヒラサカとは、尊厳無比にして世界全体を照らし、統一し、仁慈を施す神軍である。
 霊系の大本神である日の大神の徳と万世一系の皇徳を備えている。
 ◎(ス)に変あるときは、水の精である月光が世に出て皇国の栄を守り、抑え忍んだ公憤を発して向かい戦い、神威皇徳を世界に輝かすという、神軍のことを言うのである。

* 坂本は大本のことであり、三つの桃は瑞霊の御魂のことである。
 瑞霊が十拳剣の精なる神の教えによって待ち討つとき、黄泉軍はことごとく敗走した、ということである。

* 伊邪那岐命は自分の命を救ってくれた、と桃の実つまり瑞霊とその聖なる団体に向かって賞賛された。
 今後においても、万一危機が出来したら、報国の大活躍をして万民を救え、と言い、オホカムツミと名を賜った。

* オホカムツミの言霊は、惟神の大道を天下に宣伝する至誠至忠の聖団、忠良な柱石神である、というご賞賛である。
 今の世に、麻柱の大道を実行する大神津見命は、今いずこに活躍しているのだろうか。
 

第四十三章 言霊解五(393)
* そして最後には、世界全体が一致して日の神の御国へ攻め寄せてくるのである。
 これが最後の世界の大峠である。

* 千引岩とは、君国を思う勇士の軍隊のことである。
 国家鎮護の神霊の御威徳、国防軍である。
 霊主体従国と、体主霊従国は、その国魂相応のやり方で立て分ける、という神勅が、事戸を渡す、ということである。和光同塵的なやり方ではもう行かない、ということである。

* 古事記に伊邪那美命が一日に千人を殺す、というのは大本の信者を一日に千人妨害して離教させようという邪神の企みを示している。
それに対して、生まれ赤子の人民を千五百人養成しよう、と返しているのである。

* 人民を養成するチイホウブヤとは、神の血筋の因縁の御魂が寄り集まって霊主体従の本領を発揮する聖場である。
 綾部大本の神示の経綸がチイホウブヤ(千五百産屋)である。

* 黄泉大神は道敷大神とも言われる。
 チシキとは外に向かって乱を起こし、正道を妨害する大神、ということである。

* それにたえして伊邪那岐命が道に置かれた道返大神は、邪道・邪神を防ぐ神ということである。

* 古事記に言うイフヤザカ(伊賦夜坂)とは、善悪正邪の分水嶺である。黄泉軍の経綸は惟神の大道に反している。
 ゆえに大動乱の末に破滅に至るのである。

* どこまでも徳を積み重ね、よく隠忍して天下の大徳を保つ日本に対して、世界各国はほとんど争乱の極みに達して、正義人道は地を払い、◎スに事のある暴国となっている。

* ここに、仁義の神の国は、一切の善事瑞祥を発生して、仁慈大神の神世に復し治めるべきである。
 そうして、暗黒界に光を輝かせて、妖軍に悩まされて滅亡せんとする国土人民に対して、身命を投げ出して救助するべきである。

* 治国平天下の神の鍵を握るときであり、治乱・興亡の大境界線である現代も、またこれ、古事記に言う「出雲の伊賦夜坂」というべきものなのである。
 

あとがき
* 第七巻までは各巻五十章ずつ編集していたが、本巻以降は特にそういった章数の制限を設けていない。

* 第六篇「黄泉比良坂」は、瑞月大先生がかつて五六七殿において講演された、古事記の言霊解である。

* 本巻は南アメリカ(高砂洲)における宣伝隊の活動を口述されたものである。
 蚊ヶ虎(珍山彦)という木花姫命の化身が面白おかしく誠の道を説き諭す様が描かれています。

* 栗原古城氏の「青い鳥のおしへ」の序文には、神の霊智と慈愛の極地に達した真の哲人は、われわれ俗衆に向かって説法するとき、夢物語のごとく御伽噺のごとく、架空談のように説くが、それが敬虔な心をもって深く考慮する人の心にとっては、この上ない霊性と霊感の源泉なのである、とあります。

* 霊界物語もまったくこのようなものであると信じます。われわれの工夫と修省によっては凶を変じて吉となし、禍を転じて福とし、地獄の焦燥・苦悩から、天国楽土へ無事に到着することができるのである。
 

霊界物語 第九巻 霊主体従 申の巻
第一篇 長途の旅
第一章 都落(394)

* エルサレムの都で、かつての天使長・桃上彦の三人の娘・松代姫、竹野姫、梅ヶ香姫は暮らしていた。
 ある日梅ヶ香姫は、父は珍の国にいると霊夢に感じた。姉妹は密かに屋敷を出て、父の行方を尋ねる旅に出た。

* 姫たちが屋敷を出たことに気づいた従者の照彦は、急いで後を追って出た。

* エデンの渡し場にやってくると、船着場の男たちは遠目に姫たちを見て、その美しさをネタに雑談している。
 

第二章 エデンの渡(395)
* 姫たちは渡し場で、男たちに向こう岸に渡してくれるよう交渉を始めた。
 しかし姫たちが桃上彦の娘と分かると、船頭たちの態度は一変した。

* そして、姫たちに自分たちの妻になれ、と無理難題を言い始めた。
 そこへ照彦が追いついて、自ら大天狗と名乗って船頭たちを掴んでは投げ、追い散らしてしまった。

* 一同は危機を乗り越えたことを神に感謝した。
 

第三章 三笠丸(396)
* エデンの河を渡り、山を越え野を越え、一行はアフリカにやってきた。
 アフリカのヨルの港から、三笠丸という船に乗り、高砂洲へと向かった。

* 地中海を渡る間、姉妹は身の上を読み込んだ宣伝歌を歌っていた。
 その歌声は船内に響き、船客たちはそれを聞いて噂話に花を咲かせたり、そのはずみに喧嘩をしたりしている。

* このとき、またもや船内から男の声で宣伝歌が聞こえてきた。
 

第四章 大足彦(397)
* 船客たちがまたもや四方山話にふける中、船中に乗り合わせていた足真彦(大足彦の後身)の宣伝使は、かすかな声で宣伝歌を歌い、松・竹・梅の三姉妹と照彦に、訓戒と予言を示した。

* このとき、前方より白帆をあげて大船小船が幾十隻となく、こちらに向かって、艪の音も勇ましく進み来る。
 

第五章 海上の神姿(398)
* 進み来る船団の大船には、気高き女神が舷頭に立ち会われた。
 気高き女神は東天を拝して、何事かを祈るごとくの様子であった。

* 女神の傍らには、筋骨たくましく眼光けいけいなる大神人が立っていた。
 その歌う宣伝歌に、三笠丸の人々は、これが日の出神であり、女神は伊邪那美大神であることを知った。

* 照彦をはじめ、松・竹・梅の三姉妹は思いもかけず伊邪那美大神と日の出神のお姿を拝することができたことを喜んだ。

* 船中の客たちはまたもや雑談を始めたが、そのとき船底に怪しい物音が聞こえた。
 船頭は大声で、船が座礁して沈没しつつあることを叫んでいる。
 船内は一度に大騒ぎとなってしまった。
 

第六章 刹那信心(399)
* 三笠丸は怪しき物音ともに、いまや海底に沈もうとしていた。
 松・竹・梅の三姉妹と照彦は少しも騒がず、天に向かって合掌し、何事かを奏上した。
 そして竹野姫はすっくとたって吹き来る風に向かい、しとやかに歌い始めた。

* 神々の助けを請い、自分たちの父を訪ねる心情を吐露し、風をおさめて船を救うように祈願の歌を歌った。

* この言霊に、雨も風も波もぴたりと止んだ。
 そして不思議にも暗礁に乗り上げて沈没しようとしていた三笠丸は、何の故障もなく静かに海面を進行し始めた。

* 船客たちは三五教の神徳にしきりに感心している。
 その日の黄昏時、船は智利の港に到着した。
 

第七章 地獄の沙汰(400)
* 船は港内に安着した。
 松代姫は智利の国に到着した嬉しさと父への恋しさを歌に歌った。

* 船客たちは船が安着したことでほっとして、噂話にふけっている。
 その中に、先日珍の国の宣伝使・桃上彦が巴留の都で、槍に刺されて沙漠に埋められてしまった、という話をする者があった。

* 松代姫一行はそれを聞きつけ、男から桃上彦の様子をもっと詳しく聞きだそうとした。

* 男は一行に情報料を要求して金をせしめると、桃上彦は巴留の国で死んでしまったよ、と言い残して姿を隠してしまった。

 

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