とよたま愛読会144回
「霊主体従 12巻
28章 〜 如意宝珠 13巻 5章」 [前回
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記:望月幹巳 メール:motomi@moon.nifty.jp
日 時 平成20年 9月28(日) 午後1時から午後4時30分まで
場 所 愛善苑 豊玉分苑 (京王線下高井戸駅下車 徒歩8分 川崎方)
連絡先 03-3321-3896、 03-3321-8644
参加費は無料です。事前のお申し込みも不要です。
霊界物語をお持ちでない方もご参加できます。
物 語 霊主体従 12巻(亥の巻)
28章:言霊反 〜 如意宝珠 13巻(子の巻)
5章:同士打
★ 報告:
お知らせ
十二月の拝読会は、第三日曜日の12月21日に行う予定ですので、お間違えのないようお願いいたします。
また、十二月の拝読会の後に、恒例の忘年会を行う予定です。
秋冷の候、皆様にはお変わりなくお過ごしのことと思います。144回愛読会は9月28日に無事行われました。
霊主体従の最後の第四篇である古事記略解から始まり、如意宝珠の始めの総説と第一章は、聖師様の論文を収めた構成になっています。
古事記略解では、古事記における天照大神と須佐之男命の誓約の場面について、霊界物語を踏まえた解説になっています。誓約の意義が説かれていますが、須佐之男命の追放については、罪人のために犠牲になる贖いの意味があると説かれています。
十三巻では神旗の由来で、十曜の神旗が天の数歌に則っていることが明かされています。次の小論「霊力体」では、三大学則によって捉えられた宇宙の姿について簡単な解説がなされています。
第一章では、天岩戸開き、鎮魂、富士山について言霊による解説が展開されています。
神旗の説明で、第一球の混沌鶏子を「宇宙開発以前の真如」とされています。真如は仏教用語で、真理のことを指し、仏性や実相と同じ意義である、とされている重要な概念ですが、それは宇宙開発以前の状態の認識である、とされています。
そうしてみると、天地未剖のときの天之御中主大神(主神)を認識することが、真如なのでしょうか。聖師様は仏画をたくさん残されており、とりわけ達磨大師の絵が多く見られますが、この辺りの消息を現したものでしょうか。
★ 拝読箇所で気のついたこと
霊界物語 第十二巻 霊主体従 亥の巻
第四篇 古事記略解
第二十八章 三柱の貴子(524)
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伊邪那岐命は霊界の主宰者として、左の目を洗って、天照大御神を生みなされた。また右の目を洗って、月読命を生みなされた。目はもっとも重要な部分であり、宇宙を納める文字通り眼なのである。
- 天照大御神は、綾部の本部で祭っている神様である。
- 次に鼻を洗って須佐之男命を生みなされた。鼻は物質の元を意味する。また真ん中の位置を示し、統治を表すのである。
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三貴神を得た伊邪那岐命は、喜んで御頸玉を天照大御神にお授けになった。この御頸玉の言霊解は、恒天暦、太陽暦、太陰暦の三つの暦をお授けになった、ということである。
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天照大御神は全大宇宙の主宰であり、月読命はそれを助ける補佐の役目を与えられた、ということである。須佐之男命の海原とは、地球を意味している。
- したがって、天孫降臨以前は、須佐之男命が地上をしろしめしていたことが、古事記からわかるのである。
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しかし地上が混乱し、須佐之男命はたいへんお嘆きになった。神代といえども世が行き詰まって、さまざまなよからぬ事件が起こってきた。今日の状態も、古事記に見られる神代のこの岩戸開き前によく似ている。
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伊邪那岐命は、このような状態になってしまったことで、須佐之男命を責められた。これは文武百官が体主霊従に陥り、政党の争いがあるため、須佐之男命がなにほど一柱で努力されても、混乱を治めることができなくなってしまったのである。
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そのため、須佐之男命は責任をかぶり、母神・伊邪那美命のまします根の堅洲国(月界)へと帰りたい、と申し出たのである。
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伊邪那岐命は、こうなってしまった原因は体主霊従の神々らにあることはわかっているのだが、彼らの眼を覚ますために敢えて、自分の子である須佐之男命を罰して、もって広く神々らを改心させようとしたのであった。
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しかし体主霊従に陥った八百万の神々らは、かえって須佐之男命が主宰者として不適格であったと、冷淡な間違った考え方を持っていた。まことに、治めがたい世であったのである。
第二十九章 子生の誓(525)
- 須佐之男命は根の堅洲国に行く前に、姉神である天照大御神にいとまごいを告げに高天原にやってきた。これは大事件であるというので、国内が大騒ぎになった。
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天照大御神はこの騒ぎを聞いて、弟神に何か悪い心があって高天原にやってくるのではないか、と疑いの心を持った。そこで、戦闘の準備をして荒々しく弟神を迎えた。ちょうど、今日の新聞が、大本を疑ってかかるような状態である。
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そこで須佐之男命は姉神に弁解をされたが、姉神は証拠を見せろと仰せになる。そこで、御子生みの誓約をすることになった。
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須佐之男命の剣から生まれたのは、多紀理姫命、市寸嶋比売命、多気津姫命の三女神であった。それぞれ尚武勇健、稜威直進、正義純直という言霊学上の解釈になる。これが瑞霊の霊性である。
- 須佐之男命の武器からは従順な女神がお生まれになった。
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一方、天照大御神の鏡からは、猛々しい五柱の男神がお生まれになった。これによって、天照大御神は変性男子、須佐之男命は変性女子である御魂が立て別けられたのである。
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須佐之男命には悪い心がなかったことが明らかになった。つまり誓約には勝ったのだが、須佐之男命に従う者らはこの結果に増長し、さまざまな乱暴を行い始めた。
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天照大御神は、弟神がこのような乱暴を行うはずがないとして静観していた。しかし機織り(世界経綸)をしているときに、馬の皮を上から落とされて邪魔をされた。またそれで機織り女が死んでしまうという事件が起きた。
第三十章 天の岩戸(526)
- 天照大御神はあまりのことに、天の岩戸に籠もってしまったが、これは現代で言えば、主宰の地位を辞職された、ということである。
- 世の中の統治が崩れて混乱した。そこで貴賎の別なくすべての人々が国家を憂い、集まって議論をした。
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そして思兼の神の発案によって、天から下った教えを取り、世を治めるために必要な武具を作り、霊能の反映であり言霊である鏡を作ったのである。
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そうして、神占を行って神勅を乞うたのである。その結果、祭典を行って天神地祇を祀らねばならぬ、という結論に決まった。神楽の準備をなされた。
- 今日の世の中は、ちょうど神楽の獅子舞のように混乱紛糾の極みにいたっていると見ることができる。
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天の宇受女命とは、難局に当たって活躍する男勝りの女である。それが飛んだり跳ねたり、国家的大活動をなした、ということである。そこで八百万の神々らは元気付いて、どっと笑った。
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信仰ができて神の御心がわかったならば、国家的な大難にも、談笑遊楽のうちに対処することができるようになるのである。
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天照大御神の姿が鏡に映ったというのは、鏡は言霊であるから、八百万の神々が言霊によって岩戸を開いた、ということを意味しているのである。一つの大きな言霊を為して、天照大御神をお寄せになった、ということである。
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さて、岩戸が開いた後、岩戸を閉めた者を罰しなければならない。しかし岩戸が閉まった原因を作ったのは、本来はほとんど世界中の八百万の神々の責任である。しかし全員を罰するわけにはいかないので、贖い主を立てる必要がある。
- 罪ある神々は自分を省みず、もったいなくも須佐之男命御一柱に罪を負わせて、根の堅洲国に追放されたのであった。
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変性男子の役目は統治であるが、変性女子の役目は、この世が続く限り、罪人のためにどこまでも犠牲になる、ということなのである。
霊界物語 第十三巻 如意宝珠 子の巻
モノログ
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この物語は、全巻を通じて三大潮流が渦巻く大編著であるから、一冊や二冊拾い読みをしたくらいでは、到底その真相を捉えることはできないのである。
- まず全巻を読み終えた後でなければ、いかなる批判も加えることはできない。
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中には、御伽噺の出来損ないみたいな批評を加えている人もいるようだが、霊界物語は少しも人意をくわえない、神の言葉そのままを写すのだから、この点をとくと考えていただきたい。
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仁慈無限の神様より万物を見れば、一切が善であり愛である。ただ人間としての行動から誤解が生じ、それからもろもろの罪悪をひきおこし、邪気と成り天地を曇らせ、神を汚し道を破り、自業自得的に災禍を招くのである。
- この神著によって、善悪不二、正邪一如、顕幽一致の絶対的な真理は、明白になると確信するものである。
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この物語は宇宙精神の一斑を説示したものである。病人がこの物語を聞かせられてたちまち全快するのも、人間の頭脳の栄養物であるからである。大本の大精神ものこの中にあり、信徒の羅針盤となるべきものである。
- また洋の東西や人種を問わず、修身斉家の基本、国を治める規範となるべきものである。
- 大本信徒においては、心の障壁を取り払って虚心坦懐に、本書に包含されている五味の真相を明らかにして欲しい。
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こう記す間に、万寿苑瑞祥閣の上空に二羽の鴻鶴がゆるやかに飛翔し、しばらくして大公孫樹に一羽、堀端の松に一羽、羽を休めてついに竹林に姿を隠した。丹波で鶴を見るのは数十年来ないことで、大本瑞祥会に対する何らかの神示慶徴であろうと、役員らの口々の評定に上っていたことを記す。
総説
- 天孫降臨以来、幾万年を経た今、ふたたび吾が同胞に大希望の光明が身魂に充満している。
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顧みれば天地初発のとき、大地球がまだ凝固していなかったので、天神は国祖に対して、ただよえる国を造り固めよ、とお命じになった。我が祖先はこの神勅を奉じて、世界の中心として我が神国を修理固成された。
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それ以来日本民族は、神勅を奉じて祖先の志を継ぎ、天の下四方の国を平らけく治めようと、静かにこの神洲に修養しながら幾万年もの年を重ねた。
- 今ようやく、その潜在力を蓄積しつつある。東洋文化を吸収し、西洋文明をも集めつつある。
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吾等神洲の神民は、世界文化の粋を一身に集めてこれを消化し精錬し、天祖の遺訓と父母祖先の志を発揮し、もって世界的文明の建設という大業を為すべき、一大天職を担っているのである。
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過去の歴史と現在の趨勢を考えると、建国の一大精神が世界人類のために建設されたことを知るに至るのである。大正の御代の現在は、このような大いなる意義を持つ時代なのである。
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私は大本開祖の御神訓である、「お照らしは一体、一つの王で治める、日本は神国であり神が出て働く、日本の人民用意をされよ」という活きた教えを遵奉し、またこの天啓が現代の民心にますます欠くことができないものであることを、深く信じるものである。
(一)神旗の由来
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十曜の神旗は、日本の国体をあまねく世に知らしめ、日本魂の根本を培養するために、開祖が開教の主旨に基づいて考案したものである。上古天照大神が岩戸にお隠れになったとき、天宇受売命が歌い給える天の数歌に則っている。
- 第一球は正上に位し、宇宙の大本である混沌鶏子の色となす。
- 第二球は白色。
- 第三球は黒色。ここまでは、宇宙の実相である真如を開発して、陰陽二元になる形を造ったものである。
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そして、二元が感合して森羅万象を生じることから、四から十までを七元色に分別して、日月火水木金土の七曜に配し、すべての球を神統に配して、国体の真相を知らしめようとするものである。
- 色別 数別
神統別
卵 霊 一(ひ) 天之御中主大神
白 力 二(ふた) 高皇産霊大神、神皇産霊大神
黒 体 三(み) 国常立尊、伊弉那岐大神、伊弉那美大神
赤 世 四 天照大御神
橙 出(いつ) 五 素盞嗚尊
黄 萌 六 吾勝尊
緑 生成(なな) 七 二二岐尊
青 弥 八 神武天皇
藍 凝 九 今上天皇
紫 足 十 大本皇大御神
- 色別
◇神旗十曜の色別は、光学上の色の別である。正上の第一球を卵色としたのは、天地が未剖の前の混沌とした鶏子の色を採り、宇宙開発以前の真如を形造ったものである。
◇光学上の卵色とは、各色の光線が一様に集まって何色とも分別しがたいように、宇宙の真象が万有の終始をなし、統一を保有するをもって、このように定めたのである。
◇また、第二球を白色、第三球を黒色としたのは、天地剖判にあたって太極が動いて陰陽が生じた形を造ったのである。二元が相交わって、下の七元色から無数の色が生じるのは、森羅万象が生じるごとくである。
◇以下の七元色は、順序の説明による。万有が生滅変化やまざる無いがごとくである。
◇すべての色の本は、黒白の二色であり、二色を統一するのは卵色である。
- 数別
◇数別は、天の数歌に則っている。天の数歌は、天之宇受売命に始まる。後世は鎮魂祭にて猿女君が歌って天皇の長寿を祈ったものである。
◇『ひと』は霊妙にして活気の最たるものである。
◇『ふた』は宇宙の本体が霊機の力によって初めて開発されることを言う。
◇『み』は物体である。
◇ 三大要素が『世』になる。
◇『出つ』と数える。
◇ 動物植物が『萌ゆ』。
◇ 万有が『生成』、『弥』、『凝る』
◇ そして人生の事『足る』。
◇ このように、日本語の基数は天地開闢・人生肇出の沿革を語ったものである。
◇ 天の数歌に則ったのも、知らず知らずのうちに宇宙進化の理法により、国の始めの精神、立教の主旨をあまねく世人に教えようというものである。
- 神統別
◇神別について略解する。宇宙の本体を人格化して、天之御中主神と称し奉る。
◇
宇宙の活動力を人格化して高皇産霊、神皇産霊の神と称し奉る。混沌たる無始において、三神が造化の首を為す。二神は夫婦の道を開き、国土山川を生み、日月星辰を生み、風雨寒暑、草木、動物、人類を生み給うた。
◇ こうして、我が国の始めにあたり、天神は長く統を垂れ給い、連綿として今日に至るのである。
◇
日本国民はこの深厚なる神徳によって陛下の民として生まれ、陛下は吾らが宗家の嫡子にまします。今上にましまして吾ら下を治め給う。これは吾ら大祖先が無始より吾らを愛護したまうものなのである。
◇
そのことに報いるためには、まず忠君愛国であることを信仰することで、天賦の職責を果たし人生の面目を達する。そうして宇宙造化の功に資するのは、人生最大の幸福である。
◇ 私は悠々たる天地の間に、これをもって生き、また死し、ここに住して安心立命し、この境に入って天国楽園の真の楽を稟ける。
◇
大本が十曜を神旗と定めたのは、実にこの精神に基づいたものなのである。正上の第一球を一とし、正中の一大球を十としたのも、大本の神旗であるから、大本皇大神を正中に配したのである。
(二)霊力体
- 神徳が広大無辺であることは、人間の知恵でよくうかがい知ることができないものである。
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しかし私は静かに天地万有が燦然として秩序あることを観察し、また活物の状態を仔細に観察して、明らかに宇宙の霊力体の運気妙用を知るに至り、神がこの世に厳として臨み給うこと、疑いの余地がないまでに至った。
- 天帝は唯一神にして、天之御中主神と称す。宇宙の神光を高皇産霊神といい、神温を神皇産霊神という。
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天帝は宇宙万有の大元霊であり、幽之幽にまします。視ること語ることのできない隠身である。神光は天帝の光であり、神温は天帝の温である。共に造化生成の妙機にして、独立不羈の神徳なのである。
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天帝は無始無終である。無始無終の力と体をもって、万物を造る。天帝は勇・親・愛・智をもって魂となした。また動・静・解・凝・引・弛・分・合をもって力となした。剛・柔・流をもって体となした。
* 全霊 *
- 全霊は、荒魂は神の勇、和魂は神の親、奇魂は神の智、幸魂は神の愛である。直霊というものが、これを主宰している。
- 俗学不識の輩は、荒・和を心の体とし、奇・幸を心の用としているが、直霊を知らない。悲しいことである。
* 全体 *
- 剛・柔・流の三つが、上帝の全体である。流体を生魂と唱え、葦芽彦遅と称す。剛体を玉留魂と唱え、常立と称す。柔体を足魂と唱え、豊雲野と称す。
- 剛体は鉱物の本質、柔体は植物の本質、流体は動物の本質である。
* 全力 *
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動、静、解、凝、引、弛、分、合の八力を、上帝の全力と称す。神典では、動力を大戸地、静力を大戸辺、解力を宇比地根、凝力を須比地根、引力を活久比、弛力を角久比、合力を面足、分力を惶根と言う。皆、日本各祖の所名である。
* 全智全能之真神 *
- 霊、力、体が合一したものを上帝という。真神というも、上帝というも、みな天之御中主大神の別称である。
第一篇 勝利光栄
第一章 言霊開(527)
* 天の岩戸 *
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誓約に勝った須佐之男の陣営は、勝ちに乗じて荒び暴れまわった。しかし天照大御神は見直し詔り直し、善意に解釈していた。
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しかし機屋に天の斑駒の皮を落とし入れて神衣織女が亡くなった事件を契機に、天照大御神は天の岩屋戸の中に隠れてしまった。高天原も葦原の中津国も、常夜となり暗くなってしまった。災いがあちこちで起こった。
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そこで八百万の神々は、思兼神を議長にして会議を開いた。石凝姥命に八咫の鏡を作らせ、玉の御祖命には八坂の勾玉を作らせ、天の児屋根命や太玉命には鹿の骨で占いを行わせた。そして祭祀の準備をさせた。これが顕斎のはじめである。
- そして天之宇受売の幽斎によって、皇大神を岩屋戸から開き出だしたのである。
* 鎮魂 *
- 日出る国の国体が、他に優れて比類ない理由を、この国の民として究め覚らないわけにはいかない。
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万世変わらぬ天津御祖の定めた皇大君のしろしめす国は、日本だけである。神代の昔、那岐那美の二尊が修理固成の大御神勅の実践により国を産み、青人草や山川・木草の神を生み、ついには天照大御神、月夜見大神、速須佐之男大御神をお生みになった。
- 伊弉那岐大神は、天照大神は高天原、月夜見大神は夜の食国、速須佐之男大神は大海原を治めるように、と言いつけた。
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伊弉那岐大神は、首の八坂勾玉の五百津御魂美須麻琉を玉緒もゆらに取り揺らし、高天原を治めるべく日の大神に賜った。これがその魂を取り憑けて、日の神国の主宰神たらしめるという御術である。これが鎮魂のはじめであり、治国の道の要である。
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天照大御神は、その神業を受け継いで、二二岐命に統治権を譲られた。その御しるしが、三種の神器である。これより代々の天皇は、その大御心を受け継いで即位の御制度となされた。
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これが鎮魂の御徳であり、尊奉崇敬怠らずに神の御神威を仰ぐべきである。鎮魂の神業は、天津御祖が定めた顕幽不二の御法であり、上は治国平天下、下は修身斉家の基本である。
- それだけでなく、この道は無形無声の霊界を明らかにする基礎でもある。
- 神の御国に住む人は、邪な道を捨てて、神術に心を清めて身をゆだねて、霊魂の活動を鍛えるべきである。
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国家多端のこのときにあたり、神洲男子はやまと魂を世界に輝かし、天に代わって功績を立てよ。直霊を経となし、厳の魂を緯となして、八洲にわだかまる悪魔が亡ぶまで進め。
* 富士山 *
- フジのフは、地球の中心から金剛力を持って火焔を噴出すこと。ジは火脈の辻であり、滲み出す言霊である。
- フジの霊返しはヒであり、日であり霊である。いつまた活火山と復するかもしれない神山である。
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言霊の活用を思考するとき、富士山とは大日本国の表徴にして、神国と神民がその最優秀なる天職を発揮して、世界の万国を教え救うという神国天賦の本能を現している。神霊の活用する神峯ということである。
- 富士山は、日本国の崇高なる意義を代わりに表した神の山なのである。
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以上の数篇は、大正十一年一月号の神霊界に所載したものである。そのうち、神旗の由来、霊力体、天岩戸、鎮魂等の章はいずれも、明治三十三年の王仁の旧作を再録したものである。
第二章 波斯の海(528)
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黄泉島の沈没により、波斯の海面は水かさが増し、低地は冠水してしまった。波斯の港に向かう鶴山丸には、日の出別命をはじめ、ほかにウラル教の宣伝使らが数名乗り込んでいた。
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ウラル教の宣伝使たちは、竜宮島に渡って三年間宣教を行ったが、竜宮島の司である三五教の飯依彦の堅固さに打ち破れず、すごすごと帰ってきたのであった。
- 一同は、この失敗をどうアーメニヤに復命したものかと、思い悩んでいる。
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突然、鶴山丸は暴風怒涛に襲われ、船は沈没するかと見えた。しかし三五教の日の出別命は、ウラル教の宣伝したちに、正しい道に立ち返るように呼びかける宣伝歌を歌った。すると、暴風はたちまち鎮まった。
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ウラル教宣伝使のリーダー・岩彦は、仲間の梅彦、音彦、亀彦、駒彦、鷹彦に、なんとか三五教の宣伝使を打ち負かそうと案を募るが、亀彦や梅彦は、三五教の神力に降伏して向こうの弟子になろう、と言い出す。
- 三五教の宣伝使とあくまで戦うのか、降伏するのか、一同が思案しているところへ、またしても暴風雨がやってきた。
第三章 波の音(529)
- またしても船が暴風に襲われ、岩彦は仲間から、お前が改心しないから神の戒めにあうのだ、と責められる。
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しかしいよいよもうだめだというときに、一同は変な刹那心を発揮して逆に勇気を奮い、日の出別宣伝使に対抗しようと、しどろもどろにウラル教の宣伝歌を歌い始めた。
- そうするうちに船は暴風に流されて波斯の海岸のタルの港に着いた。
第四章 夢の幕(530)
- 日の出別宣伝使は上陸し、フサの都さして出発した。ウラル教の六人の宣伝使たちはその後をそっとつけていく。
- 砂塵を浴びながら原野を進み、日の出別命はシヅの森に着いて、一夜を明かすことになった。
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ウラル教の宣伝使たちも到着し、点呼をするが、肝心の岩公がはぐれてしまったことに気づく。仲間たちは、岩公は普段いばっているからその報いだ、と話あっていたが、そこへ闇の中から大きな声が聞こえてきた。
- 暗がりの大声は、アーメニヤの神都は荒廃し、ウラル教にもはや勢いはないとして、三五教への改心を迫った。
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化け物のような声にどう対処しようかと一同が相談していると、巨大な光が現れて、その中から恐ろしい朱色の顔をした怪物が、舌先に人の首を乗せている。よく見れば、岩彦の首であった。
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鷹彦は怒って、岩彦の敵とばかりにウラル教の宣伝歌を歌って化け物をやっつけようとするが、化け物は、ウラル教の宣伝歌を聞くとかえって気分がよくなる、と言う。
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仕方がないので、三五教の宣伝歌をうろ覚えで歌うが、それは梅彦、亀彦、駒彦、音彦に食いつけよ、というおかしな歌であった。
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仲間は鷹彦を責めるが、鷹彦は、実は自分は三五教の宣伝使であり、今までウラル教に潜伏して布教の妨害をしていたのだ、と正体を明かす。
- と、化け物の口から岩彦が落ちてきた。そこで一同は目を覚ます。シヅの森でみな夢を見ていたのであった。
第五章 同士打(531)
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どうも奇妙なことが続くので、岩彦を中心にウラル教の宣伝使たちは会議を開いた。そして、すぐ側に寝ている日の出別宣伝使をチャンスとばかりに襲おうとする。
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しかし鷹彦は反対し、三五教に降参するべきだ、と異論を唱える。一同は、先ほどみなが同じ夢を見て、その中に三五教の回し者が一人潜伏していると出ていた、と口々に怪しみ出す。
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鷹彦は自ら、自分がその宣伝使だとほのめかす。一同は鷹彦に詰め寄るが、鷹彦は今まで気がつかなかった仲間たちを笑っている。
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ウラル教の宣伝使たちは鷹彦に殴りかかるが、鷹彦はひらりと身をかわし、同士討ちになってしまう。いきり立ったウラル教徒たちは、暗闇の中でますます同士討ちをしたり、木にぶつかったりしている。
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鷹彦は姿を現して、自分の背中に羽が生えているのを見せ、羽ばたきして見せた。ウラル教の宣伝使たちは恐れおののいて、ついに三五教への降伏と改心を誓うに至った。
- このとき闇の中より、傍らの茂みのなかから涼しい声で宣伝歌が聞こえてくる。
以上
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