とよたま愛読会148回
「如意宝珠 14巻
10章 〜
跋文」
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記:望月幹巳 メール:motomi@moon.nifty.jp
日 時 平成21年 1月25(日) 午後1時から午後4時30分まで
場 所 愛善苑 豊玉分苑 (京王線下高井戸駅下車 徒歩8分 川崎方)
連絡先 03-3321-3896、 03-3321-8644
参加費は無料です。事前のお申し込みも不要です。
霊界物語をお持ちでない方もご参加できます。
物 語 如意宝珠 14巻(丑の巻)
10章:牡丹餅 〜 跋文
★ 報告:
向春の候、皆様にはお変わりなくお過ごしのことと思います。
今回の拝読会は、MGNさん、SOTさん、IWTさん、KKUさん、SRWさん、MTZの六名を集めまして、無事に行われました。
物語は、蘇生した弥次彦と勝公と合流した与太彦、六公の一行四人が、谷間を這い上がり、小鹿峠を越えて行きます。
途中に寄った茶屋の下女お竹は、六公の元の女房であることがわかります。改心した六公は、勝公のとりなしで、コーカス山詣から帰ってきたら復縁することになります。
コーカス詣の途中、山上で慢心した一行は幽斎中に邪神に襲われますが、日の出神一行に助けられて改心します。その後、またしても突風に飛ばされた四人は、「一途の川」のほとりでウラル教の邪神の生まれ変わりの婆達と出くわし、また現界に戻ってきます。
谷川で禊の最中におぼれた六公は、改心させたウラル教の烏勘三郎たちに助けられ、息を吹き返して無事にコーカス詣を終え、お竹と復縁します。
一見滑稽な挿話集のような体裁の十四巻ですが、随所に、勝公の法話や鎮魂帰神の戒めなどはっとさせる教えが散りばめられており、幽界探検の様子も非常に興味深い描写にあふれています。
★ 拝読箇所で気のついたこと
第十四巻 如意宝珠 丑の巻
第三篇 高加索詣
第十章 牡丹餅(五六七)
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弥次彦、勝彦、与太彦、六公の四人は、ようやく谷間を這い上がって小鹿山峠の坂道に着いた。
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六公は、途中に松屋という飲食所があるので、そこで休もうと提案する。また、弥次彦の奇妙な宣伝使服の重ね着と自分の衣服を交換する。
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一行は店に入ると牡丹餅を注文して食べ始めた。食べ終わると、六公は店の下女のお竹に、お釣りは取っておくようにと鷹揚に代金を支払う。しかしお竹は六公の顔を見て六だとわかると、逃げてしまう。
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三人は、どういうことかと六公に尋ねると、六公は店を飛び出して逃げてしまった。
第十一章 河童の屁(五六一)
- 三人は六公を追いかけて二十峠までやってきた。松屋で六公とお竹が互いの顔を見て逃げてしまったので、三人は、六公とお竹の間に何か男女の関係があるのではないかと話している。
- 弥次彦はにわかに腹がいたくなり、側の茂みの中に隠れて唸り出す。するとやはり茂みの中で唸っている者がいる。それが六公であった。一行はお竹とのことを訪ねるが、六公は答えない。
- 一行は四人に戻って道中を急ぐ。すると、傍らの草の中から覆面の男たち十七、八人が槍をしごいて現れた。男たちの頭目は、ウラル教の烏勘三郎と名乗って、四人を捕縛しようとした。
- 勝公は両手を組んで、指先から霊弾を発射すると、男たちは霊縛されてしまった。四人は宣伝歌を歌い、その言霊に男たちは救われて、三五教に帰順することになった。
第十二章 復縁談(五六二)
- 一行は、小山村という小部落に着いた。そして盲目の婆の小さな家に泊まることになった。しかし六はなぜか作り声をして、自分とわからないようにしている。
- 家の婆の話を聞くと、お竹という娘がいるが、二度目の亭主である六という男がウラル教になって極道をしたため、逃げてきて今は松屋という店に勤めているのだ、という。
- 勝公は、三五教では夫婦の契りは二度まで赦されるが、三度目は天則で厳禁されている、と解説した。婆は、娘はもう他に嫁ぐことができないと嘆く。勝公は、その六という男をすっかり改心させて解決させて見せましょう、と婆に言う。
- そして、実は六公が三五教に改心して、ここに来ていることを婆に告げる。婆は、六公の改心の告白を聞いて喜んだ。
- 勝公は、コーカス参りが終わったら、戻って来て改めて婚礼を挙げようと提案し、一同は賛成する。
第十三章 山上幽斎(五六三)
- 一行はコーカス山に向かって、小鹿峠の二十三坂の上にやってきた。ここは広い高原になっている。清浄な場所のように思え、一同は気分よく休息している。与太彦は勝彦に、このような清い場所で、鎮魂帰神の法を授けてくれ、と頼み込む。
- 勝彦は、ここでは水がなくて禊ぎを行えないから、と言って難色を示す。弥次彦、与太彦はしきりに勝彦を説得する。ついに勝彦は承諾して、幽斎を行うことになった。
- 弥次彦はたちまち神懸りになって、空中に浮遊すると、空高く浮いてしまった。勝彦は指から霊光を発射して、弥次彦の体を制している。
- 与太彦と六公はそれをみてすっかり感心してしまう。勝彦も自分の神力にやや慢心の態を見せている。勝彦は、今のは木常姫の悪霊が弥次彦にかかったのを、最終的に追い出したのだ、と解説する。
- しかし与太彦と六公は、悪神でも何でもよいから、自分たちも空中滑走をやってみたい、と言い出す。勝彦は、人間は大地に足をしっかりつけて活動しなければならない、と諭すが、三人は聞かず、三人とも邪神に憑かれて発動してしまう。
- 発動した三人は、勝彦の周りを飛びながら迫ってくる。勝彦は言霊や霊光を発射して抵抗するが、効かずに苦しめられる。すると、中空から馬に乗って、日の出神ら宣伝使一行が現れた。
- 日の出神らは金幣を打ち振って邪神を追い払うと、三人はたちまち正気に返った。勝彦は懺悔の言葉を述べて過ちを悔いると、日の出神は一言も発せずにうなずき、また天に姿を隠した。
- 一同は二十三坂上での幽斎を反省し、進んでようやく二十五番坂上に着いた。すると、またもや暴風が吹き荒れて四人の体は舞い上がり、谷底に吹き落とされた、と思うと、瑞月は目を覚ました。見れば、藪医者が自分を診断している。
第十四章 一途川(五六四)
- 一行は小鹿峠の四十八坂を越えると、水勢轟々と流れる谷川に行き当たった。弥次彦は、コーカス山への参詣街道なのに、自分たち意外に人が一人も通っていないことを不審に思う。
- 勝公は、ここはまたもや幽界ではないかといぶかる。六公は、川べりの松の木の下に、小さな家を見つける。与太彦は、ふざけて一夜の宿を乞うこっけいな歌を歌う。
- 家の中から婆の声がするが、ここは三途の川ではなく、一途の川だと言う。婆は四人を家に招き入れた。
- 見れば一人の病人が伏せっており、中年増の婆さんが枕辺に座っている。婆は、常世姫のお台様が病気で寝ているのだ、という。そして自分は木常姫の生まれ変わりであり、二十坂上で弥次彦らに憑依して苦しめたのも自分だ、という。
- 婆は、天国に行こうとする者の魂を抜いて地獄に落とすために、偽日の出神、偽乙姫となって信者をたぶらかし、変性女子を困らせてやるのだ、という。
- 寝ていた婆も起き上がり、包丁を持って四人に襲い掛かる。四人は奮戦するが、ついに勝彦は包丁でぐさりと腰を刺された、と思うと、一行は二十五峠の谷間に、風に吹かれて気絶していたのであった。
第十五章 丸木橋(五六五)
- 一行は息を吹き返し、鬼婆と格闘した夢を語り合っている。勝公は、これは数十万年未来に艮の方角に男子・女子が現れてミロクの世の活動をされるときに、邪魔をする悪魔が出てくるのだ、と夢判断をする。
- 与太彦は、谷川の水で禊ぎをして身を清めよう、と提案する。一同は賛成して川に飛び込むが、六公がおぼれてしまう。
- 一同は六公の生存を祈りつつ、川を下って六を探しに行く。丸木橋が架かったところで、与太彦に六公の生霊が懸って、自分は死んでいない、と口を切った。
- すると、橋のたもとから、以前四人が三五教に改心させた烏勘三郎一行が現れ、六公が流れてきたので、川から引き上げて助けてあった、と言う。
- 勝彦が天之数歌を唱えると、六公は息を吹き返した。一同は神言を奏上し宣伝歌を歌った。四人は烏勘三郎たちに厚く礼を述べ、二十六番峠に向かって進んで行った。
第十六章 返り咲(五六六)
- 四人はコーカス山に詣でて、小山村に帰ってきた。そして、六公とお竹の婚礼を挙げることになった。勝公が祝いの歌を歌った。
- 六公とお竹は、いままでの経緯を歌に歌いこんで祝宴の歌を歌った。婚礼に参列した一同みな、祝いの歌を歌って、無事に式は終わった。
第四篇 五六七号
第十七章 一寸一服(五六七)
- 辛酉の年の九月十八日、松雲閣の離れの間で、善と悪の神界の身魂の素性を説き明かし、五百と六十七節の物語を詳細に説き明かした。
- 本巻は、大正十一年旧二月二十五日、二十六日、二十七日の三日間で述べ終わった。
跋文
- 現幽神三界を説いた第十四巻の終わりに、三途の川の真相を述べておく。三途の川は、現幽神三界に、諸人たちの霊魂が行く先が定まる場所である。八洲の河、またヨルダンの河とも言われる聖場である。
- 悪の御魂には脱衣婆が現れて衣服をはぎ、善の御魂には美女が錦の服を授ける。善悪未定の霊魂は、婆が竹箒で娑婆へ追い返す。善悪正邪を立て別ける、御魂の分水嶺である。
- 川水は、集まってきた人々の霊魂によって清くも濁りもする。激しい上の瀬を渡るのは、現界に生まれ変わったり蘇生したりする霊魂である。弱い下津瀬を渡るのは、根底の国に落ち行く人たちである。温かく美しい中津瀬を渡るのは、天国に行く人たちである。
- 一方一途の川は、至善至真の天国に一直線に上って行く稀有な御魂や、地獄に一筋に堕ち行く極悪の御魂が渡る、善と悪の一途の川である。
- 物語は滑稽交じりに述べたが、ぜひ意を留めて反省悔悟の念を起こし、人生の行路を清く正しく歩ませ給え。
- 神諭にミロクは宇宙一切万有の親神であるとあるが、仏教においてはそうではない、という人がある。仏典にある菩薩は、それぞれ何神・何命にあたるのかは、物語を全部通読すれば、わかってくるのである。
- 大本教祖の筆先は、仏神一体の神理によって、現代人の耳に入りやすいように仏教の用語を用いられているのである。筆先は、仏教の用語が主となって現れていることを、ここに示しておくものである。
以上
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