とよたま愛読会149回
    「
如意宝珠 15巻〜 10章 神楽舞」    [前回 レポートへ] [次回レポートへ]
     記:望月幹巳 メール:motomi@moon.nifty.jp


日 時  平成21年 2月22(日) 午後1時から午後4時30分まで
場 所  愛善苑 豊玉分苑 (京王線下高井戸駅下車 徒歩8分 川崎方)
     連絡先 03-3321-3896、  03-3321-8644
     
参加費は無料です。事前のお申し込みも不要です。
     霊界物語をお持ちでない方もご参加できます。
物 語   如意宝珠 15巻(寅の巻)  序 〜 10章 神楽舞

★ 報告
 早春の候、皆様にはお変わりなくお過ごしのことと思います。第百五十回とよたま愛読会のご案内をお送りいたします。
今回の拝読会は、MGNさん、SOTさん、IWTさん、TKGさん、DTCさん、SRWさん、KKUさん、MTZの七名を集めまして、無事に行われました。

 この巻からは、ウラル教に増して禍々しい教えである婆羅門教が登場します。悪神は、大自在天・大国彦の子孫である大国別に懸かって、エジプトで婆羅門教を開きます
(大自在天自身は、黄泉比良坂の戦いで伊邪諾大神に敗れて帰順し、第十巻第二十六章において、禍津神を監督・誅伐する役割に任命されています)。

 婆羅門教の特徴とは、
* 霊主体従を標榜するが、極端に肉体を軽んじて、難行苦行で肉体に苦痛を加えることで、神の御心にかなうとする。
* 生まれつき身魂の上下が決まっており、上段・中段の階級は、大多数を占める下段の人民を搾取して安逸に暮らしながら、政治を行っている。
というものです。

 聖師様は、邪神は血を見て喜ぶもの、肉体を軽んじるのは生成化育の神の大道に反する、と断じておられます。また、「生まれ」によって身魂の上下を区別する制度は、単に上位階級が下位階級を搾取するための仕掛けに過ぎないことを指摘されています。

婆羅門教は表面、体主霊従を謳っています。どんな教えでも、うわべを取り繕って素晴らしい教理を立てることは可能ですが、その行いを見れば、正邪はおのずと明らかになる、ということではないでしょうか。

またもう一方の三五教のライバルであるウラナイ教が登場し、高姫・黒姫が姿を表します。先の物語で、一途の川のほとりで弥次彦たちを襲った二人の婆は、この高姫・黒姫の登場を予感させるものでした。

ウラナイ教についても、天足彦・胞場姫の邪気から生じた悪神の仕業である、とはっきりと書かれています。実際、物語中で高姫・黒姫は、信者が世間のことがわからないように盲目・聾唖にしてしまうのだ、と言って出刃包丁で宣伝使たちに襲い掛かる、という恐ろしい場面があります。

快楽主義たるウラル教は、単に天則違反を推奨するだけの単純な教えであったとも言えます。時代が下って婆羅門教、ウラナイ教になりますと、大神の神言を使いつつ、その意図を曲げて伝えることにより、誤解をもって人々の信仰心を誤った方向に曲げ、ご神業に反する行動に駆り立てようとしています。
悪神の仕組も巧妙になってきていると言えますが、現代の状況にも重なるところがあるように思います。各宗教はそれぞれ、その根幹に素晴らしい教えを持っているように見えるのに、何故宗教それ自身が争いの種となるのか。そのメカニズムの一端を明かしているようにも思えるのです。
 

★ 拝読箇所で気のついたこと

第十五巻 如意宝珠 虎の巻


総説歌


第一篇 正邪奮戦
第一章 破羅門(五六八)


第二章 途上の変(五六九)


第三章 十六花(五七〇)


第四章 神の栄光(五七一)


第五章 五天狗(五七二)


第六章 北山川(五七三)


第七章 釣瓶攻(五七四)


第八章 ウラナイ教(五七五)


第九章 薯蕷汁(五七六)


第十章 神楽舞(五七七)


以上      [前回 レポートへ] [次回レポートへ]


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