とよたま愛読会153回
「如意宝珠 16巻
14章 〜
霊の礎(2)」
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記:望月幹巳 メール:motomi@moon.nifty.jp
日 時 平成21年 6月28(日) 午後1時から午後4時30分まで
場 所 愛善苑 豊玉分苑 (京王線下高井戸駅下車 徒歩8分 川崎方)
連絡先 03-3321-3896、 03-3321-8644
参加費は無料です。事前のお申し込みも不要です。霊界物語をお持ちでない方もご参加できます。
物 語 如意宝珠 16巻(丑の巻)
14章:鵜呑鷹 〜 霊の礎(二)
★ 報告:
私
望月が風邪の為にお休みさせていただき大変失礼致しましたが、KWMさん、TKGさんにより拝読を行っていただきました。
物語は、高姫が如意宝珠の玉を飲み込む有名な場面から始まります。ただ前章の末文によると、この如意宝珠の玉はウラナイ教の悪神によってドイツのある場所に隠されている、とありましたので、高姫はずっとこの如意宝珠の玉を飲み込んだままにしていたわけではないようです。
その後、英子姫、悦子姫、亀彦は聖地に向かい、その途中、剣尖山の麓の天照大御神の霊蹟で、ウラナイ教の青彦を帰順させ、天照大御神の託宣によって御霊を祀る宮居を築きます。
これが後の元伊勢、産釜・産盥だといいます。また、物語には詳しく語られていませんが、この宮居建造が伊勢神宮の宮殿造営の嚆矢、とされていますので、この「丹後の元伊勢」と現在の伊勢神宮の関係が示唆されています。
その後、英子姫、亀彦は綾の高天原に向かいますが、悦子姫は、大江山の邪神を言向け和して真名井ヶ原の豊国姫命の輔佐を命じられ、鬼彦、鬼虎らと共に出立します。
途中でウラナイ教の黒姫に出会い、そこに間者として入り込んでいた音彦を一行に加えます。悦子姫は途上、日の出神の神霊を身に受けて先に行ってしまいます。
悦子姫が行ってしまった後、残された音彦、岩公、勘公、鬼虎、鬼彦らは平助・お楢の家に一夜の宿を求めます。
悦子姫は鬼雲彦にさらわれていた平助・お楢の孫娘・お節を助け、平助、お楢は宣伝使たちと一緒に真名井ヶ原にお礼参りに行くことになります。
また巻末には『霊の礎』の(一)と(二)が掲載されており、霊界の消息またそれを基にした現界の生活の指針として、非常に示唆に富んだ内容となっています。
★ 拝読箇所で気のついたこと
霊界物語 第十六巻 如意宝珠 卯の巻
第二篇 深遠微妙
第十四章 鵜呑鷹(六〇四)
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高姫を拘束した亀彦・鬼武彦は、高姫が取引の場として指定した田辺の港にこぎ寄せた。しかし港に着くと高姫と青彦はひらりと舟から飛び降りて、闇の中に姿をくらましてしまった。
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亀彦はがっかりして由良の港へ帰っていく。鬼武彦は高姫らを捜索すると言ってどこかへ姿を消してしまった。亀彦の体たらくを見た従者たちは密かに非難を浴びせている。
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秋山彦の館に戻ると、亀彦はこのたびの不始末を詫びるとして、切腹してしまう。秋山彦や英子姫が悲嘆に暮れていると、表門から高姫・青彦を捕らえた鬼武彦が入ってきた。
- 切腹したと見えたのは、亀彦に扮した白狐であった。本物の亀彦は鬼武彦とともに、高姫を捕らえて帰ってきたのであった。
- 奥には秋山彦が用意した祝宴の席が設けられていた。高姫は捕らえられながらも悪口雑言をしきりに発している。
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そしてやおらに如意宝珠の玉をとりだすと、餅のように軟らかくして飲み込んでしまった。そして、宇宙の縮図たる如意宝珠の玉を飲んだ自分は宇宙と同体であるから、崇めよ、と一同を睥睨する。
- 怒った亀彦、秋山彦が猛烈な勢いで高姫に斬りかかると、高姫は白煙と化して逃げてしまった。鬼武彦がその後を追う。残された青彦はその場に震えていた。
- 一同は神前に祝詞を上げると、英子姫、悦子姫、亀彦の三人は秋山彦に別れを告げ、由良川をさかのぼって聖地に上ることになった。
第十五章 谷間の祈(六〇五)
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三人が聖地に上る途中、老若男女が列をなして山奥へ進んで行くのを目にした。聞いてみると、数日前から大江山の麓、剣尖山の谷あいに神様が現れ、霊験あらたかなのだという。
- それは、逃げ出したウラナイ教の青彦だった。三人の宣伝使は、青彦を言向け和しに行くことになった。
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青彦は人々を惑わしてウラナイ教への改心を進めている。悦子姫は青彦のいる滝の後ろの森林に隠れ、女神に扮して青彦を叱り始めた。青彦は姿の見えない悦子姫を見つけ出そうと焚き火をたく。
- 焚き火に驚いた雀蜂の群れが青彦を襲って、青彦はその場に倒れてしまった。蜂は参詣人たちにも襲い掛かり、その場は混乱してしまう。
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悦子姫は三五教へ改心するように、と説き、一同が惟神霊幸倍坐世を唱えると、蜂の刺し傷はすっかり癒えた。悦子姫は一同に、綾の高天原に参詣するようにと諭すと、参詣人たちは喜び、拍手して帰って行った。
第十六章 神定の地(六〇六)
- 青彦はなおも蜂に刺された苦しさに倒れたままであった。英子姫と亀彦は進みより、天津祝詞、天の数歌で傷を癒した。
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青彦は感謝の念に堪えず、ひれ伏して礼をする。後ろの森林から聞こえる女の声が、三五教への改心を促すと、青彦はウラナイ教をやめて三五教のために働くことを誓った。
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悦子姫には、天照大御神が懸っていたのであった。そしてこの場所は、昔この御山に自分が顕現した際に、産釜・産盥と称する天の真名井に禊して、神格を作り上げた旧跡であると明かした。
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そして、ここに宮殿を造って自分の御霊を祀るようにと告げた。亀彦は、この谷川に身を清めて御舎を造り、神霊を奉祭して天下泰平国土安穏の祈願所と定めます、と答えた。
- 天照大御神は満足の意を表して、高津御倉に昇っていった。
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三人は大神の神勅を畏みて、谷川に禊して天津祝詞を奏上し、忌鋤、忌斧を作って宮殿を造営し、百日百夜を経て工を終えた。そして天照大御神の神霊を招き奉り、鎮座式を奉仕した。これが伊勢神宮宮殿造営の嚆矢である。
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これは今の丹後の元伊勢であり、この谷川を宮川と称える。この因縁により、大本開祖は明治三十四年旧三月八日、信徒を引き連れてこの場に禊を修したのであった。
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産盥、産釜の清水は竜宮館の金明水に注ぎいれられた。次いで明治三十四年旧六月八日、沓島の山頂から大海原に向かって注ぎいれられた。これも天下修斎の大神業の一端と推察せらるるのである。
第十七章 谷の水(六〇七)
- かつて鬼雲彦の手下で、三五教に改心した鬼彦、鬼虎、石熊、熊鷹らは、手下百人を連れてこの谷間に現れ、青彦とともに神殿造営に協力した。
- 真名井ヶ岳や曽我部郷、登由気の神や素盞嗚の遠き神代の御経綸をここに述べていく。瑞の御霊の本性を一皮剥いて述べておく、第十六巻の物語である。
第三篇 真奈為ヶ原
第十八章 遷宅婆(六〇八)
- 百日百夜の造営、鎮祭式も無事に終わり、正月十五日に一同は直会の宴にうつった。辺りは雪が降りしきり、見渡す限りの銀世界である。
- 英子姫は鎮祭の斎主を奉仕して階段を降ってくると、たちまち神霊に感じて天照大御神の和魂が懸り、語り始めた。
◇ 天照大御神の神勅によると、ここは綾の高天原に次いで神聖なる聖地であり、天神地祇の集まる神界火水の経綸場である。
神界における天の霊の川の源泉にして、宇宙の邪気を洗い清め、百の身魂を神国に救う至厳至聖の神域である。
◇またこの東北にある大江山は、神界の芥川といい、邪霊が集合湧出する源泉である。
だから、霊の川の霊泉をもって世界に氾濫しようとする濁悪汚わいの泥水を清めるべき使命の地である。
◇この濁流の彼方に天の真名井ヶ岳があり、ここは清濁併せ呑む天地の経綸を司る、瑞の御霊神々が集まる源泉である。
◇豊国姫の分霊が真名井ヶ岳に天降り、ミロク神政の経綸に任じつつある。
しかし曲津神の勢力が旺盛で、豊国姫の経綸を妨害しつつある。
◇悦子姫は大江山の濁流を渡り、真名井ヶ岳で曲霊を言向け和し、吹き清めよ。
英子姫と亀彦は聖地に向かい、その後特に神界より使命を与えるべし。
- 一同は神勅を奉じて、亀彦と英子姫は熊鷹、石熊らと聖地を目指し、悦子姫は青彦、鬼彦、鬼虎らと大江山の魔窟ヶ原を越えて真名井ヶ岳に向かった。
- 悦子姫は魔窟ヶ原の中央に進み、衣懸松に着いた。ここはかつて、高姫の館があり、火事で焼けた所であったが、今見ると、新しい仮小屋が建てられている。
- 青彦はそのときを思い出しながら、高姫の強情さを一同に語っている。鬼虎と鬼彦が中をのぞいて偵察すると、中には黒姫が供を従えていた。
- 黒姫は、青彦が三五教の宣伝服を着ているのを見ると、ウラナイ教に戻るようにと説得するが、その間にも黒姫は手下の音公、勘公と言い争いを始める。
- 音公は実は、三五教の宣伝使・音彦であった。ウラナイ教に間者に入っていたことが明かされる。
- 黒姫は青彦と長い言い争いをする
第十九章 文殊如来(六〇九)
- 黒姫は今度は、悦子姫に説教を始める。黒姫は大風呂敷を広げて素盞嗚尊の悪口を言い、変性男子の系統の日の出神の生き宮に従うように、と悦子姫に迫る。
- 一同は黒姫に係わり合いになっていると足止めを食うので、そのまま過ぎ去ろうとするが、黒姫が引き止めにかかるが、鬼虎、加米彦は先へ促す。
- 音彦は黒姫の偵察をしようと付いてきたわけを明かし、ウラナイ教の教理は取るに足らないことがわかったから、もう三五教に戻って一緒に行こう、という。
- 黒姫はしきりに大風呂敷を広げて一同をウラナイ教に引き込もうとするが、説得力がなく、三五教の一行は去っていく。
-
一行は途中、文珠堂を見つけてそこで一夜の宿を取る。鬼虎は、かつて竜灯松の麓へ悦子姫らを召捕りに行った晩のことを思い出している(第一章)。青彦、音彦、加米彦らもかつての遍歴を思い起こして語り出す。
- 鬼虎は寝ずの番を買って出るが、寝ぼけて夢を見ている。その間に、天から竜灯松をめがけて火団が落下して物凄い音を立てた。
第二十章 思はぬ歓(六一〇)
- 落下した火団は大小無数の宝玉となると、悦子姫の体に吸収された。悦子姫は得も言われぬ神格と威厳を身につけた。そして、自分は日の出神の神霊を身に浴び、これより一人真名井ヶ嶽に向かって進むと宣言して姿が見えなくなってしまった。
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悦子姫に行かれてしまった一同は茫然とするが、鬼虎は仲間とおかしな掛け合いをしている。そのうちに夜が明けて、とにかく先へ進もうと一同は岩滝めがけて走り出した。
- 岩公は地理を知っているため、川から舟で先に回った。岩公の案内で、一行は日暮れ前に比治山の手前についた。
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一行は近くの家に一夜の宿を乞いに行く。そこは去年、鬼虎たちが悪を働き、娘をさらっていった平助とお楢の家であった。平助爺は警戒して一行を泊めようとしない。
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岩公は、鬼虎、鬼彦らの悪行のせいで断られるのだ、と非難する。そこへ、悦子姫が一人の娘を連れてやってきた。それはこの家のさらわれた娘・お節であった。平助とお楢は孫娘が帰ってきたのを見て喜んだ。
第二十一章 御礼参詣(六一一)
- お節は比治山の奥に閉じ込められていたが、悦子姫が助けてくれたことを知ると、平助とお楢は悦子姫に礼を言った。
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悦子姫は、音彦ら一行を今晩泊めてくれるようにと平助に頼み、平助は承諾した。しかし鬼虎、鬼彦が居ることを知ると、平助はその二人だけは泊めることはならぬ、と言って聞かない。
- 鬼虎、鬼彦もかつて悪事をした手前、恥ずかしくてその晩は平助の家に泊まらず、先を急ぐことにした。平助の家には、音彦、岩公、勘公の三人が宿泊した。
- 晩のうちに平助、お楢、お節も相談して、真名井ヶ原の豊国姫神の顕現地にお礼参りに行くことになった。
霊の礎(一)
- 霊界には、神界、中界、幽界の三大境域がある。
- 神界とは、神道で言う高天原であり、仏教の極楽浄土、キリスト教の天国である。
- 中界は神道で言う天の八衢であり、仏教で言う六道の辻、キリスト教の精霊界である。
- 幽界は神道で言う根の国底の国、仏教で言う八方地獄、キリスト教の地獄である。
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天の八衢は高天原と根底の国の中間状態である。人が死後にただちに至る中有である。中有にしばらくあって後、現界での行いに応じて天国に昇り、または根底の国へ行くのである。
- 高天原の情態は真善美が相和合した時である。根底の国の情態は、邪悪と虚偽が人間にあって合致した時である。
- 霊魂中の真善美が和合するとただちに高天原に昇り、邪悪と虚偽が合致するとただちに根底の国へ落ちる。これは八衢にあるときに行われる。
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八衢に在る人霊は多数である。八衢は一切のものの会合所であり、霊魂の試験準備がなされる所でもある。八衢に居る期間はさまざまである。すぐに天国に昇る者、地獄に落ちる者、また数日数年居る者もあるが、三十年以上居る者はない。
- 人間の内分・外分に相応して、八衢に居る時間が決まるのである。
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人間が死ぬと、神は直ちにその善悪正邪を審判する。地獄界に行くのは、その人間が世にあるときに愛していたものが地獄界に所属しているからである。善き人が高天原に赴くのは、世に在りしときにその人の真善美がすでにして天国の団体に加入していたからである。
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生前の知己は、八衢にていったん邂逅することが許される。同一の信仰、愛、性情に拠る者は、天国において再び相知ることができる。しかし八衢でいったん別れてしまうと、二度と相見ることはできないのである。
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八衢にて、高天原または根底の国に行くまでに、外分、内分、準備の三つの状態を経る。自己の凶悪を装うために善を標榜した偽善者や、神の存在を認めなかった者は、ただちに根底の国に至る。
- 生前、世を捨てて肉を離れて霊に住み、功徳を積んでも、高天原に昇れるわけではない。このような悲哀の生涯を修得しても、高天原の歓喜は得られない。
- むしろ現世において世間的な業務を採りその職掌を尽くし、道徳的民文的生涯を送り、その後に初めて霊的生涯を受けなければならないのである。
- これ以外に霊的生涯を為し、高天原に昇る準備をする方法はないのである。内的生涯を清く送ると同時に、外的生涯を営まないのは砂上の楼閣の如きものである。
霊の礎(二)
- 嬰児や幼児が不幸にして現界を去った後の状況を詳しく述べておく。
- 人と現れた身は必ず復活する。
- 嬰児は父母の善悪正邪に関わらず、その死に当たって救世神が摂受し給うもので、神界でも一大薫陶を受けるものである。
- 嬰児は教育せられて善美の情動に浸り、真知を培い、知識と正覚を相伴って円満の域に進むと、天界に導かれて天人神子になる。
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根底の国に落ち行くのは自身の生前の行いによるのである。しかし嬰児、幼児は世の中に罪科を犯したことがないので、清浄の身魂ゆえに、かく述べたとおりになるのである。
- 他界に入ったときは、前の世界に居たごとくの姿であるので、嬰児、幼児は他界でも元のように愛らしい姿を保っている。中有界ではそのとおりである。
- 嬰児幼児は、清明無垢のために神霊界一切の事物は心に植え込まれ、信の真と愛の善を受けるべき器なのである。
- 他界の小児らは内分により、実習を待たずして語り、かつ歩むことができる。この点は現界と違っている点である。
以上
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