とよたま愛読会161回
「如意宝珠 20巻
7章 〜
霊の礎(7)」
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記:望月幹巳 メール:motomi@moon.nifty.jp
日 時 平成22年 2月28(日) 午後1時から午後4時30分まで
場 所 愛善苑 豊玉分苑 (京王線下高井戸駅下車 徒歩8分 川崎方)
連絡先 03-3321-3896、 03-3321-8644
参加費は無料です。事前のお申し込みも不要です。
霊界物語をお持ちでない方もご参加できます。
拝読箇所
如意宝珠 20巻(未の巻) 第7章 再生の歓 〜 霊の礎(七)
★ 報告
今回の拝読会はKWMさん、DTCさん、IWTさん、望月の四名を集めまして、無事に行われました。
天の真浦の宣伝使が紀の国から召されて、宇都山村をバラモン教から三五教に改心させた後、生き別れだった親子兄弟に思わぬ対面がかなうところからの拝読となりました。
真浦の実弟・宗彦は、宣伝使と召されて、三国ヶ嶽のバラモン教の残党を言向け和す使命を帯びます。宗彦の宣伝に、義弟の田吾作、村人の留公が供として付いて行くことになります。途中、病を助けた熊田村の原彦を共に加えて、一向四人は三国ヶ嶽を目指します。
三国ヶ嶽の上り口では留公が別行動を取り、残った三人は途中で自らの本守護神である三人の童子神に脂を絞られて、戒めを受けます。
山上には、三国ヶ嶽の鬼婆となったバラモン教の蜈蚣姫が、山人たちに毒茶を飲ませて耳が聞こえず言葉も話せないようにしてしまい、使役していました。その中には、さらわれて来た玉照姫の生母・お玉もいました。
お玉の導きで蜈蚣姫の居場所にやってきた三人は、逆に蜈蚣姫に毒茶を飲まされて危機一髪の目に会いますが、そこに留公とお玉が宣伝歌を歌いながらやってきて、蜈蚣姫を霊縛し、事なきを得ます。
蜈蚣姫は、三五教の聖地から、手下を使って黄金の玉も盗み出していましたが、宣伝使たちに奪い返されます。一行はお玉と黄金の玉を聖地に送り届けて、自転倒島におけるバラモン教残党の企みを見事打ち砕いたのでした。
★ 拝読箇所で気のついたこと
霊界物語 第二十巻 如意宝珠 未の巻
第二篇 運命の綱
第七章 再生の歓(六六九)
- 松鷹彦が出て行った後、宗彦とお勝は庵に残された。お勝は、宗彦に暇乞いを切り出す。お勝は松鷹彦と宗彦の話により、自分が宗彦の生き別れの妹だということを悟り、気に病んでいたのであった。
- そこへ松鷹彦をはじめ、田吾作、真浦、留公、お春らが四五の村人たちと共に、戻ってきた。松鷹彦は真浦の脇の下の痣を見て、確かに真浦が自分の生き別れの長男であることを確認した。
- 真浦は涙にくれるが、田吾作がその場の湿った雰囲気を吹き飛ばそうと、歌を歌いだす。その歌は、普段のひょうきんな様子に似ず、真面目な歌だった。
- 田吾作は歌の中に、お勝が真浦、宗彦の妹であることを歌いこみ、知らずに犯したのであれば、兄妹婚の罪も必ず赦されるだろう、と歌い込んだ。
- 田吾作の歌で、宗彦はなぜお勝が突然暇乞いを言い出したのか悟り、離縁を受け入れた。松鷹彦と真浦は、お勝が生き別れの身内と知って、驚きかつ喜んだ。
- 真浦は立ち上がり、悪魔の荒ぶ世の中に生き別れた一家が、再び再開できた歓びを、大神に感謝した。村人たちは武志の宮に集まり、祝いの宴に夜を明かした。
- 真浦はお春と夫婦になって、松鷹彦の後を継ぎ、武志の宮の神主となった。お勝は田吾作と添うことになった。
- 宗彦と田吾作は聖地に上り、言依別命に会って三五教の教理を体得し、世界いたるところに足跡を残して神業に参加した。後に二人は遂に神素盞嗚大神に見出されて、大宣伝使となるのである。
第八章 心の鬼(六七〇)
- 宗彦は聖地に上り、言依別命から宣伝使に任命され、三国ヶ嶽に割拠する魔神を言向け和す任務を与えられた。武志の宮に奉告祭をなし、親子兄弟、村人たちに別れを告げて宣伝の旅についた。
- 村はずれには、留公と田吾作が先回りして待っていた。宗彦が来ると、二人は宣伝の旅に供として一緒に連れて行くようにと頼み込んだ。しかし宗彦は、宣伝使は一人旅だと行って断った。
- 二人は先回りして、明石峠の大滝に禊をしながら、宗彦が来るのを待っていた。宗彦は明石峠の大滝にさしかかったが、丹波霧にさえぎられて、二人が禊をしているのに気づかず、通り過ぎてしまった。二人も滝の音で宗彦が通り過ぎたことに気がつかなかった。
- 宗彦が明石峠の長上に着くと、一人の四十くらいの女が登ってきた。宗彦が訳を尋ねると、その女・お露は語って、夫の原彦という者が憑き物病で伏せっていて、その祈祷に滝に打たれに行くところだという。
- 宗彦はそれを聞くと、自分は宣伝使だから診てやろう、と言って村に案内してもらうことになった。村に着くと、相当に広い家があり、そこが女の家であった。宗彦が通されると、病人は次の間でしきりにうなされている。
- 家の者に病状を尋ねると、男はしきりに「田吾が来る、田吾が来る」とうなされるという。また、自分が過去に人殺しをした罪をうわごとに告白するのだという。
- 天罰だという村人に対し、宗彦は、誰でも心に知らずに罪を犯すものだ、と説いた。そして罪を憎んで人を憎まずと諭し、公平無私な神様は肉体を罰し給うということはない、と教えた。だからこれは、原彦が自らの罪のために苦しんでいるのだろうから、罪が取れれば本復するだろう、と診立てた。
- 宗彦は、むしろデモ学者やデモ宗教家がもっとも罪が思い、と説いた。なぜなら、神様からいただいた結構な魂を曇らせる、誤った学説や宣伝を為すからだ、という。
- 心の罪や、デモ学者・デモ宗教家の罪は、どうやって裁かれるのか、という村人の問いに対して、宗彦は、不完全な人間が、善悪や功罪の判断をつけることはできない、と説いた。神が表に現れて善悪を立て別けるのであるから、人間はただ、自分が最善と信じたことを貫くのが、天地経綸の司宰者としての本分だ、と説いた。人間の法律上の善悪は、あくまで有限的なものであって、神界とは矛盾している場合もあるのだ、と続けた。
- すると次の間より病人が、田吾作赦してれ、と叫ぶ声が聞こえた。原彦は自問自答で怒鳴っている。宗彦は禊をして天津祝詞を奏上し、病人の枕頭で天の数歌を唱えた。
- そして病人と問答し、田吾作という者の特徴を問いただした。宗彦はその答えで、田吾作とは宇都山村の自分の義弟・田吾作その人だと確信し、生きていることを原彦が知れば、全快するであろうとお露たちに告げた。
- 宗彦が休んで待っていると、留公と田吾作が家の戸を叩き、宗彦を探しに来た。宗彦はさっそく、田吾作を病人の間に連れて来た。田吾作は合点がいかなかったが、やがて原彦が、十三年前に橋の上で争った泥棒だということに気がついた。
- その当時、原彦は、田吾作が持っていた玉を狙っていた。橋の上で争ううち、田吾作は濁流の大井川に落ちてしまったが、宇都山村の村人たちに助けられたのであった。
- 田吾作は、逆に自分の玉への執着のためにこのようなことになってしまったことを原彦に詫び、その玉を懐から取り出すと、原彦に手渡した。
- それより原彦は回復に向かい、十日ほどですっかり健康になった。原彦夫婦や村人一同は、執着心から来る心の罪の恐ろしさを悟り、宗彦の教えを奉じた。熊田村はすっかり三五教を信じることとなった。
第三篇 三国ヶ嶽
第九章 童子教(六七一) :どうじけう
- 宗彦、留公、田吾作に加えて、原彦が供をすることとなり、四人は三国ヶ嶽の山麓までやってきた。四人は、山麓を流れる深谷川のほとりでひそびそ話にふけっている。
- 留公は寒気がすると弱音を吐いている。宗彦から、帰ってよいと言われ、田吾作と原彦に、一緒に帰ろうと誘うが、断られる。留公は二人を罵りながら去ってしまう。
- 田吾作は、留公がいつになく臆病な様子だったので、これはきっと、逃げた振りをして我々の先回りをし、鬼の真似でもして驚かそうといういたずらの魂胆でしょう、と流した。
- 三人が川を上っていくと、向こう岸に四五人の男女が、熊の皮を干しているのが見えた。原彦が、三国ヶ嶽の鬼婆の岩屋を尋ねるが、皆言葉が話せない。ただ手振りで、川を渡って東へ行け、と指差している。
- 原彦が川を渡って向こう岸へ着くと、山人たちは逃げてしまった。田吾作は宗彦に勧めて、続いて向こう岸へ渡らせるが、渡った後に、実は登り道はこちらにあるのだ、とからかう。そして、熊の皮を全部取って来るようにと二人に言う。
- 仕方なく二人は、熊の皮を取って戻ってきた。三人は羊腸の小道を登っていくと、やや平坦な地点に着いた。すると突然、五六才と思しき三人の童子が現れた。一人は怒り、一人は泣き、一人は笑っている。
- 三人の童子の背後から五色の光明が輝いていた。田吾作はそれに気がつかず、原彦の手から熊の皮をひったくると、三人に着せて回った。三人は無言のまま、皮を脱ぐと下に敷いて座った。
- 宗彦は、三人が神様だと悟り、岩窟の鬼婆を言向け和すのに守護を頼んだ。しかし笑い童子はその依存心を笑い飛ばした。泣き童子は情けない、と泣いている。怒り童子は、難を避けて易きにつく心根を叱った。
- 三人は平伏して、取り違いを陳謝した。しかし三童子の説教は続き、三人が山人の熊の皮を奪ったことを責める。三人は平伏したまま返す言葉もなく、震えていた。半時ばかりして、麗しき音楽が聞こえてきたかと思い、ふと頭を上げると、童子の姿も熊の皮もなくなっていた。
- さすがの田吾作も、反省の弁を口にする。宗彦は、三童子は我々の本守護神が現れて、戒めをなさったのだ、と説明した。田吾作と原彦はしばしおかしな問答を交わすが、宗彦に促されて山道を登っていった。
- たちまち、右側の谷間から女の悲鳴が聞こえてくる。田吾作が様子を見に行くことになった。しかし戻ってきた田吾作によって、猿が喧嘩をしていただけだとわかり、三人は先に進むこととした。
第十章 山中の怪(六七二) :さんちうのくわい
- 田吾作は、おかしな宣伝歌を出任せに歌いながら山道を登っていく。すると上から赤子に乳を含ませながら下ってくる妙齢の女があった。田吾作は山女に話しかけるが、女はただ笑っている。
- 三人は女についていろいろと議論していると、女は毛むくじゃらの獣の下半身を表して、山の上の方に歩み出した。少し行っては後ろを振り向き、三人を見ている。三人は、悪魔が正体を表したことを知り、敵地に警戒を強めた。
- やがて日が没し、闇が辺りを包むと、猛獣の声や怪しい物音が間断なく聞こえてきた。原彦は肝をつぶしてしまう。田吾作は原彦の気弱をなじり、昔、原彦が自分の玉を盗もうとしたときの話をして気を保たせようとする。
- 耳の痛い話を持ち出されて、原彦は宗彦に話しかけるが、宗彦は眠ってしまっている。田吾作はさらに、当時の話を面白い節回しで歌いだした。すると、自分は鬼婆だという声が聞こえてきた。田吾作は、留公の作り声だとすぐにわかって、声に対して怒鳴り返す。
- 原彦はおびえているが、鬼婆の振りをした留公はどこかへ行ってしまった。宗彦も起きて、留公に似た声だったと言うと、宗彦・田吾作は寝込んでしまった。原彦は二人の間で一睡もできずに震えていた。
第十一章 鬼婆(六七三) :おにばば
- 夜が明けて三人が登っていくと、大岩窟と、その前に三四十軒の萱葺きの家が建っているのが見えた。
- 田吾作はさっそくほらを吹き始めるが、宗彦がたしなめた。この部落の人間は、岩窟に居を構えるバラモン教の蜈蚣姫が毒茶を飲ませて、話ができないようにしてしまっていた。
- 田吾作は、宗彦に村人の調査を任されるが、みな言葉が話せず、アアアと言うのみであった。三人が腰を下ろしていると、赤子を抱いた女たち数十人を従えた、容色の勝れた女が現れ、アアアといいながら北の谷間へ三人を招く。
- この女は、玉照姫の生母のお玉であった。蜈蚣姫の手下にかどわかされて、毒茶を飲まされてこの山村に住まわされていたのであった。三人はお玉の顔を知らなかったが、後をついていった。
- そこは、蜈蚣姫が拠点としている岩窟の奥であった。そこには鬼婆となった蜈蚣姫がいた。蜈蚣姫は三五教に対するバラモン教の優位をしきりに説く。三人は、蜈蚣姫が勧める毒茶を知らずに飲んでしまい、たちまち言語を失い、動けなくなってしまった。
- 蜈蚣姫はこのままバラモン教の修行をさせてやるのだと言って悦に入り、八岐大蛇に勝利を報告している。
- そこへ、岩窟の入口に宣伝歌を歌いながらやってくる一人の男があった。また岩窟の奥からは、宣伝歌を歌う女の声が聞こえてきた。宣伝歌が響くと、三人はにわかに動き話すことができるようになった。蜈蚣姫は逆に身体がすくんでしまった。
- 入口に現れた男は留公だった。また、玉照姫は話せるようになっていたのだが、蜈蚣姫にそれを隠して、蜈蚣姫が奪った黄金の玉のありかを密かに探っていたのであった。
- 一行は、黄金の玉を取り返すと、硬直している蜈蚣姫をその場に置いて、宣伝歌を歌いながら山を下り、聖地に向かって戻っていった。
第十二章 如意宝珠(六七四) :にょいほつしゆ
- 聖地では、高姫、黒姫、若彦、紫姫ら幹部が集まって、夜もすがら秘密の話にふけっている。高姫は、元々青雲山から持ってこられて埴安彦が桶伏山に隠していた、黄金の玉がバラモン教に奪われたことを明かした。
- 高姫、黒姫、若彦は、その責任の所在を巡って言い争いになる。その声を聞きつけて、言依別命が部屋に入ってきた。
- 悠然としている言依別命に対して、高姫は、黄金の玉紛失の事態の責任を問う。しかし言依別命は、すべて神様の仕組がしてあるから大丈夫だと請合う。
- そこへ、夜警の鬼丸から、お玉の方と黄金の玉が戻ったと注進があった。言依別命は祝意を表して立ち、宣伝歌を歌った。
霊の礎(六) :たまのいしずえ(6)
- 第一天国の天人の姿は、花の如く、黄金の如く、瑠璃光の如く、金剛石の幾十倍もの肌の色を保っている。たいていは有色人種であり、中でも黄色人種が多い。
- これを第二、第三天国の住民から見ると、強い光が放射していてよく見ることができない。第二、第三の天国では人種ごとに団体を作っている。
- また、宗教によって、至る天国はそれぞれである。それ相応の神業に従事し、歓喜に浴して天国の生涯を楽しんでいる。
- どんな宗教も善を賞して、悪を良しとするような教えが含まれていない限りは、その信者はそれぞれの天国に昇る資格がある。しかし霊界の消息に暗く、倫理のみに堕している宗教の天国は最下方にあり、また信者が中有界に迷いやすい。
- 不信仰にして天国に至る者は、ごく小数である。しかし神や霊界の存在を知らずに天国に行った者は、たいへんにまごつく。
- 現界で熱心に信心をして神を唱えながら、中有界に迷ったり、地獄に落ちる者もある。また神仏商売の宣教者は、地獄に落ちる者が非常に多い。
- 天国の団体は、自分の団体が一人でも多くなることを望んでいるので、天国に来た人間に対して好感を抱き、歓待する。
- 天人は、男は三十歳前後、女は二十歳前後の姿をしている。人間の霊魂や情動は不老不死であるからである。そのため、霊界で自分の親子兄弟、知己に会っても、すぐにはそれと気がつかない場合がある。しかしよく見ればその面影が残っている。
霊の礎(七)
- すべての人は、死後に天国浄土に昇っていく資格がある。これが神道で言う、神ごころ・大和魂である。また仏教で言う仏性である。
- 高天原の天人の男女が情交をなすと、霊子が因縁のある現界の男女に宿って、生を享ける者もある。
- 人の霊魂は至精至微である。過去現在未来の区別を知らずに生き通しである。幾万傲の昔から生死の途を往来し、善果を積んで人間として生まれるのである。
- 天国へ昇る神性をすべての人間が持っているのだが、根底の国へ落ちて苦しむ者があるのは、体主霊従・利己主義や、我生我執の雲に覆われて自ら身を破るのである。
- 天地を造った主の神は、極悪無道の人間をも天国浄土に救おうと、地に天の使いを遣わして、人々を神の教えに導こうとされている。
- 神の御眼より見れば、智者と愚者の区別はなく、一切平等に映じ給う。これが仁愛の心である。
- 現世の人は例のない聖代に生まれ合わせて、天国浄土の手引きを受けたことは、渡りに舟を得たようである。金剛不壊の宝珠を授けられた如くである。
- そもそも人の心霊は、幸福以外のものに無感覚でであるように造られている。だから心霊は、無限の歓喜を永遠に享けるために造られているのである。
- 人の心霊の歓喜とは、一々のことをことごとく知って理解することに由って生じるのである。だからこの世に生まれて何も理解せず知らないまま生涯を送るほど、悲しいことはない。
- 死後の生涯に無知識であることは、悲哀の中の悲哀なのである。
以上
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