とよたま愛読会24回(真善美愛:55巻 序文〜8章)              記塩津晴彦


日 時:平成10年9月27日(日) 午後1時〜午後4時30分
場 所:八王子市北野市民センター八階展示室

★ 報告 
   秋雨前線の影響で終日雨の中参加者九名は無事に第五五巻の序文より第八章までの通読を終えることが出来ました。  愛読会も二年を終えました。第四七巻舎身活躍 戌の巻 から始まり、これまで九巻分を通読したことになります。

★ 拝読箇所で気のついたこと
  第一章 心 転
治国別は鬼春別、久米彦両将軍に向かひ、 『……あるひは小さき欲望のため、一人の暴虐者のために従僕となつて、豹狼び等しき戦ひに従ふは、人間としてこれ以上の悲惨事はありますまい。人生わづか三百年、この短き生命の間に、不老不死なる第二の霊界における生涯のために、遺憾なき準備をしておかねば、人間として現世生まれ来たりし本分を永遠に保持することはできますまい。……』  時々、『霊界物語』で「これは一体どういうことなのかな」と」感じる内容が出てきます。それも文脈と直接には関係なく。この場合、人生わづか三百年、とは三十五万年前の事なのか、未来の事なのか、気になるところですね。

 第二章 道 謡
私は、聖師様の教えの方法の鮮やかさには何時も驚かされています。この章では「密教」の要旨をバラモンの経として口述されています。五大明王、真言(ダラニ)、等の事が出ていますので、参考に「胎蔵界曼陀羅」の図を別紙で同封しています。『霊界物語』には再三バラモン教が登場しますが、この図で見ても密教は「大日経」を基本とし、その中心に「大日大聖不動明王」(大日如来)が座しており、他教の諸神までもが彼を守護しています。聖師様はこのような内容の「大日経」を指してバラモン経であると喝破されているわけで、色々と感じさせられます。

 密教の霊域の一つに奈良の「室生寺」がありますが、女人高野とも呼ばれ奥には日本古来の龍神の「室生龍穴神社」があります。最近この室生寺の五重塔が、台風の風で杉の大木が倒壊しそのため、大きく破壊されたことが報道されていました。何か象徴的な出来事のように感じたのは私一人ではないと思います。

 ところで第二章の題は道謡ですね。 鬼春別はバラモン経文を唱えますが、片や久米彦はバラモン経文を唱える事が苦しくなり結局三五教の讃美歌はスラスラと出てきたし身体の苦痛も何時しか忘れてしまいます。さらに万公が手前勝手な脱線歌を歌いますが、皆が彼の歌を聞いてゲラゲラ笑っている内にいつの間にか玉木村に着いていた事が口述されています。真教のおかげとはどのような物かを教えていただけるようです。

 第八章 放 棄
玉木村のテームス家の台所の場面では万公が主人気取りで下女のお民(実はビクトリア城の刹帝利の子)に対して家事万端に注意を与えるのですが、その中で『……使に往つて来たら、必ず直様復命しなくてはならない。後から序に申し上げますといふやうな懶惰事をやつてをると、何時の間に肝心の用を忘れてしまふからなア』 この箇所は、大きな意味で社会生活の中で必要なコミュニケーションの基本に触れていただいているという意味で大切だと感じました。絶えず確認し合う事が欠けてくると、お互いの誤解や取り違いの元になりますし、その結果「彼奴は駄目だ」と思われてしまいます。ちょっとした気配りなのですが、相手の立場や要求していること等を把握しながら対応する日頃の訓練が社会生活の上では必要だと思いました。

【用語解説】  第五五巻は、「序文」を含めて、用語の解説が必要ではないかと思い順番に取上げます。
その一 「序文」
妙法真如 = 妙法は第一・最勝・最高という意、 真如は本当の実体や本体・姿の事 真如の月とは真実の教えが衆生の迷妄を破ること。
九山八海 = 多くの山と海の事、転じて日本を指す。
功徳 = すぐれた特質、すぐれた行い、神仏の恵み・御利益
功徳蔵 = 功徳を積むこと、釈迦阿弥陀の別称 七宝 金・銀・瑠璃・玻璃・車渠(しゃ こ)珊瑚・瑪瑙、または玻璃の代わりに琥珀を指す場合もある。
成道 = 悟りを開くこと 斎戒 心の不浄を浄め、身の過ちを戒める
供養 = 仏法僧または死者の霊に諸物を供えて自己の功徳をめぐらせる。
神号輻 = 御神号を書したこしき(掛け軸)
智慧 = 物事の是非善悪を判断する心の作用、物事を思慮し計画し処理する力、仏法では六波羅密の一つで事理を照見し正邪を分別する心の作用、 この場合は智慧と表す。
証覚 = 正法に従い修行し迷いを去って真理を体得する。
十方世界 =上下、四方(東西南北)、四偶(東北東南西南西北)を合わせたもの。あらゆる場所の意。
聖徳 = 天子の徳、非常にすぐれた徳
如来 =  仏の尊称、真如の理を証得し迷界に来て衆生を救う者の意。
八荒 = 国の八方の果て、八極と同意
菩薩 = 成道以前の釈迦牟尼仏及び前世のそれを指す。仏陀となることを理想として修行する者。仏陀の代行者、大乗仏教における信仰の対象、観世音・文殊・普賢・地蔵。 胎蔵教、一切を含有する教え。退蔵界は密教で大日如来慈悲の方面から説いた部門、その表象は蓮華である。
蒼生 = あおひとぐさ、人民 四維上下 乾(北西)・坤(南西)・艮(北東)・巽(南東)の四偶と上下
妙華 = 非常に優れた華、善美の極にある華 無価(むげ)はかれないほどの価値のある咸然すべて悉く
天楽 = 天上界の音楽、優れた音楽 和雅 柔らかく上品な
暢発 = ゆったりとのどかに
謳歎 = 一斉に褒め讃える
十方無礙 = 周囲に全く妨げのないこと
観世音菩薩 = 『般若心経』や『観音経』の主人公で勢至菩薩と共に阿弥陀如来の働きを助ける。勢至が知的方面を観世音は慈悲の方面を司る。インドでは「アバローキテシュバラ」と呼ばれ、観自在と訳せる。衆生の声に応えて救いの手をさしのべる大慈悲の心を持つ。人が六道(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・道)を輪廻転生して苦しむそれぞれの世界で慈悲をもって救ってくれる六観音もその現れである。 

以下、次号に掲載します。

第五五巻  巻 末 歌
序 文
○移り行く世のありさまを見るにつけ 腕は言問ひ胸は高鳴る
○人心神の心にかなひなば ひとり開けむ蜂の室屋も
○一人のみ只一人のみ岩の内に 世を嘆きつつ幾夜重ぬる

【序文各行頭語の抜出し文】
明治三十一年如月九日高熊山の修行より今年大正十二年正月十八日まて満二十五星霜を経たり
霊界物語の口述開始より十五箇月着手日数は二百日にして五十五編を終る (大正十二年三月五日旧正月十八日)

目 次
○限りなき広野かけりし白竜も 狭き岩屋に潜む今日かな
○白竜の潜む間こそ雨もなく 風さへもなし惟神にて
○一日も早く白竜放つべし 世のため道のためと思はば

総 説 歌
○打つ石の火花の如くすみやかに 移らう御代ぞ最とも憂れたき

第 五 章
○梓弓はるみの空に玉照姫の 月のかんばせ仰ぐ山里

以上


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