とよたま愛読会25回(真善美愛:55巻 9章〜15章)         塩津晴彦


日 時:平成10年10月25日(日) 午後1時〜午後4時30分
場 所:愛善苑豊玉分苑(京王線下高井戸駅 歩5分)

★ 報告
  前日までの冷雨もすっかり上がり、快晴に恵まれた半日、参加者八名は豊玉分苑にて『霊界物語』第五十五巻九章から十五章までの通読をおえました。

★ 拝読箇所で気のついたこと
 第九章 三 婚
三五教宣伝使の治国別は、
『男女の嫁ぎの道は      天にます神八百万
 地のます神八百万の  神のよさしの其儘に
 定まるものと知るからは  必ず心を煩はし玉ふなかれ』と、

この間の出来事をふまえながら三組の縁組みを決めます。 テームス家番頭のシーナと長女スミエル姫、万公と次女スガール姫、そしてアーシスとお民の三組です。

 第一○章 鬼 涙
三組の神縁夫婦が披露された目出度い席に加わっていた鬼春別はここで心を開いて、悔悟の歌を披露します。
『この家に仇せし身ながらも治國別のお影にて
 目出たき今日の宴席に恥を忍びて列なるも
 縁の糸のどこまでも結ばれゐたる為ならむ
 あヽ惟神惟神 直日に見直し聞直し
 宣直されよテームスよベリシナ姫よ二人の姫御子
 汝に加へし嘖みの   罪を赦させ玉へかし
 旭はてるとも曇るとも月は盈つとも虧くるとも
 一旦神に目醒たる 鬼春別はどこまでも
 誠のために身を尽し 世人を救ふ真心に
 復りてテームス夫婦が身の幸を  朝な夕なに祈るべし
 赦させたまへ惟神 神に誓ひて詫びまつる』
しかし
『疑ひ深きテームス夫婦は、鬼春別が心の底よりの悔悟も謝罪も、信ずることが出来なかった』 さてどうなるのでしょうか。

 第11章 教 愕
聖師様は『出口王仁三郎全集』(二) 宗教・教育編第一編 既成宗教の第二章「宗教の害毒」一六、一七頁で、 「佛者に言はしむれば、佛教には大乗あり小乗あり、中古時代の佛教は多く独善的の小乗なりしが故に幣ありしかど、大乗的教義に至りては然らずと。然れども佛教の入門は、到底悲観的厭世主義なるを免かるヽ能はず。……さればこそ兼好法師も『此世をはかなみ、かならず生死を出でむとおもはむに、何の興ありてか、朝夕君につかへ、家をかへりみるいとなみのいさましからむ』……又法華経にも『三界に安きこと無し、猶火宅の如く衆苦充満せり、甚畏怖すべし』といひ、

仁王経にも『三界は皆苦あり、國土も何の頼かあらむ』といへり。之を栓ずるに、佛教は四諦、即ち、苦衆滅道を以て綱目とし、其の苦観を以て関門とするは争ふべからざる所なり。是れ実に中古以来、我が國民性を麻痺せしめたる毒薬にして、其の証今日の印度を見れば、自ら思ひ半に過ぎむ」(『神霊界』大正七年七月一五日号に発表)と著されています。

 そして『霊界物語』第五五巻の拝読箇所には法華経の内「譬喩品(ひゆほん))」の一節「火宅の比喩」を一五頁に渡ってを引用されています。「……一切衆生は、皆これ吾が子なり。深く世楽に著して、慧心有ること無し。 三界は安きこと無し、なほ火宅の如し。衆苦充満して、甚だ怖畏すべし。常に生老、病死の憂患あり。是の如き等の火、熾然として息まず。

 如来はすでに、三界の火宅を離れて、寂然として閑居し、林野に案処せり。今此の三界は、皆是我が有なり。其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり。しかも今此の処は、諸々の患難多し。唯我一人のみ、能く救護をなす。……」

 『鬼春別はこの頑固爺のテームスを悔い改めしめむと、わざとに大声にて読経を始めた。その経文に曰ふ』とあり、その経文として火宅の教を使われています。そして鬼春別の読経を聞いて、『テームスはこの聖経の始終を聞いてハツと自ら胸を抱きその場にガタリと打ち倒れ、人事不正に陥つてしまつた』訳ですね。

 聖師様は『神霊界』記事で仏教そのものの歴史的な役割を概括し、その害毒の説明として火宅の教を引用され、一方『霊界物語』ではバラモンの教典として、同時に「聖経」として法華経の一部分を引用されています。 聖師様は自らの教の神髄を著すために仏教の中の良きものを改めて使われているわけです。そしてその使われ方のすばらしさが以下に展開されます。

  第12章 霊 婚
まず、玉木村のテームス家は『祖先代々里庄を勤めずゐぶん「地頭に法なし」と人民より憎まれてきたものである。巨万の富を抱いてゐるのもみな多数人民の膏血を搾つたものと一般に評判され、地位は村人の上位を占めているが、人望はほとんど地に墜ち、旃陀羅のやうに卑しめられていた』(一四三頁)のでした。

 そこでテームスは幽界をさまよい、妖怪・羅刹・夜叉悪鬼に責めまくられ先祖代々からの悪行の精算を迫られます。そこへ鬼春別と万公が現れてテームスに救いの手をさしのべます。 万公『これは皆テームス家の祖先が作つた罪業の化生した悪魔でございますよ。また万公は貴方の祖先代々に苦しめられた憐れな人民の霊が凝結して万公となり、この世に生まれ来たものです……』 テームス『いや、どうも有難うございます。因果応報の道理よつて、先祖代々地獄の苦しみを受けるのも己むを得ませぬが、三五教を奉じ玉ふ貴方が吾が家の養子となり、祖先の罪を赦して下さるのなら、このくらゐ有難いことはございませぬ。』(一六七頁)とテームスは懺悔し、テームス家先祖代々の悪行は法華経の読経によってではなく、三五教を奉じ、主神から命じられた身魂たる人物によってしか救えないことを聖師様はお示しになっています。

 第14章 春 陽
さらに聖師様の『霊界物語』でお示しになる内容の素晴らしさとすごさは、 『……そもテームスの家筋は 元は尊き刹帝利 ヒルナの國にときめきて 数多の民を従へつ 武勇を誇りし家なれど 民の恨みは重なりて ヒルナの國は忽ちに 根本的に転覆し 生命からがらフサの國 玉置の村に現はれて 茲に里庄となりすまし  住み来たりしも十五代』  (一九一、一九二頁) と述べられている事も見過ごせません。 そもそもテームス家とは何なでしょうか? 直感的には「徳川家」と読めますが、皆さんはどう感じられるでしょうか。

 さらに『霊界物語』では、個々の登場人物が現界の誰であったかに拘わらず、その真底には、 テームス『……ただ人間は惟神のお道に従つて、世間愛や自然愛を超越し、神の愛に生き、善徳を積まねばならないものと深く悔悟いたしました』  既成宗教の空洞化と害毒を鋭く指摘されると同時にその一部を使いながら聖教の真諦を示されていく聖師様、その素晴らしさは『霊界物語』の至る所にちりばめてあります。

【用語解説】 第五五巻は、「序文」用語の解説 続き

深法界 = 法界とは意識の対象となるすべての物事をいう。大乗仏教では万有の本体である真如 全宇宙のこと 妙智等倫等倫は仲間、同輩のこと

五逆 = ふつうは殺・盗・淫邪・妄語・飲酒をいう
慧日 = 日光のたとえ、仏の智慧があまねくの無知の闇を照らすこと
欣笑 = 心の底からの笑い
踊躍 = 踊りたつ喜ぶさま
懈怠 = なまける、おこたる
二乗 = ここでは大乗・小乗に区別された仏法を指す 本空の真理 仏法の諸法は本来空なりとの意
苦衷 = 苦しい心のうち
上根 = すぐれた宗教的意識、根気の良いこと
道化 = 涅槃にいたる正しい道をもって人を教化する
究暢 = 十分に極める、理解する
神通無礙 = 凡情を以て計り知れない不可思議と自在に一体化する
諸根 = 人が持つ種々の性質 五濁悪世(ごじょくあくせ)
   ・劫濁(こうじょく・時代的社会的な汚れ、飢餓疫病戦争などが起こる)
   ・見濁(けんじょく・邪な思想や見解がはびこる)
   ・煩悩濁(ぼんのうじょく)
   ・衆生濁(しゅじょうじゅく・人間の果報が衰え資質が低下すること)
   ・命濁(み ょうじょく・寿命が段々短くなり 一○歳にまでなること)の相が現 れて悪事繁き世の中

金剛法身 = 最上最勝の不滅の法
演暢 = 十分に広めること
松柏 = 共に常緑樹、貞操を守り変えないこと
宇内 = 天下、世界
周遍 = あたりをとりまく
羅列棋布 = 碁石を並べたように散らばってい ること
済度 = 人に法を説き悟りを開かせること
慧光 = 真理を伝える光、あるいは働き
塵労 = 煩悩のこと、正道に至る道を妨げるもの
五逆十悪 = 五逆は前出、十悪は、殺生・偸盗・邪淫・妄語・綺語・悪口・両舌・貪欲・瞋恚(しんに、自分の意のままにならぬ事を怒り恨むこと)・邪見  

汚染 = けがれよごすこと
三垢 = 心身を汚す貪欲・瞋恚・愚痴を指す

苦集滅道 =苦はこの世は苦であるという真理を言い、集とは苦の原因が世の無常と人間の執着にあるということ、滅は無情の世界を超越し執着を絶つことが苦滅のさとりの世界であること、道とは滅に至るための修行を指す。この場合修行は八正道のことで、正見・正思・正語・正業・正命・正精  進・正念・正定をさす。 苦集滅道は四諦または四聖諦ともいう。

以上


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