とよたま愛読会37回(真善美愛:59巻13章〜巻末) 塩津晴彦


日 時 : 平成11年10月31(日) 午後1時から午後4時30分まで
場 所 : 八王子市北野市民センター八階会議室2

★ 報告 
   曇り空から薄日が差込んでいましたが秋の爽やかさが待ち遠しい半日でした。愛読会は参加者8名で『霊界物語』第59巻の第13章から巻末までの拝読を無事に終えることが出来ました。

★ 拝読箇所で気のついたこと
○第一三章 案 知(あんち)
 チルテル館での大相撲の後、白狐と握手をして肝をつぶしたテクは玉国別に報告しようと慌ててかけだし真澄彦とぶつかり、一行に一部始終を説明する。  三千彦たちの消息は判然としないまま玉国別らはアンチーの案内でチルテル館に進みます。

 この章に耳慣れない言葉がでてきます。
・祇園棒……情景から推測すると祇園坊(しぶ柿の一種、または白色の饅頭の意味)ということで、砂まぶれ態を指していると思われます。
・マハトマ……本来は(大善知識)と表しインド・チベットに住み、超自然能力を持つとさになった状れた人のことで、ここでは聖雄つまり聖師様ご自身のこと。ただし一般にはインドの政治家ガンヂーへの敬称として使われることが多い。

○第一四章 舗 照(ほてる)
 一方三千彦は伊太彦とともにデビス姫を救い出したあと館の庭先の落とし穴に安着したがそこは燐鉱の光で明るい広い岩窟となっていた。そして次々とバラモン組が落ちてくるので伊太彦は番頭気取りで岩窟ホテルの開業などと言い出す。

 この章では199頁にある伊太彦のせりふ馬鹿と狂人になれと仰有りますが……」がありますが、現代人の耳には痛い台詞ですね。家庭の中でも職場でも、他「……神様も始終人の言うことに充分耳を傾け、自己の立場だけを押しつけようとしないで過ごすことが大事だと思います。無駄口をたたかず、人を誹らずに暮らすことは神様の御神徳をいただける最初の一歩かと思います。 もちろん聖師様が「馬鹿と狂人」と仰有ることの背景には救世主としてご自身の長年の艱難辛苦が有るわけですから、我々とは次元が違うとはいえ、その千万分の一でも見習うことが出来ればと思います。

 同じ頁に「醜の岩窟」がベルチス方に多くある、という三千彦の台詞がでてきますが、1919年(大正8年)にアフガンはイギリスの保護国から独立しタン、アフガニスタン地ていますが、昭和三年にはアフガニスタンの志士が天恩郷を訪れています。昨今の中央アジアでの宗教戦争の経緯をみると、聖師様が入蒙後、道義的世界統一を目指して人類愛善会、エスペラント運動を展開されたことを想うとき、自国と民族の真の独立を想う人々の心に聖師様の御神業が一灯を点じる働きがあったと考えられます。現代はその火が大きく燃え上がっているわけですから、その意味でも聖師様の御神業を今一度現代に受け止める必要が有るように感じます。

 ちょっと脇道にそれますが、209頁に「借地権はすでに登記済となり、……やっぱり伊太屋の財産も同様でございます」とあります。この短い言葉に不動産業を二十年以上経験している私としてはつくづく感心させられます。借地権で苦労したその内実がわかっている人の言葉なんですね。

○第一五章 和 歌 意(わかい)
 同じ岩窟に落ち込んだチルテル、ヘール、三千彦、デビス姫はお互いに歌を交わしながら和解○第一六章 開 窟(かいくつ)  ワックス、エキス、ヘルマン、エルの四人組もなぜか落ち込み、最後には玉国別一行する。 が合流し、奇しくもデビス姫たちとの再会を果たす。しかし抜け穴もない岩窟から出ることも出来ずに困っていると玉国別が歌います。 吾ら一同 心をば 一になして皇神の その大恩を讃め称え 心の底から改良して 誠の道に叶ひなば 必ず救ひたまふべし 心を労する事なかれ 勇めよ勇め皆の人 勇めば勇む事が来る……。  次々と一同が悔悟の歌を続ける中、スマートの竜声が聞こえ、本物の初稚姫が一同を救いに下ってきます。

○第一七章 倉 明 (くらあき)
 続いてチルテル館の倉庫に押し込められていたカンナとチルナ姫が救われる。 チルテル「いと恋やの妻の命よ心せよ  吾も初稚姫に救はれしぞや」 「今日よりは心の駒を立て直し チルナの姫を厚く愛でなむ」 チルナ「有難しその宣り言を聞く上は たとへ死すとも怨まざらまし」

○第一八章 手 苦 番(てくばん)
 チルテル館での一件が落着し、玉国一行はバーチル館へ帰っていく。バーチル夫婦は一行の無事を神前で祈願している所だったが無事の帰還を喜び酒宴を張る。テクは早くも番頭気取りで何かと口を出す。

○第一九章 猩 々 舟(しょうじょうぶね)
 喜びの晩餐が終わった後でサーベル姫が玉国に猩々ヶ島に残した三人を救い、天王の森に三五の神様とバラモンの神様の宮を建設してほしいと要望する。玉国は「猩々の眷属をも救う。彼らは天王の宮に使えていたように直感する」と返答しサーベルは喜ぶ。

 さてこれまで猩々とは一体何者の事なのか、色々の判断があったと思いますが、私は玉国別から猩々出迎え舟の責任者に指名された伊太彦の「……れが私の登竜門、出世の門口、移民会社の社長となって……」言葉が一つのヒントだろうと思います。(270頁)

つまり明治の開国以来海外に出稼ぎや植民として渡航した人々をさしているように思えるのです。もちろん満州へ渡った労働者農民、そして青少年達がその中心である事は言うまでもありません。彼らこそは天皇の赤子であったのですから。

 さらにサーベル姫の歌 「今の世の人は獣の容器よ 獣の中に人の魂あり」のお歌にも注 目してしまいます。昨今の世情はみると、このお示しが厳然として生きていることに気づかざるを得ません。

○第二○章 海 竜 王(さあがら りう おう)
 伊太彦を先頭に20艘の舟は海路を順風満帆に滑っていく。島では猩々王の亡き後、海に潜む竜王が上陸して三人組と猩々を食い殺そうとしていた。伊太彦の天の数歌によって竜王は果て、その巻き添えを食った魚族も伊太彦の天津祝詞によって再生する。

○第二一 客 々 舟(きやつ きや ぶね)
 神の使の伊太彦は 島に残りし三人の  神の御子をば相救ひ 天王の森の眷属と  仕へまつりし数百の 猩々の命を救済し  海に浮べる鱗族の 生命までも救ひつつ  真善美愛の神業を いと極端に発揮して  心も勇む波の上 天津神たち国津神  三五エンゼル神使  その外海の神々に 感謝の祝詞を捧げつつ  ……  このお歌がこの巻の意義をよく表していると思いま教を守ります 

○第二二章 五 葉 松(ごえふまつ)
○第二三章 鳩 首(きうしゆ)
○第二四章 隆 光(りうくわう)
○第二五章 歓 呼(くわんこ)  以上は略します。

 聖師様はここ皆生温泉で五十九巻を無事に口述し終えたことを度々述べられております。

日月の恵みを受けて委曲に説き明かしたる 此の物語 いそのかみ古き神代の出来事を 今新しく説き明すなり(三二八頁)

以上


[前回レポート] [次回レポート]  

愛読会の 拝読一覧表オニ(王仁)の道ページ