とよたま愛読会40回(真善美愛:60巻 23章〜61巻 3章)  記塩津晴彦


日 時 : 平成12年1月26(日) 午後1時から午後4時30分まで
場 所 : 八王子市北野市民センター八階会議室2

次回:第41回 ご案内
    日時  平成12年2月27(日) 午後1時〜午後4時30分
    場所  愛善苑 豊玉分苑 (京王線下高井戸駅下車 徒歩八分 川崎方)
         連絡先(川崎方)03(3321)3896、03(3321)8644
    物語  山河草木 子の巻 第61巻 第4章より通読いたします。
         (物語をおもちでない方もどうぞ、参加費は不要)

★ 報告
小春日和となりどことなく梅の香が漂ってきそうな半日、愛読会は参加者八名で『霊界物語』第六十巻の第二三章から巻末まで通読し、引き続き第六一巻第三章までの拝読を無事終わりました。
●二月から愛読会は、会場をこれまでの北野駅前から世田谷区の愛善苑豊玉分苑に移して、開催します。

★ 拝読箇所で気のついたこと
○第四篇 善言美詞(一四章から一九章)省略

○第五篇 金言玉辞 三五神諭(二○章〜二五章)
   『霊界物語』には明治二十五年旧正月……日の神諭から大正七年旧正月十二日の分まで数多い神諭の中から、なんと!聖師様に因縁の深い数である合計二十二篇が収録されています。

「神諭」とは、大本開祖出口直が明治二六年四月に近隣の放火事件の嫌疑を受け拘留され、真犯人が逮捕された後も狂人扱いを受け、警察署の命で座敷牢に幽閉されていた時に神示により釘で柱に刻み始めた「お筆先」を、聖師様が漢字を当て行を変え句読点を付すなどの添削をされて、皇道大本の機関雑誌『神霊界』(大日本修斎会発行)大正六年二月号から発表されたものを指します。

 そしてお筆先と神諭との関係は、「『霊界物語』と『大本神諭』とは大本教団の根本教典とされるが、筆先は教典ではない。」(『いり豆の花』第六篇 四二二頁)ということなのです。さらに付言すれば愛善苑では『霊界物語』を唯一の教典と位置づけています。  

お筆先から大本神諭へ、そして三五神諭へと、聖師様は現幽神三界の革正についての神様の大きなお仕組みを『金言玉辞』としてまとめていかれたと思うのです。筆先として書かれた日時が前後しているのもその意味だと思います。  「(筆先は)要するに、太古の神々の活動を始め、現在未来の神界の活劇を、断片的に示した台詞書きにすぎませぬ。これを一つに取りまつめてその真相を劇化して、完全に世人に示すやうにするのが霊界物語編纂の大使命なのであります。……何れも緯役(聖師様のこと)として解決の着かない様なものや、悪言的の筆先は決して発表して居ませぬ。……緯役として神界の実地に触れ根拠ある点のみを選抜して神諭とした迄であります。」(『霊界物語』第一二巻序文より)

○さて神諭の冒頭には「初発の神諭」と呼ばれている明治二十五年旧正月の神諭が載っています。 先に説明しましたように、開祖直の筆先は明治二六年からですから二五年には筆先は無いのです。三五神諭の冒頭にこれを持ってこられた聖師様の御意図はどの辺にあったのか、疑問に感じたのですが、出口直は二五年の一月か二月から最初の発動状態になっています。ですから、初発の神諭は、開祖直の獅子吼であると同時に聖師様の「筆先」でもあると思いました。

○私の受けとめ方ですが、神諭は百%近くが聖師様の筆先である、という点から拝読すれば御神業の一端に触れることが出来ると思います。平凡社から「東洋文庫三四七、三四八」として『大本神諭 天の巻、火の巻』の二冊が出ています。これを読みますと、全編これ聖師様の御神業に満ちあふれているという感じを受けます。

 初発の神諭について『神霊界』掲載のものと『霊界物語』のとを比較しますと、聖師様の御意図が感じられるのです。
●日本は神道→この世は、
●外国は→今は、
●日本も→世界は、
●外国人に→邪神に、
●国は→世は、
●『東京で仕組を駿河美濃尾張大和玉芝国々に』天理、金光、黒住、妙霊、先走り→何れの教会も先走り(神霊界→霊界物語の順)。

 神諭を発表された時代背景や大本教団を取り巻く情勢には若干の違いはありますが、三五神諭には開祖筆先には無い、大きく言えばより広く深い、神様の世界を感じ取れる言霊の響きが生きているように思います。

○三五神諭の中に、大正七年旧正月十二日のものに「天の岩戸開きが段々近寄りたから、……一の番頭の守護神が改信が出来たら、肉体に胴が据わるなれど、到底六ヶ敷いから、今に番頭が取替へられるぞよ。モウ悪の頭の年の明きであるから、悪い頭から取払ひ致すぞよ。」(三五八頁)がありますが、これが第二次大本事件の際「天皇陛下を悪の頭と呼び、現皇位の断絶を暗示した。」という嫌疑を受け、聖師様は公判で「天皇を指すのではなく邪神界の悪の頭を意味する。」と答えておられます。 

三五神諭は以上のように、開祖直のお筆先を下敷きにされてはいますが、その世界とはかなり異なったものです。時代を超えて鳴りやまぬ言霊の響きにもに似た神の声を素直な心で聞き取りたいものです。

○山河草木 子の巻 第六十一巻
 六一巻と六二巻とは『大本賛美歌』の名が付されています。題名のとおり内容は、キリスト教の賛美歌を直接の下敷きにされて聖師様独特の意訳といいますか言霊が盛り込まれているのです。  戦前の『霊界物語』(昭和八年六月十日発行四版)では第一章松翠、第二章竹葉、第三章梅花 という章題になっています。現在の校定版では、それぞれ第一章神苑、第二章神影、第三章神雲であり、これは昭和一○年五月一四日に聖師様が校正された結果です。

○第一章 神 苑(しんゑん)
 最初からキリスト教賛美歌を三五賛美歌へと甦らせておられます。キリスト教の元歌は、
一、 目覚めよわが魂 朝日にともない 神をあがめつ たゆまず努めよ
二、 むなしく過ごしし 時をつぐのいて またなきこの日を いそしみておくれ となっています。

『霊界物語』では、
一、 わが魂は永久に 光にあひて醒めにけり 神の御国のおん為に 力限りに仕へ奉らむ
二、 あだにすごせし現世の 時をつぐのひたてまつり  (七頁)と聖師様はお歌いです。

また用語でも、キリスト教賛美歌では「父」、「救世主」、「救い主」とあるのを「祖神(おや)」、「更生主」、「貴身」と言い変えられています。

○第二章 神 影(しんえい)
第一九の二として「神の御国のおんために 十の日足を早送り 今日はこの身の生命のために 身も魂もいさぎよく 聖き休日を楽しまむ」とあり、キリスト教の安息日が七日目であるのに比べて一○日に一度の安息日をお示しです。 本当に神の国をご存じの上でのお示しですから、吾々としても肝に銘じる事柄と思います。

○第三章 神 雲(しんうん)
第二五の三に、 綾に畏き御教を示し 清めの道を宣べたまふ 伊都の言霊まつぶさに 深くさとらせ玉へ瑞御魂 第二五の五に、 瑞霊(みち)を知るものひたすら頼め 神は近づき玉ふべし 至仁至愛の瑞御魂 かならず見捨てたまふまじ、 と出ています。  やはりキリスト教賛美歌とのより詳しい比較が必要でしょうが、聖師様の取られている方法からすると本物の教えを説けるのは私一人だよ、という明確な点があるのですから、その方面から検討することが大事でしょう。  『霊界物語』二巻にも及ぶ賛美歌を口述され、そこで本当に神を賛美することの意義を盛り込まれた聖師様、昭和一○年に旧版の章題を全て「神○」へと更正された聖師様、そのお姿を想い描きながら、引き続き賛美歌の世界に進んでいきたいものですね。   

以上


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