とよたま愛読会41回(真善美愛:61巻 4章〜10章)  記塩津晴彦


日 時 : 平成12年2月27(日) 午後1時から午後4時30分まで
場 所 : 愛善苑 豊玉分苑 (京王線下高井戸駅下車 徒歩8分 川崎方)

次回:第42回 ご案内
    日時  平成12年3月26(日) 午後1時〜午後4時30分
    場所  愛善苑 豊玉分苑 (京王線下高井戸駅下車 徒歩8分 川崎方)
         連絡先(川崎方)03(3321)3896、03(3321)8644
    物語  山河草木 子の巻 第61巻 第11章より通読いたします。
         (物語をおもちでない方もどうぞ、参加費は不要)

●二月から愛読会は、会場をこれまでの北野駅前から世田谷区の愛善苑豊玉分苑に移し開催してます。
 先般、愛読会の内容についてアンケートを行い、多くの方からご返事を頂戴しました。御礼を申しあげます。今後の参考にさせていただきます。

★ 報告
 梅の花が盛りとなった半日、愛読会は参加者6名で『霊界物語』第61巻の第4章から第10章までの拝読を無事終わりました。
○ キリスト教讃美歌のこと
 豊玉分苑の川崎紀子さんは、函館のメソヂスト派ミッションスクール「遺愛高等女学校」で青春時代を送られていますので、特にお願いしてキリスト教讃美歌の歌い方や利用の方法について記憶をたどってのお話を聞かせていただきました。

 また本棚の奥から『讃美歌』(讃美歌委員会編集 昭和七年一二月発行、第六版)を出して頂きました。それによると『讃美歌』は明治三十六年に日本で公刊され、その後明治四十二年に第二編が出され、昭和六年に再編集されたとあります。聖師様はおそらく明治三十六年の本をお使いになった思います。 その本を見ますと、キリスト教讃美歌はある特定の人物によって創られたのではなく、長年に渡って多くのキリスト教信徒の手による讃歌によって構成されている事が判りました。これは『霊界物語』の讃美歌と大きく異なる点だとおもいます。中には日本人の讃歌が収録されており、主を称え 主に救いを求める人達が創った歌である、といえる訳ですね。

★ 拝読箇所で気のついたこと
第一篇  常磐の松
○第四章  神 田(旧章題 椿 花)
さて大本讃美歌の第35番から40番までに聖師様は、国の祖神(くにのおや)として大神の顕現を謳われ、ご自身が唯一くにのおやから命を受けた救世主であることを示されています。

「瑞の御魂の神ばしら 誠一つの神の子と
 再び現世に現はれて 千座の置戸を負ひながら
 世人のために身を砕き 心なやまし道伝ふ
 そのいさをしぞ畏けれ」(五五頁)

 一方、キリスト教讃美歌では「三一の神」とし
「一 よろずのもの 永久にしらす 御ちちよ
   いまめぐみを くだしたまへ  御名をほむる われらに
 二 ひととなりし ひとりの御子 主イエスよ
    利きつるぎの みことばもて  しめしたまへ まことを
 三 いともつよき なぐさめぬし みたまよ
    わがこころを をさめたまへ   いまよりのち はなれで
 四 みつにまして ひとりの神 みいつと
    みさかえとを とこしへまで   ほめたたへて まつろはん」(前掲第六版讃美歌五五)
という讃歌になっています。

誓いの言葉として結婚式などで「父と子と聖霊の御名において」という言葉が使われています。これはキリスト教の神観を端的に表現する言葉です。つまり三位一体として三一の神のことを表現していると思うのです。三位一体とは「キリスト教で、創造主としての父なる神と、贖罪者キリストとして世に現れた子なる神と、信仰経験に顕示された聖霊なる神とが、唯一なる神の三つの位格(ペルソナ)であるとする説。この三者に優劣の差別はない」(広辞苑)と言うことです。

 これに相応する聖師様のお歌があります。
「天津御神のおん父と 瑞の御魂の貴の子と
  聖き神霊の天使  一つになりて世に降り
三ツの御魂とあらはれて マイトレーヤの神業を
 開かせたまひし畏さよ 仰ぎ敬へ三ツ御魂」(五五頁)

「三つに神業を別ちつつ 天と地とを只ひとり
 うしはぎ玉ふ元津御祖 真の神のみさかえを
   いやとこしへに賞めたたへ 仕へまつらむ
      真心もちて」(五八頁)

 はっきりと言えば、キリスト教讃美歌と聖師様の霊界物語讃美歌とはまさに天地の隔たりがあると思うのです。当然と言えばそれだけの事でしょうが、神への祈りの言霊として謳うときに、自己の贖罪の救いを求める信徒達が作ったキリスト教讃美歌と救世主が自ら言霊の権威を発揮して創られた霊界物語讃美歌とは神とのつながり方が大きく異なって来るように感じます。

 私たちは神素盞嗚大神の御名のもとに讃美歌を謳う事ができ、その言霊は神歌として直接に神と人の関係を活発にする働きがあります。元々一体であった関係をより親密なものへと引き上げていける意味があると思います。

 聖師様は御入蒙の直前に『錦の土産』と題された一文を出口宇知麿さんに託されました。その中で「伊都能賣の御魂霊国天人なる大八洲彦の精霊を充たし瑞月の体(聖師様の事)に来たりて口述発表したる霊界物語は世界経綸上の一大神書なれば……」とはっきりとお示しです。そんな意味合いを噛みしめながら一つ一つを歌いあげていきたいですね。特に感じたお歌を列挙します。

○第五章  神 山(旧章題 山 吹)
「瑞の御魂に身も魂も 捧げて仕ふる信徒は ほろびと罪のまが神に
 苦もなく勝ちて世に栄ゆ  神のめぐみをいつまでも
 まご子の末まで語り継ぎ  かならず忘るる事なかれ
 神にしたがひあるうちは  つねに歓びと楽しみの
 花も絶間なく匂ふなり  よろこび祝へ神の徳 慕ひまつれよ神の愛」

「伊都の御魂の教をひらき 世人を導き許々多苦の  罪をあがなひ清めます
 瑞の御魂のいさをしを  諸人声を一つにし
 うたへよ称へよ心のかぎり  三五の月のいときよく
 日に夜に神をたたへかし」 (六七〜六八頁)

○第六章  神 天(旧章題 山 桜)
「この世に生きとし生けるもの  こぞりて迎へ奉れ  三千年の昔より
 待ちに待ちたる更生主(すくひぬし)  厳の御魂は現れましぬ
 瑞の御魂は現れましぬ  五六七の御世は近づきぬ」(九一頁)

「現世幽世もろともに 生かさせ給ふ瑞御魂  綾の聖地に下りましぬ
 貴き卑きの隔てなく  老も若きもおしなべて 来たりて祝へ神の徳」(九五頁)

第二篇  神国の春
○第七章  神 地(旧章題 牡 丹)
「瑞の御魂の更生主 天津御神の御言もて  地上に生まれ給ひけり
 島の八十島八十の国  至らぬ隈なく住む人は 清く迎へて御栄光の
 誠の更生主と仰ぐべし あゝ惟神惟神  五六七の御代ぞ有難き」(一○六〜一○七頁)

 紙面の都合上、以下の章は次回に譲ります。
○第八章  神 台(旧章題 杜 若)
○第九章  神 行(旧章題 菖 蒲)
○第一○章 神 巌(旧章題 水 仙)

以上


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