とよたま愛読会44回(真善美愛:62巻 5章〜13章)  記塩津晴彦


日時:平成12年5月28(日)午後1時から午後4時30分まで
場所:愛善苑豊玉分苑(京王線下高井戸駅下車 徒歩八分 川崎方)

次回:第45回 ご案内
   日時 平成12年6月25(日)午後1時〜午後4時30分
   場所 愛善苑 豊玉分苑(京王線下高井戸駅下車 徒歩8分 川崎方)
      連絡先(川崎方)03(3321)3896、03(3321)8644
   物語 山河草木 丑の巻 第62巻 第14章より通読いたします。
         (物語をおもちでない方もどうぞ、参加費は不要)

★ 報告
   梅雨の先走りを思わせる雨が降り、紫陽花の蕾がふくらんできました。愛読会は参加者七名(外に神奈川からNさん夫妻が短時間参加されました)で『霊界物語』第六十二巻の第五章から第一三章までを通読し終わりました。

六月一六日、皇太后良子(ながこ)さまが九七歳でご逝去されましたね。昭和天皇とご一緒の人生だった。という解説記事が多くの新聞で掲載されました。  ところで皇太后さまといえば史上「宮中某重大事件」と称された事件があります。これは久邇宮家出身の良子さまが当時皇太子だった昭和天皇と大正八年に婚約されたのですが、翌年長州閥の元老山県有朋が、良子さまの兄、朝融王が色弱だったことから「皇室の血統に疾病の因子が入るのは問題」として正式決定に反対し、翌大正一○年に解決したという事件だったのですが、山県の反対の背景には良子さまの母上が島津家の出身だったことから、薩長の派閥抗争があったと云われています。(角川書店『日本史事典』)

 さて聖師様は良子皇太后のことについて、「皇后を選ぶのに予定、内定、確定という制度になっていた。久邇宮良子女王の予定、内定まで大本で御祈願申し上げた。養育係の山田春三という人は熱心な大本信者で、……大本文献を差し上げていたから皇后殿下は小さいときから大本の本を読んでおいでになりる。神様は十分知らせる丈知らせていられるのである。王仁は東京へ行ったら山田さんのとこへ行っていた。反対派が色盲だと云っていたので、鶴殿さんが王仁に聞きに見えたので「色盲ではない」と王仁が言ったから決定したのである。」(木庭守次編『新月のかけ』)と仰有ったと言うことです。

昭和の時代は聖師様が救世主として世界の立直しを推進された時代だったわけで、ひとしお考えさせられるお言葉ですね。

★ 拝読箇所で気のついたこと
○さて、今回の拝読で印象に残ったお歌を抜粋してみます。
第五章 神 世 (旧章題 萬年青)
 第298−3、世の旅に 疲れ果てたる人の身も 神の御許に憩い栄えむ
 第297−4、かくまでも 曲れるわれを捨てずして 救はせたまふ更生主ぞ尊き
 ・自分自身の日常の行いや仕事のことを思うと身につまされる思いになりますね。

 第298−3、瑞御霊 メソポタミヤの顕恩郷に かくれて神代をまちたまふなり
     −4、瑞御霊 元つ御国の日の下に 天降ります代は近づきにけり
 ・聖師様が唯一無比の救世主として下生される事をお示しのお歌と感じます。

 第299−2、イスラエル 十二の流れ悉く ヨルダン川に注ぎ入るかな
 ・あらゆる面での世界統一の源泉を説かれているのではないでしょうか。

第六章 神 栄 (旧章題  橄欖樹)
 第305−2、動きなき 心の海に波はなし これぞ平和の礎と知る
 ・主一無適の信仰生活の境遇に達していきたいものですね、信仰の深さを考えさせられるお歌です。

第七章 神 降 (旧章題 優曇華)
 第312(エルサレムは至聖地の意なり)
    1、浮き世の闇にさまよひて 身も魂も疲れたる
      悲しき人よとく来たれ 救ひの神は日の下の
      神のよさしのエルサレム 自転倒島の聖場に
      雨の如くに天降りませり。

 第317−4、ねぢけたる心の友に交はらで 神の教を友とし敬へ
     −6、皇神に習ふ武士一度は 倒れ伏すともやがて起たなむ
 ・信仰を守りはぐくみ、現界の荒波に向かって進んでいくために絶対に必要な心持ちを表現されていると思います。

第八章 神 生(旧章題 姫小松)
 第323−1、惟神結び合うたる友垣の その親しみは同胞にまさる
     −4、皇神の道に集ひし友垣の その交はりは永久変らず
 ・特に愛善苑に集う我々として日々感じることが出来るお歌ですね、天国霊国でも友垣を形成する事が出来るのですね。

第九章 神 子(旧章題 河原撫子)
 第333−1、神の手にねむる正しき信徒の いまはの面の美はしきかな
     −2、引く汐の静かなるごと逝く人の 面ざし見れば神と倶にあり
     −3、生死の恐れもしらぬ天津国の その長閑さは春の花園
 ・信仰が人々にもたらす最大の潤い、安らぎ、がこのお歌に表れていると思います。

 第338−3、愛児は天津乙女の懐に 笑みつつ永久の花園に往きぬ
     −8、皇神は生命の元にましまさば 与えたまはむ愛児の命
 ・幼い命が天に昇る時、こんな世界を神様は準備されているのです。

第一○章 神 宮(旧章題 楠 樹)
 第343ー2、言霊の天照国は山海も 草木も君の御稜威をうたふ
 ・聖師様が動かれるとき、山河草木が動き出す様子がよく分かります、国の内外の山海草木がどよめきわたる情景を想像してしまいます。

 第349ー7、わが魂を招かせ給ふ救主の声の 聞こえし時や楽しかるらむ

第一一章 神 勲(旧章題 五葉松)
 第357−1、錆び腐り失せ往く宝何かあらむ 誠の宝を神国に積まばや

 第360−4、悲しみし心は重荷となり果てて 行くき難むほど年は暮れけり

第一二章 神 教(旧章題 呉竹)
 第366ー1、世に下り世の憂きごとをまつぶさに 嘗めさせたまふ瑞の大神
 ・聖師様の前半生の御聖苦は枚挙にいとまなく、かつそれが救世主たる絶対の条件であったわけですね。  蝦夷千島高砂島の外までも わが大君の恵みあまねし イメージとしては聖師様の全国御巡教や昭和天皇の戦後巡幸を考えてしまいました。

第一三章 神 祈(旧章題 真木柱)
 第374−5、四方の国皆同胞と睦び合い 神国の民となる日待たるる
 第375−4、よきものは皆御空より下りきぬ 神の恵を讃め称へよ
        吾等をも御子と称へて朝夕に 与へたまひぬ生命の糧を
 ・往きずまり感の強い昨今の時代を考えると、人々の生活全般の方向転換が必要ですが、その根元にある人間存在についての認識をきっちりとつかむ為の智慧というか、啓示と言うような感じのする内容です。

讃美歌の拝読は続きますが、その中で精神を鍛えていっているように思えます。

以上


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