とよたま愛読会45回(真善美愛:62巻 14章〜23章)  記塩津晴彦


日時:平成12年6月25(日)午後1時から午後4時30分まで
場所:愛善苑豊玉分苑(京王線下高井戸駅下車 徒歩八分 川崎方)

★ 報告
 ちょうどこの日は衆議院の選挙日で、肌寒さも感じた曇天の一日でした。愛読会は参加者七名で『霊界物語』第六十二巻の第一四章から第二三章までを通読し終わりました。

○七月の拝読会では第六三巻へ進むことになりますので六二巻と一緒にご持参ください。

★ 拝読箇所で気のついたこと
第一四章 神 幸 (旧章題 紅 葉)
 第三八六の六 
  八重葎茂れる賤ヶ伏屋にも 月は窓より覗かせたまふ
 第三八八の三
  花蓮白梅のごと薫りつつ 神の御旨を教へ示せり
よく我々は自然の恵みということをいいますが、妙なる光と薫りから感じる神の恵みに本当の幸せを感じることができますね。

 第三八九の一
  皇神の教に交らふ友垣は 兄弟よりも親しかりけり
 第三九○の四
 いと清き教の友の交らひは 後の世かけて変らざらまし
信仰の道で結ばれる友情や交流の尊さ親密さを明らかにするお歌です。人間同士の心の通い合いが保てる道が信仰の道ですね。

次のお歌も素晴らしいと思います。
第一五章 神 情 (旧章題  夕 顔)
 第三九四の三
  学び館の窓の内   互ひに固く結びたる
  睦びの紐は永久に  解けて離るる事もなし
  遠き海山打ち越えて その身は如何に離るとも
  清き心の宣り言は  互ひに伊行き交らひて
  世に生まれたる務めなれ

第一六章 神 息 (旧章題 香 椎)
 第四○五の三
  枉神の軍も神の御子ならば 如何で憎まむ神の心に

 第四○五の五
  宣伝使の教ふるままに正道を 歩む身なれば枉事もなし

 第四○五の六
  踏み迷ひ暗に陥る人の子は 神の御後をふまぬ故なり

人の世はとかく曲事が多く、踏み迷うことが多いのですが、最後は神の姿を見失うことなくつき従うことなのでしょうね。

こんな、お歌もあります。
  皇神の御後踏み分け進む身は 醜の枉霊も襲ふことなし(425-7))
 第四一○の一
  足曳の山路を越えて只一人 行く身も安し神としあれば

第一七章 神 心 (旧章題 珍山檜)
 第四一六の二
  教主の如く優しくあらばほほゑみて わが頭辺を撫でさせたまはむ

 第四一六の五
  わが教主の珍の使とならばやと 奇しき神代の御文よむなり

 第四一六の六
  珍しき奇しき神代の物語 己が身魂の礎となる

神様の教えに接する時の心構えというものを歌われているのです。

第一八章 神 園(旧章題 山茶花)
 第四二四の四
  世の穢れ夢にも知らぬ幼児は 神の御国の花にぞありける

 第四三一の三
  美はしき千草の花に言問はむ 妙なる色香誰がために咲く
神国の花園に幼子のような気持ちで、謡い遊ぶ光景を想像してしまいます。そんな心境に浸りたいですね。

第一九章 神 水(旧章題 稚児桜)
 第四三四の七
  人の業はもう一息といふ時に 破られ易し神に祈れよ

 第四三八の八
  わが命わが妻子まで奪はんと 攻め来る仇を打ち退くる法
信仰の道の厳しい一面をうたわれています。一瞬の間もおろそかにできませんね。

第二○章 神 香(旧章題 茴香花)
 第四四四の四〜八
  村肝の心の眼押し開き 救はんとして出でましにけり
  何人が吾を招くと辿り行けば 瑞の御霊の立ち玉ふ影
  近寄りて勇み喜ぶ耳の中に 入りしは愛の御声なりけり
  浅間しきわが心根を知り玉ふ 神の御前の恥づかしきかな
  皇神に捨てられむかと煩ひつ 進みて見れば御声変らず

人の心の奥底にまで神様の気配りが行き届いていますね。
皇神の広く深い恵みの心を知らずに、つい目先の結果に一喜一憂するのが人の常ですが。

第二一章 神 悟(旧章題 悟 桐)
 第四五九の一〜四
 身体は底津岩根に魂は 御国の園に永久に納まる
 人の身は生くるも死るも惟神 御旨のままに任す外なし
 兄弟は遺骸を見て悲しめど 天津使は喜び迎ふる
 天津日の輝き渡る神園に 茂る草木の麗しきかな

信仰の世界に「悟り」は不可分ですが、聖師様の教えの根本の一つは霊主体従ですね。霊魂が永遠生命の本質であるのですから、死にまつわる覚悟の内容を充分に受け取らせていただくことが大事だと思います。

第二二章 神 樹(旧章題 並木松)
 第四六八の五〜九
 地のはても神の救ひを得たりけり 聞けよ諸人神の言葉を
 琴の音と歌の声もて皇神を 崇めまつれよ上にある人
 海も山も皆諸共に鳴り動み やがては神の御代となるべし
 瑞御霊神の御前に手を打てば 山川ともに声挙げて答へむ
 地の上の総てのものは大前に 戦き畏み仕ふる御代かな

聖師様の救世主としての御神業は、直接に世の造り主である主神(神素盞嗚大神)の内流を受けられて行われているわけです。その意味を踏まえて受け取ることが必要だと思います。

 また私は聖師様がここで言霊の極致を詠われていると感じます。多くの人々による「歌祭り」の祭典こそがその極致であると思いました。

 ところで最近、伊豆諸島で地震と噴火が続発しています。このことについて七月十四日の朝日新聞夕刊の記事に「月の引力地震誘発?」と題する記事があり、噴火に関係する地震の活発化が月の満潮時に起きていることが観測データで分かった、と報じています。なぜならば、潮汐力(満潮と干潮を起こす月の引力と地球の引力のこと)によって地球の岩盤が場所によっては十五センチ程度伸縮しているからです。「潮汐力が地下の圧力を変動させ、地震を増減させているのでは」というわけです。今回の地震は、かって無く広範囲に影響しています。地震の原理と月が大いに関係があるという事になると、月の大神でもある主神への祈りが大切になってきますね。

第二三章 神 導(旧章題 聖地富士)
 第四七八
 一 天津神大国常立之大神の 外に誠の神ありと思はじ
 二 目に見えぬ神を誠の神として 敬ひまつれ諸々の民
 三 徒に神の御名をば称へまじ 穢れ果てたる言霊をもて
 四 清き日は総ての業を休らひて 神を斎きて歌へ舞へかし
 五 地の上の汝の生命の永かれと 父と母との神を敬へ
 六 よしもなき事に生物殺すなよ 皆天地の身霊なりせば
 七 徒に白日床組なすなかれ 神の御業の勤め忘れて
   (注)白日床組は今日の「不倫」をさす。
 八 目を倫み宝を盗み日を窃む 人こそ神の罪人と知れ
 九 詐りの証を立ててわが罪を 隣の人に夢なきせまじ
一○ 仁愛の心忘れて世の人の 総ての業の妨げなすな

これらのお歌は、一々我が身にしみるものです。自分自身の罪穢れを祓い清めていただけるよう朝夕大神の御前で祈りを忘れずに生活したいものです。同時に、なにが神様から見た場合に罪となるのかについても、たとえば「日を窃む」とは何の事なのかよく考えていきたいですね。

 讃美歌の拝読は続きます。聖師様の多くのお歌を通じて、神を敬い、神と共に生きる心が豊かになっていくように感じます。

以上

次回:第46回 ご案内
   日時 平成12年7月23(日)午後1時〜午後4時30分
   場所 愛善苑 豊玉分苑(京王線下高井戸駅下車 徒歩8分 川崎方)
      連絡先(川崎方)03(3321)3896、03(3321)8644
   物語 山河草木 丑の巻 第62巻 第24章より通読いたします。
         (物語をおもちでない方もどうぞ、参加費は不要)


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