とよたま愛読会46回(真善美愛:62巻 24章〜63巻1章)  記塩津晴彦


日時:平成12年7月23(日)午後1時から午後4時30分まで
場所:愛善苑豊玉分苑(京王線下高井戸駅下車 徒歩八分 川崎方)

★ 報告
 都心では三五度を超える猛暑に見舞われた一日でした。愛読会は参加者七名で『霊界物語』第六十二巻第二四章から最終までを通読し終わり、第六十三巻に移りました。

○『霊界物語』のなかでも第六十一巻と六十二巻は全編が「讃美歌」として書かれ、物語風ではなく、聖師様が教えを伝達される目的で作られた短歌や宣伝歌に満ちあふれています。  「讃美歌」を通読することはなかなか大変な事です。
本年の二月から始まり六ヶ月間を拝読に要しています。この期間、ややもすれば単調になってしまいがちな拝読でしたが皆さんの努力で何とか通読いたしました。  通読といえば、『霊界物語』は当初、百二十巻の予定だったそうで、「讃美歌」を歌ってちょうど半分の道程を通過ることになります。いわば前編最後の巻ですね。それと「讃美歌」拝読で培われた聖師様のお歌の世界に親しむちからは、やがて口述される『天祥地瑞』にいち早く親しむことにも通じるのでしょう。

○いよいよ第六十三巻に入りましたが、これ以降の各巻ではより現実的な世界の様子などが盛り込まれ、聖師様の救世の御神業に触れていくことになります。

★ 拝読箇所で気のついたこと
第二四章 神 瑞 (旧章題 小雲川)
 第四八六の一  足曳きの山の彼方に月澄みぬ 仰ぎ慕へよ瑞の光を
      八  水底に影をうつせし松ヶ枝に 月は澄みけり魚も住みけり
 第四八八の六  老いぬれど澄みきる月を眺むれば また若がへりたる心地こそすれ

月を眺める気分はまた格別ですね。都心などではなかなか満月を見ることは無いでしょうが、晩秋の皎々とした月の光は素晴らしいものです。

第二五章 神 雲 (旧章題  黄金峰)
 第四九三の五   人の目に壊たれたりと見ゆれども 珍の高殿永久に建てり
 第四九五の六   山深み日影もささぬ谷の底に 薫る桜も月の恵みぞ
 第四九七の七   都路の塵に汚れし御霊をば 来たりて滌げ玉の井の水に
 第四九八 一 神園の松に御霊を取りかけて 神去りましぬ教祖は
      二 白梅の花に心を残しつつ  露奥津城に眠りたまひぬ
      三 木花の咲耶の姫の生れましし 黄金の峰は雲に聳えつ
      四 瑞御霊珍の教をうつそみの 世は木の花と永久に栄えむ  

 第四九九 四 厳御霊教の光なかりせば 如何でか月に心を懸けむや
      八 月の夜に生ひ育ちたる姫小松も 葉末の露は玉と照らへり

第二六章 神 丘 (旧章題 桶伏山)
 第五○四 三 いや高く月は照れども八重霞 中空しきる忌はしさかな
      四 武蔵野に声悲しげに啼き渡る 山時鳥血潮吐くなり

 第五一○ 一 すむ月の瑞の光を包まむと 高山の端に起る黒雲
      三 八重雲に鎖されいます月影も ほのかにさしぬ獄舎の窓に

第二七章 神 習(旧章題 玉の井)
 第五一六 大空の引き廻したる闇の幕を もれて輝く星の数々
      立ち迷う八重棚雲の綻びゆ 覗き初めたりオリオンの星
      選まれし民は照る日の下にあり ただ待ち暮す望月の影
      日出づる国の空より輝きの 雲にのりつつ臨む月影
      ヨルダンの水底深く照る月の 影は波間に砕けつつ澄む

第二八章 神 滝(旧章題 那智瀧)
 第五二六 一 玉の井に映る木の実をむしらんと 悶え苦しむ高山の猿
      三 頭には赤き冠をのせながら 尻のみ光る蛍虫かな

 第五二七 一 夕されば勢ひのよき蛍虫も 旭の影に消え失するなり

 第五二八 一 月となり龍神となり、ミカエルとなりて輝く時近づきぬ

第二九章 神 洲(旧章題 大八洲)
 第五三六 三 何人も御空の月はめづるものを 花に心を取られ往くくなり
      四 仇花の茂り合ひたる仇し野に 色香妙なる白梅はなし

 第五三八 木の花の神は命の永久に 鎮まりいます富士の神山
      瑞御霊厳島姫永久に 竹生の島に鎮まりたまふ
      高熊の峰に現れます玉照彦の 光輝く時は来にけり
      黄金なす峰の麓に現はれし 玉照姫の御世となりぬる
      桶伏の山にひそめる杜鵑 五月の空を待ちつつ経るも

第三○章 神 座(旧章題 高座山)
 第五五○ 二 玉の井の同じ清水を掬ぶ身は 瑞の御霊の永久の友
      三 三十年の厳の御霊の御教に まだ現はれぬ光見るかな
      四 薄雲におほわれ居たる月の光を 今も仰ぎぬ目無司は
      五 薄雲の逃げ去り行きし後の月の 光に照りて慄ひをののく

 第五五一 一 かりそめの説きおかれたる言の葉に 眼とどめて迷ふ人あり
      二 さまざまに説けども説き得ぬ言の葉を 聞かずして聞く人稀なり
      五 更正主再び下る世に会ひて 誠の神の教を聞くなり

第三一章 神 閣(旧章題 黄金閣)
 第五五五 四 散るとてもまた来る春を松ヶ枝に 緑の色のすがすがしくあれ
 第五六一 四 白妙のわが衣手は濡れにけり 露と消えにし可憐児のため

第三二章 神 殿(旧章題 五六七殿)
 第五六五 二 奥津城は幾度となく穢されぬ 深き経綸のおはすなるらむ
 第五六七 五 奥つきの神は表に現はれて 開き玉はむ五六七の御代を
     (大正一二・五・一六 旧四・一  於竜宮館 隆光録)

聖師様はこれらのお歌で教えの殆どのことを示されています。感想は如何ですか。今回は私自身の感想は控えました。ことある毎に「讃美歌」をひもといてお歌に親しみたいものです。
すぐに短歌を作るのは難しい、とお考えでしたら、『神の国』誌の「冠沓句」の欄への参加をお勧めします。ちなみに九月のお題は、 冠句「うまいうまい」「ボッとして」、「やすやすと」ですし、沓句は「野も山も」、「夢を見る」です。大いに活用してください。

○第六十三巻から始まる物語をかみしめる。
 さて聖師様がその『総説』で「……未だ病気はかばかしからず、また明日ごろより転地療養をなし、全快を待つて神の御許しあらば後を続ける考へであります。しかし今日までの口述せしところを御熟読なし下さらば、凡て神界の御経綸も大神の御心も判然するはずでありますから、これにて口述が止まつても、神教を伝ふる点においては、あまり不便を感ずる事はあるまいと思ひます」と述べていらっしゃる様に大正十二年五月二十九日 旧四月一日 於天声社での御口述で一段落出来ている様子がうかがえます。もちろんその後の経過は、幸いに御口述は止むことなく、天祥地瑞の巻にまで進みました。
この巻からは、私の感想ですが、一層具体的に聖師様の救世主としての御神業に沿った内容が展開しているように感じます。

○第六十三巻 序歌  梵語が出てきます。
  ・マイトレーヤ=弥勒
  ・ボージーサトーヴ=菩薩
  ・ウヅンバラ=ウドンゲの花
  ・チャンドラ=月
  ・マハー・ラシミブラバーサ=大光明
  ・スーラヤ=日天子
  ・チャンドラ=月天子
 ですからウヅンバラチャンドラは三千年に一度咲くウドンゲのたとえどうり、瑞月という意味で使われているのでしょう。

○総説
○第一篇 妙法山月(スダルマ さんげつ)

妙法(梵語 サッダルマ)の意味は、もっとも優れた教え、ということです。聖師様がその最尊最貴の教えをもって月の如く現われていく。と言うことなのでしょう。

○第一章 玉の露
 ここの宣伝歌で、改めて三千世界更正の意義をお示しです。そして弥勒の世をうち立てる為に、スサノヲ大神の命を受けて働く宣伝使達が月の国に向かって進むに従いながら物語は展開します。妙法山の向こうにあるスーラヤ湖とスーラヤ山で何が起こるのでしょうか。

以上

次回:第47回 ご案内
   日時 平成12年8月27(日)午後1時〜午後4時30分
   場所 愛善苑 豊玉分苑(京王線下高井戸駅下車 徒歩8分 川崎方)
      連絡先(川崎方)03(3321)3896、03(3321)8644
   物語 山河草木 丑の巻 第63巻 第2章より通読いたします。
         (物語をおもちでない方もどうぞ、参加費は不要)


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