とよたま愛読会50回(真善美愛:64上巻 3章〜12章)  記塩津晴彦


日時:平成12年11月26(日)午後1時から午後4時30分まで
場所:愛善苑豊玉分苑(京王線下高井戸駅下車 徒歩八分 川崎方)

★ 報告
 一年が早く感じますね。師走を目前にした半日を愛読会は参加者八名で『霊界物語』第六十四巻(上)第三章から第一二章までの通読を無事に終わりました。

★ 拝読箇所で気のついたこと
☆序
 聖師さまはこの序文でわざわざ『本巻は特別編として、現代のエルサレムを背景に小説的に口述したもので、他の巻とは大いに趣きを異にしております。救世主の再臨を脚色したもので、はたして之が将来に実現するや否やは、口述者自身にとつて判らないのであります』と記され、

そして「序文」の余白歌には、
○救世主日出島をあとにして     降りますかも日の下の国
○瑞御霊日出島の事をえて      常世の空に光かがやく
○日の本の神の御為人のため    降り行く身にさやる曲なし とのお歌を出されています。

気の早い私などは早速このお歌から、現代世界の世界経綸の中心がイスラエルとアメリカへと移っていったということなのか、と理解し受け取ってしまうのですが。どうでしょうか。本書を拝読して一つ判断してみようと思っています。  ただし「救世主(キリスト)の再臨」は基督教世界での話なのですが、聖師さまは本巻御口述終了の日からちょうど七ヶ月後の大正一三年二月一三日入蒙を敢行されたのですから、『判らない』という意味はエルサレムへの再臨が実現するかどうか、だと受取れます。御神業の意味が包含されたお言葉です。また余白歌の意味合いも入蒙を念頭に置けば、断然具体的なものになりますね。

 本巻の拝読ではさらに、我々が生きている今日展開されているエルサレム問題(宗教戦争・ユダヤ問題)も忘れることが出来ません。それらについても多くのお示しが出ています。

 この六十四巻上と同巻下は昭和九年九月十七日に発行された『出口王仁三郎全集四 霊界物語(下)』にそれぞれ収録されています。『全集』では(上)巻は「山河草木 卯の巻」、つまり六十四番目の巻として出され、(下)巻は「山河草木戌の巻」、つまり七十一番目の巻として大正一四年一一月に出版されたのですが、戌の巻は発売禁止処分となりました。しかし聖師さまは『全集』に再録されたのです。大正に発禁となった巻が昭和になって復活したんですね。

☆総説
 聖師さまの気宇壮大なエルサレム物語のものにしては何かやや淋しいお言葉が並んでいます。『一意専心神霊世界の建設に没頭せる救世主が、数多の部下の誤まれる信仰のために種々の苦難を嘗め、精神的に孤独となりし淋しさに、日出嶋をあとに神の選みたまひし聖地に再臨すべく……』 これは恐らく、大正一○年の第一次大本事件の事を指していると受け取れます。

<第一篇 日の下開山>
☆第一章 橄欖山 (オリーブ山とも言う)
 冒頭に登場する「アメリカンコロニー」はエルサレム郊外に現在も実在します。(別紙の市街図を参照)一八八一年に十四五人の敬虔なキリスト教徒がシカゴから移住してつくったコミュニティーで、現在ダマスカス門の北方一○分くらいの場所にあり、アラブ人豪族の別荘を買い取ってホテルとして運営しているそうです。

 さらに後ほど三五教のブラバーサが宿泊し、六四巻(下)の舞台の一つでもある「僧院ホテル」も実在します。大規模なフランス系クリスチャンホスピスの「ノートルダム」がそれです。  さてアメリカンコロニーはキリストの再臨を信じる人々が集団生活をしているのですから、聖師さまが取り上げられる格好の素材でしょう。そしてスバツフォード(創立者の子息)とマグダラのマリア(新約聖書に登場する女性で、キリスト受難とその復活に立ち会った人物、「七つの悪霊に悩まされた」がキリストに救われた女性、元娼婦だったとも言われている人物)という名の霊感の鋭い人物が登場します。早速マリアに「大黒主の神、八岐大蛇の守護神」と称する悪霊が懸かります。

本書九〜一四頁のやりとりは興味深いものですね。 『今より三千年以前に、パレスチナの本国を他民族に奪はれ、世界到る処において虐げ苦しめられ、無籍者のくせに吾吾は天の選民なりと主張し、メシアを待ち望みてゐるではないか。……』(本巻一○頁) 『…汝の四十年来待ち焦がれてゐるメシアと称するものは、無抵抗主義を標榜せる瑞の御霊と申す腰抜人物だ』(本巻一一頁) 『……真正のメシアはこの方山田颪様だ。世界のあらゆる強大国を片つ端から崩壊させたのは、皆この方の三千年来の経綸の賜だ。……ユダヤの元の聖地を取り返したのも、皆この方が経綸の現れ口、サアこれよりは山田颪様の天下だ。……』『今に山田颪の守るユダヤ民族が全世界を支配いたすのだ。……』(本巻一二〜一三頁)  いづれも悪霊が放ったユダヤ民族についての発言ですね。要は妄想に取り憑かれたユダヤ民族が生きていくための手段として抱いていた妄想(メシア再臨)の故に、悪神はその信仰心を利用して世界統治の手段としている、と言うことなのですね。ユダヤ教の光と影、その実相を照らし出すかのような聖師さまのお示しが数多く出てきます。 『…しかしながら誠の大神様が邪神と化つて、吾々の信仰をお試しになつたのではあるまいかと、俄にソンナ気分になつて来ました』とスバツフォードは述べます。

☆第二章  宣伝使
 いよいよ東洋の日出国日本から『メシヤ再臨の先駆として神の命によりはるばる出て来た、ルートバハーの教主ウヅンバラ・チャンダーに先立つて来たブラバーサという紳士なり』(本巻一七頁)この宣伝使は大正一四年六月大本から万国エスペラント大会に日本代表として欧州に出発した西村光月さんがモデルだということです。

 ブラバーサはエルサレムに向かう車中でバハイ教のバハウーラーと出会い、直ちに両教の提携に話が進みますが、史実の上からも「大正一一年九月九日に、大本二代澄子さんが伊豆に向かう列車の中で偶然出会った」バハイ教の宣教師フィンチ女史が綾部に来ています。この第二章の口述は大正一二年七月です。エルサレムに再臨されようとした聖師さまの各宗統合の動きはすでに始まっていたんですね。 ブラバーサ『……メシアの再臨は世界の九分九厘となつて、このエルサレムの橄欖山上に出現されることと確信しております。既にメシアは高砂島の桶伏山麓に再誕されておりますよ。再臨と再誕とは少しく意義が違ひますからなア』(本巻二三頁) ここでブラバーサとバハーウラーは「救世主の九大資格」について論じ合っています。

そして、 「三千世界共通の 真の文明を完成し  世界雑多の宗教や 凡ての教義を統一し  崇高至上の道徳を 不言実行体現し  暗黒無道の社会をば 神の教と神力に  照破しつくし天津日の 光を四方に輝かす  仁慈の神の神業に 奉仕するこそ世を救ふ  大神人の任務なれ 」と聖師さまはご自身の神業について述べられています。

☆第三章  聖地夜
 エルサレムの停車場に降り立ったブラバーサに声を掛け、市内外の案内役を演じるのがアメリカンコロニーのマリアです。両人が訪れた各旧跡の位置と経路を別紙で出しておきましたので参考にしてください。  各所を巡る都度に暗澹寂寥の気分に満たされた両人の気持ちが口述されています。 『……しかし現代の多数の基督教徒、それらに対して宗教は無意味な形式、死に去つた伝統に過ぎない。呑気な基督教徒中に真のダマスカスの道にある使徒パウロ心を自身に体験し、キリストのゲッセマネの園における救世主のお悩みの一端だに汲み得る信徒が幾人あるだろうか……』(本巻四七頁)と聖師さまは述べられいます。

☆第四章  訪問客
 マリアからの報告を聞いたアメリカンコロニーの執事スバツフォードが僧院ホテルのブラバーサを訪れコロニーへ招待する。その際、種々の話が出る。とくにメシアのことに加えてシオン帝国のこと出されています。 ブラバーサ『猶太人はキリストを殺したために、他民族から排斥され、種々の困難を嘗めて来たのではありますまいか。さうすれば若しも有力なる猶太人が現はれて世界を統一した時において、凡ての異教国の人民に対して復仇的態度に出づるやうな……』 スバツフォード『……猶太人は世界を統一してシオン帝国を建設する事があつても、自ら帝王に成らうなぞとは夢想だもしておりませぬ。ただ聖書の預言を確信し、メシアは東の空より雲に乗りて降臨べきもの、また吾等の永遠に奉仕すべき帝王は日出の嶋より現はれ玉ふべきものたることを確信しておりますよ……』(本巻五六頁)  最も敬虔なキリスト教徒でありユダヤ人でもある人物の言葉です。そしてこの内容はすなわち聖師さまのキリスト教徒に対する一つの道が示されているものだと感じました。

☆第五章  至聖団
 聖師さまの教義統一のお示しは続きます。 コロニーでの演説の中で、 マリア『……メシアの降臨キリストの再臨、五六七神政成就とは名称こそ変つてをりますが、要するに同じ意味だと考へます。……有形的障害の最大なるものは対外的戦備(警察的武備は別)と国家的領土の閉鎖とであります。また無形の障害の最大なるものとは、すなはち国民および人種間の敵愾心だと思います。また宗教団と宗教団との間の敵愾心だと思ひます。この世界的の有形の大障壁を除くためには、まづ無形の障壁から取り除いてかからなければならないと思ひます』(本巻六六頁)  この内容はマリアの言葉ですが同時に聖師さまの世界経綸の基本的な政策そのものでもあると思います。各宗教に対する問いかけになっています。 ☆第二篇 聖地巡拝 

☆第六章  偶像都
 『外のユダヤ人街から来るのか、内部から発したのかは知らぬが、一種異様の厭な臭気が襲って来る。そして内部は凡てキリストの磔刑に関するあらゆる由緒ある場所によつて充たされてゐて、何となく物悲しい寂しい感じを与へる。精霊が八街を超へて地獄の入り口に達した時のやうな気分になつて来る』(本巻七三頁 「聖墳墓教会にて」)  聖師さまのキリスト教聖地巡拝は『キリスト教の偶像をもつて飾られたる聖地エルサレム』と言うお言葉のとおりです。

 近年に到ってもキリストの「聖盃や聖骸布の謎」は途切れることなく持出され、偶像崇拝の種火を燃やし続けています。  キリストの聖跡を巡拝されるについて、聖師さまは相当詳しい内容を出されていますが、現地に行くことがなかなか難しい我々には格好の案内書『地球の歩き方 八三 イスラエル』(発売ダイヤモンド社定価一、五四○円 税別)があります。キリスト教の簡素な案内書としても有益です。またちょっと専門的になりますがイタリア映画『奇跡の丘』(パゾリオ・パゾリーニ監督 白黒)が大型ビデオレンタル店にあります。この映画は受胎告知からキリスト復活までをエピソード風に綴ったもので白黒の映像と音楽が印象的な作品です。

☆第七章  巡礼者
 有名な「嘆きの壁」で頭をつけ接吻する人々を見て名状しがたい感じに襲われた両人はそこを去り、ブラバーサはユダヤ人の標浪の旅と軽蔑されつつ過ごした日々について『それにしても余り残酷過ぎると思ふ。キリストを釘付けにしたのは彼等ばかりでなく、世界人類の大多数なのである……』(本巻八七頁)という感想を持つのでした。 聖師さまはここで、真のメシアを待望するアメリカンコロニーの人々に対する、感激の心をブラバーサの心として述べられています。

☆第八章  自動車
 マリアとブラバーサはエルサレム南方のキリスト生誕の地であるベツレヘムへ向かいます。

☆第九章  膝栗毛
 ベツレヘム巡拝記の続きとなっています。

☆第一○章 追懐念
 ブラバーサ、マリア、スバツフォードは自動車を雇って死海・ヨルダン・エリコ等の地方見物に出かける。 『アゝ聖地エルサレム、それは学者とパリサイ人の都、死せる儀礼の中枢、また死海およびヨルダン、それは荒野に叫ぶ洗礼者ヨハネの国、すべてが単調で乾き切つて死んでいる国、ルナンをして世界において最も悲しき地方といはしめたエルサレムの近郊よ。一時も早くキリストの再臨を得て、こん聖地を太古の光栄の都に復活し、神政成就の祈願を達成せしめたきものである、とブラバーサは内心深く祈願を凝らしつつ、一まづ三人はアメリカンコロニーへと帰り行く』(本巻一一五〜一一六頁) この箇所では聖師さまはすでに入蒙の最終目的地エルサレムの何たるかをお示しです。そして聖地巡拝の最終部分では『エルサレムとガリラヤ、それはキリスト教の示す二元主義の象徴である。死を経験することなしに生の恩恵は分らない、律法によりて死し、信仰によりて生くること、この転換こそ宗教そのものの奇蹟的力であるべきものなり』(本巻一一六頁)とむすんでおられます。

 すこし難解ですが、キリスト教の史実においては『自由人イエスは律法を厳守する道徳的パリサイ派と衝突し、またローマの権力と癒着しながら自分たちの利権を守ろうとするサドカイ派の貴族階級からは危険人物とみなされ、武力で外国勢力を駆逐するメシアを期待していた大衆からも見離され、遂に首都エルサレムで、弟子の一人イスカリオテのユダに裏切られて捕らえられる。時のローマ提督ボンテオ・ビラトの裁判をうけ、ローマ皇帝に対する反逆者という罪状で、他の二人の強盗と共に郊外のゴルゴダの丘で十字架刑に処される』(『世界の宗教と教典』自由国民社刊五○頁より)となっていることと併せて理解できると思います。  この章の余白に不思議な「詩歌」が出てきます。なにやらキリスト自身の霊魂を示されている様にも感じますが。どうでしょうか。分かりませんね。

<第三篇 花笑蝶舞>
☆第一一章 公憤私憤
 さて舞台は一変し、ユダヤ人の計画したシオン大学(現在のヘブライ大学が当時建築中だった)の工事現場でのアラブ人の会話が登場します。多くはユダヤ人への批判なのですが、その内容を単純な人種や金持ち階級への非難から矯正しながら話は進んでいきます。

 さらに見逃せない部分が出てきます。『今日の彼等が健康状態は日夜刻々に害されつつあるのだ。殊に性慾の随時随所でみたされるる半面を考へてみよ。幾多の忌はしい病毒のために、睾丸内に発生する精虫はおひおひと減殺され、子孫は漸次減少するに至るの種を蒔いてゐるのだ』(本巻一二九頁)  まさに現在進行形の社会的な現象ですね。現代人の生活に対する重大な警鐘となっています。  ブラバーサが山頂で懐旧の念に耽っているところへマリアがやってきます。

☆第一二章 誘惑
 ブラバーサに対するマリアの強烈な求愛の台詞に思わずブラバーサは故国に在る妻子のこと、信仰の精神のこともグラツキ始めます。ここからエルサレムでの色模様が始まりますが、もちろん神様のお諭しも在るわけですね。 『月は薄雲の帳を被つて昼ともなく夜ともなく一種異様の光を地上に投げてゐる』(本巻一四七頁)何となく一波乱ありそうな空気が漂ってきますね。

以上

次回:第51回 ご案内
   日時 平成12年12月24(日)午後1時〜午後4時30分
   場所 愛善苑 豊玉分苑(京王線下高井戸駅下車 徒歩8分 川崎方)
      連絡先(川崎方)03(3321)3896、03(3321)8644
   物語 山河草木 卯の巻 第64巻(上) 第2章より通読いたします。
         (物語をおもちでない方もどうぞ、参加費は不要)


[前回レポート] [次回レポート]  [愛読会の紹介]

[素盞鳴尊のページ] [ホームページ]