とよたま愛読会52回(真善美愛:64下巻序文〜10章)  記塩津晴彦


日時:平成13年 1月28(日)午後1時から午後4時30分まで
場所:愛善苑豊玉分苑(京王線下高井戸駅下車 徒歩八分 川崎方)

★ 報告
二十一世紀、迎えてみれば躍動感や期待感を消し飛ばしてしまうような奇怪な事件のみが報道され、人の本当の生き方を問うような充実した題材が不足しているように感じます。そんな一月に愛読会は八名で「現代のエルサレム物語」と聖師さまが仰有った第六四巻下の序文から第一○章までの通読を無事に終わりました。

 さて皆さんは物語拝読の途中で「いかにも古い昔の物語ではないか。これが今の自分たちに役立つ物なのか」と感じられたことはありませんか。確かにこの巻は一九二三年と二五年に口述されています。今から七十年以上昔です。しかし今がこの時代と無縁では無いのです。
 先日NHKTVを見ていましたら、ロシアで一九三十年代初頭にスターリンの命令で爆破されたロシア正教の殿堂「キリスト救世主教会」とロシアと東欧各国を結ぶ「ユダヤ文化センター」が復活再建されたという報道がありました。人間の存在と未来に関わって、「過去」は現在と未来に移写すると思います。  その意味で今私たちは、過去のエルサレム物語を拝読しているのではなく、現在にも投影される物語を受け取っているのだと強く感じました。

★ 拝読箇所で気のついたこと
○序文
言霊は天地神明を感動させ  山川草木ゆらぎ動かす 言霊の原理を究め国の為め   三十余年をわれ過ぎにけり
これらのお歌『序文』の前のお歌です。

○総説
○第一章 復活祭
十二日は聖師さまのお誕生日七月十二日につながる大切な日ですね。『そして旧教の方面から見ると当年は聖年に当たつてゐるが、その聖年中の復活祭として、乙丑の四月十二日を最も祝福することとなつてゐる』(本書七頁)とありますように、大正十四年四月十二日はキリスト教徒にとって最も祝福に満ちた日なのです。  実はこの日、聖師様は亀岡で『霊界物語』六四巻下の第一章を自ら執筆され(筆録者は松村さんとなっていますが)復活祭と名ずけられたという事です。(『神の國』誌大正一四年五月一○日より)  詳細にキリスト復活までの軌跡を説かれ、十二日と言う日に言及されているのは、真の救世主はすでに復活(再誕)しているのだよ、とお示しになっておられるのです。
 この日僧院ホテルで行われた祝祭でテルブソンとスバツフオードが行った救世主再臨の演説は信仰者の極致を言い表していると思います。 テルブ『……ついては主のお約束遊ばした聖地エルサレムへ御再臨の時期もおひおひと近づいたやうに拝せられ、吾々は実に神様より選まれたるピュリタンとして此の上の光栄はあるまいと思ひます。
皆様、主は「我が来るは平和を出さむ為ではない。刃を出さむ為に来たれり」と仰せられてゐるではありませぬか。現代人の多数は宗教の力によって、或は絶対的信仰の力によって、真善美の行為を現はし、家庭の円満を企画し、自己の人格を向上し、社会国家を益せむものと焦慮しているやうでございますが、しかし私は思ふ、ソンナ怪智くさい考へをもって信仰が得られませうか。刃を出だす覚悟がなくては再臨のキリストに救はることは出来ますまい。信仰の為ならば、地位も、財産も、親兄弟も、知己も、朋友も一切捨てる覚悟がなくては駄目です。信仰を味はって家庭を円満にしやうとか、人格を向上させやうとかいふやうな功利心や自己愛の精神では、どうして宇宙大に解放された真の生ける信仰を得る事が出来ませうか。自分は世の終りまで悪魔だ、地獄行きだ、一生涯世間の人間に歓ばれない、かうした悲痛な絶望的な決心がなくては、この広大無辺にして、有難い尊い大宇宙の真理、真の神様に触れる事が出来ませうか。某聖者は世を終るまで悪人たることを覚悟されてゐた。主イエス・キリストも神様の御命令とあれば何事も敢て辞さないといふ覚悟を持ってをられたのであります』(本書一二〜一三頁) スバ『……やがて待ちこがれたるメシヤの御再臨も近いことと考えさして頂いてをります。今度顕はれたまふ主エス・キリストは時代相応の理に依って、きっと英雄的色彩を濃厚に持ってお降りになる事と信じます。……今日の人民は既に自分らが不平の代弁者の饒舌に倦み果ててをります。今日の人民が鶴首して待つているものは、金切声をしぼつて彼ら自身の窮状を説明するものではなくて、神のごとき威厳をもってその進路を指すものの出現であります。神においてはその言ふところはすなはち行ふところとなるのであります』(本書一五〜一七頁)  続いてブラバーサが演説を始めるとお寅婆さんが突っかかってきます。へべれけの守宮別も絡み議場は騒然となり、イスラム教信者のトク・テク・ツーロは両人を抱えて逃げ出します。

○第二章 逆襲
 ブラバーサとマリアがお寅を探し始め、街頭でお花と出会い、路地裏の『日出神の御霊城』と看板の掛かったウラナイ教の座敷で言い合いとなる。お花はブラバーサがアラブ人を使ってお寅を誘拐させたと思いこんでいた。

○第三章 草居谷底
 三人の回教徒に谷深い家に連れ込まれたお寅は彼等に恐喝されるが、逆に三人を丸め込み、自分の手下にしてしまう。

○第四章 誤霊城
 霊城ではお花と受付のヤクが話す、 ヤク『……しかしながら躓く石も縁のはしとやら、縁あればこそ生宮様のお側で御用が出来たものだと思ひ、昨夜とてお寅さまの危難を救ふべく、会計の金を六十円放り出してお寅さまを助ける工夫をしたのですよ。その六十円の金が無かつてごろうじ、生宮さまは其の場で袋叩きに会ひ、半死半生になつてゐられるかも知れませぬよ。夜前トツクにお帰りのはずだのに、まだ帰つてゐられぬのは、チツと不思議ですなア』 お花『……かまうて下さるな、お前さま等のような子供に分つてたまるかな。大それた、大枚六十円の金をアラブにやるなぞと、誰に許可を得て支出したのだえ。生宮さまも乙姫も許した覚はありませぬぞや。その金こちらへ返して下さい、返すことが出来にやこの月分と来月分とで勘定する。お前さまは受付だ、支払ひ役は命じてないはずだ。委託金費消罪で訴へませうか』  そこへお寅達が帰ってくるがお花と衝突し、ヤクは駆け出しお寅が追いかける。

○第五章 横恋慕
ヤクとお寅が飛び出した後、守宮別はお花の財布を狙って秋波を送る。

○第六章 金酒結婚
両人はお寅の霊城から抜け出て横町のカフエー(現在の喫茶店とは異なり、飲み屋の一種)に入り祝言を挙げる。

○第七章 虎角
守宮とお花がいちゃついているところへ、トンク・テクの両人が金の無心に来る。お花に蹴られた両人はお寅に告げ口をして小遣いを取ろうとする。 お寅が半信半疑で出かけると路上でお花、守宮別と出会いお寅はそれを見て悶絶する。

○第八章 義侠心
 奇妙なことにここでロシア革命家トロツキーが守宮別と出会います。 トロッキー『先ず吾々の主義はこの通りでございます、永らくの間、農民は地主資本家のために生血を絞られ、痩せ衰へて参りました。そのため国家の大本たるべき農民は身体骨立し満足な働きも出来ないのです。これに反して不労所得者たるブル階級は豚のごとく、象のごとく肥え太つてをります。これもみな貧民の生血を搾取した結果です。神の子と生まれたる吾々人間が、どうしてこの惨状を真面目に見てゐることが出来ませうか。いかに宗教が倫理を説くとも天国を説くとも、法律がやかましく取締つても、パンなくして人の世に生活することは出来ますまい。そのパンの大部分を搾取する鬼や大蛇の階級を蕩滅し、平等愛の世界に作り上げるのは、吾々志士たるものの天職ではありませぬか。無論宗教は精神的に人類を救ふでせうが、焦眉の急なる衣食住の問題を閑却しては、宗教の権威も有難味もございますまい。そんな手ぬるい手段では、今日の世を救ふことは駄目だとと思ひます』 守宮『なるほで尤も千万だ、僕は大賛成を致します。もし警官どの、どうかこの憐れな労働者を解放して下さい。その代り拙者が代人となり括られませう』 お花『これ、守宮別さま、何といふことをお前さまは仰有るのだい。人の罪まで引き受けるといふことが、どこにありますか。私をどうして下さるおつもりですか』 守宮『ナザレのイエス・キリストでさえも世界万民のため十字架にかかられたぢやないか。俺がいつも酒を飲んで浮世を三分五厘で暮してゐるのも、社会人類のため命を投げ出してゐるからだ。ブラバーサやお寅さまのやうに口ばつかりいつてをつても誠がなけりや駄目だ。俺はこれから無産階級の代表となつて処刑を受けるつもりだ』 お花『それも、さうでございませうが、これ守宮別さま、おまえさまが、そんな処へ行つた後は、妾はどうするのですか』 守宮『お前は、精出してお酒の差入をするのだ』  大変おもしろいやりとりですね。聖師さまが当時のロシア革命や労働者農民の運動をどうご覧になっていたのかが読みとれます。もちろん唯物論にもとづく暴力革命主義に賛同されていないわけで、カールマルクスの『資本論』は「蚊在魔留糞の四本論」とされています。また守宮別のモデルと云われる飯守正芳さんは一時上海で活動しそのときロシア共産党と接触が在ったのではないか、と疑われ「赤色中佐」と云われたんですね。そんな背景がありこの場面が出てきたと思います。またトロツキーが『……この聖地には俺の部下がほとんど七八分あるはずだ。それだから何ほど法律を喧しくいつても、宗教を叫んでも駄目だ。覚醒するなら今だが、どうだ、返答を聞かう。それまでは一寸だつて吾々は動かないぞ』と警官を恫喝しますが、彼自身を含めてロシア革命家の多くの指導者がユダヤ人であったことは有名です。ロシア革命の霊的な側面を匂わせる点ですね。

○第九章 狂怪戦
 守宮別はさらに『……俺だつてトロッキーなどの身替わりになるやうな馬鹿ぢやないが、ちよつとお前に実のところは……義侠心の強い男だなア……とこのやうに思はしたいので芝居をやつてみたのだ。その上沢山の農民団体や労働団体が傍にごろついてゐたものだから、日の出島の守宮別といふ男は義侠心に富んだ男だ、あれこそ真当の救世主だと世界中に名を広めやうと思つた私の策略だよ。とかく人間は広く名を知られないと仕事が出来ないからなア。あのウズンバラ・チャンダーだつて、実際に交際あつてみればコンマ以下の人間だ。俺から見れば小指の端にも足らないやうな小人物だ。そいつが、ふとした事から事件を巻き起こし世界中に名が響いたものだから、世界の阿呆どもがキリストの再来だ、ミロクの出現だ、メシヤだ、などと担ぐやうになつたのだ。売名策には労働者の中に入つてちよつと味をやるのが一番奥の手だよ、ハヽヽヽ』 『ホヽヽヽヽ、何とまア抜目のないお方だこと。それだけの智恵があるくせに、今までどうしてお寅さまのやうな、没分暁漢に食ひついていらつしやつたのですか』 『お寅さまは変性男子の系統ぢやないか、脱線だらけの分らない事を喋り立ててゐても、何というても系統だから、三五教の没分暁漢連がコソコソとひつつきに来よる。そいつを利用して、つまり要するに三五教の転覆を企て、変性女子の地位に取つて変らうといふ大野心を持つてゐたからだ』 としゃべりウラナイ教に集まった人々の心底を暴露します。

○第一○章 拘淫
 労働者達の言葉に「自分の身命を賭して矢面に立つという確りした犠牲者が無ければ世界の大改造はできない」、「なにほど宗教が愛を説いても、パンを与えてくれなくちゃ、吾々は生存権を保持することが出来ない」といったことが出てきます。  救世主を巡る物語は続きます。

以上

次回:第53回 ご案内
   日時 平成13年 2月25(日)午後1時〜午後4時30分
   場所 愛善苑 豊玉分苑(京王線下高井戸駅下車 徒歩8分 川崎方)
      連絡先(川崎方)03(3321)3896、03(3321)8644
   物語 山河草木 卯の巻 第64巻(下) 第11章より通読いたします。
         (物語をおもちでない方もどうぞ、参加費は不要)


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