とよたま愛読会57回(山河草木:66巻4章 〜 11章)  記塩津晴彦


日 時  平成13年6月24(日) 午後1時から午後4時30分まで
場 所  愛善苑 豊玉分苑 (京王線下高井戸駅下車 徒歩8分 川崎方)
物 語  山河草木 辰の巻 第66巻 4章 〜 11章

★ 報告
  梅雨が始まりましたが、その中休みといった曇り空の下、都議会議員選挙の日でもある半日、愛読会は参加者5名で『霊界物語』第66巻の第4章から第11章まで通読を無事に終わりました。
いつものとおり拝読箇所で気のついたことを列記してみます。今回は第3章 酒浮気(さけいうけい)からです。

★ 拝読箇所で気のついたこと
第三章 酒浮気 (1685)
○タライの村の里庄ジャンクの屋敷の門番バンコとアンコは酒に引っ掛けて右往左往する世情の批判をやっています。
『朝も早くから日の丸様がカンカンとお照りなさるかと思へば、直ぐさま西の方から黒雲がやつてきて日の丸を呑んでしまひ、お月様が照るかと思へば、雲に呑まれ、……』
『馬鹿いふな、今の人間に生活なんてあるものか。生活といふやつは生々として社会に最善的活動をなし、神の御子として世のため、人のために愛善の徳に住し、真真の光に浴し、善美なる生涯を送るものを称して生活者といふのだ。……』
『法律といふものは、正邪善悪を蹂躙して立つ、暴君の専政を謳歌する唯一の機関に過ぎないのだ。強者は益々強く弱者はますます弱く、悪徳の蔓延する悪魔の機関だ。……』そこへ照国別、梅公らを連れてタクソンがやってくる。

第四章 里庄の悩み(1686)
○ジャンクは自分の娘スガコ姫の行方を案じ、『夢になりともスガコ姫 恋しき父よ一言の 言あげせよや惟神』と二弦琴を弾じて祈っている。そこへ隣村のインカ親分が見舞いに訪れるが、スガコ姫の許嫁サンダーも行方不明になったことを告げる。
しかもサンダーは普段女装していたことからバラモン軍の拉致されたかもしれないと話し、両者は悲運慨嘆する。ついでタクソンが来て、三五教の宣伝使がサンヨの婆さんを救ったことを説明し、照国別らをジャンクに引き合わせる。
 しかし挨拶も終わらぬうちに、ジャンクのもとに国王の使いがやって来る。

第五章 愁雲退散 (1687)
○トルマン国バルガン城の国王トルカの使いは『印度全国の宝庫楽園と称せられた我が国にハルナの都大黒主の部下大足別の軍隊が、ウラル教征伐を掲げながら、我が国内を荒らし回っている。彼の目的はバルガン城の攻略であるので、至急に、汝等忠良の民、忠勇義烈の赤心を発揮し、十八歳以上六十歳以下は全員軍隊に参加すべし』との訓令を伝える。

 外敵の脅威から国を守ること、国難に対して徴兵する、という理屈は歴史上多くの国家で使われた戦争の理論ですね。事実日本も、欧米の脅威(日本の生命線である東アジア、東南アジアを植民地的に支配し、日本を圧迫している)を受けて、やむを得ず戦争をしたのだ、というのが先の大戦の時の国家の理屈だったことを想起させる台詞です。大きな問題ですね。

 この場面で、ジャンクは素直に軍隊に協力する意志を示し、その決意を聞いた照国別は『……国王の御命令とあらば国民として、この際お起ちなさるのが義務でございませう。私も宣伝使として天下の害を除くべく、遙々月の国へ神命を受けて参つたものでございますから、どうか参加させて頂きたいものでございますな』と応対しますが、
すかさず梅公は『ア、先生、よくお考へなさいませ。善言美詞の言霊を以て、あらゆる万民を言向和す無抵抗主義の三五教ではございませぬか。……三五教は決して軍国主義ではございませぬよ』と釘を刺します。これに対して照国は、『……また殺伐な人為的戦争はやりたくない。義勇軍に参加しやうといふのは傷病者を救ひ、敵味方の区別なく誠の道を説き諭し、平和に解決し、このトルマン国は申すに及ばず、印度七千余国の国民を神の慈恩に浴せしむるためだ。その第一歩として従軍を願ってゐるのだ』と答えます。

 これらのやりとりが持つ意味は重大ですね。大本史実として、日中戦争初期の中国大陸に、万民愛護の「人類愛善旗」が、道院紅卍会などの友好団体と協力しあいながら、翻ったのです。日本の陸軍部隊に従軍もしたのですね。(このことはさらに後日詳しく述べるつもりです)三五教照国別宣伝使の言葉どおりの出来事でした。「中国に軍事侵略した日本軍国主義のお先棒を担いだ行為だ」と批判する人もいるでしょう。聖師さまの入蒙の時のように。しかし戦争に対する聖師さまの御経綸の内容はもっと深く広いものだったということを学ぶべきでしょう。このとき梅公の口からでた歌は、
『さりながら吾は神軍言霊の
       武器より外に持つものはなし』というものでした。

第六章 神軍義兵 (1688)

○戦いの支度にてんやわんやのジャンクの家に白髪異様のシーゴーが現れる。シーゴや玄真坊が悪巧みをするのがオーラ山です。彼らの手口は悪辣で、強盗・誘拐・身代金要求といったものですね。
 シーゴーは言葉巧みにジャンクから一家の財産を横領します。『吾が子を愛せない親は、人君として、或は里庄としての資格はございますまい』、『もし国家、国王ならびに貴方の愛児がお助かりになるのなら、当家の財産に執着はございますまい』という風にです。
 この顛末を聞いた梅公は、シーゴーの言葉の裏にある秘密に感づきます。

第二篇 容怪変化
第七章 女白浪一(1689)

○この巻のなかでも白眉ともいえる章が続きます。七、八章で、タライ村サンヨの姉娘ヨリコ姫が展開する、「女帝論」は時代を超えて女権主義者はもとより、日頃男子の不甲斐なさにあきあきしている女性達のウップンを十二分に晴らしてくれるものでしょう。彼女の舌鋒の鋭さに二人の怪男子は苦もなく屈服し、以後ヨリコが頭領になってしまいます。105〜106頁にある彼女の独壇場の台詞は聞き物です。

第八章 神乎魔乎 (1690)

○聖師さまは、このヨリコ姫の情動について『美の化身、愛の権化、善の極地、真情の発露にして平和の女神と渇仰憧憬さるる天成の美人も、一度霜雪を踏み激浪怒濤の中に漂ひ、あらゆる危険と罪悪との渦に巻かれて、その精神内に急激なる変調を来たした時は、たちまち鬼女となり悪魔となり、竜蛇となりて国を傾け城を覆へし、あらゆる男子の心胆をとろかし、……』と述べておられます。誰か歴史上の人物にでも思いをかけられているのでしょうか。
ヨリコの策謀は巧妙なものです。『まづ当山に古くより祀られある天王の社を策源地と定め、玄真坊は表面天より降りし救世主となり、シーゴーは三千の部下を統率し、妾は天より降りし棚機姫の化身となつて天下の万民を誑惑し、まづ第一に挙兵準備のため金品、糧食、軍器を徴集することに着手せねばならない』しかしてその具体策とは『まづ玄真坊は天来の救世主と揚言し、当山の有名なる大杉の上に、日夜天の星降つて救世主の教えを聞くと遠近に触れまはり、ギャマンの中に油を注ぎ、これに火を点じ、昼の中より杉の木の梢に十五六ヶばかり火を点じ遠近の民を驚かせ、天王の社を信仰の中心と定めるのだ。……』
 さてさてまた別の大事なことが出てきましたね。
「天王の社」という言霊が何を意味するのかと考えると、すぐに「天皇」という語を連想しますね。あくまでもお話としては、偽救世主の降臨と人民を惑わせる手口を述べておられるのですが、その実、口述当時の大正期の「皇室」を指しておられるかもしれません。病弱な天皇を表面にし、奥で女帝が元老重臣達と策謀を巡らすと言う図式なのでしょうか。あるいは今後における偽救世主の出現の経緯を預言されているのでしょうか。
 こうした感想を持って七章と八章を拝読しますと、なお一層お話の深さや深刻さが浮かんでくるように感じますね。たとえば一○八〜一○九頁に出てくる「中岡艮一」とは大正一○年一一月四日、東京駅で時の総理大臣原敬を刺殺した人物です。
杉の木作戦(救世主出現)と誘拐戦術(婦女子誘拐と不安の増幅)の組み合わせがうまく働き、多くの人々が集まった結果、穀物の山、矛の林が築かれた。その戦利品を前にヨリコ、シーゴー、玄真坊と幹部達は連日酒盛りを開いていた。しかし部下の一部が不平を唱え、脱退を謀っているとの情報が入り、ヨリコの命で部下一同に振舞い酒が出されることになる。

第九章 谷底の宴 (1691)

○酔いが回るほどに、部下達が不平を漏らす。
乙『三人の親分が、鮟鱇だとか、鰐だとか海月だとか貴様はいふが、一体鮟鱇といふのは誰だい』
甲『ヘン、分らぬ奴だなア、女帝が鮟鱇で、玄真坊が鰐でシーゴーの奴が海月だ。鮟鱇といふ奴わな、沼の底や海の底にじつと潜伏しやがつて、頭から細い糸のような物を水面にニュツと浮かべ、その先に花とも虫とも分からぬやうな肉塊をつけ、いろいろの魚が好い餌があると思つてその肉塊を喰ひにゆくと、チクチクと綱を手繰り、自分の口に来た時にガブリとやるのだ』
甲『そもそも鰐といふ奴は、体にも似合はぬ大きな口をしやがつてその口の中に木の片や枯枝なんかを一杯詰め、小魚どもがよい隠れ家があると思つて悠々と這入つて来る奴をソット舌を出してグイグイと腹の中にへ引つ張り込み、自分の腹を肥やす奴だ』
甲『海月というふ奴は骨もなければ、ロクに顔もない奴だ。そして長たらしい尾を幾筋も幾筋も引きづりやがつて浪のまにまに漂ひながら、俺達のような小雑魚を沢山に丸い傘の下に隠し、親分きどりで保護してゐやがるのだ』こんな調子です。
 『オーラの山に鬼が出た 
        出た出た出た出た鬼が出た
  このまた鬼の素性をば 
        調べてみれば月の国
  ハルナの都に蟠る 妖幻坊の片腕と
  羽振りを利かした曲津神……』

第一○章 八百長劇 (1692)

○オーラ山の首領一同が酒盛りの最中に、タライ村の里庄の娘スガコ姫を拐かしてきたので、いつものように八百長劇を初めてほしいと部下のコリが飛び込んでくる。玄真坊が手下と共に出かける。
 首尾よくスガコを説き伏せた玄真坊は彼女を「身魂調べ」と偽って自分の居間へと誘い込む。

第一一章 亜魔の河(1693)

○スガコ姫は一週間も待たされるが、自分の神様の属籍について一切の話が無いので、もしや騙されたのか、と感じ始める。
スガコ『玄真坊といへる人 自ら天の神様の
    化身といへど訝かしや 別に変りしこともなく
    朝な夕なに吾が側に い寄り添ひ来ていやらしき
    目色を注ぎ忌まはしき 言葉の端の何となく
    いとも卑しく思ほゆる……』

 そして玄真坊は「自分たちは本来夫婦になる霊である」とい言い始めます。最初は棚機姫と彦星だったのですが、彼女から「年に一度の逢瀬の関係だ」と反論され、あわてて彼女の霊魂は木の花咲耶姫命であり、自分は岩長姫の霊魂であることを告げる。再びスガコ姫は「両方の霊が女体であり、夫婦にはなれない。」と主張します。
 やっとの思いで、このときスガコ姫は色情狂玄真坊の毒牙から逃れます。
オーラ山の物語はいよいよ佳境に入ってきます。

 

次回(五八回)の ご案内
日 時  平成十三年七月二十二(日) 午後一時から午後四時三十分まで
場 所  愛善苑 豊玉分苑 (京王線下高井戸駅下車 徒歩八分 川崎方)
物 語  山河草木 巳の巻 第六十六巻
拝 読  第一二章より通読いたします。 (物語をおもちでない方もどうぞ、参加費は不要)
連絡先  愛善苑 豊玉分苑の連絡先(川崎方)
       電話 03-332-3996、03-331-8644


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