とよたま愛読会61回(山河草木:67巻18章〜68巻1章)  記望月 幹巳


日 時  平成13年10月28(日) 午後1時から午後4時30分まで
場 所  愛善苑 豊玉分苑 (京王線下高井戸駅下車 徒歩8分 川崎方)
物 語  山河草木 辰の巻 第67巻18章〜
68巻1章 

★ 報告
秋も深まり、木の葉も色づいて参りました中、10月28日に第61回とよたま愛読会が行われました。ご案内も兼ねまして、その報告をさせていただきます。
山奥に踏み迷った太子とアリナが、元重臣のシャカンナとその娘スバールに出会い、太子とスバールは恋に落ちていきます。 混乱と衰退の途にあるタラハン国では、旧来の思想・道徳が揺らぎ、新しい考え方との衝突がいたるところに見られるようです。今回の部分では、アリナと父ガンヂーの、「言論の自由対支配の束縛」の対立、スバールと父シャカンナの「恋愛と道徳」論の議論があります。 特に、新思想側の議論の中に、個人の「霊魂」というキーワードが目に付きます。アリナは「個性を十分発達させることが天地の分霊としての働きを十二分に発揮させること」と論じ、スバールは、倫理に囚われた結婚は「女の一生を霊的に抹殺されること、神聖な霊魂を男子に翻弄される事は堪えられない」と旧思想に反論します。 アリナもスバールも、最後の方には「霊」という観点を脱線して、極端な自由思想にまで行き着いてしまっていますが、ここでは物語の流れ上から、旧来の道徳の固守と、新思想の極端な自由の間にあって、「個人の霊魂」という新しい観点が一つ現れてきた、という点を押さえておきたいと思います。 自由主義でも道徳主義でもない、タラハン国の「祭政一致維新」の支柱の一つが、物語の前半で示され始めている、と見ることができるのではないでしょう

★ 拝読箇所で気のついたこと
第四篇 山色連天
 第十八章 月下の露(一七二〇)

* シャカンナは岩屋を引き払い、娘スバール姫と部下コルトンだけを従え、朝倉谷へ隠れた。
* 一ヶ月ほどしたある夜、山道に迷ったスダルマン太子とアリナが小屋へやってくる。
* コルトンは天狗と間違えて追い払おうとするが、シャカンナは二人を小屋へ泊める。
* 世情を伺う話の中から、太子とアリナの素性が明らかになり、またシャカンナがアリナの父の元政敵であったことがわかる。
* アリナはシャカンナに父の罪を謝し、太子はシャカンナに帰城を勧めるが、断られる。

 第十九章 絵姿
* 旧主人の太子に出会うことができ、シャカンナの現政権に対する敵愾心も消えてしまった。
* 密かにスバール姫の夫になろうとしていたコルトンは、太子の出現で、とうてい恋の敵としてかなわないことを悟り、出奔する。
* 太子、アリナは再びシャカンナに政界復帰を要請するが、かたくなに断られる。
* 太子はシャカンナの小屋を去る前に、スバール姫の姿を絵に写す。
* 絵の出来具合のすばらしさにシャカンナは感嘆し、太子・アリナは絵を携えてシャカンナとスバール姫に別れを告げる。
* 帰途、コルトンが太子を狙うが、逆に二人に諭される。

 第二十章 曲津の陋呵
* 一方、タラハン城内では、王、左守、右守をはじめとする重臣たちが、太子とアリナの行方不明について評定をしていた。
* 左守ガンヂーは息子アリナの不徳を詫びるが、王も、太子が日ごろ城内の生活に不満を抱いている様を嘆き、かつての自分と王妃の失政を悔いる。
* 右守は、今回の事件は左守の倅アリナに責任があり、その親たるガンヂーともども処分を受けなければならないと主張する。
* 左守は責任を感じて自殺しようとするが、王女バンナに止められる。
* 右守は、実は左守を追い落として自分が左守の地位につき、太子を廃して王女に自分の弟エールを娶わせ、政権を握ろうとの魂胆であった。
* 右守は自分の野望を遂げんと、太子が日ごろ王制を嫌っていることを挙げ、王制を廃して共和制を敷こうと提案する。
* しかしながらこの発言は王を始め重臣たちを怒らせてしまい、左守は怒りのあまり右守に切りつける。
* 左守は重臣のハルチンに止められ、その間に右守は逃げ去ってしまう。右守は城から逃げ出すときに、ちょうど帰ってきたアリナとぶつかって階段を転げ落ち、足を折りながら家へ逃げ去った。

 第二十一章 針灸思想(一七二三)
* 今回の事件で、アリナは一ヶ月の謹慎を命じられる。父のガンヂーも城内を騒がせた責任を感じ、自ら謹慎を守っていた。
* ガンヂーは今回の騒ぎを引き起こした息子の不思慮を責める。
* アリナは、城内を騒がせ驚かせたことについて自分の罪を認めるが、父が刃傷沙汰を起こした事を逆に責める。
* ガンヂーは、刃傷沙汰は右守の不忠を誅せんとしたのであり、太子の思想を蝕むアリナの方が国家にとって脅威であると責める。
* アリナは父の過去の所業を挙げ、現在のタラハン国衰退の原因としてガンヂーを責める。
* ガンヂーは父の権威を嵩に着るが、アリナは自分が太子の寵臣であり、左守である父でさえも自由にすることはできないと反論する。
* アリナは言論の自由、個人の人格をたてとし、個性を十分発達させることが天地の分霊としての働きを十二分に発揮させることである、と論を展開する。
* ガンヂーはあくまで圧迫こそが政治・支配の鉄則であると主張する。国家を一つにまとめあげるためには、王家を中心にして国民を団結させる必要がある、と説くが、アリナはあくまで譲らない。
* ガンヂーは息子の態度を嘆き、国家の滅亡を心配する。

 第二十二章 憧憬の美(一七二四)
* 太子は城に戻ってからは、スバール姫の絵姿を床の間にかけ、憧憬していた。
* 重臣のタルチンがやってきて、アリナの新思想を責め、遠ざけようと諫言する。
* 太子は、現重臣たちの考え方こそ国家滅亡の考えと断じる。また、重臣たちが権勢や富貴におもね、栄利栄達のみに心を砕いていることを指摘し、逆にタルチンを責める。
* そこへ、謹慎を解かれたアリナがやってくる。アリナは、父の左守がついに考えを変え、太子とアリナの考え方に反対しないと誓った、と太子、タルチンに謹慎中の出来事を語った。
* タルチンは、左守が考え方を変えたと聞いて、途端に太子への諫言を撤回する。
* 実は左守は考えを変えてはおらず、アリナがタルチンを試したのであった。
* 太子はスバール姫への恋心をアリナに打ち明け、相談する。アリナはスバ0ル姫を城内に迎え入れる画策をする。

第六十八巻 山河草木 未の巻
 序文 大正13年の出来事:

* エスペラント語の機関紙を世界四十八カ国に発送し、世界各国より多くの人が大本を訪ね来たった。
* 大本瑞祥会を亀岡から綾部に移し、役員職員・規則を改めた。
* 黒竜会、普天教、紅卍会との提携を深めた。
* さまざまな名士が参綾した年であった。
* 蒙古入を果たした年であった。
- 新暦七月二十五日に内地へ帰る。
- 二十七日に大阪若松町の刑務所に入る。
- 九十九日後の十月一日に綾部に戻る。
- 霊界物語六十七巻として蒙古入を口述し、「上野公園」名で出版。
- 六十八、六十九巻を口述後、明けて正月五日から七日の間の三日間に七十巻の口述を終える。
- 五六七殿の七五三の太鼓は、大正十三年の九月八日より、五六七、と打つようになった。また同日、二代様が尉と姥の神像を迎え帰った。

* 次女梅野、三女八重野の結婚があった。
* 旧大正14年の六日から七日の午後にかけ、黄白色の降雪があった。
* (編著者より:七十巻として口述された本巻が、都合により、六十八巻として発行されている) 総説
* この巻は、印度タラハン国の祭政一致の維新に至る波乱を描いたものである。

第一篇 名花移植
 第一章 貞操論(一七二五)

* 昔、左守の職を追われたシャカンナは、政敵の一掃と国政への復帰を胸に、山奥に部下を集めて山賊の棟梁となり時宜を狙っていたが、天命を知り塞に火を放ち、部下を解散し、今は一人娘のスバールを老後の力となして暮らしていた。
* 今年十五を数えるスバール姫は、スダルマン太子の来訪より、密かに太子に恋心を抱いていた。
* シャカンナはある日、スバールに尋ねる。太子がここに踏み迷って来られた際、スバールに思し召しがあったように見受けられたが、もし太子から迎えが来たら、その気があるだろうか、と。
* スバールは、実は太子が「きっと迎えに来る」と約束したこと、また自分も太子のことを思っていることを明かす。
* シャカンナは、娘の恋愛によって自分が再び政界に復帰することができると喜ぶ。
* スバールは、父に対する孝養と、夫に対する恋愛では道が違う、と釘をさす。
* 曰く、今回の恋愛が成就することによって、結果的に、父に対する孝養もできるかもしれないが、恋愛は流動的なものであり、恋愛を主とする限り、父への孝養を保障することはできない。
* 恋愛は理知・道徳と相容れないものであるから、「父への孝養のために太子と結婚する」というような、倫理に恋愛を従属させるようなことでは、恋愛が成り立たない。
* 倫理や道徳にとらわれて、女の一生を霊的に抹殺されることは耐えられない。「神聖な霊魂を男子に翻弄される事は、女一人として堪えられない悲哀」
* 人格と人格との結合によって、初めて完全な恋愛が行われる。
* 恋愛は恋愛として、どこまでも自由でなければならない。
* だから、もし他にもっと好きな相手ができたら、そちらに恋愛を移すのが自然の成り行きであり、結婚を理由に貞操を守れ、というのは不合理である。
* 倫理の観点から結婚を見るなら、女子に貞操を強要するのであれば、当然夫に対しても貞操を強要しなければならない。
* しかし、恋愛の観点から結婚を見るなら、夫は女房が他の男に恋するのを押さえつけてはいけないし、妻は妻で、夫の他の女に対する恋愛を遂げさせてあげるのが、真に夫を愛するということになる。
* また、一夫一婦制に対しての反論 - 男女が平均に生まれないため、一夫一婦制ではない国も、世界にはたくさんある。 - むしろ君子的人格者はたくさんの妻を持ち、その子供を四方に配ることが、国家にとって利益になる。
* 道徳と恋愛を別のものとして考えることで、家庭は家庭としてうまくいき、恋愛は恋愛として自由に行われる。

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次回(62回)の ご案内
日 時:平成13年11月25日(日) 午後1時から午後4時30分まで
場 所:愛善苑 豊玉分苑(京王線下高井戸駅下車 徒歩八分 川崎方)
物 語:山河草木 未の巻 第68巻 2章「恋盗詞」より
     (物語をお持ちでない方もどうぞ。参加費不要。)
連絡先  愛善苑 豊玉分苑の連絡先(川崎方)
       電話 03-332-3996、03-331-8644


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