とよたま愛読会80回(天祥地瑞:74巻8章〜13章)望月幹巳
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motomi_mochizuki@ybb.ne.jp


日 時  平成15年5月25(日) 午後1時から午後4時30分まで
場 所  愛善苑 豊玉分苑 (京王線下高井戸駅下車 徒歩8分 川崎方)
電話   03-3321-3896、03-3321-8644

★ 報告
  梅雨の候、皆様にはお変わりなくお過ごしのことと思います。
今回の拝読個所では、真鶴山の女神・生代比女が、顕津男の神に恋慕するという事件が物語のテーマとなっています。
恋慕といっても、生代比女自身が大蛇と化し、天地を焼き払うほどの恨みの炎で、顕津男の神の神業を妨害するという、すさまじいものです。
顕津男の神と従者神たち一行は、生代比女をなだめ諭そうと、懸命に言霊を発し祝詞を奏上しますが、なかなか効果があらわれません。
そうした物語の中、天地生成と恋愛について、重要なポイントが語られていました。
* 愛はそもそも主の神の幸魂であり、万物の生成になくてはならないもの。
* 主の神が、国生み神生みのために八十柱の比女神を配置したのも、愛のこの働きのゆえである。
* しかしその愛が執着の心に変わると、恐ろしい災いを引き起こすもとともなる。
以前、顕津男の神は最初の見合いにおいて、如衣比女に執着して国生み神生みの神業を遅らせたために、その念が大蛇となって、かえって比女の命を奪う結果となりました。
また今回は、八十柱比女ではない生代比女の恋慕が、顕津男の神の神業を妨害しています。
本来は生成化育を進展・促進するはずの愛が、逆に生成化育を阻害するものに変じるとき、恐ろしい災いを引き起こしているように思います。
また、八十柱の比女神たちと顕津男の神の見合いの説明では、愛は本来、「魂をいついて離れないものにする」ので、その働きによって尊い国魂神を生むことができる、と説かれています。
逆に言うと、この「いついて離れない」という働きは、執着を生むこともあるのではないでしょうか。そしてその執着が、本来の目的であった生成化育を阻害するとき、恋愛が恐ろしいものとして描かれているように思います。
同じ主神の幸魂である「愛」が、あるときは素晴らしいものとして、またあるときは恐ろしいものとして現れるのはなぜなのか。
ここに一つのヒントを読み取ることができるように思います。

★ 拝読箇所で気のついたこと
第七十四巻 天祥地瑞 丑の巻
第一篇 渺茫千里
第八章 黒雲晴明(一八七六)

* 顕津男の神の厚い情けの歌に、生代比女の恨みはおさまり、辺りは紫微天界の様相を取り戻した。
* 従者神たちは、みな口々にこの奇跡をたたえる歌を歌った。そして、天津高宮に向けて恭しく神言を奏上し、七十五声の言霊を繰り返し、祈った。

第九章 真鶴鳴動(一八七七)
* 宣伝歌
* そもそも天地の中に、生言霊の御威光よりも尊いものは、他にない。
* 生言霊の功によって、山河が生まれ、草木が萌え出、あらゆる神々が生まれ出でるのだから。
* 紫微天界は、もともと愛と善の国土である。そして愛と善は、主の神の魂であり、姿そのものである。
* 愛は、神の心を生かすようにと生まれた、主の神の御賜物であった。
* しかし、時がたつにつれ、愛があやしい恋の炎となり、さまざまな災いを起こすという、恐ろしい事態になった。
* 真鶴山の御魂として現れた生代比女は、太元顕津男の神への恋の炎を燃やした。
* 主の神の御言に忠実な顕津男の神に拒まれると、その失望は恨みと変じ、大蛇の姿となって、八十比女の一人、玉野比女を呪った。
* そして、自ら恋の恨みの炎を消そうと、湖水に自ら飛び込んだ。
* 結比合(むすびあわせ)の神の歌
* 天界のすべてのものを結び合わせる誠の力は、恋である。
* 一方、喜びも悲しみも、楽しみも騒ぎも、また恋から湧き出でる。
* 恋はとどめることができない、ゆえに、玉野比女、生代比女の真心を、私はどうすることもできない。
* 美味素(うましもと)の神の歌
* 愛の果て、善の極みは恋となり、誠となって現れる。
* しかし、恋の炎は天地のすべてを焼き払う炎ともなる。恋心は天地を塞ぎ、神の心を闇に包むことにもなる。
* 恐ろしきも楽しきも恋である。
* 二神が歌い終わると、再び山麓から猛火が燃え上がり、顕津男の神の身辺近く迫ってきた。顕津男の神は、神々を率いて、サソスセシ、ザゾズゼジの言霊と共に、生代比女を諭す歌を歌った。
* すると、火焔はたちまち消えて、再び紫微天界の清浄さが辺りによみがえった。

第二編 真鶴新国
第十章 心の手綱(一八七八)

* そもそも宇宙の始め、大虚空の中心に、一点のヽ(ほち)が突然現れ、ヽは次第次第に円満さを増していき、ついに主(ス)の言霊が生まれ出た。
* スの声はだんだんと膨張して、ついに七十五声の言霊が、大虚空の中に現れるにいたったのである。
* スの言霊は、さらにますます大活動力を発揮することで、神となった。これが、天之峯火夫の神である。またの名を、大国常立の神言(みこと)という。
* スの大神の威光はますます発展して、大宇宙を生み成した。その中心である紫微天界に天津高宮を築き、スの大神は永遠にそこに鎮まることとなった。
* 鎮まりつつ、大宇宙の生成を続け、国を生み、神を生み、幾億万劫の末の今日にいたるまで、一瞬たりともその活動を休まず続けているのである。
* 主(ス)の神は、ウの言霊から天之道立の神を生み、またアの言霊から太元顕津男の神を生み、まず紫微天界の修理固成を始めた。国土を生み、神を生む神業を、二神に任せることとなったのである。
* 天之道立の神は宇宙万有の精神界を守り、顕津男の神は紫微天界の霊的物質界を生成し育てるという神業を、それぞれ主の神よりおおせつかった。
* この二神による神業もまた、幾億万劫の末の今日まで継続・活躍しており、また限りなく終わりなく続いていくのである。
* ここではもっぱら、太元顕津男の神の活動について述べているが、その内容が膨大であるため、ただ数千万分の一程度を開示したに過ぎない。だから、読者はこの物語が天界のすべてではないことを、知って読まなければならない。
* 国生み神生みについて
* 顕津男の神と八十柱の比女神たちは、ただ水火(いき)と水火をいっしょに組み合わせる。
* すると、鳴り鳴りて鳴りの果てに、神霊の気が感応して、尊い国魂神が生まれるのである。
* 宇宙一切の生成と育成は、スの神の幸魂である愛の情動より発してる。だから、愛を離れてはいかなる生産もありえない。神々といえでも、女男二柱が見合うときは、必ず恋愛の心が湧き出でるのは、自然の道理なのである。
* 恋愛は魂がいついて離れないものである。だから、主の神は、国魂神を生ませるために八十柱の比女神を御樋代とするよう、顕津男の神に言いつけたのである。
* そして、もし一人の比女神が二柱の国魂神を生むと、権力地位の争いによって滅びてしまう。だから、一つの国に一つの国魂神と定めたのである。
* 顕津男の神は、最初の国生み神生みのとき、如衣比女への恋着によって神業を遅らせた。その執着心が恐ろしい大蛇となって、如衣比女を葬り去る結果となってしまった。
* その前例に恐れ慎み、八十柱の比女神以外の女神に対しては、一切心を動かすことはない顕津男の神であるが、生代比女の恋は激しく、その扱いに困惑していた。
* 顕津男の神とその従者神たち十一柱の神々は、生代比女の執着を取り払おうと、言霊の限りを尽くし、また祝詞を唱えたが、一向におさまらず、神業を妨害しつづけた。
* 終に神々は七日七夜の間、主の神の降臨を祈願した。すると、宇宙に主の神の歌が響いた。
* 主の神の定めた御樋代である八十柱の比女神とのみ見合い、その他の女神は、いかに美しい神であっても、心を動かしてはならない。
* すると、妖邪の気は払われ、辺りは一点の雲もないほどに清く明るい国となった。
* 顕津男の神は主の神の神徳を感謝しつつ、どんな曲津神が襲い来ても、少しも動揺しない大勇猛心を発揮するに至った。

第十一章 万代の誓(一八七九)
* 主の神の神示とその威光を見て、神々は、主の神のすばらしい威光と恋の執着心の恐ろしさを歌った。
* そして、神々は真鶴山頂に立ち、それぞれ神業を分担しあい、心を合わせて各諸天界を守ることを誓った。
* 国中比古の神を真鶴山の守りとし、一行は玉野湖の湖畔にうっそうと繁る、清しき森を目当てに次の目的地に向かった。

第十二章 森の遠望(一八八〇)
* 一行は、はるか西の玉野湖に進んでいく。
* 真鶴山は遠くに見えなくなり、次第に玉野湖の湖水が見えてくるにつれ、一同はその景色の様子と、玉野比女と顕津男の神の国生み神生みの無事、真鶴国の固成の成功を祈る歌を、それぞれ歌った。
* そうするうちに、一行はようやく玉野湖畔につき、休息を取った。

第十三章 水上の月(一八八一)
* 湖畔にて、玉野比女の館を目前とし、静まり返る玉野湖水と玉野森を前に、神々はそれぞれ思いのたけを歌い、また玉野湖水に潜む、大蛇となった生代比女をなだめ諭す歌を歌った。
* しかし、生代比女の恋の炎はあまりに強く、神々の生言霊の光さえ、包みかくすほどであった。



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