とよたま愛読会81回(天祥地瑞:74巻14章〜18章)望月幹巳
                                                  メール:
motomi_mochizuki@ybb.ne.jp


日 時  平成15年6月22(日) 午後1時から午後4時30分まで
場 所  愛善苑 豊玉分苑 (京王線下高井戸駅下車 徒歩8分 川崎方)
電話   03-3321-3896、03-3321-8644
物語をお持ちでない方もどうぞ。 参加費不要。

★ 報告
向暑の候、皆様にはお変わりなくお過ごしのことと思います。
81回の報告をお送りいたします。
顕津男の神への恋の激しさに、大蛇となった生代比女は、玉野湖で神々一行の行く手を阻みます。生代比女の一途な思いにうたれた顕津男の神は、ついに、主の神の神業を損なって自分がいかなる責めを負っても、生代比女の真心に応えようと歌に歌います。
すると、玉野湖は一転して静まり返り、湖水より竜に乗った生代比女が現れます。顕津男の神の慈悲心によって思いを遂げられた比女の姿は、以前にもまして神々しく美しいものでした。
比女のあまりの清らかな美しさに、顕津男の神は敬虔の念がやみがたく起こって来ました。すると、思いの遂げられた生代比女はたちまち蛇体を脱し、顕津男の神の御子を懐妊します。
生代比女は、真鶴国においては自分が神生みの御樋代であり、顕津男の神一行が求めてきた玉野比女は、国生みの見樋代である、と明かします。
これまで、国生み・神生みの見樋代である八十比女は、一国に一人でしたが、真鶴国では生代比女、玉野比女の二人がそれぞれ違った職掌を分担していた、ということになります。ただし、そのことは顕津男の神たちには知らされていませんでした。大いなる仁慈の心によって生代比女を救済し浄化することが、真鶴国での試練として仕組まれていたのでしょうか。
神々の歌う述懐歌の中には、神業は一つの道ではなかった、とあります。つまり、国生み神生みの神業とは、与えられた手順に従ってレールの上を進んで行けば完成する、といった類のものではない、ということでしょう。
現に生代比女の物語では、最初は、生代比女と契ることは主の神の掟を破ることとして描かれています。しかし最後は、生代比女を受け入れて救うことによって初めて、神生みが成就しています。盲目的に規則に従うことよりも、真心によって相手を救うことで、神業が行われていきます。
顕津男の神の御神業は、幾億万劫の昔より、今に至るまで休みなく続けられていると説かれています。それは決して、機械的な規則によって動いているのではなく、勇・親・愛・智の発揮により発展生成しつつ行われていくものである、という生成化育の真理の一端を、ここに読み取ることができると思います。


正面の男性が望月幹巳さん

★ 拝読箇所で気のついたこと
第七十四巻 天祥地瑞 丑の巻
第二篇 真鶴神国
第十四章 真心の曇らひ(一八八二)

* 宇宙間において、もっとも強く美しいものは、愛の発動である。なぜなら、大虚空中に愛の発動があったからこそスの言霊が生まれ、天地の万神が生まれたからである(=神は愛なり力なり)。
* ただ、愛からスク、スカヌの言霊が生まれるとおり、その度合いによって、生成化育が成就するときもあれば、度が過ぎて一切を破壊することにもなりうる。
* だから、愛には善、悪、大、小がある、というのである。神の愛は善にして大、一方小愛・悪愛は、自己愛となり、他を害し、争いと破壊をもたらす。
* 生代比女の顕津男の神に対する愛は積み重なり、募って怨恨となってしまった。その炎は比女の身魂を焼き、大蛇となって玉野湖底に潜むにいたった。
* 大蛇は神々の一行を待ち受けており、静かだった玉野湖はたちまち暗黒となり、荒れ狂った。
* 顕津男の神は比女を諭す歌を歌うが、生代比女は闇の中から突然現れ、顕津男の神への恨みを吐露し、幾億万劫の末までも恋の悪魔となって祟る、と呪った。
* 諭しの歌も大蛇となった生代比女には届なかった。顕津男の神はついに、如何なる罪に問われようとも、主の神の神言に背いても、比女の誠の心に報いようとの決意を歌った。
* すると、たちまち天は晴れ渡り、湖も鏡のようにおさまった。満月の光が晧晧と、湖面を照らした。

第十五章 晴天澄潮(一八八三)
* 顕津男の神の仁慈のこもった歌に、生代比女の恨みの炎は消えてしまった。静かで美しい玉野湖の情景は、天国浄土の様を取り戻した。
* この光景に遠見男の神は瑞御霊の大愛をたたえる歌を歌った。
* 圓屋比古の神は、愛善・愛悪が行き交って国が固まる様を悟り、天地を丸く治めることに尽力することを誓った。また、顕津男の神の活動をたたえた。
* 多々久美の神は、恋の恐ろしい側面を目の当たりにした感慨を歌った。
* 宇礼志穂の神は、瑞御霊の神業の辛苦に思いを馳せる歌を歌った。
* 美波志比古の神は、瑞御霊の仁慈の徳と言霊の力をたたえる歌を歌った。
* 産玉の神は、生代比女の一途な思いを憐れみ慈しむ歌を歌った。
* 魂機張の神は、神業と生代比女の思いの間で苦しんだ顕津男の神の心に、涙の歌を歌った。
* 結比合の神は、再び澄み渡った景色に、目的地・玉野森へ心が急ぐ思いを歌った。
* 美味素の神は、湖面を照らす月と、ゆきかう日の徳をたたえる歌を歌った。
* 真言厳の神は、月の恵みをたたえ、先頭に立って玉野湖を馬に乗って泳ぎ渡った。
* 顕津男の神たち一行は、真言厳の神に続いた。

第十六章 真言の力(一) (一八八四)
* すると、玉野湖の水が二つに割れた。湖の底から大きな竜が現れ、顕津男の神一行の馬前に道を作った。竜の頭上には、美しい女神が立っていた。
* それは、生代比女であった。顕津男の神の厚き心によって、怨恨は感謝の念となり、美しい女神の姿に更生したのであった。
* 以前にも増して神々しい比女の姿に、顕津男の神は恍惚として、敬虔の念が止みがたく起こってきた。
* 生代比女の神は、顕津男の神の心に満悦し、その歓喜はたちまち凝って、体内に御子を宿した。すると、今まで燃えていた炎は消え去り、月が清涼の空気を全身に注ぐような心地とともに、完全に解脱した。それとともに竜体も消え去った。
* 生代比女は、蛇体から解き放たれた喜びを歌い、また、玉野森の玉野比女は、国生みの神であると明かす。
* 顕津男の神は、生代比女の更生を喜びつつ、神生みの御樋代は実は生代比女であり、玉野比女は国生みの役であることを知る。主の神の許しがなければ御子をはらむことはないこと、神業の道は一つではないこと、また国生みと神生みとのけじめがあることを悟った。
* 従者の神々はそれぞれ、これまでの真鶴国での出来事を振り返り、感慨を歌い、また国の繁栄の予感に喜びを歌った。

第十七章 真言の力(二) (一八八五)
* 従者の神々はさらに、御子誕生を祝い、そして国生みの神である玉野比女との神業への期待を歌った。
* 一行は駒に乗り、玉野の森の聖所をさして進んでいった。

第十八章 玉野の森(一八八六)
* 玉野の森は、東西十里、南北二十里。年老いた松の木が覆い茂り、地は白砂で覆われ、あちこちに水清き泉が湧いている。すがすがしく神々しい森である。
* 玉野比女は、森の中央の小高い丘の上に宮を構え、自ら斎主となって主の大神の神霊を祀っていた。
* 顕津男の神は、玉野の森に足を踏み入れると、駒を止めて歌を歌った。玉野の森をたたえ、玉野比女を呼ばわった。
* 遠見男の神が一行の先頭に立った。従者の神々は次々に、玉野の森の荘厳さをたたえる歌を歌いながら、玉野比女の館を探して駒を進める。。
* 生代比女も、馬上より玉野比女に呼びかける歌を歌うと、駒に鞭打って先に駆けて行ってしまった。
* 一行は玉野の森の中央の、玉野比女の館を目指して進んでいる。

以上   [前回レポート] [次回レポート]


[拝読箇所一覧] [愛読会の紹介] オニ(王仁)の道ページ