とよたま愛読会83回(天祥地瑞:74巻23章〜75巻総説)
      
望月幹巳   メール:motomi_mochizuki@ybb.ne.jp


日 時  平成15年8月24(日) 午後1時から午後4時30分まで
場 所  愛善苑 豊玉分苑 (京王線下高井戸駅下車 徒歩8分 川崎方)
電話   03-3321-3896、03-3321-8644

★ 報告
新秋のみぎり、皆様にはお変わりなくお過ごしのことと思います。
第83回の報告をお送りいたします。
真鶴国の国生みをつかさどる神々がようやく一同に会し、玉野丘に主の大神がご降臨するのを待つところから物語は始まります。しかし、一向にご降臨の兆しが見えないところから、一同はそれぞれ、歌を歌って大神に問い掛けます。
その過程で、玉野森に長く仕えていた従者神である本津真言の神が実は、主の大神の化身であることが判明します。また、もうひとりの従者神、力充男の神も、天宮から降った神の化身でありました。両神は、真鶴国の国生みの機が熟したことを告げて、それぞれ紫微天宮へ帰っていきました。
その過程で明らかになったのは、実は主の大神はすでに玉野森にご降臨されたが、そのときは玉野森の神々の知恵が完全でなかったために、あえて従者神に身を落とし、周りのレベルに合わせて国造りを助けていたのであった。
玉野比女は、御子生みの神業にふさわしいほどの悟りを得る前に、年老いてしまった。そこで、八十比女神ではなかったけれど、より進取の気性に富んだ生代比女が、御子生みの御樋代神として、主神に選ばれたのでした。
この事件は、本来神業をなすべき太元顕津男と玉野比女の神の神業の遅れによって引き起こされたもので、神業に携わる神々の役割変更は、そういう時代を反映した、やむを得ざる措置であったことが説き明かされています。
事の真相を知った神々一同は、自らの不明を恥じ畏れ、真鶴国の国土造りへの決意を新たにするところで74巻の物語が終わっています。最後の最後で、真鶴国でのそれぞれの神々の役割が、主の大神によって明らかにされて、ようやく国土造りを始めることができることになりました。
続く75巻では、序文において、再び天地創造の様子が、言霊によって解き明かされています。難しい言葉がふんだんに使われていますが、一文一文読み解いて行くと、そこには壮大な宇宙のイメージそのものがあることを、垣間見ることができます。

★ 拝読箇所で気のついたこと
第七十四巻 天祥地瑞 丑の巻
第三篇 玉藻霊山
第二十三章 意想の外(一八九一)

* 玉野比女、顕津男の神、本津真言の神たちは、主の大神の御出現を、歌を詠みながら待っていた。
* すると、最後に歌った本津真言の神は、「われこそは主の大神の神言によって、この天界を支えている神である」と名乗った。
* 本津真言の神は、天津高宮から降り来て、主の大神の内命によって玉野比女に使え、国生みの神業が成るまで守り仕えていた神であった。
* 顕津男の神、玉野比女の神は、畏れ多いことと庭に下りて平伏し、畏まった。そこへ、待合比古の神と力充男の神が、生代比女を連れてやってきた。
* 本津真言の神は、全員がそろったところで、それぞれの神々の役割を歌によって明らかにし、自分は主の大神のご神慮を請うべく、奥殿へと入っていった。

第二十四章 誠の化身(一八九二)
* 本津真言の神が大幣を打ち振りながら先頭にたち、宮の階段を登っていった。顕津男の神はその後に従い、階段の最上段にうずくまって神言をあげ、大神のご託宣を願った。
* しかし、大神からの神宣はいつまでたってもこなかった。
* 次に、玉野比女が宣旨の願いを歌に込めて歌ったが、何も起こらなかった。
* 続いて、生代比女が祈りの歌を歌ったが、やはり何も起こらない。
* 待合比古の神の後、最後に力充男の神が歌った。力充男の神は、本津真言の神こそが、主の神の御化身であったのだ、と悟りの歌を歌う。
* この歌に、顕津男の神・玉野比女の神・生代比女の神・待合比古の神は驚いて、まず力充男の神へ敬拝し、そして本津真言の神の前にひざまずいて不礼を謝った。
* 神々が主神である本津真言の神に歌を歌う間、本津真言の神は厳然としていたが、その顔はますます輝いた。その間、不思議にも一言も言葉を発することはなかった。
* 最後に、力充男の神が、瑞御霊の御神業を助けて国造りをしようと誓いの歌を歌うと、主の神の化身である本津真言の神は、望みどおり国造りを助けよう、と歌うと、たちまち天から迎え来た紫紺の雲に包まれて、天空へと帰って行った。

第二十五章 感歎幽明(一八九三)
* 主の大神は、玉野森にご降臨したが、神々がまだ悟りを得ていなかったので、やむを得ず本津真言の神の姿を借りて、国造りの神業を助けていた。
* 神々は主の大神であるとまったく気づかなかったが、力充男の神がついに気づき歌に明かしたため、再び天津高宮にお帰りになったのであった。
* 玉野比女は、八十比女神に選ばれたものの、御子生みの資格が得られるほど悟りが深くなかった。そのため、神生みの神業はせず、国土生みの神業に仕えるように定められたのであった。
* また、顕津男の神は神業のはじめにあたって、周りの神々たちに遠慮したことが勇猛心を欠き、神業の期を逃してしまった。
* 一方、真鶴山の御魂・生代比女は、八十比女神には入れなかったのだが、知恵と悟りに優れた賢女であったため、神生みの業をなすことを、大神はあえて許したのであった。生代比女の積極的な行動が、国生み・神生みの神策にかなったからである。
* あえて生代比女の小さな過ちよりも大きな功を取ったのも、時代相応の処置であったと思われる。
* 本津真言の神が天に帰って行ったのを見て、神々はそれぞれ述懐の歌を歌い、国生みの神業への誓いを新たにする。
* すると最後に、力充男の神は、実は自分は紫微天界の高鋒の神であり、主の大神の霊(チ)と体(カラ)が結合して生まれた神である、と明かす。
* 力充男の神は、国生みに従事する神々がそろった今、自分の役割は終わったと歌い、光となってあたりを照らしながら、紫の雲を呼び起こして天津高宮に帰って行った。

第二十六章 総神登丘(一八九四)
* 一同は、本津真言の神だけでなく、力充男の神もが紫微天宮から下ってきた神であることに驚き、それに気づかなかった自分たちの不明を恥じながら、玉の宮居で歌を歌った。
* 一方、顕津男の神の従者神たちは、泉で禊をしたあと、顕津男の神たちを待ちながら、禊もしないで玉野丘に登ろうとした自分たちの不明を恥じ、述懐歌を歌っていた。
* すると、顕津男の神たちが丘を降りて従者神たちを迎え、あらためて一同揃って丘に登り、諸神力を合わせて、国土生みの神業に従事することとなった。

第七十五巻 天祥地瑞 寅の巻
序文

* この巻の内容:
* 太元顕津男の神が、玉藻山の聖場で国土生み御子生みの神業を完成する。
* 禊の神事を諸神とともに、厳しく修した。
* 日向川を渡り、八柱の神に迎えられて、再度禊を行う。
* 柏木の森の曲津神を言向和すために、馬に乗って進んでいく。
* この巻は、昭和八年十一月一日に書き始めたが、エスペラント全国大会や西南の旅行、大祭、歌碑除幕式、末娘の婚礼、弟の帰幽などがあり、同月三十日にようやく完成した。
* 「曲津見の神」とあるのが邪神である。「曲津日の神」は、邪神である曲津見の神の罪を照らし、厳しくとがめる職掌の神のことである。

総説
* 太虚の中、(ス)の言玉が鳴り鳴りて、皇神国(すめらみくに)と皇(すめらぎ)の極限を成就した。
* この極限
◎(ス)を明らかに知ろうとするなら
 ○ 朝夕、斎戒沐浴して身を屈して謹慎し、
 ○ 智慧証覚を満天に満たし、
 ○ 智慧の力によって至大天球をひと呑みにし、
 ○ それを腹の中に収めて真空之定(ヲヒ)に入り、
 ○ そして三日三夜の間観察し、
 ○ 三日三夜の間空中の言を聞き、
 ○ 三日三夜の間空気を嗅ぎ、
 ○ そうして精神を練り鍛える。

* すると、愚者でもそれ相応の智慧の光をえることができる。その智慧正覚の光をもとにすれば、◎(ス)のいわれを聞いて理解することができる。

* 撒霧(さぎり)に撒霧った状態の主(ス)が、一極に集まりきって、これ以上ないくらい大きく力充ちて安定しているときに、その両極に、自然と対照力(タタノチカラ)が起こった。
* これが、天之峯火夫の神が、もろ手を差し出して対照にとなった形である。億々兆々万里の距離を、両手で貫き保っている、ということである。
* 同時に、北と南の両極端にもこの対照力が起こり、突き通るような勢いで、四方八方あらゆる方向の両極端に、同じ対照力が起こり、◎(ス)の外面は、対照力で張り詰めた。
* このとき初めて、球の形が現れた。タマの二声の霊は、対照力がすべてに張り詰めて成り定まった、という意味である。
* この至大天球中に張り詰めた、数限りない対照力は、その中間(ナカゴ)を、極微点(コゴコ)の連珠糸(サヌキ)で掛け貫き保っている。これを言い表して、対照(タ)、掛貫力(カ)、全く張り詰め玉と成る(マ)、という。
* この至大天球は、極めて微小な点であり、珠を連ねる糸でつながった「神霊分子」を充実させて、活動の機関とし、活気臨々として活きている。この状態を、神霊活機臨々(ガ)と言うのである。
* また、それが膨張してこれ以上ないくらいに広がった様を、至大X々(ハ)と言う。
* また、その造化の仕組みが運行循環している様を表して、循環運行(ラ)と言う。
* だから、タカマガハラという六言の神霊のしくみを明らかに解き明かすと、天地の始まりの秩序を親しく目撃したようで、それを聞いた人の心の中は確乎として愉快に感得するようになる。
* このように、球の形が備わるときは、その中心部に不動の力が備わって、自ずと定まる力と、一点に向かって引き締まる力が起こるのである。
* 至大天球が成り定まったとき、その内部は極微点(コゴコ)の連珠糸(サヌキ)がきちんと縒り合わされ、つらなって機糸よりもただしく組織された状態で現れつつ、広大に満ち満ちて安定した状態で充実し、神々霊々、活機臨々として極まっている。
* この事実を十四声に縮めて、タカマガハラニカミツマリマス、と言うのである(至大天球之中(タカマガハラ)、神々霊々活機臨々兮極微点連珠糸(カミ)、充実実相而(ツマリ)、在矣(マス))。

* 続いて、◎(ス)の大神、天之峯火夫の神の御神名の起源、御活動、御名義の略解。
 ○ ア:大本初頭の言霊があわられ出て、世界の中心となり、◎(ス)の本質と生り出でた言霊。無にして有、天にして地である活用。
 ○ マ:全く備わり、一の位にある。一乃精体(アノイキミ)にして廻り囲む言霊。
 ○ ノ:天性のまま伸び延び、支障のない。産霊の言霊。
 ○ ミ:ミは霊にして体。玉となり、屈伸自在である。産霊の形をあらわす。モイの結晶点である言霊。
 ○ ネ:ネは声音。納まり極まり、根本にして一切を収める言霊。
 ○ ヒ:光り輝く。最初大本という意味であり、霊魂の本体である。太陽の元素となり、月の息となる言霊。
 ○ オ:興し助ける言霊、大気大成の活用がある。先天の気であり、億兆の分子を保ち、出入自在である、という意味。
* これによって、天之峯火夫の神の御神格がどのようなものか、推測して知ることができる。その他、神々の御名からそのご活動を伺い知るためには、言霊学の知識でなければできないのである。

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