とよたま愛読会84回(天祥地瑞:75巻1章〜5章)
         望月幹巳   メール:motomi_mochizuki@ybb.ne.jp


日 時  平成15年9月28(日) 午後1時から午後4時30分まで
場 所  愛善苑 豊玉分苑 (京王線下高井戸駅下車 徒歩8分 川崎方)
電話   03-3321-3896、03-3321-8644

★ 報告
 紅葉の季節、皆様にはお変わりなくお過ごしのことと思います。第84回の報告をお送りいたします。
天祥地瑞も寅の巻に入りました。真鶴国の国土生みも、ようやく最終章に入ってきました。
まず、神々は、玉野丘で禊をなします。そして、国土造りの言霊歌を歌います。これには、顕津男の神と、特に選ばれた真言厳の神の二人が携わり、他の神々は二人の補助にあたります。
 すると、真鶴国が震動をはじめ、玉野丘はたちまち高く盛り上がり、玉野湖も干上がってしまい、玉藻山となります。この修理固成の奇跡を目の当たりにした神々たちは、喜びと驚嘆の歌をそれぞれ歌います。
 この物語を語るにあたって、聖師様は、まず神々が玉泉のほとりで行ったという禊について説明をしています。それを見ますと、現代のわれわれが思い浮かべる静かな禊とは違い、神代の禊は身体の激しい動きを伴った修練のような形式であったことがわかります。
 神代の禊の真意の根幹は失われてしまった、とありますが、同時にまた、一部の神道家の間には禊の行事が伝わっている、とあります。聖師様の解説を頼りにすれば、そういった伝統の行事の意味を垣間見ることができるかも知れません。
 また、第二章では、国土生み神生みの神業が現代の世界にどう関係しているか説明されています。この部分は直截的なだけに、わかりやすいと同時に、解釈の違いによっては大いに議論を巻き起こす可能性がある個所であると思われます。
 ここは、結論を急がずに、素直に聖師様の言葉を受け取りつつ心に留めて、天祥地瑞を読み進めて行きたいと考えています。

★ 拝読箇所で気のついたこと
第七十五巻 天祥地瑞 寅の巻
第一篇 玉野神業
第一章 禊の神事(一八九五)

* 「禊の神事」は、天之峯火夫の神の聖代から伝わるものであり、紫微天界の神々でも、一日も怠らずに今日まで及んでいる。
* 禊は、国を治め、世界を平和にするものであり、また自分の身を正し、家庭をととのえるものである。
* 禊は、さまざまな方式が伝わっているので、ここで簡単に説明する。

<振魂の行事>:最も重要な神事
* この中にもいろいろなやり方があるが、普通は両手を臍の前で十字形に組み合わせ、渾身の力をこめて神名を称えながら、自分の根本の精神を自覚し、盛んに猛烈に、数十分から数時間、連続して全身を振るい動かす行司である。
* 昔は、天之峯火夫の神の御名が称えられたが、現代の禊では、天之御中主之大神の御名を称える。
* 妄念・邪想を鎮める。身体内の相反し孤立している活動を制御し、自分の根本精神を中心とした全身の統一を成し遂げることができる。
* 禊の間は、食事を減らす。朝夕に一合の粥と三粒の梅干、少量のごま塩以外は食べない。しかし、内部の根本精神が興奮緊張するために、疲れたりやつれたりすることはない。

<天の鳥船>:衆心一和の禊
* 渾身に力をこめる。特に臍のあたりに力をこめ、気合とともに、櫓を漕ぐ動作を百千回反復する。
* 運動それ自体が修練となる。また、気合術の練習にもなる。

< 雄健の禊>:神我一体連想の姿勢
* 生魂、足魂、玉留魂、大国常立之尊の神名を唱えつつ、天之沼矛を振りかざして、直立不動の姿勢を構える。
* 一、直立し、左右の両手で帯を硬く握り締め、親指を帯に指し、「生魂(いくむすび)」と唱えながら、力を全身に充足して腹を前に突き出し、体を後ろにそらせる。
* 二、「足魂(たるむすび)」と唱えつつ、力を全身に充足して両肩を挙げ、その後腰、腹、両足に十分に力をこめて両肩を下ろす。
* 三、「玉留魂(たまつめむすび)」と唱えながら、さらに両足に力を充足し、両足のつま先で直立し、その後強く全身に力をこめて、両方のかかとを下ろす。
* 四、左足を一歩斜め前に踏み出す。左手はそのまま帯を握り締める。右手は人差し指と中指をともにまっすぐに立て、外の指は握る(これを天之沼矛にかたどる)。この右手を脳天に構え、真剣以上の勇気と覚悟を持する。

<雄詰(おころび)の禊>:神我一体で禍津見を征服・善導する
* 「イエーッ」と声を発するとともに、右足と左足を踏みつけ、同時に脳天に振りかざした天之沼矛を、斜めに空を斬って、一直線に左の腰元に打ち下ろす。
* さらに「エーイッ」と発生し、右ひじを脇につけたまま、ひじから前をまっすぐに立て、さらに天之沼矛を脳天に構える。
* これを続けざまに三回反復する。
* 「イエーッ」の打ち込みは、悪魔を威圧懲戒する作法、「エーイッ」の打ち上げは、悪魔を悔悟させるための作法。

<伊吹の神事>:雄詰に引き続いて行う
* 両手を臍の位に置き、勢いよく十字型に組み合わせ、後に複式深呼吸を三回行う。最後の吸気は全部呑んで吐き出さないままにする。
* 現代では、これら禊の行事の根源は失われ、本当のところは伝わっていないが、大体はこのような形式で、一部の神道家の間には残っている。
* 紫微天界でも、禊の神事を万事の根源と定めたので、太元顕津男の神たちは、玉野丘の玉泉でおのおの禊を修するために集まって、禊祓いに奉仕した。
* 一同は、玉野丘の霊泉の汀に座を定め、禊の神事を修しようと、おのおの禊の歌を歌った。
* 全員が歌い終わると、真鶴山はわずかに震動し始め、アオウエイの音響がいずこともなく高らかに聞こえてきた。

第二章 言霊の光(一八九六)
* 紫微天界は、スの言霊の水火(いき)によって鳴り出でたがゆえに、一切のものがわかわかしくやわらかく、神はまた幽の幽にまし、意思想念の世界である。
* 軽く清いものは高く上って天となり、重く濁ったものは、降って地となる。
* この真理によって、紫微天界は五十六億七千万年の後、修理固成の神業が完成するとともに、重さを増して行き、次第に位置を大空中の低い場所に変えた。
* われわれの地球こそ、紫微天界のやや完成したものであると理解するべきである。
* たとえば、紫微天界の山はほとんど気体であり、柔らかく膨れて伸び広がったものである。国土生み、神生みの神業も、柔らかい気体の世界を物質の世界に修理固成するまでには五十六億七千万年かかった、ということである。紫微天界の神々の活動は、無始無終、連続して止まらない。
* 神代では、情動も起こってはたちまち消え去る、極めて淡白なものであった。しかし、世が下るにつれて、人情が濃厚・執拗になってきた。そこで、愛・恋の乱れや争闘が起こってくるようになった。
* これが、主の大神が天之道立の神に、世の混乱を防ぐよう教え導き、乱れ行く世を正しく建てるように方策を授けた理由である。
* 神代の神人は、気体であったので、柔らかい地上を歩いても何の支障もなかった。国土の修理固成が進んで硬度を増すにしたがい、神々も体重を増し、ついに人となって地上に安住するようになったのである。
* このように主の大神をはじめ、神々の努力の結果完成した地上に人と生まれ、安住できる恵みと徳は、とうてい書き尽くせるものではない。
* われわれは、主の大神がお住まいになる紫微天界が完成期に近づいた地球の中心、葦原の中つ国である日の本に生まれた。万世一系の皇神国(すめらみくに)の天皇(すめらぎ)に仕え、神の宮居となり、神の子となって仕える幸福は、三千大千世界の宇宙をみても、到底求めても得られないほどの仁恵に浴しているのである。
* だから、我が皇神国に生まれた大御民(おほみたから)は、海外の諸国よりも特に、敬神・尊皇・報国の誠を披露して恵みと徳に報いなければならないのである。
* 紫微天界が完成した神国であるので、わが国を「皇神国(すめらみくに)」と言い、その君を「天皇(すめらぎ)」と言うのである。

第三章 玉藻山(一八九七)
* 顕津男の神は、玉の泉の汀に立ち、真鶴の国土を造り固めようと七十五声の言霊をのり上げた。
* すると、七日七晩の間に、玉野丘は次第に膨れ上がり、膨張して、真鶴山の頂上をも真下にみるほどに高くそびえるに至った。
* 従う神々の言霊は、一様に澄み切っているわけではないので、顕津男の神のあと、真言厳の神の清い言霊を奏上することで、真鶴の国土を無限大に拓き膨らませることができたのである。
* 水火が澄み切っていない神の言霊が混じると、かえって宇宙に混乱をきたすことがあるので、このようにとり計らったのである。
* 顕津男の神は、澄んだ言霊の持ち主である真言厳の神を選んで、交互に生言霊を奏上した。その他の神々は、それぞれ言霊をのり上げて、神業を補助する役に回った。
* このように、言霊の清濁美醜は、天地の水火にお起きに関係し、神界の経綸の進み具合にも影響する。言霊の応用は慎重になすべきである。
* 本書を拝読する人は、常に言霊を練り、円満晴朗の言霊の持ち主とならなければ、神明の気を和らげ、神業を補佐することができないのである。
* 顕津男の神が国土造りの歌を歌うと、玉野丘を中心とした国原は、次第に湯気が立ち昇るとともに、その高さと広さはどんどん増していった。
* 真言厳の神は、言霊歌を歌ったが、その中で、玉野丘が盛り上がってできた山を、玉藻山と名づけた。また、かつての玉泉から流れ落ちる滝を、玉藻の滝と名づけた。
* 続いて、遠見男の神、圓屋比古の神が、玉藻山創造の様子を歌に歌った。

第四章 千条の滝(一八九八)
* 顕津男の神と真言厳の神の生言霊により、国土は震動し暴風雨吹き来たり、ついに玉野丘一帯は次々に広がり膨れ上がって、驚天動地の光景を現した。
* 神々は感嘆し、それぞれ国土造りの神業を祝う歌を歌った。
* 玉野比女は神業の結果に驚嘆し、生代比女は玉藻山で御子生みをする決意を詠んだ。
* 美波志比古は、新しい国原を雨風が洗い清める様を詠み、玉藻山をたたえた。
* 産玉の神は、顕津男の神・真言厳の神の生言霊をたたえ、真言厳の神が天之道立の神の御樋代であると悟った。そして、生代比女の御子生みを守る自分の役割を明らかにした。
* 魂機張の神は、御子の生命、また新しい国土のすべての生命を守る自分の役割を歌った。
* 宇礼志穂の神は、国土造りのすばらしさをうれしみたたえる歌を歌った。
* 美味素の神は、味わいがあってこそ、すべてのものが生きることができる、と自分の役割を歌った。
* 結比合の神は、厳と瑞の言霊(顕津男の神=瑞と、真言厳の神=厳)の結び合わせ、また玉野比女と生代比女の結び合わせによって、この国土生み神生みができた、と祝い歌を歌った。
* 待合比古の神は、最後に、長らく待った後ついにこの日を迎えることができた喜びを歌った。
* 再度に一同は、遠く広がった真鶴国を喜び祝い、頂上の玉野大宮に感謝の神言をのり上げた。

第五章 山上の祝辞(一八九九)
* 神々たちは、国土が膨れ上がり、玉野丘が高く膨れ上がって玉藻山となり、玉野湖もたちまち干上がってしまった光景を目撃して、山上の玉野宮居に立って大神の徳を感謝しつつ、それぞれこれまでに見た国土造りの光景を歌に歌って祝った。
* 最後に、宇礼志穂の神が、玉野森につないで来た馬たちはどうしただろうか、と行方を案じる歌を歌った。
* すると、馬たちは丘の盛り上がりにつれて、玉藻山の七合目あたりに持ち上げられていたが、山の斜面を縦一列に駆け上って来て、新しい神国を祝するかのように嘶いた。
* 宇礼志穂の神は、この瑞祥を喜ぶ歌を歌った。

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