とよたま愛読会92回(天祥地瑞:76巻 9章〜15章)
 
       記望月幹巳       メール:motomi@moon.nifty.jp


日 時  平成16年5月23(日) 午後1時から午後4時30分まで
場 所  愛善苑 豊玉分苑 (京王線下高井戸駅下車 徒歩8分 川崎方)
      連絡先 03-3321-3896、  03-3321-8644
物 語  天祥地瑞 卯の巻 第76巻 9章(闇の河畔)〜15章(御舟巌)

 向夏の候、皆様にはお変わりなくお過ごしのことと思います。次は早いもので、七十七巻、辰の巻に入ります。
物語は、顕津男の神を追って高地秀山を飛び出した面勝女神、朝香比女の物語が続いて行きます。  一人旅を始めた朝香比女は、八十曲津神に襲われますが、所持していた火打ち石の真火の効力によって、たびたび悪神を撃退します。勇ましい武勇伝の合間にも、かつて顕津男の神が拓いた栄城山の宮の美しい情景に身も心も癒され、新たな旅を続ける力を得ます。  さらに沼となり巌となって比女を陥れようとする曲津神たちを、再度、真火で撃退し、最後には言霊の力で本物の沼と巌に固めてしまいます。曲津神たちは以降永遠に、国津神の糧となる魚貝をはぐくむという役目を与えられたのでした。  そして、狭野(さぬ)の郷では、飢えに悩む国津神たちに、魚貝を焼いて食べることを教え、また水当たりを防ぐために白湯を飲むことを指導します。これにより、初めて火食の道を開いたとされます。  狭野の郷の長、狭野比古はそのお礼に、比女の共となることを申し出ます。比女は狭野比古を共として、西方の国へ進んで行きます。

★ 拝読箇所で気のついたこと
第七十六巻 卯の巻
 第三篇 孤軍奮闘
 第九章 闇の河畔(一九二六)

 
* 太元顕津男の神を探して、朝香比女の神はとある河辺に着いた。闇の中、駒に水をやりながら顕津男の神を恋うる歌を歌い、河を越える術を思いたたずんでいた。
* すると、八十曲津神は、青白い大火団となって朝香比女のそばに来ると、目ひとつ口八つの怪物となり、口から蜂を吐き出しながら、襲い掛かってきた。
 * 駒は驚いて河の中に飛び込んでしまったが、朝香比女は気丈にも八十曲津神を迎え撃つ歌を歌いかけた。
 * ますます襲い来る蜂と怪物に、朝香比女は一計を案じ、懐から火打ちと石を取り出して曲津神に向かって打ち出した。たちまちほとばしり出る真火の光に、曲津神は驚き、怪物の姿は煙と消えてしまった。
 * この勝利に朝香比女は勇気百倍し、火打ちを懐に収めると、両手を合わせて天に向かって感謝の御歌を歌った。
 * そのうちに日が昇り、かささぎの声が河辺に響いてきた。朝香比女は水馬の法に長けていたので、駒の背にまたがり、たてがみにつかまって河を泳ぎ渡り、激流をこえた。
 * 朝香比女は感謝と馬の働きをたたえる歌を歌い、再び駒の背にまたがると、大野ヶ原の草原を東南指して進んで行った。

 第十章 二本松の陰(一九二七)
 * 見渡す限り夏草が萌える大野ヶ原を進みつつ、朝香比女は馬上に歌を吟じながら進んでいた。昨日の曲津神の来襲と勝利をふりかえりつつ、顕津男の神への思いをつづっていた。
 * 比女は駒をひらりと降りると、二本松の樹下にしばし休らった。どこまでも広がる青空の下の草原の木陰で休息を取った朝香比女は、顕津男の神への思いを述懐歌に歌った。
 * 日のまだ高いうちに再び馬上の人となった比女は、栄城山を目指して進んだ。顕津男の神が、御樋代神もおらず、スウヤトゴルの大曲津神が待ち受けている西方の国へと向かったことを風の便りに聞き、かの地に思いを馳せた。
 * その日の黄昏頃、比女は栄城山に着いた。栄城山の神々たちは、御樋代神がやってくることを伝え聞いており、山麓の谷川の岸辺まで出迎えに来ていた。機造男の神、散花男の神、中割男の神、小夜更の神、親幸男の神の五柱、いずれもウ声の言霊から生る出でた神々だった。

 第十一章 栄城の山彦(一九二九)
 * 栄城山の五柱の神々は、高地秀の宮居から使わされた雁の文によって、朝香比女の来着を知ったのであった。
 * 朝香比女は、顕津男の神を追って高地秀の御樋城神の地位を捨てて来た自分の身の上を歌い、一夜の宿を乞うた。神々は各々歓迎の歌を歌って朝香比女を迎えた。
 * 栄城山の中腹の休憩所に長旅の疲れを休めた比女は、旅の述懐歌を歌った。神々は新築の離れの宮居を比女の寝床とし、朝香比女は疲れに前後を忘れて寝入った。

第十二章 山上の祈り(一九二九)
 
* 暁を告げる山烏の声に、早朝目を覚ませば、栄城山の朝風は颯颯と吹き入り芳しく、大野が原に霧が棚引き日陽に映え、えもいわれぬ美しい景色であった。
 * 比女はこの景色を歌に歌い、東に高照山、西に高地秀山を眺めては来し方を述懐し、顕津男の神への思いをつづった。
 * そのうちに、神々が迎えにやってきた。小夜更の神が奉った石楠花の花を見ても、顕津男の神への思慕を深くする比女であったが、神々の案内で、山頂の宮居の大前に上って行った。
 * 栄城山の宮居の聖所に立った朝香比女は、顕津男の神自らが開いた宮居に感無量となり、声もさわやかに神言を奏上した。
 * 比女の礼拝に聖所もいつになく晴れ渡り、その清清しさを栄城山の神々は述懐歌に歌い、一同は再びつづら折の山道を下って休憩所の八尋殿へと下っていった。

 第十三章 朝駒の別れ(一九三〇)
 * 栄城山の五柱の神々は、朝香比女をねぎらおうと、八尋殿に集まってご馳走をならべ、にぎやかに歌い舞い、宴を張った。
 * 機造男の神が歌を歌えば、四柱の神々は調子に合わせて足を踏み、手を打って舞い踊った。
 * 朝香比女の顕津男の神への恋を歌った歌に、比女は恥ずかしがりながらも、顕津男の神への恋の思いを燃え上がらせ、今すぐにでも発って顕津男の神を追っていきたい、と歌った。
 * 比女の思いの強さに、神々はその強さを驚きあきれ、またたたえる述懐の歌をそれぞれ歌った。
 * こうして無礼講を終え、朝香比女はもう一泊栄城山にとどまり、魂を養った後、翌朝駒に鞭を打って大野ヶ原へ出立した。
 * 五柱の神々は別れを惜しみ、また旅の無事を祈る歌で比女を送った。比女は神々に感謝の歌を歌いつつ、もや立ち込める朝の大野ヶ原を進んで行った。

 第十四章 磐楠船(一九三一)
 * 夕暮れ近くなったころ、前方に横たわる沼にさえぎられたところで、駒が突然一歩も動かなくなった。朝香比女はその様子を怪しんだが、ともかく休みを取って様子を見ようと、萱草の芝生に降り立った。
 * 比女は萱草にどっかと腰を下ろして様子を見守っていたが、果たして駒は次第に後じさりし、驚きの声を上げて凶事を知らせるようなそぶりをした。
 * どうやら曲津神が罠を張って待ち構えていると察した比女は、火打ち石を取り出し、かちかちと打ち出だせば、枯草に燃え移って風に乗って広がり、沼の岸辺まで届いて止まった。
 * すると、辺りを包んでいた深い霧が晴れ、空も晴れ晴れとして月が地上に光を落とし始めた。これは、八十曲津神が比女の真火の功に傷つき追いやられた結果であった。
 * 一度は退いた曲津神たちであったが、今度は比女を沼に迷い込ませて仇を取ろうと、第二の罠をはって待ち受けていた。
 * 朝香比女は心落ち着き、広く広がる沼の岸辺に駆け寄って、波間に浮かぶ月影を眺めながら今の事件を述懐する歌を歌った。
 * ふと見ると不思議なことに、小石一つない沼の水際に、長方形の巌が横たわっていた。比女は言霊にて、主の神の恵みにより休み所となる巌を賜ったと歌い、まだ若い巌なので、舟にして沼を渡ろう、と歌った。
 * するとまた不思議なことに、比女は、巌がまるで柔らかい粘土でもあるかのように、中をえぐって舟の形を作り、天の数歌・言霊歌を歌った。たちまち巌舟は木の舟に変じ、自ずからするすると水際にすべり出た。
 * 比女は駒と共に舟に乗り込み、沼の果ての岸まで渡り来た。そして、この舟は千引きの巌となって、永遠にこの岸辺にあるように、と言霊歌を歌うと、舟は元のような巨巌となって、水際に屹立した。
 * この巌を御舟巌という。そのうちに東雲の空が次第に明らみ、日が雲を押し分けて昇り来たり、沼の面をくまなく照らし渡った。

 第十五章 御舟巌(一九三二)
 * 八十曲津神たちは、沼に変じて朝香比女を待ち伏せていたが、あべこべに比女の言霊に固められて、本物の沼となって大野ヶ原に永遠に横たわることになってしまった。また、曲津見の本体であった巨巌も、比女の沼渡りに逆に使われた挙句、御舟巌と固められてしまった。
 * その他の悪神たちは沼底の貝と変じて、わずかに命脈を保つことを許されたのみであった。
 * 朝香比女は沼と巌に、魚貝を育てて国津神たちにを養う糧を生み育てることを命じて、東南方を指して進んで行った。
 * 程なくして、国津神たちが住む集落にたどり着いた。国津神の長、狭野比古(さぬひこ)は、比女の前にひざまずき笑みをたたえ、高天原より降り来た女神に、飢えに悩む国津神を救ってくれるよう懇願した。
 * 朝香比女は、湖水の魚を食べるように諭すが、狭野比古は、国津神は木の実を食べて生きるもので、魚は食べられない、と答えた。そこで比女は彼らに火を与え、魚貝を焼いて食べることを教えた。
 * 国津神たちは、その美味さに先を争って魚貝を食べた。狭野比古は、湖水に豊富に生息する魚貝を食料にできるならば、もう飢えに悩むことはないと喜び、感謝の歌をささげた。
 * 朝香比女は、御舟巌の回りだけは漁をすることを禁じ、また必ず湖水の魚貝に火を通してから食べることを教えた。
 * すると狭野比古は次に、この近辺は水が悪いために、病気になり命を落とすものまでいることを訴えた。朝香比女は土を練って瓶を焼き、水を満たして沸騰させることを教えた。以後、国津神たちは白湯を飲んで水あたりすることはなくなった。これが、火食の道の始まりである。
 * 狭野比古は感謝の歌を歌い、また真賀の湖水の湖辺に新しい宮居を造り、主の神の神霊を祀り、相殿に朝香比女の神霊を祀り、国津神がかわるがわる奉仕することとなった。
 * 朝香比女は狭野の郷を発って、さらに西方の国に進むことになった。狭野比古は別れ惜しさに、比女の逗留を懇願するが、比女の心は固かった。そこで、狭野比古はせめて曲津神の多くなる先の道中を守るため、比女の共を申し出た。
 * 朝香比女は快諾し、かくして比女は狭野比古を従えて大野ヶ原を西へと進んでいくこととなった。


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