人生に思想を! 毎日に希望を!

SUMIOKA's Works

Essays in English


■ 2019, 1987-88 "KNOWLEDGE and JUSTICE: Three Dogmas in Modern Philosophy, Justice as Folly"

office SUMIOKA publishing

 summary of THREE DOGMAS in MODERN PHILOSOPHY
We call the principles of Subjectivism, Holism, and Descriptionalism, as the “three dogmas of modern philosophy”. We can see a complete structure of these dogmas in the “Wisdom-Library Theory”. It is an ideal kind of library that preserves, accumulates and evolves all the wisdom of mankind within the general form of language. However, first, even such a super-subject as the “Wisdom-Library” cannot exempt from the self-righteousness problem of the subject. Intending the whole consistency, it falls rather deeper into the problem. Second, there is much silence-wisdom that is never talked out, but supporting our daily lives, although such “Wisdom-Library” is not able to deal with it. Third, individual persons maintain the “Wisdom-Library” so partially that its whole consistency and direct development are never guaranteed.
However, a ‘description’ does not depend on the correspondence with the reference, but on the same reaction of the listeners as the reference so that we are able to accept it sufficiently as a speech-act to change the action of the listeners as well as the described reference itself. Also, although the illusion as if there were the ‘whole’ wisdom somewhere should be denied indeed, yet we need to consider it moderately to understand the possibility of the (mis)understanding of the listeners. Furthermore, a ‘subject’ is not able to be the ground of all things, nevertheless, it is the status of the narrator as the owner of the authority and responsibility of the speech-act. And who judges an object is judged oneself about the personality of the judge-act. Then, trying to be judged ourselves by the whole world, we are able to show the whole world as a mirror inversely.

summary of JUSTICE as FOLLY
Reviving the “Methodical Contract Theory”, Rawls conceptualized ‘justice’ with “the ‘Fairness Principle”. It is valuable as a lodestar to solve our problem of the present age, namely the compatibility of contradicting liberty and equality. However, we cannot actually derive ‘justice’ from it because we have also the liberty not to comply it. Therefore, Rawls says that we need sanctions and compulsions against an ‘egoist’. However, if we do something under menace, is it able to be ‘justice’? Contrarily, if someone is not an ‘egoist’, namely if he/she does a ‘justice’, ignoring his/her own interest, then it is rather unnatural and irrational folly. There is “the Courage Principle” here that makes us true social-comrades. For this “Practical Contract”, people have to gamble themselves. Nevertheless, we do it because ‘justice’ is necessary for our own happiness.

■ 2019, 2013 "SHORT HISTORY OF JAPANESE WESTERN MOVIES"

(office SUMIOKA publishing

Although Japan is not the West of the US, Japan has a similar frontier called Ura-kaido (the back society) for the outcasts and the outlaws inside it. Setting the story in it, many sentimental and nostalgic historical/modern drama had been made. These depicted the spirit, the struggle and demise of Ura-kaido as well as American Western.
After WW II, historical drama was at the peak although the most was just a detective story with Chambara (sword fighting). Instead, Nikkatsu Adolescent-Drama / Stateless-Action, Kurosawa and ZATO-ICHI adopted the American Western and got popular in the 1960s. These were exported to France and Italy and they made Nouvelle Vague and Spaghetti Western.
After that, Japanese theaters felt and were filled with the Ninkyo (anachronistic Yakuza) movies complaining the people’s morality while the TV sent a lot of the didactic detective Jidai-geki. Furthermore, films began to depict the real histories of the modern Yakuza by the support of the real Yakuza and TV Jidai-geki got absurd imitating the notorious later Spaghetti Western in the 1970s and 80s. However, in the 1990s, the relation with Yakuza got fell out of favor and bizarre Jidai-geki got tired.
In the recent years, not only the Yakuza movie but also the TV Jidai-geki is not made any more. Japanese in modern times cannot understand the morality and mentality of Jidai-geki. However, a new genre of loan shark stories comes in fashion where the hero solves the problem of the outcasts of the modern economic life with knowledge of laws and a shrewd con-game, not more with a sword and a gun.

メディアの理論と技法


■ 2020, 2005『エンターテイメント映画の文法』

(フィルムアート社; office SUMIOKA publishing

 プロデューサー、監督、脚本家など、観客の心をつかむプロフェッショナル・スキルを集成した、エンターテイメント映画を作るための専門書。テーマやドラマを掘り出して磨き上げ、映像化するための基本理論を整理して説明。ハリウッドで実践される演出・脚本・撮影の大原則から、映画業界のシステムまで。業界関係者のみならず映画ファンも必携の一冊。世界市場を目指すメイキング・セオリーとは!?

■ 2006『人気テレビ番組の文法』

(フィルムアート社)

 これまでけっして外部に語られることのなかった企画立案から出演交渉、映像演出まで、番組制作のすべてを体系的かつ実践的に紹介。視聴率に人生と才能を賭けて、おもしろさを追求する仕事とは何か。もっとも身近なメディアに隠された誰も知らない秘密のメッセージとは何なのか。これを読めば、だれもがテレビの見方、出方、作り方を大きく変えることになる。業界関係者、マスコミ志望者必読の一冊。

■ 2014, 2004『きらめく映像ビジネス!』

映画とテレビのすべてがこれでわかる!
(集英社新書; office SUMIOKA publishing

 プロがつくる映像や番組は、制作現場はもちろんのこと、資金調達から営業宣伝まで、多くの人々が協力する巨大な組織ビジネスです。きらめくスクリーンや画面の陰で、多くの裏方たちが、プロ水準の仕事をこなし、スポンサーや観客、視聴者を満足させ、相応の収益を確保しようと日夜がんばっています。本書は、映画の誕生にはじまり、テレビの勃興、最新のビデオクリップ事情までを追いながら、映像ビジネスの成り立ちと業界の仕組み、その経営を徹底的に紹介していきます。魅惑のソフトコンテンツビジネスの世界にようこそ。

哲学・思想史


■ 2022, 2017『図解でわかる純丘先生の60分哲学!』

映画とテレビのすべてがこれでわかる!
(office SUMIOKA publishing

 細かな話は抜きに、ざっと60分だけで《哲学》がわかる本。難しい時代、発想を豊かにして、物事の見方を変え、活路を見い出すには、この《哲学》があなたに大いに役立ちます。宇宙の元栓を握り、運命の行方を眺め、時流の波に乗る。因果応報の定めを知り、自分と世界の構造を弁えて、自由の沃野をめざしつつ、迫り来る障害と抵抗に備える。《哲学》は、自分と世界を大きな視点で捉え直し、その再考と整理を可能にします。さあ、人類の知的遺産、思想の動物園へようこそ!

■ 2019, 2017『武士道二論: 明治天皇制下での武士道 ・武家諸法度に見る武士道』

office SUMIOKA publishing

明治天皇制下での武士道
「武士道」と言うと、新渡戸稲造の思弁的著書がよく知られているが、明治においては井上哲次郎が編んだ『武士道叢書』こそが正典だった。彼は文献実証的に、キリスト教とは相いれない武士道の精神を明らかにしようとした。だが、それもまた、一族郎党を抱えて主家に代々に仕える実際の武家ではなく、家主個人の寵愛によって一身一代で抜擢された側用人の思想であり、それが歪んだ滅私奉公の絶対天皇制を作ってしまったのではないか。

武家諸法度に見る武士道
『武家諸法度』は、幕府への奉公と、武家の身分安堵との再契約であり、将軍の代替わりごとに発布された。その中で、賄賂を禁じる新井白石の「正徳令」は、わずか六年で廃止され、事実上、賄賂を黙認することとなる。というのも、武家は、弓馬の道でも、儒教道徳でもなく、『武家諸法度』に合うよう、体面格式を維持することこそが求められたからである。

「家康が大化けしたわけ:甲州流軍学」「男色武士道:天下泰平の新キャリア」「平時武士道としての朱子学」「中江藤樹:武士道は隠れキリシタンが作った?」「京都の魔窟:朱子学から古学へ」「江戸時代に藩は無かった:あえての非効率主義」「参勤交代は気が重い地方赴任」「悪代官は悪徳商人とどんな悪だくみの密談していたのか」「静かな武士道:刀を抜いたら負け」計九編も併録。

■ 2019, 2018『大学事始・日本の見えざる美』

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大学事始:蘭学から英学、ドイツ学へ
長く続いた鎖国。それでなまじ独自の国風文化ができたがゆえに、欧米の文化学問に対する憧憬と反発が拗れた。そもそも欧米と言っても、それはオランダか、イギリスか、ドイツか。藩閥政府の留学帰国組の利権が絡み、そこに正体不明の怪しげな外国人講師たちが割り込み、さらにはキャッチアップかジャポニズムかと殖産興業の方針がぶれて、結局、いずれも瓦解自滅し、ただ選良選別のための空虚なシステムだけができた。

日本の見えざる美
 繰り返される外国文化の襲来流入で、恒常的に彷徨史観に立たざるをえない〈日本の美〉は、循環的な季節感や王朝感を持ちながらも、けっして元には戻れず、かといって過去に積み残した「残念」を切り捨てることもできない重層性を、光に伴う影として心の中で引き受けなければならなくなった。ここでは、カサネが、つねにズラシになってしまう。時を経てなお、重なったままで残っているものは、ありえない。この差延に、わかる者にしか、もうわかるまいという孤立の諦感、自分の幻想が私的なものでしかなく、さらには、自分自身もまたもはや幻想の側の「えうなき」漂泊者であるという、あわれの侘び寂びが胸を締めつけることになる。

■ 2019『日本古代中世芸道小史: 実存的美意識としての優美』

(office SUMIOKA publishing

 『万葉集』研究者の中西進は、日本が「歌人政治」であるとした。だが、政治家たちが歌を詠んだにしても、歌人が政治家に取り立てられただろうか。実証的に日本の古代中世の芸道史を通覧するに、日本人にとって《美》は〈見るもの〉ではなく、〈為すこと〉であり、それがまた《徳》として、〈自分自身を成す〉ことに連なっている。つまり、《美》は、西欧的な対象の属性などではなく、物事に美を見出し、美を為す《美意識》にこそある。それも、その美意識は、現実に立脚しながらも、つねに現実を脱却し、夢幻の拡がりを創造していく実存的なものであり、絶対条件としての現実に終始する政治とは、むしろあいいれない理念だったのではないか。

■ 2017, 2013, 1998『ヘッラスの栄光』(図像版)

古代ギリシア文明史講義 上巻
office SUMIOKA publishing

プロローグ: ヘッラスの神々と英雄
 巨人戦争の末、神王ゼウスの支配が建てられ、ヘーラクレェスら英雄たちの冒険と活躍によってヘッラス諸市が築かれる。しかし、その中のテヘェベー市には呪いがあり、そこにオイディプースの悲劇が始まる。そして、絶世の美王女ヘレネーを巡って、トロイア戦争が起こり、ヘッラス連合軍は、ようやくこれに勝利したものの、その帰路、参謀オデュッセウスは大漂流をしなければならなかった………。
第一章: 古代ヘッラス文明の成立(c2800~c525 BC)
 クレタ・ミュケェネー文明の後、独立諸市を特徴とするヘッラス文明が成立し、地中海各地に植民地を建設していく。しかし、やがてオリエントの大国パールサも、小アジア半島とへ勢力を拡げ、しだいに緊張が高まっていく………。
第二章: エーゲ海戦争とアテヘェネー民帝国(c525~c440 BC)
 いよいよ小国ヘッラスと大国パールサがエーゲ海を挟んで歴史的大戦争を繰り広げることになる。ところが、ヘッラスは思わぬ勝利を得、その結果、その中心となったアテヘェネー市は、輝かしいクラシック文化の築き上げたのだった………。

古代ギリシア文明史講義 中巻
(office SUMIOKA publishing)

第三章: ヘッラス東西戦争(c440~c405 BC)
 エーゲ海を支配する傲慢なアテヘェネー市の西進に対し、コリントホス市などの中堅諸国が反発し、ついに内戦となってしまう。この戦争の真中、哲人ソークラテースが登場し、人間教育を訴えるが、その弟子として世に出てきたのは、稀代の奸雄アルキヒビアデースだった………。
第四章: ヘッラスの秋(405~385 BC)
 敗北したアテヘェネー市では、ソークラテースも処刑され、代わって、イーソクラテース学校やプラトーン学園などが興隆し、また、ヘッラス全土でピュータハゴラース政治教団も活躍する。しかし、政治はあいかわらず安定せず、対立が続いていた………。
第五章: 四ヶ国紛争の混迷(385~360 BC)
 狭いヘッラスの中で、アテヘェネー・スパルター・テヘェベー・シュラークーサーの四勢力が離合集散を繰り返していた。ここにおいて、プラトーンらによって、ヘッラスに平和をもたらす理想の政治家として、哲人王が模索されたが………。

古代ギリシア文明史講義 下巻
第六章: マケドニアの旋風(360~335 BC)
 しかし、異変は外から起こった。北方のマケドニアに剛胆粗暴なプヒリッポス二世が登場、パールサでも、皇帝アルタクシャティラー三世がふたたびヘッラスに野心を抱くようになったのである。はたして、プヒリッポス二世は、ヘッラスの敵か味方か………。
第七章: アレクサンドロスの大遠征(335~325 BC)
 プヒリッポス二世に代わって全ヘッラスを掌握した若きアレクサンドロス三世は、哲学者アリストテレースの教えに従い、全世界の統一をめざし、エジプトへ、そして、オリエントへ、さらには、中央アジアへと、あまりに壮大な遠征を行っていく。しかし、東の海は、あまりに遠すぎた………。
エピローグ: 王帝とヘッラスの衰滅(324~322 BC)
 オリエントに戻った王帝アレクサンドロスは、ふたたび西方への大遠征を企図するが、その矢先に亡くなってしまう。この突然の事態に、ヘッラスでは、反マケドニアのラミア戦争が勃発するが、敗北し、ついに屈辱的軍事占領を受ける。アリストテレースは、いち早くアテヘェネー市を逃げ出したが客死、後には、その後の時代を導く膨大な形而上学の遺稿が残されていた………。


■ 2002『近世ヨーロッパの思想と社会』

office SUMIOKA publishing

 十六世紀から十九世紀にかけてのヨーロッパは、まさに個性の時代だった。厳しい絶対王政の支配の下で天才的な思想家たちが次々と独創的な哲学を生み出し、それらは新聞雑誌やコーヒーハウス、メイソンリーによって、言語と国境を越えて全世界へと広まっていった。経験と理性の哲学、自然科学、民主主義、そして産業革命。これらを掴み取った人々の軌跡をたどりつつ、いま一度、近代がいかにして築かれたか、を原点から問い直す。

■ 1987-95『論理・行動・生活そして経営』

(東海大学出版会 ¥7344; office SUMIOKA publishing 全5巻)

第一巻 『システム論の射程』
 本書は、存在は意義である、というテーゼを主題とし、我々人間、そして、会社や国家が、主体として生きて存在する、とはどういうことか、を問う。《企図理論》によって《写像理論》を否定し、歴史的社会において生成する結果先取の実存的賭けこそを意義とみなす。

第二巻 『行為論の基礎概念』
 行動記述主義は、行動の能動的行為性に関して記述相対主義に陥ってしまう。しかし、まず、生活世界内の物事やその可能性として、また、生活世界内で生活する人々の習慣や規範として実在する物事の固有の意味、すなわち、現実への固有の係わり方を確立し、その固有の意味が社会的共通理解として確立された物事を中心とすることによって、脈絡・状況の正しい理解を確立することによって、物事と脈絡・状況との方法論的循環を避け、理解の基礎の相対化を防ぐことができる。このような枠組の中で行われる行動に正しくその実践的意味が実在し、構成されているものだけがまさに実在する行為である。

第三巻 『価値論の基礎概念』
 意味とは、それぞれの物事に固有本質的な機能(他の物事への影響)であり、物事は、所与の状況において、その固有の意味によって、また、偶然の配置によって、意義(存在意義)を派生し、別の物事を適合(不適合)させる背景事象となる。ここにおいて、主体は、その生活世界の統一整合性を維持するために、外界の影響に対して、未来への選択を繰り返していかなければならない。

第四巻 『主体論の基礎概念』
 自証、対証、衆証などによってこそ、物事の存在が社会的に認められ、事を起こす物が主体とされる。そして、逆に、このような規範的な物事の存在を認めることにおいて、その主体は人格的と認められる。これは、自然人のみならず法人を含み、その能力と問題様相によって、超主体的な精神という主体が出現してくる。

第五巻 『生活論の基礎概念』
 さまざまな精神が我々に人生ゲームとして得失を課す。しかし、我々は同時に、なんのゲーム、どの精神に従うべきかを模索する哲学ゲームもまた課せられている。この二重の不安のなかで、我々は安全と自由を暫定的な生活原理とし、うち、ひと、かみという個人の人格精神を打ち立てつつ、それに従うことを模索する。

小 説


■ 2020, 2018, 2014『悪魔は涙を流さない』(増補改訂版)

『続・死体は血を流さない』
カトリックマフィアvsフリーメイソン:洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだ パーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書
(瓦塔院出版)

 近年に発掘公開されてきた秘密手記などの歴史資料をもとに、十八世紀ドイツ・フランスのフリーメイソンリー内部での葛藤と暗闘の事実を詳細に検証しつつ、現代社会でひそかに進行しつつあるカネと麻薬と政治をめぐる大きな陰謀のウワサに、またもや例のまぬけな三流教授と貧乏翻訳家のコンビがまた巻き込まれてしまった! おまけに役立たずの出戻り秘書令嬢まで加わって、事態は悪化する一方。CIAや新興マフィア、カトリックとエホバの証人、聖堂騎士団からジャコバイト、イルミナティ、LGBT、匿名ファンド、偽装製薬会社などなど、ホンモノともイカモノともつかない怪しい連中の数々が、ナポレオンの財宝、洗礼者聖ヨハネの首の謎を解き明かそうと、ヒットラーの屍肉を喰って不老不死になった行方不明のウルトラ環境主義テロリストを追って、ごちゃごちゃした神学論争を繰り広げつつ、蒸し暑い夏至祭のヨーロッパ各地を駆け巡る! いま、壮大な歴史ミステリ・アドヴェンチャーが幕を開ける! 

■ 2020, 2009『死体は血を流さない』(増補改訂版)

聖堂騎士団VS救院騎士団 サンタクロースの錬金術とスペードの女王に関する科学研究費B海外学術調査報告書
(三交社; 瓦塔院出版)

 表象学者・古宮誌織は、文科省の乱脈科研費、世界遺産財団の世襲問題に巻き込まれ、イエスの聖血、聖杯グラールそして聖槍ロンギヌスを巡る聖堂騎士団と救院騎士団、皇帝城代伯と帝国自由都市、フリーメイソンとイエズス会、モルトケとナチス、さらには現代の原理主義や環境主義まで、その二千年来の争奪戦をキリスト教会内の伝承に基づいて調査するはめに陥る。観光ガイドでは触れられることのないプラハ・ローテンブルク・ノイシュヴァンシュタイン城、ケルン大聖堂等の驚愕の秘密。物語の虚構の向こうに見え隠れする歴史の真実!

■ 2017『アマテラスの黄金』

隣のおねえさんはローカルすっぱい!:国際スパイ・伝奇ミステリ・おまぬけオバカ小説
(瓦塔院出版)

 浜名湖サミット前日、タイガードラマで繁盛する隣町をうらやみ、悪ジジイのマサとトメは、三ヶ日も採り上げてもらおうと、ゴルフ場からの総理誘拐を企んだ。だが、手違いでアメリカ大統領を連れて来てしまった。一方、CIAの日本下請のローカルエイジェント、モモねぇちゃんは、その救出の指令を受け、隣の家だったマコトをつれて、三ヶ日に。しかし、どこかのみかん農家の親戚と間違えられ、農協の久藤課長の下に案内されてしまった。おしりも、グルメライターとなった元EUのスパイ、デルチオーゾが取材をしており、そこに、日本CIA懇話会本部長の枯木田教授が乗り込んできて、三ヶ日を支配下に置く。  枯木田教授は、みかんに病気が発生したとして、降下部隊の火炎放射器でみかん畑の古木を焼き尽くす。一方、手形守りの濫造で大統領の居所がばれ、モモねえちゃんたちは神社に向かうが、すでに大統領はおらず、マサやトメと酒盛りに。すると、夜のテレビで大統領がスピーチをしている。宮司がかってに大統領を返したと怒っていると、枯木田教授が来て、後は任せろ、と言う。ところが、旅館に戻ると、そこに宮司がいて、大統領も一緒だ、とのこと。枯木田教授の目的がほんとうは別のところにあると気づき、一行は稲荷山へ。そこには、千三百年の秘宝、アマテラスの黄金があった。


■ 2013『夢見る幽霊』

オバカオバケたちのドタバタ本格密室ミステリ
(瓦塔院出版)

 私は妻に殺された。しかし、どうやって? 雪の降り積もる札幌のマンション。鍵もかかっている。こんなところで、あんなバカ女にまんまと殺されてしまったとあっては、死んでも死にきれない。というわけで、この密室トリックのハウダニットを解くべく、東京へ向かうが、幽霊なもので、誰も気づいてもくれない。せいぜい味方は、女子高生の幽霊だの、飛行機機長の幽霊だの、多摩川の渡し守の幽霊だの、やっぱり同類ばかり。心配してくれるのはありがたいが、こんな連中、役に立つんだかどうだか。そのうえ、高尾山の落ち武者、高円寺の廃物オバケたち、さらにはすでに存在しないはずのYS11まで、謎解きに便乗してくる。八王子の占いオババに、雲取山の雪男、生前の書評を逆恨みした和装紫毛の怪物人気作家、だが、けっきょくすべては、あのバカ女。はたして謎は解けるのか。いまここに、史上最大のサルカニ作戦は始まった!

エッセイ・紀行


■ 2017『百日一考』vol.1

働く人のための毎朝の哲学 純丘曜彰の哲学エッセイ
(瓦塔院出版)

 我、何を為すや。忙しさに追われ、自分を見失いがちな日々の中で、先哲古典の言を踏まえ、仕事の生活とは何か、多面的に考察していく思索集。ビジネスニュースとしてシェアメディア INSIGHT NOW! に連載され、livedoor や goo などからもネット配信された珠玉の哲学エッセイを一冊に凝縮。

■ 2018『百日一考』vol.2

働く人のための毎朝の哲学 純丘曜彰の哲学エッセイ
(瓦塔院出版)

 我、何を為すや。忙しさに追われ、自分を見失いがちな日々の中で、先哲古典の言を踏まえ、仕事の生活とは何か、多面的に考察していく思索集。ビジネスニュースとしてシェアメディア INSIGHT NOW! に連載され、livedoor や goo などからもネット配信された珠玉の哲学エッセイを一冊に凝縮、その続編。

■ 2006『ハイジに会いたい!』

物語の背景とスイスアルプスへの旅
(三修社)

 小説やアニメを通じ、世界中の人々にいまも愛され続けているハイジの物語を、スイスの歴史や風土、信仰のあり方にまで遡って詳しく解説。この本を読むだけで、あなたの心も、あのあこがれのアルプスの山小屋まで、約束の旅へと誘われて行くことでしょう。あの場所をいつか訪ねてみたい。そう子供のころに誓ったあなたの夢を、数々の美しい風景写真やイラストとともに、もう一度、思い出してみませんか。

ミュージカル


■ 2001『火の城』

西南戦争ミュージカルドラマ
(瓦塔院出版)

 明治維新から西南戦争まで、火の国熊本の悲劇の十年を描いた歴史ミュージカル。2007年の熊本城築城四百年記念、西南戦争百三十年記念、鹿児島熊本新幹線開業記念として、熊本城内の歴史遺産である石垣を生かした特設野外舞台において、騎馬や花火など用いた一大観光スペクタクルとして2001年に企画された。