「地吹雪、流氷、そして札幌の夜」雪の北海道 野宿ツーリング
    

ツーリングデータ

年月日

1987年2月28日(土)〜3月21日(土)21泊22日

目的地

北海道(フェリーで舞鶴→小樽、フェリーで小樽→新潟)

 ※()内は、現在の我々による「チャチャ」入れである


Part1 2/28(1日目)〜3/1(2日目)

『今日は、船、ないよ』『えっ…(絶句)』

2/28(土)くもり 時々 雪 1日目

 「だめだぁ、眠くてたまらんー!」朝9時に目覚ましをセットしておいたものの、連日の寝不足から布団から這い出したのは、昼の12時頃。

 雪の北海道野宿ツーリングということで装備が増え、いつものツーリングより荷物が大きくなってしまった。愛用のゴムひもがとどかなかったりして、パッキングにも随分と手間取ってしまう。おかげでフェリーの乗船地・福井県敦賀市に向け、やっと走り出したのは、14時40分頃だ。

 関ヶ原からR365に入ると、路肩には雪がいっぱいあり、路面はびょしょびしょに濡れている。車の跳ね上げる水しぶきは雨の日のしぶきとは違い泥水で、すぐにゴーグルが泥水にやられて前がほとんど見えなくなってしまう。ビビリながらも距離を伸ばしていくと、道の所々に凍っている部分が増えてきた。タイヤチェーンでがたがたになった凍結路面、これがメチャメチャたちが悪い。前後スパイクタイヤとはいえ、いつもより多い装備、そしてまだ雪道走行には身体も気持ちも慣れていないところだ。一度、このガタガタの氷の固まりに大きく振られて、対向車に突っ込みそうになる。「あっぶねぇ〜」こんなところでくたばっていたらお話になりませんからね。

小僧の使用後スパイクタイヤ

 夕刻、琵琶湖あたりの雪のかかった山々が夕陽で紅色に染まる。きれいだ。バイクを凍結路に止め、小休止。

 18時過ぎ、フェリー乗り場に到着。だが、乗り場の建物は真っ暗であたりも静かだ。人もいない。状況を把握できないでいると、中から警備員のおじさんが出てきた。「今日は、船、ないよ」がっび〜ん!「いったい、どーゆーことなんだぁ!!」もう全然訳がわかんなくて混乱していると、「ここんところ、海がめちゃめちゃシケてて、船のダイヤは乱れてんだよ。それで、今朝、出航しちゃったんだよ」とおじさんは説明してくれた。「次の船が出るのは、あさっての月曜の夜かな〜」もうホントに家に帰ろうかと思ったが、舞鶴からなら明朝出航する予定だと教えてもらい、腹を決め、これから舞鶴に向かうことにする。

 腹が立つのに、そいつをどこにもぶつけられないのがつらい。地面を思いっきり3発けっとばし、雪のちらつく夜道を舞鶴に向かって走り出す。

 凍結した夜道を心細い思いで走り続け、21時30分、舞鶴のフェリー乗り場にたどり着く。出航の時間はハッキリとしないとのこと。待合室はずっと開いていると言われたので、とりあえずベンチでウトウトしはじめる。最後に時計を見たのは、23時ごろかなぁ。

 得意の「まっ、いっかぁー」なんてお気楽な具合にはいかなかった1日目だったのでした。


「船の中、じっとしていると不安感に負けそうだ」

3/1(日) 2日目

 午前4時頃、「とりあえず人間だけは、乗船して下さい」とアナウンスが入り、船に乗り込む。「バイクを積む際には放送で連絡するよ」とのことなので、放送を聞き逃さないように眠いのを我慢しながら起きていた。でも、全然連絡がない。バイクを積まないまま出航してしまうんじゃないかと不安でいっぱいだ。このままバイクを置いてきぼりにして俺一人北海道にいっちゃったらタダの笑い話になってしまうじゃないか!

 結局、バイクを積み込んだのは10時45分頃。出航は12時半頃になるらしい。えらく悠長な旅になってしまった。こうなったら焦っても仕方がないもんな。なるようにしかなりませ〜ん。

 12時半、出航。

 船の中では寝るしかやることがないので、とにかく寝る。緊張や不安で眠りが浅いためか、うなされがちにいろんな夢を見てしまう。船の中でじっとしていると、「俺、危ないことをやろうとしてるんかなぁ」と不安感がどんどん大きくなってきて、気持ちが飲み込まれていく。でも、船の中でいくら考えたって仕方がないんだ。

それでも小樽に着いたのだ! 

 不安感を吹き飛ばし勇気を奮い立たせるために持ってきた「孤高の人」(新田次郎・著)を読み始める。気分が落ち着いてきた…。


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「ソロツーリング」

 

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